八月二日⑤
色は漆黒だが、ただぬっているだけではなかった。まず最初に、血をぬっていた。
主にぬられているのは、人血だった。隅々までぬりつけた後、上から黒い漆で固める。
ロウマは戦が終わるたびに、自らの手で一連の作業を行っていた。使っている血は戦死した騎士達のものだった。
血にはその者の生き様が刻まれている。
甲冑にぬる度に、生き様というものが流れ込んで来るようだった。
「生き様か。美しいものだな」
「えっ?」
「なんでもない。もう終わったか?」
「はい」
「ありがとう。アリス、最後に言っておくことがある。お前の家族を殺した犯人についてだが、犯人の正体を私は知っている」
アリスは、ぶるっと肩を震わせた。聞くことを恐れているようである。
その肩に、ロウマは優しく手を置いた。
「ここでは言わない。酷なことだからな。だがな、いつか時期が来たら、そいつはお前に対して、全てを告白する」
時期とはいつのことだろうか。アリスは尋ねようとしたが、ロウマは踵を返すと、部屋から出て行った。
アリスの目には、普段は大きく見えるロウマの背中が、やけに小さく映った。
どうしていいか分からなかった。どっと疲れたように椅子に座ると、顔を手で覆った。涙があふれ出る。
アリスは悟った。ロウマはもう帰って来る気はないのだ。
だから、家族を殺した犯人のことについて、わずかだが教えてくれたのだ。
だが、嬉しくなかった。教えてもらわなくたってよかった。今の自分にとって家はこの屋敷であり、かけがえの無い家族はロウマと彼の弟のノーチラスだった。
彼は特別な存在であり、自分は側にいるだけで幸せだった。
それなのに、ロウマまで自分の前から姿を消した。自分はまた、大切な人を失ったのである。
アリスはずっと泣き続けていた。彼女の涙は、落ちて床に吸い込まれていった。
***
案の定の結果だった。ナナーは来なかった。毎年のことなので慣れているから、平気だった。慣れが働くのも変なことだ。
ロウマは苦笑した。