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平民の分際で王家に嫁げるなど光栄に思えと強引に迫られたので忘却の禁術をかけて逃亡しました〜私が誰か思い出せないのになぜか国が滅びに向かっているようですがそんなこと知りません〜

作者: リーシャ
掲載日:2026/09/17

「いいか、イネス。明日の結婚式では、つつがなく振る舞えよ。お前は平民だが聖女の力だけは評価してやっているんだ。私の子供を産み、国のために魔力を捧げる道具として生涯王家に尽くせ」


 王宮の豪華な客室。第一王子ロンバースは顎を乱暴に掴んで言い放った。瞳にあるのは愛情ではない。所有欲と平民への蔑み。


 イネスは貧しい村の出身だったが強大な聖女の力を持っていたために王家に見出され、無理やり連行された。本当にいきなりなことで。

 それから三年。休みなく結界を張り続け魔獣を浄化し、国民の怪我を治してきた。なのに、報酬が自由を奪われる結婚と一生の軟禁生活だなんて、あんまりだ。


「もし私が拒否したらどうなるのですか?」


「はっ! 平民が王族に逆らえると思うのか? 拒否すれば故郷の村を焼き払う」


 卑劣な脅し。でも、想定内だったから微笑んだ。


「わかりました……では、今夜は最後の夜ですね」


「ふん、殊勝な心がけだ。明日の朝、迎えに来る」


 ロンバースが出て行った後に部屋の窓を開けた。月が綺麗だ。三年間、王家の図書館でこっそりと研究していた古代禁術の準備を整えていた。


「故郷を人質にするなら、私は貴方たちの記憶を人質にする」


 懐から全魔力を込めた魔石を取り出した。広域認識阻害、並びに記憶消去術式。対象は聖女イネスに関する全ての記憶。


「さようなら。貴方たちが私を忘れても、私は貴方たちを一生許さない」


 閃光が走り、王都全体が白い光に包まれる混乱に乗じ、用意していた転移スクロールで国境を越える。


 一人が消えた翌朝、王城は大混乱に陥っていた。


「おい! 今日は結婚式だぞ! なぜ花嫁がいない!」


 正装したロンバース王子が叫ぶ。しかし、侍従たちは首を傾げていた。


「あの……殿下。花嫁とはどなたのことでしょうか?」


「は? どなただと? 決まっているだろう、あの……あの……」


 ロンバースは言葉に詰まった。名前が出てこない、顔も思い出せないけれどここには確かにウェディングドレスが用意されているし、結婚式の招待状も発送されている。

 招待状の差出人を見ると『新郎:ロンバース 新婦:』と、そこだけインクが滲んだように読めなくなっていた。


「は、な、なんだこれは!? おれは誰と結婚するつもりだった?」


 国王も王妃も困惑していた。


「ロンバースよ、聖女を娶ると言っていた気がするが……我が国に聖女などいたか?覚えがない」


「いたはずです! ほら、怪我を治してくれた……誰だ!?」


 脳内からイネスという個人の概念がすっぽりと抜け落ちていた。残ったのは「今日結婚するはずだった」という事実と得体の知れない喪失感。そして、本当の恐怖はここから。


「殿下! 大変です! 国境の結界が消滅しました!」


「農作物が一夜にして枯れ始めました!」


「原因不明の疫病が広まっています!」


 次々と飛び込む凶報。これらは全て、聖女が毎日魔力を注いで維持していたものゆえにいなくなった瞬間、国を守っていた加護はすべて消え失せた。


「なぜだ! 誰か結界を張り直せ!」


「無理です! これほど高度な結界、張れる魔術師などおりません!」


 焦った。


「くそっ……以前は誰がやっていたんだ!?」


 記録係を怒鳴りつける。唾を飛ばすが気にならない。


「業務日誌を見ろ! 前任者がいるはずだ!」


 記録係は真っ青な顔で日誌を開いた。だが。


『X月X日。結界完了。担当者』


『治療完了。担当者』


 名前が書かれていた場所はすべて、魔法で認識できなくなっている。


「……わかりません。誰かが国を支えていました。凄まじい力を持った誰かが。それが誰なのか、誰も思い出せないのです」


「そんな馬鹿な話があるかぁぁ!ちゃんと読め!無能め!」


 ロンバースは頭を抱えながら心にぽっかりと穴が空いている。


(おれは、何かとてつもなく重要なものを手放してしまったのではないか?)


 不安と崩壊していく国の現状が精神を蝕んでいく。


 一方、女は隣国の田舎町で小さな薬屋を開いていた。


「おばちゃん、この薬草ちょうだい!」


「はいはい。転んで怪我したの? 痛いの痛いの飛んでいけー」


 小声で回復。


「わあ! 治った! ありがとうお姉ちゃん!」


 ここでは薬師、聖女なんて肩書きはない。朝起きて好きなパンを焼き、お昼寝をして困っている人を少しだけ助ける。誰にも強制されず誰にも脅されない穏やかな日々。


「ふふ。あっちの国は大変みたいね」


 風の噂で祖国が魔獣の襲撃や食糧難で衰退していると聞いた。王族たちは見えない救世主を探して、必死に国中を捜索しているらしい。探せるわけがない。探すべき相手の顔も名前も忘れているのだから。


 数年後。店に一人の旅人がやってきた。フードを目深に被っているが、憔悴しきった顔を見て息を飲んだ。

 元婚約者、ロンバース王子。国を追われ、わずかな供回りと共に失われた聖女を探す旅に出ていたのだ。


「……いらっしゃいませ。お加減が悪いのですか?」


 平静を装って声をかけてはみたが、ロンバースは虚ろな目で見る。


「ああ……水をもらえるか。それと、この辺りですごい力を持った女を見かけなかったか?」


 彼はこの顔を見ても何の反応もしない。本当にきれいに忘れている。見事な魔法だ。


「すごい力、ですか?」


「ああ。探しているんだ。国を救ってくれていたはずの女性を……彼女を愛していたはずなんだ。だが、どうしても思い出せない。彼女さえ見つかれば国は……」


 ボロボロの手で顔を覆って泣き出した。嘘だ、道具扱いしてたくせに。昔見た傲慢な王子の姿はない。

 あるのは自分が何を失ったのかさえ分からず、永遠に埋まらない穴に怯える哀れな男の姿。コップに水を注ぎそっと差し出した。


 というか、愛していたとは?覚えている記憶を上書きでもして現実逃避に当てたのだろう。


「……それはお辛いですね。でも、きっとその方はもう二度と見つからないと思いますよ」


「なぜだ!?」


「だって、貴方様は本当に大切なものを忘れてしまったのでしょう? 忘れられる程度の想いなら女性もきっと、貴方の元には戻りません」


 ロンバースはハッとした顔をした。そして、しばらく顔をじっと見つめ。


「はは、そうか。そうだな……君の言う通りかもしれない。それに、この水、なんだか懐かしい味がするな……」


 涙を流しながら水を飲み干し、代金を置いて店を出て行った。最後まで目の前にいるのが探し求めていた元婚約者だとは気づかずに。扉が閉まるとカランコロンとベルが鳴る。


「さようならロンバース。どうか一生私の面影を追いかけて、幽霊みたいに彷徨い続けていればいい」


 レジにお金をしまい、焼き上がったアップルパイの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 世界はこんなにも鮮やかで、幸せに満ちている。忘却の彼方に消えた彼らのことなど忘れてあげることにしよう。

最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。故郷を焼くと言われたら逃げられる定期

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― 新着の感想 ―
彼女が消えたら直ぐに結界が壊れ魔物に・・・ 彼女が現れる前、三年前はどうされていたのだろうか? たった三年なのに聖女がいなかった時の事を忘れてしまった者達。 救いようがありませんね。
結婚するのに「平民だから」と無理やり暴行して襲わせてから娶ってやるとか超傲慢なこと言って逃げられてても不思議ではない王子ですね… 子供も聖女の子供ではなく愛人の子供と仲睦まじくしてるのを黙ってみてろ、…
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