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昔語り アーストライア民話集より

作者: 安藤礼

昔々の話をしよう。

昔、あるところに可哀想な娘がいた。娘の母親は彼女に料理を仕込み、沈黙とは銀であることを教えた。そして娘の母親は死んでしまい、後には父親と娘が残された。父親は後妻を貰ったのだが、これが酷く厭な女で事あるごとに娘を虐めた。

娘は嘆き悲しんでいたが、後妻に父親はぞっこん参っていたのでどうにもならなかった。ある日、日毎に美しくなっていく娘にとうとう耐えきれなくなった後妻は、彼女を遠い遠い荒野まで連れて行って、置き去りにした。娘は泣きじゃくり、声を張り上げたが誰も来てくれず、そのまま蹲って眠ってしまった。

娘が目を覚ますと、そこに男と女が一人ずつ立っていた。女の方は質素な白い服を着ていたが、その服は目を射るかのように輝いていた。男の方は目を見張るほど豪華な黒い服を着ていて、こちらも女と同じくらい輝きを放っていた。二人ともその顔立ちは大層美しかった。

女の方は金と銀と真珠に飾られた音楽を奏で続ける竪琴を、男の方は真っ黒な醜い仔犬を一匹連れていた。二人が話すには、「この子はどこから来たんだろう?姉さんの所に連れて行ってあげようよ」「そうだね、姉さんは台所の仕事が大変だとぼやいていた。この子を手伝いにさせよう」

二人の男女は娘を立たせ、そうして三人連れ立って一軒の家にやってきた。家の台所では灰色の服を着た女が一人、忙しそうに働いていた。女は彼らを見るとこう言った。「やれやれ、やっと帰って来たのね。ご飯の準備が出来てるわ。ところで、その子は?」「荒野で行き倒れているところを連れて来たのさ」

白い服を着た女も言った。「その子はきっと、姉さんの手伝いをしてくれるわ」「あんたたちは手伝ってくれないのね」灰色の姉さんはそう言ったが、その子に台所を手伝ってもらうことにした。テーブルの上ではご馳走がすっかり出来ていて、テーブルの脚が悲鳴をあげるほどだった。

やがて四人は食卓に就き、灰色の姉さんが言った。「さあさあお前たち、浮世のことをこの私に話しておくれ。赤ん坊の泣き声から棺桶に釘が打ち込まれる音まで!」黒い服の男が話を始めた。その話はまるで、世界中の悪徳を目一杯に集め、煮詰め、固めたかのような胸が悪くなるような話だった。

娘は気分が悪くなったが、何も言わずにその場に座り続けた。その話は娘の左の耳にこびりついた。次に白い服を着た女が話し始めた。その話は余りにも清々しく、幸せで溢れ、聞いている娘まで翼が生えて空を飛べるかのような気分になった。その話は娘の右の耳にこびりついた。

娘は感想を白い服の女に言いたくなったが、やはり黙っていた。黒い服の男に失礼になると思ったからだった。語り終わると灰色の姉さんが言った。「それじゃあご飯にしましょうか」

食事が終わると灰色の姉さんは、娘にテーブルの上をすっかり綺麗にするように言いつけた。

娘がとっても綺麗にテーブルを片付けると、灰色の姉さんは喜んで、ベッドで休むように娘に言った。娘はぐっすり眠った。次の日、灰色の姉さんと白い服の女と黒い服の男は出掛けて行き、娘は夕飯の支度をするように言いつけられた。娘は母親に教えてもらったご馳走でテーブルの脚に悲鳴をあげさせた。

やがて三人が帰ってくると、灰色の姉さんは白い服を着た女と黒い服を着た男にそれぞれ話を語らせた。その話は娘の両耳にこびりついた。三人は娘のご馳走を口々に褒め称えた。娘は後片付けをして、ベッドでぐっすり眠った。そうした生活が一週間続いた。7日目に灰色の姉さんが娘に言った。

「私と一緒に着いておいで。お前なら、私のやりかけの仕事を終わらせられるかもしれないよ」それを聞くと、白い服を着た女と黒い服を着た男は悲しみ、口々に娘は良い聞き手で料理人だったと褒め称えた。そして、娘に白い服の女は金と銀と真珠に飾られた竪琴を、黒い服の男は醜い仔犬をくれた。

娘は灰色の姉さんと共に、大きな立派な門の前までやって来た。門の前には病人や老人がたくさん横たわっており、隅々には骸骨がいっぱいに積み上がっていた。あちこちには屍肉を漁る野犬もうろうろしている。灰色の姉さんは娘に言った。「さあ、門の中にお入りよ!」でも、と娘は聞いた。

「でも、この恐ろしい門は何の門なのですか?」「この門はね、幸福の国と呼ばれる国の入り口だよ。私はこの門の中に入れない。でもどうしても入らなきゃいけないのさ。あんた、入ってこの国でちょいと運試しをしておいで。私はここで待っているからさ、運試しが上手くいったら門を壊しておくれ!」

娘はそう言われて、金と銀と真珠に飾られた竪琴と真っ黒な醜い仔犬を携えてこわごわとその門を潜った。その国に入り娘は目を見張った。その国の建物は娘が見たこともないような立派な建物でぼろぼろの物は一軒も無く、道行く人も皆王様のように立派な衣服を着ていたが、奇妙な事にその目は虚ろだった。

そして娘はもっと奇妙な事に気づいた。老人も子どもも見かけなかったのだ。皆、美しく顔立ちのいい人ばかりだったが、白い服を着た女や黒い服を着た男のようにいきいきとはしていなかったのだ。娘は恐ろしく思いながらも歩いていき、やがてとてつもなく立派な御殿へとたどり着いた。

御殿の前には男が一人立っていて、酷く退屈そうだった。男は娘を見ると言った。「お願いだからそこの、賢く美しい娘さん、その竪琴で何か奏でておくれ」娘は言われた通り竪琴に音楽を奏でさせた。男はそれを聞くと、「ああ、やっと!」と叫ぶと倒れ、塵になって消え去った。

娘が驚いて棒立ちになっていると、男たちが御殿から出て来てこう言った。「我々は料理人を探している。王様はもう、笑わないし悲しまない。王に感情を取り戻させる料理、そなたは作れるかな?」「私でよろしければ」と娘は言った。あの荒野で過ごした一週間が、娘に思慮と度胸を身につけさせていた。

こうして娘は台所へ入っていき、王のために料理を作った。若く、美しい王は娘の料理に深く心を動かされた。王は自分に感情を取り戻そうと吟遊詩人を毎晩の宴に呼んでは様々な話をさせた。娘はその場にいたが、その話は荒野の一軒家で、白い服の女と黒い服の男がした物に比べれば、大したことがなかった。

ある日、王は娘を呼んで言った。「娘よ、お前はよその国から来たんだろう。なのにあの吟遊詩人達の話に心を動かさないとは一体どういうわけなのだ」「陛下、私はもっと愉快で、悲惨で、清々しく、生き生きとした話を知っておりますゆえに」「では話すが良い」王は命じた。

娘は左の耳にこびりついた話を語った。その話は余りにも悪徳に満ち、悲惨で、胸をかきむしりたくなるような話ばかりだったので、王は滂沱と涙を流した。次に、娘は右の耳にこびりついた話を語った。

その話が余りにも清々しく、幸福に満ち、心に翼の生えるような話だったので、王は満面の笑みを浮かべた。「私は心がここまで動かされた事がない」王は叫んだ。「私は私に感情を取り戻させてくれたこの娘を、妃にすることにした」こうして、王と娘は結婚することになった。

ところが、この王には悪い大臣が一人いて、この新しくお妃となる娘が気に入らなかった。この大臣は、今まで王に隠れて幾つもの悪事を成していたが、新しい妃が余りにも才知に長けていたので、自分の正体がばれるかもしれないと不安になった。大臣は、娘の結婚式を壊す計画を立てた。

娘に恥をかかせて国から追い出そうと言うのである。さて、全くの偶然から娘はこのことを知ったがどうもできないでいた。結婚式の当日、娘は不安になりながらも真っ白な絹と真珠の美しい衣装に包まれ、王の隣りに座っていたが、あの醜い仔犬が突然ドレスの裾から飛び出して、大臣を追いかけ始めた。

大臣は悲鳴を上げ、その場から命からがら逃げだした。その仔犬が彼に、今まで犯して来た罪を思い出させたからである。大臣が宴から逃げ出すのを、皆はびっくりして見ていた。大臣はそれきりその国には戻ってこなかった。さて、王と娘は結婚し、王は娘に何か一つ望みを叶えてやろうと言った。

「それでは、」と娘は言った。灰色の姉さんとの約束を思い出したのである。「あの門を壊していただきたいのです」王は仰天したが、娘の希望を叶えてやった。門は破壊された。王と娘は、何人もの子供たちを得て幸せに暮らしていたが、やがて年老いた王がこの世を去り、跡を息子が継いだ。

娘はあの門が一体どういう代物であったのか、夫を亡くしてようやく気づいた。孫を胸に抱きながらも彼女は待った。やがて彼女にも病が訪れ、彼女は寝台に横になっていた。そこに、音も無く灰色の姉さんが立っていた。

「来るのをお待ちしてましたわ」彼女はそっと囁いた。もう病のために声は出なかったのである。灰色の姉さんは言った。「そう、この国が幸福だったのは私と妹と弟を閉め出していたからさ。だから王様は笑わないし悲しまない。子どもは生まれないし年寄りは死なない。でも、そんな国はあってはならない」

灰色の姉さんは娘だったお妃の手を取った。「さあ、私と共に行こう。大丈夫、あんたは恐れない。この世の喜びも悲しみもあんたは知っているんだから」やがて、子供たちは息絶えた母親の姿を寝台に見出した。こうして灰色の姉さんは望みを叶え、娘は生を全うしたのだった。

これでこの話はおしまい。

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