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見捨てられた國のヒミコ 20X0 (5)

   見捨てられた國のヒミコ20Ⅹ0 (5) Ⅽ・アイザック

 ハナエを乗せた装甲車がいわき市へルートを戻っていく。ヒミコ

は安堵と満足を覚えていた。子供たちの期待を裏切らずに済んだからだ。車には自衛隊員の荒川陸曹長も同乗していた。ヒミコが提供する装甲車を受け取るためだ。

阿賀野川の広大な河口を突っ切り砂漠を進む。時折強い風が砂塵を巻き上げ、ディスプレーの画面でもそれとわかるほど風景が霞んだ。先ほどまでコクピットのアースボーイを興味深そうに観察していた荒川曹長が「これからは砂嵐が多くなる季節だ。」とヒミコに話しかけた。

左方に遠く海が見える。内陸側には巨大な砂丘が聳え、その頂部で煙のように砂が舞い上がっている。

「冬はどうなるの?」

「低気圧がやってくると海岸の砂が痛いほどの勢いで吹き付けてくる。砂と寒さにうんざりする頃に吹雪だ。よくこんな所に人がいるもんだと思うよ。」

ハナエが身動ぎしたが何も言わなかった。

 砂丘が途切れた場所にさしかかった。キャンプを目指して砂の壁を迂回した地点だ。車が方向を変える。

「人がいるよ。」とアースボーイが告げた。

車内の三人に緊張が走った。

「三時の方向、五百メートル。」

ヒミコがそれを光学センサーで捉え、拡大した。

 五百メートル離れた場所で別の砂丘が山のように盛り上がっている。その斜面を一人の人物が下っている。赤いレンガ色の裾の長い布を纏い、髪が白く、足元が定まらない様子だ。

「老人だわ、多分。」とヒミコが呟いた。「何か持ってる。武器じゃなさそうね。…杖だわ。ボーイ、車を停めて。」

ヒミコが人物の顔をフォーカスした。顎のあたりに白いヒゲが見える。高齢なのが明らかだ。

「日本人じゃないかしら。」

装甲車が遠いためか全く気付かない様子で歩を進めている。

「ボーイ、車を近づけて。」

「たしかに日本人のようだが…。」

荒川が自信無げに呟いた。

 やがて砂煙を上げる装甲車が老人の間近に迫り、ついにそれが眼に入ったようだ。彼は驚愕の表情を浮かべると砂丘の斜面に尻餅をついてしまった。

 ヒミコが車から跳び下りて駆け寄った。

「心配しないで、私は日本人よ。おじいさんもそうでしょ?」

老人は砂に座ったままで何度か頷いた。

「やっぱりそうだったのね。」

ヒミコは老人が立ち上がるのを手伝った。

「ビックリしたわ。」

二人は互いに顔を見合わせた。ヒミコは驚くと同時に嬉しかった。この地にもやはり日本人がいたのだ。

「おじいさんは何処から来たの?」

老人は何も答えないが微笑を浮かべてヒミコを見つめている。

「あなたは何処から来たの?」

ヒミコは繰り返した。老人はやはり無言だ。

「ねえ、あなたは何処へ行くの?」

老人が急に背筋を伸ばしたように感じられた。彼は中空を見上げて穏やかな声で言った。

「何処から来て何処へ行くか。風と同じだ。くうだ。空の空、空の空。一切は空である。」

「えっ、何と言ったの。」

「世は去り、世は来たる。日は出で、日は没し、風は南に吹き、また転じて北に向かい、廻りにめぐってまたその廻る所に帰る。」

ヒミコは呆然と老人の声を聴いた。ヒミコに話しかけているようであり、独り言のようでもあった。

「あなたの詩かしら。」

「先にあったことはまた後にもある。先になされたことはまた後にもなされる。」

老人がヒミコに視線を戻した。賛同を求めているようだ。しかしヒミコは何と言えばよいのか見当が付かなかった。

老人は手を挙げて言葉を続けた。まるで沢山の聴衆を相手にしているようだった。

「日の下で人が行う業はみな空であって風を捕らえるようである。天が下の全ての事には季節があり、全ての業には時がある。」

この人は相手に構わずただ喋っているのだ、とヒミコは思った。

「今あなたは全然逆の事を言ったようだけど。」

老人は悲しそうな顔をしたが語るのを止めなかった。

「生まるるに時があり、死にるに時があり、植えるに時があり植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、癒すに時があり、壊すに時があり、建てるに時がある。」

ヒミコは辟易してしまった。

「分かったわ。分かりましたから私の質問に答えてください。おじいさん、あなたは何処から来たの?」

老人は何故か答えるつもりが無いようだった。ゆっくりと、首を振った。

 その時ヒミコは胸元に布の合わせ目から黒い本らしいものが覗いているのに気が付いた。手帳より大きくてかなり分厚い。宗教者が持つ聖書のようだ。

「分かった。あなたは伝道者ね。語っていたのは聖書の言葉なんでしょう。」

老人は再び笑みを浮かべた。

「前の者のことは覚えられることがない。また、来たるべき者のことも…。」

ヒミコは慌てて叫んだ。

「待って、お願いだから教えて。あなたは何処に住んでるの? 私は日本政府の職員です。」

老人は口を結んだ。

「あなたが一人で暮らしているとは思わない。家族や友人といっしょでしょ。それは何処なの。」

老人がくるりと向きを変え、下りてきたばかりの砂丘を上りはじめた。杖を立て、それに縋りながら一歩ずつ登っていく。

 ヒミコは老人の行動が拒絶を意味しているとは思わなかった。後ろ向きになる一瞬、老人が確かに笑顔を見せたのだ。ヒミコは後に従い、ゆっくりと砂の山を上った。

 ついにその頂に立つと老人がまた声を上げた。「前の者のことは覚えられることがない。また、きたるべき後の者のことも、後に起こる者はこれを覚えることがない…。」

ヒミコは何も言わずに耳を傾けていた。すると老人が杖を高く掲げ、一方を指した。ヒミコは理解した。

「北の方角ね。あなたはそこに住んでいるのね!」

 ヒミコにしてみればようやく核心に迫るタイミングだったところへボーイから通信が入った。

「まだ時間がかかる? 姿が見えないので二人が心配してる。それにいわきに着くのが夜遅くになってしまうよ。」

「分かったわ。すぐ戻るわ。」

ヒミコは老人に言った。

「ここからそう遠くない筈よね。私はもう行かなくちゃならないから、明日あなたの居場所にドローンを飛ばすわ。空のドローンに気付いたら手で大きく合図してね。必ずまた会いましょう。」

老人が地面に立てた杖に両手を重ね、ヒミコへ微笑を送った。砂丘の端から振り向くと彼は片方の掌を小さく振った。

 ヒミコは車に戻ると興奮気味で同乗者に告げた。「やっぱり日本人だった。あの人は年寄りだったから遠い距離を歩いてきたとは思えない。近くに日本人が住んでいるんだわ。人数は分からないけど…。」

装甲車が動いて、同時に荒川曹長が口を開いた。

「驚いたな。もしもそうだとして、どうやって暮らしているんだろう。」

「私のこれまでの経験からすると漁業や農業で食料を得ているはずよ。でも問題があるわ。水は川があれば済むけど、電気と燃料をどうするかよ。森林で木や枝を集めて使うとしても電気は無理ね。」

「まるで原始人の生活だな。」

「山形の漁村では外国人から穀物と交換でA重油を手に入れて漁船と発電に使っていたわ。」

「外国人? 山形に。」

「村の人がアメリカ人だと言っていたわ。」

ハナエが突然口をはさんだ。

「アメリカ人じゃなくてキャンプのロシア人じゃないかしら。雪の季節に国連の物資が届かなかった経験があるの。だから自分たちで僅かでも食料を手に入れておきたいのよ。」

「キャンプの人がA重油を持っているの?」

ヒミコが尋ねるとハナエは躊躇いがちに答えた。

「これは口外しにくいことなの。だから荒川さんもここだけの話と聞いてください。

 私たちはほぼ着の身着のままでネオ・ソビエトを脱出しました。持ち出せるものは身の回りの貴重品とネオ・ソビエトの通貨ルーブルだけでした。つまり私たちは皆が合わせると莫大な現金を持っているのです。とは言えこれは家族が合流し、亡命先で生きていくための物ですがその一部を出し合い、大陸の漁民との取引に役立てています。

 大陸の漁業者は日本海で漁をして天候の急変や不漁時の待機場所に佐渡ヶ島を利用します。私たちはそこで彼らと秘密裡に接触しルーブルを支払って情報を得たり、ときには脱出を手伝って貰ったりします。A重油を売って貰うこともよくあるのです。

 UNHCRのお陰で水素燃料を製造するオンサイトの装置が稼働していますが量も数も足りません。暖を取るために、その他生活を自衛するために私たちはネオ・ソビエトのA重油を必用としているのです。」

「A重油ってエンジン用じゃないの?」

「その名前は昔の日本が税金の分類の為に仮につけたもので、A重油は軽油や灯油とほぼ同じものです。」

「あッ分かった。ストーブに使えるのね。」

「それならば、」荒川が発言した。

「難民キャンプの人たちに尋ねれば日本人の居所が分かるんじゃないか?」

「どうかしら。皆は行動を知られたくないと考えている。これには私達の命が掛かっているのを理解して欲しいわ。」

「それは分かる。奴らに容赦は無いからな。」

荒川はそう言って両腕を組んだ。

 装甲車が福島に入る頃には夕闇が迫っていた。


いわきの科学基地には夜遅くに到着した。ヒミコが連絡しておいたので装甲車がゲートを潜ると眩い照明が一斉に灯された。来訪者を歓迎する意味が示されていた。

「なんだか凄いことね…。」

ハナエはそう呟いて光の中に子供たちの姿を探した。ケンイチとカオルがドアから降りる人物を見詰めている。先にカオルが走り出した。ケンイチが続く。

 ハナエが二人を抱きしめた。子供たちの頬が涙で濡れ光っているのが見えた。泣き声は聞こえず、ただ涙を流している。それは幼い二人が過酷な経験をしてきたことをうかがわせた。ヒミコはケンイチの言葉を思い出した。

「ヒミコ、夜の真っ暗な海は怖いよ。すごく。」

全ての明かりを消した漁船に身を潜めて夜の日本海を渡ったときの感想だ。ヒミコは深い同情を抱くと同時に満足もしていた。ミッションの一つを成し遂げたのだ。

 そのヒミコを大きなニュースが待っていた。タケルからメッセージが伝えられたのだ。長年に亘って研究されてきた量子科学によるウルトラ・コンピューターがついに完成したという。ヒミコはすぐに告げた。

「おめでとうお兄ちゃん。何処にいるの? そのコンピュータを見せてくれるんでしょう。」

「良いとも。地下三階の研究室へ来てくれ。」

「でもセキュリティ・システムがあるんでしょう。随分と強力なものらしいけど…。」

「心配いらないよ。待ってるからね。」

 ヒミコは天にも昇る気分になった。兄は成功し、そしてこれからは頻繁に会える筈だ。そう思うと嬉しくて堪らない。エレベーターの中がいつもより明るく輝いて感じられた。

 地下三階のドアが開くとタケルの姿が眼に飛び込んだ。ヒミコが駆け寄って抱きつくと兄は小さく笑った。

「おめでとう、お兄ちゃん。ついに成功したのね。」

「やっとね…。」

「それを見たいわ。」

「こっちへ来て。」

タケルがヒミコの手を取って広い研究室の奥へと進む。ヒミコは興味深そうに周りを見渡した。地下三階に立ち入ったのは初めてだったのだ。研究室と呼ばれてはいたが空間は明るく床や壁に物が何一つ無く、徹底して整頓されているようだった。

 ふと見ると、天井近くの壁に細長い棚のようなものがある。壁の上部に沿って二十メートルほどの長さだ。その中に小さく丸っこいものが整然と小鳥のように並んでいた。

「お兄ちゃん、あれは何?」

「スズメと呼んでいる。」

「雀? 鳥なの?」

「まあ見ててご覧。」

タケルが小型の器械を取り出して操作すると棚に並んだ一個がそこから飛び出した。翼に似たものがあって鳥のようにも見えるがスズメよりは大きい。それは小さな音を響かせて空中に浮いている。

「面白いだろう。全方向に可動域を持つ二個のローターで今はホバリングしている。勿論、前進、後退、反転その他も自在だ。これが侵入者に対するセキュリティーの主役だ。」

口をあんぐりと開けていたヒミコが急に怯えたようにタケルの手を掴んだ。

「侵入者に飛びついて…爆発するの?」

「いいや。ここでは銃器や火薬は使用しないし絶対に持ち込めない。それ以外の方法で目的を果たす。スズメ達が目標に突進し嘴を当てると強力な電流が流される。ロボットなどの機械類は内部の電子回路が破壊される。人の場合は心臓が停止してしまうだろう。」

「じゃあ私はここには勝手に入れないのね。」

「大丈夫、もうコンピューターは完成したからスズメ達の役割は終わった。ヒミコのI Dで入れるようにした。スズメのシステムはここで働く博士達の要請に応えて製作したもので、僕はさほど必要とは思っていなかったよ。」

「いつでもお兄ちゃんに会いに来れるのね。」

「いつでも大歓迎さ。さあ『銀河』を紹介するよ。」

「銀河?」

タケルは質問に答えずヒミコを広い室内の中央に導いた。

 そこの床には直径が二メートルほどの巨大で上部が尖った丸っこい装置が据えられていた。卵型の半分を切り取ったような形だ。表面は見た目ツルツルしている。

 タケルが手招きした。何も無い場所に手摺だけが半円形に立ち並んでいるのだ。ヒミコがタケルに続いてその内に立つと、床の部分が音もなく沈み込み、小さな悲鳴とともに五メートル降下して止まった。

ヒミコの眼には奇異ともとれる光景が飛び込んでいた。何かが天井から垂れ下がっている。床には直径が十メートルはありそうな円形の空間が掘られていた。水の無いプールだ。その中央で垂れ下がった柱の先端が底に届いている。見上げると柱の周りを短い円筒形の器機が包むように並び、その束が上下に幾重も連なっていた。筒の輪の大きさはまちまちで上部の束の方が太くなっている。ヒミコは葡萄の房のようだと思った。これは三階で見た卵型の内部から連なる装置なのだろう。

プールの縁の手摺まで近づいてタケルが口を開いた。

「これが、ウルトラ・コンピューターだよ。僕は『銀河』と名付けた。」

ヒミコは何処か意外に感じてすぐに言葉が出なかった。漠然とだがスーパー・コンピューター的な姿を想像していたからだ。箱形の装置が整然と立ち並び、テニスコートほどの面積を埋め尽くす、そんな大掛かりな風景を。だがそこにあるのは簡略でこじんまりしている。竹筒の形をした金属の装置を輪に束ねて連なった部分は三メートルほどの長さで、その先に現われた軸が寂しく伸びて底の床に固定されている。

「これが完成したコンピューターなの?」

ヒミコは拍子抜けの気分を悟られぬように注意して問いかけた。

「そうだよ。」タケルの表情が誇らしげに輝いている。

「AIより優れているのかしら。」

「AIは古典コンピューターの到達点ともいえる性能を持っているが、つまりはデータを拾ってくるに過ぎない。膨大な中から必要なものを素早く選び出し依頼に応える。けれどデータにないものは見つけられない。

 でも『銀河』はデータを創ることが出来るんだよ。データ・センターに無い、ウェブ上のどこにも無い情報を発見するのさ。」

「分かるような、そうじゃないような。でも無いデータをどうやって発見するの。」

「簡単に言えば、地上実験という言葉を聞いたことがあると思う。我々が宇宙環境で行う実験に必要なデータを地上で準備するわけだけど、これで得られたデータはAIが取り込める。けれど例えば前例のない実験ではどんなデータが得られるか。『銀河』はその実験を図上で行い新しいデータを導き出す。つまり『銀河』は自ら疑問を見つけ探求する能力を持っているのさ。」

「指示されなくても自分で研究するわけね。まるでお兄ちゃんと一緒だわ。」

「今も『銀河』は実験を続け、人類がまだ手に入れていないデータを蓄積している最中だ。」

ヒミコは兄が開発したコンピューターが全く新しい能力を備えているらしいことを理解した。ある種の感動はあったが、それには漠然とした畏怖も潜んでいた。兄の言葉が正しければこの葡萄の房に似た装置は異次元ともとれる機能を有しているのだ。では人間はこの機械に救われるのか、それとも…。

「名前を『銀河』にしたのは理由があるの?」

「良い名だと思わないかい。宇宙には人類が知り得た事実だけでなく、夥しい謎が渦巻いている。その解明にチャレンジするという意味を込めた。」

兄が何を求めているのかを含めて、よく理解できない情報が頭に溢れてヒミコは眩暈がしそうだったが、それでも大事なことを忘れなかった。

「お兄ちゃん、とにかくお祝いしなきゃ。基地の催しは別にして、今日は二人で祝いましょう。ね、私がこの日をどれだけ待ち望んだか分かるでしょ。」

タケルが妹を柔らかく抱きしめた。

「有難う。でもヒミコは疲れているはずだ。明日にしよう。」

「疲れてなんかないわ。」

「ヒミコ、敷島首相がこちらに来る。君は基地の責任者として敷島さんを迎える準備をしなければ。だからゆっくり休んでくれ。今日はもう遅い。お祝いはいつでも出来る。」

ヒミコは初耳だった。

「敷島のおじさんが?」

「会うのは久し振りだよね。」

ヒミコが頷く。タケルは暫し口を閉ざしてから言った。

「僕は敷島さんと会うと、お父さんを思い出してしまう。」

遠い眼をした兄をヒミコが見上げた。ヒミコは父の思い出をさほど持ち合わせて居ない。喪失の悲しみはきっと兄の方が深いのだと感じて話題を変えた。

「あのスズメ達はこれからどうなるの? もう用済みなんでしょ?」

「彼らには次の役割がある。」

ヒミコは俄然、興味を抱いた。

「それは一体、どんな役割なのかしら。」

「そのうちに分かるよ…。」タケルが優しく微笑んだ。

 

翌日ヒミコは大忙しだった。まずアスカから敷島総理の来訪にあたって留意点を確認したいので基地に出向くと連絡があった。基地内の施設は完璧と言って良いほど管理されている。ヒミコは自信を持っていたが、基地の外の滑走路と格納庫については改めて点検するつもりだ。

 荒川陸曹長に面会を求められていた。装甲車両の構造と性能の概要、装置の操作と操縦について村田にレクチャーを受けているが、あらかじめ頼んでおきたい事があるという。

「それは何?」

「新潟で話したと思うが、装甲車に機銃を連装したい。しかし実際に見ると適当なスペースがない。どうにか出来ないだろうか。」

ヒミコはすぐにボーイを呼び出して曹長の要望を説明した。

「ディスプレーを見て。」子供のような声が聞こえた。

ヒミコが曹長に椅子をすすめ、目の前のディスプレーを指した。画面には十二・七ミリ機関銃の図が映し出されている。各部の詳細なサイズまで示されていた。

「機関銃はこれで良いの?」また子供の声。

「確かにこの通りだ。」

「ではルーフの一部をくり抜いて銃座を用意し機銃手を保護する円形のシールドを設ける。砲塔のイメージだね。銃座とシールドは360度回転する。それで良い?」

「良いけど…、大掛かりな改造になるな。」

「二日で仕上がる。ヒミコ、工場は衛星ロケットの組み立てが終わったばかりだ。アクシデントを避けたいので車両を第二工場に運ぶよう村田に指示して。」

荒川は丸く見開いた眼をヒミコに向けた。

「驚いたな…。二日で装甲車を改造するのか。二週間の間違いじゃないのか。」

「心配しないで。ボーイは確実よ。…荒川さんはゆっくりすればいいわ。ぜひお風呂に入って。ここの食堂もおいしい料理を出してくれるはず。」

荒川はもう一つの疑問を口にした。

「聞こえた声はあのロボットの声か?」

「そうよ。」ヒミコが含み笑った。「可愛い声でしょ。」


 ヒミコにはもう一つの重要な仕事があった。新潟の日本人コロニーを探索する事だ。砂丘で会った老人が示した地域を調べれば発見できると思われた。同時に、ヒミコは通信用のデバイスを運ぶつもりだった。それが届けられれば人々のことを詳細に知ることが出来る。そのモバイル通信機は原子力バッテリーを電源としてほぼ半永久的に充電の必要がない。

 ヒミコは文書を作った。「この器械は通話だけでなく画像の送信もでき、バッテリーは充電の必要がありません。通信で皆さんの現状と要望を知れば政府はそれに応える準備をいたします。」

文書とモバイル端末二機を箱に収め、小型ドローンを飛び立たせた。老人と出会った砂丘の位置情報は既に入力してある。到達まで自動飛行で約二時間の距離だ。

 ヒミコはこの二時間の内に航空機の管制システムと基地外の滑走路の点検を終わらせたかった。基地内にある管制システムはボーイに任せ、ヒミコは滑走路を目視で点検することにした。

ゲートを出ると隊長が従いて来た。ヒミコが「隊長」と名付けた警備ロボは四足歩行だ。躯体から前方に突き出た頭の先に一対のセンサーがあり、レーダーと光学的機能で周囲の状況を検知しモニタリングする。その突起をカメレオンさながら別々の方向に動かして辺りを警戒しながらヒミコの隣を進んだ。

基地から一キロに位置する滑走路は長さが二千四百メートルもあった。それを歩いて点検するつもりだ。滑走路の表面だけでなく周囲の草むらも丁寧に調べる。野鳥の巣があれば困るからだ。野ネズミの穴にも気を配る。どちらもバードストライクの危険を招く恐れがあるのだ。

滑走路の端まで来たところで隊長が言った。

「二時の方向に赤外線反応がある。」

そこは林だ。木立は杉を中心に一部で欅が混じっている。

「人かしら。」

「野生動物だろう。」

「熊?猪? それとも鹿かしら。」

「猪だ。」

微かな機械音と共に隊長の右腕が伸ばされた。彼の体内にはいくつかの兵器が格納されているが、右腕の機関銃は露出している。

「待って。撃つつもり?」

「シゲタ調理長がジビエは貴重な食材だと言っていた。」

「聞いてないわ。」

「人間には食料が必要なはずだ。」

「今は止めて。でも当分近づかないように追い払って。もし総理を乗せたジェット機が滑走路で猪にぶつかったら私の名が歴史に残っちゃうかも。」

AIロボットの隊長は一瞬動きを止めた。まるで何かを考えているように感じてヒミコが慌てて言い足した。

「発煙弾と閃光弾は止めてね。山林火災が怖いわ。」

隊長は突然に林の端まで駆けつけると、耳をつんざく大音量で音楽を木々の中に向けて鳴らした。イノシシを追い払うつもりか。

「ロボットにもヤケクソってあるのかしら。でも曲目はベートーヴェンね、多分。」ヒミコは愉快な気分になった。

 たっぷり一時間かけて周辺を含めた点検を終えたころ、滑走路に眩い光が点々と輝き、数条の線となって現れた。ボーイが誘導灯の動作を確認しているのだ。

「格納庫の方もお願いね。」とヒミコが伝える。大きなシャッターの開閉と照明を確かめて全ての点検を終え、ヒミコは急いで基地に戻った。ドローンが新潟に到達する時間が迫っていた。

 

 ヒミコが自分のデスクに着いたところでアスカからの連絡があった。基地に到着したという。インフォメーション・センターで待つように指示があった。そこはヒミコのデスクが置かれた場所だ。

ヒミコはドローンから送られて来るカメラの映像を見ながら残留民の集落を探した。砂丘を離れて内陸側のコースを選ぶ。砂に覆われた同じような景色が続いた。期待に反して集落らしいものが見つからない。ヒミコの考えでは人々が農地を必要としているのは疑いようがなかった。それは砂の侵食を免れた林の奥にあると推測して木々の上空を越える。

風景が森に変わった。山裾まで探索しても開けた場所が無い。ヒミコは首をひねった。あの老人が山奥から遠い距離を歩いてきたとは思えないからだ。

アスカが姿を見せた。ヒミコは手を挙げて合図を送る。居合わせた松浦と山下が立ち上がって頭を下げた。アスカは会釈を返したが怪訝な表情を浮かべた。山下夫人に見覚えが無かったからだ。それと気づいた松浦から手短に紹介されて納得したのか頷くとヒミコのデスクまで足を運んだ。

ヒミコはディスプレー上の画像を見ている。アスカは上司なのだがヒミコの態度にこだわりが無いのか自身もその画面に目を向けて口を開いた。

「何を見てるの?」

「新潟で日本人の老人と出会いました。何処に住んでいるのか聞き出せなかったので探索しています。」

アスカが俄然興味を示して画像に見入った。

「住居や耕作地らしいものは?」

「見つからないんです。老人と出会った場所から五キロまで距離を伸ばしているんですが。」

「海側は?」

画面から森林が流れていく。やがて砂丘に変わり、それを越えて海へ向かう。海岸に近づくとアスカが短く声を上げた。

「何かあるわ。」

砂浜に大小二軒の建物が見えた。古ぼけているが壊れてはいないようだ。しかし上空を旋回すると、どちらにも窓が無いのが分かった。物置に思えた。

「人が住んでいる気配が無いわね。」アスカが呟く。

「でも戸口の辺りは砂が除けられているみたい。」

「スピーカーを使ってみて。」

ヒミコがマイクに向かう。

「日本政府のドローンです。どなたか居たら姿を見せてください。こちらは日本政府です。危険はありません。聞こえたら表に出てください。」

反応が無い。

「あっ今、浜辺に何か映ったわ。」アスカが指摘した。

ドローンの高度を上げて画角を広げると、小さな構造物が三個並んでいるのが分かった。

「これは一体何かしら。」

「竈のように見えるわね。」

「カマドって?」

アスカが含み笑った。

「普通は知らないわよね。竈は煮炊きするための設備よ。わたしも現物は初めて見るけど。ということは近くに人がいるってことかしら。竈をもっとよく見たいわ。」

竈はレンガで造られ上部に木製の蓋がある。それにもレンガが乗せられていた。全体的にかなり古いものだ。

「焚口を見せて。」

ヒミコがドローンを低空の限界まで降ろす。画面を注目していたアスカが溜息をついた。焚口が奥まで砂に埋もれていたのだ。これは他の竈も同じだった。

「最近に使われたようでは無さそうね。ヒミコさん、探索を中断してください。ドローンは自動飛行で回収して。敷島総理の来訪に向けて話をしましょう。」


 敷島総理が明後日、ジパング島からジェット機のチャーター便でいわきを訪問することが決まったという。この機には衛星の打ち上げを応援するスタッフ十人も搭乗する予定だ。

「来訪にあたって総理が挙げられた目的と要望をまとめてメールしましたが眼を通しましたか。」

アスカの言葉にヒミコが首をすくめた。メールがあったのは知っていたけれど、新潟行きを諫める内容だろうと考えてチエックを後回しにしてしまったのだ。

 アスカが眉を顰めた。「やっぱり。あなたはいつも自分が最優先なのね。それじゃ困るのよ。」

「すみません…。」

「まあいいわ。もう一度説明します。」

「すみません。」とヒミコがまた謝った。

敷島総理の訪問目的は、衛星の打ち上げに立ち会う事、ウルトラ・コンピューターの完成を確認する、科学基地と内閣府分室の職員と懇談する、科学基地全般の管理体制と設備の点検、化学物質や原材料の備蓄量を確認する、いわき国立病院の院長らと面会する、避難民住宅団地を訪れ自治会と会合をもつ、等だった。

「分室と基地が合同で総理と衛星スタッフの歓迎レセプションをこちらで予定しています。」

「何をすれば良いのかしら。」

「差し当たっては何もしなくて良いわ。私と基地の長官が歓迎の挨拶を述べ、総理が応えて演説するかたち。歓迎パーティーはロケットの打ち上げが成功するでしょうからその時に実施します。シゲタ料理長と打ち合わせてください。」

ヒミコの脳裏に一瞬イノシシが浮かんだ。隊長が言う通り貴重な食材だったのかも知れない。

「ヒミコさんに頼みたいのは、基地の職員や研究スタッフから総理に要望とか意見があったとしてもそれを表明する場ではないことを周知してください。その要望があったとしてもヒミコさんが監理者として総理に報告するのが筋ですから。」

ヒミコは気付いた。アスカは結局それを言いたかったのだ。

「よく分かりました。」

どうしても憮然とした表情になる。アスカが取って付けたように言った。

「残留民の集落を見つけられなくて残念だったわね。何か発見したら教えてください。」

 アスカが去るとヒミコはレンガ色の衣をまとった老人の姿を思い浮かべた。たしかに日本人だったと信じている。彼は杖で北の方角を指したのだ。

 では何故その住居か集落が発見されないのか。北の方角へ五キロメートル、内陸と海岸を探索したにもかかわらず…。もっと距離を伸ばし、範囲を広げるべきなのだろう。しかしあの老人が五キロを超えて歩いてきたとは思えないのだ。歩けるのは精々二キロくらいだろう。それに車両を使った可能性はほぼ無い。もしや砂で隠れた場所があるのか? あるいは洞窟のような? 謎めいている。だが老人が幻でない以上、何処かに日本人の集落がある筈だ。必ず見つける、とヒミコは決意した。


 WALのチャーター便が基地の飛行場に到着したのは午前十一時だった。定員十九人の大型機で、南太平洋のジパング島から二時間半の旅だ。WALは旧日本航空がヨーロッパの航空会社一社を買収合併して社名を改めたもので敷島は公用で利用していた。

 真っ先にタラップを降りたのは敷島だ。アスカが駆け寄って丁寧に頭を下げるとにこやかな笑顔で応えている。ヒミコはマイクロバスと警護の装甲車で出迎えた。

 バスの傍で待つヒミコに敷島が遠くから片手を挙げて振ってみせた。見知らぬ中年男性二人が随行している。いずれもスーツ姿だ。その後ろに十人の人物が続いた。カジュアルな服装で、女性が一人混じっている。彼らは「追跡管制隊」と呼ばれる衛星の専門家だ。

 バスの前で敷島がヒミコに声を掛けた。

「やあ、元気かね。頑張っているようだね。」

ヒミコは敷島を見上げた。けれども兄と違って父親を連想させるものは無かった。「はい。」とだけ短く答えた。

随行の二人は官房長と補佐官なのだがヒミコにどう接すれば良いか戸惑っているようだった。敷島は説明も紹介もしないままバスに乗り込んだ。

「今日は。ようこそ。」

ヒミコの挨拶に、二人は「どうも、どうも。」と曖昧に返した。

 管制隊メンバーの年齢はまちまちで、一人を除いて面識があった。女性のメンバーとハグすると快い香水の匂いがした。ヒミコは訳もなく顔を赤らめた。自分の周りに香水が無いのを知っていた。自分だけでなく、保健師の松浦からは消毒用アルコール臭がして、調理師の春子からは料理の匂いがした。山下夫人は微かに猫の毛の匂い、ハナエは匂いではなく闘争の雰囲気を纏っている。それが列島で暮らすという事なのだと思う反面、恥ずかしさも感じた。余裕がなさすぎる。女性陣の為に香水を届けてもらおうと思いついていた。

「あなたがヒミコさんですか。どうぞよろしく。」と初対面の男性が握手を求めた。三十歳くらいか。額が広く、はっきりした二重瞼が印象的だ。半袖のポロシャツにデニムパンツが爽やかな雰囲気だが少し寒いのではないかと気遣われた。しかし握った手は暖かい。

「よろしくお願いします。」とヒミコは口にしてすぐに眼を逸らした。見詰められていると感じたからだ。

「アキラです。」と彼は名乗った。

ヒミコは胸がドキドキした。

「アキラさんは何処から?」と尋ねた。

「オーストラリアの大学でロケット工学の講師を勤めています。」

「ふうーん。」スポーツ選手のような第一印象からは意外だった。ヒミコはつい口から洩れた自分の声音に驚き、慌てて詫びた。

「ごめんなさい。失礼な事を…。」

まるで子供だ、と思うと顔が熱くなった。

「気にしなくて良いですよ。大丈夫ですから。」

アキラの声が笑みを含んでいるようでヒミコはその場から逃げ出したくなった。


 総理の到着を基地の職員らがインフォメーション・センターの前庭に整列して出迎えたが、アスカの計画とは異なり敷島の演説は無かった。敷島は軽く手を挙げて歓迎に応えると、タケルと連れ立って基地内のオフィスに入った。

 ほどなくアスカを加えた三人が再び姿を見せ、まだ集まっていた職員にアスカが行動予定を告げた。

「総理はこれから小名浜の総理府分室に向います。また、避難民住宅の自治会との会合が計画されています。なお明日の衛星ロケット打ち上げ当日は当基地において立ち会われる予定です。」

すぐに敷島が呼びかけた。

「我が国は人類史上未だかって経験のない巨大震災によって困難極まりない状況にありますが、我々日本人の能力と努力が決して滅びるものでないことを信じて疑いません。この度の衛星ロケットの打ち上げが皆さんの力で必ず成功すると確信しております。我が国の科学技術の輝かしい歴史に、新たな美しいページが加えられるでしょう。」

拍手が起きると敷島は満足気に頷きアスカと共に基地を後にした。

 正午には少し早かったが追跡隊が昼食を摂ることになり、基地のメカニックと打ち上げ隊がこれに加わった。随分と賑やかだ。シゲタ調理長ファミリーが忙しく働いている。メニューはパスタ。トマトとバジルがたっぷり利いている。どちらも基地近くの畑で調理長の妻、春子夫人が育てたものだ。彼女は自慢のチーズケーキも用意していた。

 少し遅れてヒミコがハナエと子供たちを連れて食堂に現れた。応援の隊員は幼い子供の姿に目を丸くした。

「ハナエさんとケンイチ君、カオルちゃん。基地のお客様です。」ヒミコが簡単に紹介すると食堂の雰囲気がいちだんと温かいものになった。

「僕たちは三か月ほどいるから、よろしくね。」

隊員の一人に声を掛けられてケンイチは真剣に頷き、カオルは微笑んだ。

 ヒミコがチーズケーキに取り掛かる頃にアキラが近づいた。コーヒーカップを手にしている。

「隣にすわっても良いよね。」と口にした。

ヒミコは一瞥して黙っていたが、アキラが構わず腰を下ろした。

「ケーキがなかなかの味だね。チーズは何処から取り寄せているの?」

「乳牛を飼っている方がいるんです。その人が作ったチーズよ。」

ヒミコが答えた。顔が赤らんでいる。

「へえ…牛を。いったい何処で?」

「避難民住宅の敷地内です。と言ってもその場所は二ヘクタール以上の広さがあります。鶏を飼ってる人もいます。」

「…それは食料として飼っているの?」

「さあ。」

ヒミコがつっけんどんに答えた。指先にフォークを摘まんでいるがケーキは原型を保っている。ヒミコの視線がそこへ落ちて動かない。頬が耳の辺りまで赤くなっていた。

 やがて基地所属のエンジニアが立ち上がって声を上げた。

「皆さん。H7ロケットの組み立てが完成しています。その雄姿を間近でご覧ください。射場への搬送は明朝です。」

食事を終えたスタッフが一斉に立ち上がった。ヒミコは兄妹に声を掛けた。

「ロケットを見に行く?」

「うん。」ケンイチが眼を輝かせ、カオルが笑顔で頷いた。

ヒミコがハナエに眼を向けると彼女は「私も見たいわ。」と直ぐに賛成した。

 組み立て工場は基地で最も大きな建屋だ。ケンイチは上空から見下ろした時「これほど大きな建物はウラジオストクには無いよ。」と驚いたが、最も高い棟は地上から百メートルを超える。

 そこには既に移動発射台に白く輝く巨大なロケットが天井を向いて据えられていた。

「H7は全長七十メートル、直径六メートル、重量は約五百トンあります。この巨体が明日は宇宙に向けて地上を飛び立ちます。」

説明したエンジニアはハナエと兄妹に気付いて言った。

「打ち上げの瞬間は映像でしか見られませんが、どうしてもと考えるなら展望公園から肉眼で見ることが出来ます。三キロの距離がありますがきっと感動するでしょう。」

組み立て棟の左右に巨大な防御壁が設けられているため、基地内から打ち上げを直接見られないのだ。だがヒミコは彼の言葉の小さな嘘に呆れた。展望公園は名ばかりで、ただの空き地なのだ。

「打ち上げ管制室のスケジュールは機体移動開始が本日午後四時、射点到達が午後六時の予定です。打ち上げ予定時刻は明日正午となっています。LCC(発射管制)以外の皆さんはゆっくり休んで明日に備えてください。」

その場に笑いが起こった。


 ヒミコは食堂の窓に面したテーブルに腰を下ろしコーヒーカップを手にしていた。すっかり暮れて夜の闇が辺りを包んでいる。ヒミコは兄と過ごすつもりの当てが外れた。

 「敷島さんの依頼で『銀河』のシンクタンクとしての機能を調整しなくてはならない。」

兄は忙しかったのだ。

 暗い窓ガラスに人の姿が映った。その瞬間にアキラだとヒミコは気付いた。

「今晩は。夜はやはり冷えるね。」

「半袖でいるからだわ。」

「オーストラリアではようやく夏が終わる頃だよ。」

ヒミコは黙っていた。

「君はオーストラリアに行ったことは?」

「ないわ。私は日本から出たことがないの。」

アキラが両手を広げた。

「本当に? ずっとこの島に? 信じられないよ。生れてから…何歳かな、いやこれは失礼。この島にずっと…。」

「あなたは何処で生まれたのかしら。そして年齢は? 多分、失礼だけど。」

「謝ります。言葉があなたを傷つけてしまったようです。」

アキラは赤面している。その様子に、悪い人では無さそうだとヒミコは思った。

「僕はシドニーで生まれました。祖母がイングランド人です。つまりアングロサクソン系の血が四分の一という日系三世です。でもそんなに意味のある事じゃない。」

「答えてくれて有り難う。もう失礼します。」

ヒミコが立ち上がった。

「もっと君と話がしたい。」

見詰められてヒミコはカッと顔が熱くなった。

「…また、機会があるわ。」

「有り難う。祖父の出身地がワカヤマと聞いています。その土地のことなども教えてください。」

「私はワカヤマに詳しくないわ。申し訳ないけど…。」

「構いません。他の事、たくさん話したい。」

ヒミコは笑顔でその場を後にした。その直後、何故アキラに笑ってみせたのか自分に聞きたかった。

翌日、カオルにインシデントが起きた。発熱したという。ハナエから聞いてヒミコは少なからず慌てた。タイミングが悪かった。基地は感染症に最も敏感な瞬間を迎えている。すぐに松浦に連絡した。もしもインフルやコロナの場合、最悪ロケット打ち上げのスケジュールにも影響がある。衛星に関わる隊員と子供たちを同席させたのが軽率だったことになる。ヒミコは不安に駆られながら松浦の連絡を待った。

 暫くして届いた報告はヒミコを安堵させるものだった。

「ただの風邪よ。でも用心は必要だわ。カーチャがロケットの打ち上げを見たいならモニタールームを利用すべきだわ。ハナエさんにはそう伝えてあります。」

「松浦さん有難う。」ヒミコは胸を撫で下ろした。


 H7ロケットが射場に屹立していた。下部に固体燃料のブースター二基が見える。電気系統と燃料系統の地上設備が機体に寄り添いそれを赤と白に塗り分けられた避雷鉄塔が囲んでいた。鉄塔の先端は機体よりもさらに高い。ヒミコにとっては見慣れた景色だ。

 モニタールームではタケルとヒミコの他に敷島、アスカが透明なアクリルの壁越しに管制室の様子を見ていた。三列のデスクカウンターにディスプレーが並び、その視線の前方に大型のモニター画面が置かれている。隊員たちは既に席に着いていた。

「スタッフは足りているのかね。」

「十分に足りています。」

敷島の問いにタケルが答えた。管制室にいる隊員は僅か十五人ほどに過ぎない。

 スピーカーから声が流れた。

「発射管制、シーケンス開始。H7-六号機の発射準備にかかってください。秒読みを始めます。マイナス480秒、…470秒。」

この時ドアの外にハナエと子供たちの姿が見えた。ヒミコが室内に誘う。

「ハナエさんとご家族です。見学を希望されたので許可しました。基地のお客様です。」と紹介した。

敷島は怪訝な表情を浮かべたが、栗色の髪のカオルに目を止めると

何かを悟ったように頷いた。アスカは素知らぬふうだ。

 「240秒前。」自動カウントダウンに変わると、管制室に緊張が満ちた。

「バルブ、電源、自動チェック完了。」

スタッフの声が飛び交う。

「水素燃料充填。酸化剤充填。」

「ヘリウムガス圧、正常。」

「バルブ、ノズル、インジェクター、窒素ガスパージング。」

「180秒前。」

「電気系地上設備、切り離し。」

「60秒前、59,58,57、…」

ヒミコが小さな声で言った。「さあ、打ち上げよ…。」

「17,16,15。」

「ウオーターカーテン開始。」

管制室で一人が叫んだ。「全システム準備完了。」

「10,9,8,7」

「メイン・エンジン、スタート。」

「メイン、安定。」

「3,2」

「ブースター点火。」

モニタールームの全員が大きな中継画面に見入った。

 ロケットの下部から真っ白な煙が雲のように立ち上がり、眩しいオレンジ色の閃光が噴出する。幾度も眺めた光景だがこの瞬間、ヒミコは祈るような気持ちになるのだ。

「リフトオフ。」発射管制隊が作業を果たしたことを宣言した。

 機体はゆっくりと、そして迷いなくスルスルと上昇し、すぐに真白い噴煙を曳きながら天空に駆け上った。画面は射点から切り替わって青空のH7を追い続ける。

「RCC、フライトシーケンス開始。」

「プラス120秒、ブースター切り離し。」

画面は二基のブースターが遥か上空で本体から切り離され、小さな炎を吐きながら左右に分かれるのが何とか見て取れた。

 ケンイチとカオルが眼と口をいっぱいに開いてモニター画面に見入っていた。

「どう? 打ち上げは成功よ。」

ヒミコの言葉にケンイチが叫んだ。

「すごい。ロケットには誰が乗ってるの?」

「あのロケットは人ではなく人工衛星を乗せてるの。宇宙から地上を観察するためよ。」

「ロケットの一番下から眩しい炎が出ていた。すごいや。」

ケンイチの興奮は冷めやらない。

 モニターはH7の予定軌跡を白い線で現わしその上に現在位置を点で示していた。もはや映像で捉えられず、小笠原のレーダーから位置情報が送られていた。レーダーによる追尾点はこの後キリバス、チリと移っていく。

「5分05秒、一段ロケット分離。」

「5分17秒、第二エンジン点火。」

フライトは順調だった。やがて高度600キロに到達。第一宇宙速度と呼ばれる時速28000キロに達した。衛星を分離して軌道上に乗せる重要なタイミングだ。フライトシーケンス締めくくりの大仕事と言える。

 ヒミコは何気なく監視カメラの映像に目をやって驚いた。白衣姿の人物が管制室入口のドアに立っている。そこは現在立ち入り禁止となっている。急いでモニタールームから階段を駆け下りるとドクター立花の姿があった。

「立花さん、そこは立ち入り禁止になっています。管制室の様子はモニタールームで見られますよ。」

「なに?」立花は不機嫌な顔でヒミコを振り向いた。

「そこは入れません。こちらへどうぞ。」

「中に入ったとて何も触ったりせん。」

そこでも管制室のやり取りがスピーカーで伝えられていた。

「衛星分離しました。クリティカルフェーズに入ります。追跡管制よろしく。」

「追跡管制了解。直ちに姿勢制御を行います。」

立花が白衣に手を突っ込んで言った。

「いったい何をやっているところだ? 分らんぞ。」傍若無人な態度だった。

 ヒミコが無言で唇に人差し指を立てた。静かにという意味だ。立花はいまいましそうにヒミコを見た。

「三軸姿勢確立。」アキラの声だと気づいた。

「サン…何だと?」

立花が苛立たし気に口にしたがヒミコは答える気が無かった。それを悟ったのか立花は眼を怒らせてヒミコを睨んだ。

「上に敷島総理がいます。お話があれば私が伝えますが。」

真っ向から視線を受けてヒミコが告げた。

「…余計な事だ。」

立花が吐き捨てて、乱暴な足取りで去っていく。

「やはりあの人は少し変だ…。」とヒミコは思った。

管制室の音声が続く。

「太陽電池パドル展開。」

「電波をキャッチ。サーマルブランケット正常。」

ヒミコはモニタールームに戻った。あらためて管制室内を見渡す。無意識にアキラの姿を探した。

「レーダアンテナ展開します。開口レーダアンテナ、ストッパー解除。アンテナ展開。S―7アンテナ展開。」

「静止衛星が光通信を検知。」

アキラの声がした。「一番スラスタ、噴射。二番スラスタ噴射。」

ヒミコはディスプレーを食い入るように見つめるアキラの横顔に見入った。

しばらく時間が流れた。管制室では既に笑顔を浮かべる者もいたが、張り詰めた空気は変わらない。

「スラスタエンジン停止。極軌道投入に成功。」

アキラの言葉に管制室が歓声で沸きあがった。誰彼となく握手し肩を抱き合った。基地では過去にも失敗は無いがやはり成功すれば嬉しいものなのだ。

「タケル君、成功だね。おめでとう。」敷島が称賛した。

「有難うございます。初期の運用フェーズに移りますが全く不安はありません。」

「ヒミコ君、良くやった。有難う。」

ヒミコはただ笑顔を返した。良くやったと褒められても自分が何かしたわけでは無いのだった。

 午後四時から衛星打ち上げの成功を祝う会が食堂で催され基地の全員が参加した。東北の窓には早くも夕日の気配が漂っている。ヒミコは賑やかな雰囲気の中でアキラの姿を探しあてた。衛星の軌道投入を果たし終えた表情はうっすらと上気していかにも青年らしい若々しい雰囲気を放っている。

 ヒミコは傍に寄って躊躇いがちに声を掛けた。

「成功、おめでとうございます。」

アキラは笑顔で応えて周りに目を配った。あいにく近くの席はスタッフで占められている。

「君の場所は?」

アキラがコップを手に立ち上がった。

「窓際のカウンター席。」

「そこへ行っても良いかな。」

アキラは鶏の唐揚げが乗った皿も手にしていた。ヒミコが小さく笑って答えた。

「私は構わないわ。」

二人並んで腰を下ろしたものの、互いが相手の言葉を待つ時間が流れた。変にぎこちない雰囲気を自覚してヒミコの顔が赤くなる。アキラが口を開いた。

「日本の唐揚げは素晴らしい発明だよね。格別に美味いと思う。オーストラリアにはフライドチキンがあるけど、ソースをかけて食べるという発想しかない。残念だよ。」

「大学はシドニーなの?」

「そう。博士課程を終えてそのまま学校に残り、講師になった。」

「初めての日本の印象はどう。」

アキラは少し首を傾げて言った。

「不思議な感じがする。空から政府の庁舎を見たときは、とてもみすぼらしい。この基地は眼を見張るものがある。アンバランスなところに戸惑う。」

ヒミコは意味もなくアキラのコップを見ていたが、それに気付いたアキラが尋ねた。

「君はビールを飲まないのか。」

ヒミコが興味深そうに聞き返した。

「それはビールという飲み物なの?」

「ビールを知らないの。麦を原料にした発泡性のお酒。」

アキラは意外そうに答えて、ヒミコのコップの中身が牛乳らしいと気づいた。

 ヒミコはビールを全く知らない訳では無かった。衛星ロケットの打ち上げがあるタイミングでアスカが準備していたのだ。しかしヒミコは飲んだ経験もなく名前も聞いていない。

 もともと基地にはアルコール飲料は皆無だった。ところが以前、酒好きのドクターがいた。彼はその欲求を満たそうと松浦の眼を盗んで消毒用アルコールを口にするようになった。これに気付いた松浦がアスカに依頼してウイスキーを手配して貰ったことがあったという。後に笑い話として聞かされたのだが、ヒミコ自身はアルコールに全く関心が無かった。

 敷島が辺りを見渡したがヒミコの姿が無い。敷島は彼女に国外移住について話したかったのだ。震災後、国の多くのインフラが失われる中で残されたのが科学基地だった。これを支える科学者のタケルに協力する者が必要だった。しかし雪崩を打つように国外脱出が続いている。基地要員の減少に懊悩する敷島にヒミコが列島で働きたいと訴えた。敷島にとってヒミコは幼い少女の記憶しかなかったので正直に言って迷った。しかし結局ヒミコの希望に応じた。タケルの妹という意識もあった。だが今にして思うのはヒミコが望んだとはいえ、政府がコントロールできない地域もある危険な場所で暮らすのが彼女にとって望ましいだろうか、という事だ。若者には未来を夢見る権利がある。敷島はヒミコをジパング島へ移住させるつもりだった。

 敷島は調理場のカウンターに歩み寄った。テーブルで見かけたチーズケーキが欲しかったのだが、すぐさま春子が近づいたので労いの言葉をかけた。

「シゲタさんですね。ご苦労様です。あなた方の努力が基地の大きな力になっています。改めて感謝します。」

春子は前掛けの端でせわしなく指先を拭きながら顔を輝かせた。ペコリと頭を下げたが何も言わないので敷島が付け加えた。

「タケル博士はともかく、まだ若いヒミコ君も皆さんが盛り立ててくれているようで有難く思っています。」

 どういう訳か前掛けの指が動きを止めた。春子は躊躇しながら口を開いた。

「実は、一度移住した息子が帰って来たんです。」

「ほう、そうなんですか。」

「両親を気遣っての事なんです。」

「それはさぞ心強いことでしょう。」

「はい…。」春子は一瞬だけ言葉を止めた。「…それで、気づいたことなんですが、息子は覚悟のようなものを決めたんだと思います。私たちがいる間はここで暮らすと。ヒミコにもその覚悟を感じます。私たちは正直に言って皆が逃げ腰です。海外の平和な街で落ち着いて暮らしたい。今はそのタイミングを探しているだけ。でもヒミコは死ぬまで列島にいるつもりです。」

敷島の眉間にしわが寄った。唇を固く結んでいる。表情の変化に気付かずに春子が言った。

「だから、基地の者はヒミコの言葉を聞きます。ヒミコに従い、望むことに応えてやりたいんです。やがてヒミコを残して皆が去ることになるでしょうから。」

敷島が無言でいると春子は急に尋ねた。

「何か御用があったのでは…?」

「いや、別に。何でもない。」

敷島は掌を振った。ケーキを食べる気が失せていた。


 ヒミコはアキラを誘って居住棟の屋上で夜空を仰いだ。二人だけで星を見上げていたのだ。静寂に包まれた冴える空気の中、満天に輝く無数の星が息を呑むほど美しかった。

            (つづく)


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