グレイス⑨
グレイスは顔面蒼白になっていた。寒いわけでもないのに、唇までがたがたと震わせていた。
「おっさん、どうした?大丈夫か?」
しかし、今のグレイスにはゴルドーの心配する声がまったく耳に入ってないようだった。ただ、「そんな馬鹿な」、「あり得ない」などわけの分からない事を口走っていた。
グレイスの異常な様子に、一同は声も出なかった。シャニスは自分が医者というのを忘れており、グレイスに近付くことさえできなかった。
ただ一人、アラリアだけはその光景を冷静に眺めており、話を続けていた。
「エレンの背中には、父親に刃物で斬り付けられた傷が残っています」
「馬鹿な、そんなはずがない!」
叫んだグレイスの気迫は尋常ではなかった。眼光が鋭くなっており、絶対に信じないという目付きをしていた。
大方は察しがついたので、ラジム二世は野暮だが口を挟むことにした。
「アラリア、そのエレンという女の父親はまさか……」
「お察しの通りです、陛下。エレンの父親の名前はグレイス。陛下や皆さんの目の前にいる男です」
その瞬間、グレイスは床に崩れ落ちた。
***
何事もなく日々は過ぎていく。今のところ、レストリウス王国の軍が攻めて来る気配はなかった。だが、いつかは攻めて来る。そうなると、多くの犠牲が出るはずだ。犠牲が出ても自分は毅然としてなければならない。セイウンは馬上でずっと思案していた。
「どうかしたの?」
隣のエレンが声をかけた。セイウンとエレンは、気晴らしに馬を駆けさせていた。
セイウンは愛馬のジェトリクスに、エレンも自分の愛馬を駆り出していた。
ジェトリクスはエレンがいるので、今はしゃべるのを控えている。
「何でもないよ、エレン」
「嘘ね。あんたがそう言う時は、大概何か考えている時よ」
見破られていた。付き合いが長いうえに夫婦になると、こうもあっさりと見破られるものなのか。嫌なものだが、嬉しいものでもある。
「悩んでいる事があるのなら、私に相談しなさいよ。何も話さないで一人で考えるよりは、ずっとましよ」
「……そうかもしれないな。エレン、頭領っていうのは辛いな。どんなことがあっても、しっかりとしないといけない。仲間が死んでも、涙一つ見せてはいけない。たとえ、親しくしている誰かが死んでもだ」
もし、エレンが死んだりしたら、自分は正気でいられるだろうか。おそらく発狂するかもしれない。
いや、確実にするだろう。そんなことが現実に起きないようにするため、自分は頑張らないといけないのだ。セイウンは、自分の拳を握りしめた。