side雅~墓穴
「やり過ぎです」
クモの子を散らすように一年生たちが逃げ去ったあと。
私は大きなため息をついた。
「やり過ぎ?なんで?酷い事したんはあっちやん」
晴可先輩は珍しく苛立ちを隠さずにそう言った。
怒ってる?
確かに一年生たちにはかなり腹を立てていたようだけど、どういう訳かその怒りは今度は私に向いているようだった。
いやでも今日のアレは晴可先輩にも責任があるんじゃないかな~。
一応髪で隠してあるけど、見える人には見えるのであろう首筋に付けられた赤い跡。
それが彼女たちの攻撃を煽ったんじゃないかな。
「相手は年下の女の子ですよ?言いたい人たちには言わせておけばいいじゃないですか」
「……何回目なん?」
「え……?」
ぼそりとつぶやいた晴可先輩の言葉の意味が分からなくて私はぽかんとする。
「初めてやないんやろ?俺との婚約の事あれこれ言われるん」
「……」
めんどくさくて数える気が起きないほどですが。
正直にそう言えばもっと面倒なことになりそうなので言いません。
「なんでなん?」
「?」
晴可先輩の目に浮かぶのは怒りと苛立ち。
「なんで俺に言うてくれへんの?なんで言われっぱなしで反論せえへんの?なんも雅ちゃんは悪ないやん」
「……それは」
別に反論しなかった訳ではない。
初期の頃はちゃんと反論していた。
だけど無駄だった。
私の反論なんて彼女たちは聞きやしない。
言い返せば言い返される。
その分、話が長くなるだけだった。
無言でいる事が彼女たちには一番有効なのだ。
だけどそれを言えば、こういった事が何度もあったと晴可先輩に明かす事になる。
さっきの晴可先輩の怒りを見ただけに、それを口にするのはためらわれた。
「雅ちゃんは、なんにも言うてくれへんのやな。俺ってそんなに頼りない?」
「え?」
私のためらいをどう受け取ったのか、晴可先輩はぐしゃりと前髪をかき上げどこか投げやりな調子でそう言った。
どこでどうなるとそういう結論が導き出されるんだろう。
私は首を傾げた。
晴可先輩が頼りないわけじゃない。
反対に晴可先輩に言えばどうにかしてくれると分かっているからこそ言えないのだ。
晴可先輩が私との婚約のためにどれだけの苦労をしているか。
上流階級の世界は知らないが、花嫁候補の彼女たちの言葉からでも容易に想像できた。
そんな晴可先輩に学園内のことまで心配かけたくない。
私が黙って聞いてさえいれば彼女たちは何をする訳でもない。
だから私が出来ることは黙っていることだったのに。
何が間違っていたんだろう。
どうすれば晴可先輩の怒りが解けるんだろう。
晴可先輩は黙ったままの私をしばらく悲しそうな目で見ていた。
そんな目で見つめられるのは辛い。
でも何をどう言っていいのか分からない私は、ただ晴可先輩を見つめるしかなかった。
春の日差しの下、空気さえ動く気配がない。
「……もういいわ。行こ?」
痛いほどの沈黙を先に破ったのは晴可先輩だった。
私の腕をとり、ゆっくりと歩き出す。
その横顔にもう怒りの感情は浮かんでいなかった。
「……ごめん、なさい」
ようやく口に出来たのは謝罪の言葉だった。
私の言葉に晴可先輩の眉尻が情けなく下がる。
「……謝ってほしいわけやないんよ?ただ、ちょっと。雅ちゃんが困ってたんに気付いてやれんだ自分が情けなくて。自己嫌悪と八つ当たりや。俺の方こそごめん」
そう言って項垂れた晴可先輩はいつもの晴可先輩に戻っていた。
「俺がもっとしっかりしやなあかんのに」
そうつぶやく晴可先輩が年上なのに子供のように可愛くて。
思わずそっと腕を絡めて身を寄せていた。
「!」
晴可先輩から私に触れることは日常茶飯事だが、私から晴可先輩に触れることはまずない。
驚いて立ち止まる晴可先輩に私はぎこちなく微笑んだ。
「先輩が頑張ってること、知ってますから」
「!!!!!」
晴可先輩の目が眼鏡の下で大きく見開かれた。
墓穴を掘ったと気付くのはほんの数秒先のことだった……。




