第1話 私の名前はユウナ
前略「ユウナの言葉」
私はあまり喋りません。
私は運動は好きですが、水泳だけは苦手です。
恋愛だって、苦手です。
これだけは聞いて欲しいな……ここだけのお話し。私、笑顔が苦手なんです。
名字は秘密。
住所も内緒。
だから、名前の書き方だって秘密です。
でも、名前だけは教えてあげます。
私の名前はユウナ。
なかなかいい名前だって、自分で思うくらい。
はじめまして、久しぶり?そういえば、こんばんは。
***
今、夕日が一瞬おじいちゃんのかわいらしい笑顔に見えた。
ユウナは学校カバンをブンブン振り回しながら、目の錯覚に関心した。
自然の風がユウナの黒い髪を揺らした。
今月、新高校2年生に進級したせいだろうか。赤点(注意点)をとった友達が、いくらか前の月に泣きながらすがりついてきたのを覚えている。
(進級できたのかなー)
名前は出さない。いちいち友達の名前を何十個もあげたって、面倒くさいだろう。
かりに、その人の進級の合否がなんだって結局ユウナは「ふうん」という一言で終わり。
ユウナの住む場所は、海の無い場所だ。
海なんてなくても、山があれば別にいい。
ユウナの基本理念は、完璧でなくてもいいことだ。
学校カバンの口が半端に開いている。でも、別に中身が道路に散らばらなければいいのだ。
学校からの帰宅途中、ユウナは見覚えのある光景を見つけた。小学生の集団が、自転車を駄菓子屋の目の前にとめ、中でお気に入りのお菓子を首を伸ばして探していた。
そういえば……
いいや、そんな昔のことなんて振り返らなくていい。今のことを考えていればいい。
歩道に飛び出た1個の石を見つけたユウナは、それを無表情で前に蹴っ飛ばした。石はカコンと小さい音をたてて斜めに転がった。
「あっ」
呟いた矢先、石はあっという間に側溝へ落ちてしまった。山から下りてきた天然水の中に沈んだ小石は、もう2度と浮かび上がってこない。
ちょっと残念な気持ちになったユウナは、再び歩き出す。
もう何度も通る通学路は、何年たっても変わらない。ユウナは何年たっても1人で登下校している。
学校では女の子の親友と行動しているも、学校が終われば決まってぼっちだった。
逆に、カラスの群れみたく行動を共にする女子はユウナを悲哀そうな目で見るのだ。
1人は恥ずかしくない。
1人でいると、カッコいい。
ユウナはふふっと笑いたくなった。
「おーいユーナ!」
「へっ!?」
びくっと肩を震わせて、ユウナは自分の後ろから聞こえた声に振り返る。
なんか聞いた覚えのある嫌な声。
なんで嫌かって?
それは、長年の勘のおかげでわかるからだ。
「ん?ユウナじゃねぇか」
チャリンチャリン…
耳障りな自転車ベルの音。
「……」
ユウナは小さく足をとめた。
そこには、黒い学ランでママチャリが良く似合う、男子高校生がいた。しかも、にけつ。
後ろに乗っていたのは後輩の男子だ。
「よっす!ユーナ先輩」
その後ろに乗っていた活発系の男子は、茶色の髪に耳にはピアスという洒落っ気のある子だ。
「気にすんな、コイツはただの五月蠅い野郎だ」
前で漕いでいた黒髪の男子が、虫を手で追い払う仕草で説明する。
「五月蠅いのは上杉先輩じゃないっすか。いつもいつも妹の話しばっかしやがってー」
「だっれがうるせぇって!さりげなく俺をロリコン扱いすんじゃねえ!子供かっつーんだ」
わんわん犬みたいに吠える上杉孝也。
「そういうところが、って意味ですー上杉先輩はぁ」
「ふざけてんのかてめっ。ど……どういう意味だゴラァ!」
自転車から飛び降り、殴りかかろうとする孝也。そして憎まれ口にも懲りずに、愚痴を漏らす後輩の竹前友宏とを交互に見ていると、喋らないこっちまでなんだか疲れてくるのは気のせいか。
「2人とも、用が無いなら行くね」
ばっさり言葉を切って、喧嘩をする男子から遠ざかろうと試みるユウナ。しかし、上杉の方が「ちょっと待ってくれぇ!」と呼びとめた。それはそれで驚いたユウナは、一応聞いてあげることにした。
「ちょっと最近勉強サボりがちでよぉ……お前頭いいって聞いたから俺に勉強教えてクレマセン?」
「……え」
孝也はぽりぽり頭をかきながら言った。
ユウナはあからさまに顔を引きつらせた。顔面に拒絶反応が――――!!
「そーだ、上杉先輩は顔に似合わず勉強音痴だからなぁ」
「お前は運動音痴にでもなってその減らず口を封じとけ」
念を押すように言われた友宏は、内心で呟く。
(先輩……運動音痴でどうやったら口がとじんですか?)
まるで会話が噛みあっていない2人。
「ごめん、私帰りますから……」
目も合わせず、ユウナはてくてく背を向けて歩いて行ってしまった。
残された男子生徒の場には、奇妙な風が吹いた気がした。
あれ、なんでこんな寒いんだろ?
「あれれ、上杉せんぱーい……ユーナ先輩行っちゃいましたよ?」
ひょこひょこ遠目に姿を小さくしていくユウナを眺め、友宏は孝也に囁いた。そんな後輩のセリフに、間違いなく孝也はカチンときていた。
中学生から同じ学校で、同じ地域に住んでいるユウナ。
それほど話したことも、遊んだ記憶もなかったが、今のはちょっと見捨てられた感が……
「あれ?上杉先輩泣いてんすか?なさけね……んごっ!」
語尾がヘンテコになったのは、ぶん殴られたからだ。
「いってーよ、上杉先輩!!」
「おめぇが悪い」
簡潔にそう言い終え、孝也は倒れたままの自転車を起こした。何故殴られたのかまったく分かっていない様子の友宏は、納得のいかない微妙な顔で眉をひそめていた。
「ただこれは言わせてくれ……」
「なんすか」
友宏は尋ねる。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!!!!」
上杉孝也は夕日に向かって吠えた。