第一章 八月二日①
風が吹いている。痛いくらい体に当たっている。
今は夏だというのに、冷たい風だった。
ロウマ=アルバートは、一つの墓石の前にたたずんでいた。墓は完成してから、年月があまり経過していないので、ほとんど傷みが無い。
ロウマの父親ジュリアス=アルバートの墓である。墓の前に献花したロウマは、頭を下げた。
「父さん、久し振りに来ました」
ロウマはじっと墓を見つめた。当然の事であるが、墓から返答は無かった。
ロウマは墓を見るたびに思い出す事があった。かつて父のジュリアスから受けた折檻の日々を。何発も頬を張られたし、時には外に放り出される事もあった。
あのころはジュリアスが憎くて仕方なかった。なぜ自分がこんな目に遭うのか何度も考えた。しかし、そういう考えも次第に消えていった。
気が付けば、言われた通りに動いていた。他者から見れば、つまらない奴だとしか思われないかもしれないが、それが生きるための術なのだ、と自分に言い聞かせて納得させていた。
ジュリアスもいつの間にかロウマに厳しくすることは無くなった。その代わり、部屋に籠りがちになった。
もしかしたらジュリアスは自分に対してやりすぎた、と後悔していたのかもしれない。だが、それは推測にすぎないしありえなかった。
あのジュリアスが自分のことで後悔したら、それこそ国が混乱するだけである。用が済んだので立ち去ることにしたロウマは振り向いた。
使用人のアリスが立っていた。手に花を持っているところから、彼女も墓参りに来たのだろう。
ロウマはアリスから顔をそらした。先日、衝動的に彼女を襲ったのが、脳裏によみがえった。獣のように抱いた。あの時の自分は男ではなく完全に牡だった。
けれども、あの一件が自分の目を覚まさせた。後味の悪い目の覚め方である。
あの一件でよかったことは、つぶれていた彼女の声が戻ったことだった。
アリスは四年前に強盗に家族を殺された。彼女はその時、外出しており家にいなかった。
家族の遺体は無惨な状態だったらしく、見てしまった彼女はショックのあまり、声を失った。その後ロウマと出会い、アリスはアルバート家に使用人として雇われた。
声は少しずつ戻り始めていたが、先日ロウマが抱いたことで元に戻った。
だが、分からなかった。
どうして抱いたことで声が戻ったのだろうか。考えたが結局、その答えにたどり着くことはなかった。
アリスは今でも自分の屋敷にいる。普通なら出て行ってもおかしくないのだが、居座りつづけていた。
むしろ積極的に近寄ることが多くなり、最近は化粧もする事が多くなった。
「アリス、お前も墓参りか?」
「そうです。今日は死んだ弟の誕生日なので」
アリスは、にこりと笑った。笑顔が似合う子だった。それはロウマも認めていた。この笑顔は人の心を癒す効果があるだろう。
「弟はどんな子だった?」
尋ねてはいけないことだったが、うっかりしてしまった。
顔色一つ変えることなく、アリスは口を開いた。
「とてもやんちゃな子でした。落ち着きがなくて、放っておくと、すぐどこかに行ってしまう困った子でしたよ」
「そうか。その気持は分かる。私も弟のノーチラスのおもりに苦労していたからな」
「ロウマ様でも、手こずることがあるのですか?」
「当たり前だろう。私だって人だ。完璧ではない」
「そうですよね。私も馬鹿なことを言いました」
「気にするな。大したことではない」
完璧。
その言葉はロウマにとって、一番痛かった。かつては完璧になろうとして頑張った時期もある。
しかし、現実に打ちひしがれた。




