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こがねの魚と銀の月  作者: 寄賀あける


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8/50

8  (シャーン)

 ジゼェーラは何も言わずわたしをしげしげ見詰めてから、かなり距離を取ったが横に回ってわたしを見、最後にずっと後ろに行ってわたしを見た。そして、

「ただの人だ。まだ子どもだ。わたしと同じだ。同じでないのは魔導士見習で女ということ。魔導士学校の学生だろう。森に迷い込んだといったところ。問題ない」

と呟いて、建屋の表に帰っていく。


 小鳥たちは口々に、なぁんだ、とか、ほっとけとか、思い思いのことを言って、ジゼェーラについていく。


「待って、ちょっと待って」

慌てて声を掛けるが、聞こえないのか、聞こえないふりか、ジゼェーラは壁に沿って曲がり姿が見えなくなる。小鳥たちはわたしには素っ気ない態度だが、それでも『ついてくれば』と言ってくれた。


 建屋の南に出ると、すぐにドアがあり、開けっぱなしだ。中を見ると狭いホールの奥、左側に三段ほどの階段があり右に続く廊下、その先にまたドアがある。そのドアも開け放たれている。恐る恐る中に入り、階段を上り、部屋を覗く。『ドアは入ったら閉めるものだ』と小鳥の声が聞こえ、玄関ドアを閉めに戻り、部屋に入って部屋のドアも閉める。


 部屋は南側に腰高窓がずらりと並び、その反対側には本棚と机、ドア、そして奥は薄絹で仕切られて、別の部屋として使っているようだ。窓からの風に薄絹がたなびいて、チラリとベッドが見えたから寝室なのだろう。


 窓は全て開け放たれ、出窓では様々な種類の小鳥やリスが遊び、窓の向こうからは鹿が一頭覗きこんでいる。ジゼェーラが首に腕を回して頬に口づけると鹿は、わたしを一瞥してどこかに姿を消した。


 それからジゼェーラは腰高窓と同じ高さに設えられたチェストの上で、肘を立てて頭を支え横たわった。小鳥たちが次々にジゼェーラの体に留まり、またお喋りを始める。今度はそれこそ思い思い、とりとめのないことばかり、好き勝手に(さえず)っている。誰もわたしに関心を示さない。


 (たま)らず、

「あの……」

と声を掛けると、ジゼェーラが動いた。だけどそれは(うつぶ)せになって、枕を両腕に変えただけだった。


 小鳥たちが『ジゼェーラはお昼寝』『お昼寝よりも歌おうよ』と口々に騒ぐ。中には踊ろうよ、と求愛ダンスを始める鳥もいる。春だ。


「うーーん、そのダンスは愛しあう前に踊ると、教えられた」

眠そうな声が聞こえる。


(そんなの勝手な思い込み)

(人は勝手に思い込む)

小鳥たちが笑う。


(興奮しすぎた時だけさ)

と更に笑う。すると森の中から

(子ども相手に不謹慎)

ミミズクの声がする。


(ジゼェーラはまだ子ども)

(まだまだ卵を産めもしない)

(産ませることもできはない)


(人はもとより卵は産まぬ)

(そうさ、ジゼェーラ、(ひな)が産めない)

(産ませることもできはしない)


ケラケラケラとカワセミがどこかで笑った。


(ビルセゼルトに言いつけるぞ)

と言ったのはさっきのミミズクだ。


 すると今度は森を()するように、森中の鳥たちが一斉に笑った。


(来るものか)

(来ない、来ない、まず来ない)

(すぐそこにいるのに来やしない)

(ビルセゼルトは来やしない)


(こないだ来たのは五年ぶり)

(その前来てから七年ぶり)

(今度来るのは何年先か)


(捨てられた姫君)

(姫君は我らのもの)

(我らが守り育てた姫君)


 するとまたも小鳥たちが窓辺に舞い降りて、とうとうジゼェーラの姿を隠すほど群がった。まるで天然の羽根布団だ。でも、中のジゼェーラは大丈夫なのか?


 すると案の定、モゴモゴと動いて鳥団子の中から腕が伸び、頭の上の鳥を追い払った。そしてゆっくりと寝返りを打つ。背中の鳥たちは潰されては(たま)らんと、またも一斉に飛び立った。


 翼を挟まれたドジな一羽がバタバタしていると、ジゼェーラが『よっこいしょ』と身体を浮かす。解放された鳥は慌てて逃げていった。


「あぁあ、(うるさ)くてお昼寝もできない」

上体を起こすとジゼェーラは出窓に残っていた小鳥たちを(ゆび)さし、その指を外に向ける。指さされた小鳥たちは森に帰った。そして窓を閉め、チェストから降りる。と、ジゼェーラがわたしを見た。


「!」


 見た途端に動きが止まり、目が見開かれる。次にはガタガタと震え始める。


「な、な、なぜ?」

絞り出すようなジゼェーラの声。

「なぜここ? 誰?」

どうやらわたしがいることに驚いているようだ。


「なぜ、って……ついて来いって小鳥が」

「魔導士学校まで案内しろと命じた」

「あ……」

ついてくれば、って帰り道を案内するから来い、って意味だったのか。てっきり、部屋についていくのだと思ってしまった。


 小鳥たちは長文を話さない。良く起きる誤解だ。


「ごめんなさい、勘違いして、あなたについてきてしまった」

「……何もしない? (ばっ)するために来てない?」

(ばつ)? それは何? なんで罰さなくてはならないの?」

「……」


 ジゼェーラの体の震えが止まった。そしてわたしから目を離すと、部屋の中央に置かれたソファーに座った。テーブルにはティーポットと砂糖壺が置いてある。ジゼェーラはテーブルの引出からカップを二客取り出すと、ポットにお茶を注いだ。どうやらあらかじめポットには魔導術が掛けてあり、注げばお茶が出るようだ。


「お砂糖はいくつ?」

ジゼェーラがわたしに問う。

「わたしに? ありがとう、お砂糖は二つよ」

「座って」

急いでジゼェーラの対面に座る。まごまごしていると、ジゼェーラの気が変わるかもしれない。


 ジゼェーラは砂糖を入れたカップをわたしに寄越し、自分のカップにも砂糖を入れている。そして嬉しそうに掻き混ぜながらカップの中を覗きこむ。


(ジゼェーラにも砂糖のダンスが見えるのだわ)

くるくる回りながら溶ける砂糖は、紅茶と手を取り合って、抱き合いながらダンスする。その様子は見える人と見えない人がいて、わたしは見えるけれど、母には見えない。お父様の血筋のおかげよと、母は言っていた……やっぱりわたしとこの子は姉妹なのだ。


 わたしは目の前に座るジゼェーラをまじまじと見た。


 プラチナに輝く髪に深い緑色の瞳、顔立ちは一昨日、目の当たりにした校長、わたしたちの父親ビルセゼルトによく似ている。グリンバゼルトともよく似ている。きっとこの子は誰もが振り向くような美人になる。母親似のわたしは足元にも及ばないだろう。だけど……


 ジゼェーラは紅茶を一口飲んではニッコリとし、ときどき不安そうにわたしを盗み見る。わたしが微笑むと嬉しそうな顔をして微笑みを返してくる。カップが空になると再び満たし、砂糖を入れてかき混ぜながら覗きこむ。そしてまた、一口ずつ口に含んではニッコリし、を繰り返す。


 変だ。変わっている。可笑(おか)しい。どの言葉も当てはまると思った。することが幼過ぎる。ひょっとして、まさか? どこか足りない? あ、でも……


 建物の外でわたしを見た時、ジゼェーラの瞳には確かに知性が見えた。わたしをじっくり観察し、問題ない、と言い放った。わたしは圧倒され、黙って彼女を見詰めるしかなかった。今、思えばあれは街人が持てる圧ではなかった。その彼女の知性に欠陥があるとは思えない。それに魔導力についてもそうだ。彼女からは力を感じないけれど、噂が正しいとしたら、彼女の力は封印されているはずだ。


 ひょっとしたら力が封印されると、他者には感じられなくなるのかもしれない。その辺りの知識が不足している。これも図書館で調べようと思った。


 それよりも気になるのはジゼェーラの言葉、『違うのは女』『(ばっ)しに来た』の二つだ。これは本人に聞くしかないと思う。図書館で調べても出ない。


「ねぇ……」

声を掛けるとジゼェーラがわたしを見た。少し警戒しているように見える。


「さっき、わたしのことをあなたと違って女、と言わなかった?」

ジゼェーラが小首を(かし)げる。

「ほら、建物の外で。人間の子どもだ、って」

「……あなたを女と思ったのは間違いだった?」

不思議そうな顔をしてジゼェーラが答えた。


「ううん、わたしは女よ。あなたもでしょ?」

するとまた小首を傾げる。そして

「わたしは……男でも女でもない」

と、言い切った。


「もちろん、いずれどちらか選ぶことになるけれど。それまでじっくり考えて、納得いくほうを選べばいいと言われた」

「そ……それは誰に?」


 まさか父では? 父であって欲しくない。


「カタツムリの、ズムズムだったかな? 名は忘れてしまった」

「カ・タ・ツ・ム・リ?」

「うん、カタツムリ。あぁ、ジムズムだ。名はジムズム」


 あの、それ、何か勘違いしていませんか? カタツムリか、ジゼェーラか、どっちかが……あれ、どっちも?


 それにしてもジゼェーラはカタツムリとも意思疎通が可能とは。いや、本当に可能なのか? まさかジゼェーラの妄想とか?


「ジゼェーラは人間以外とは、どれくらいの生き物とお話しできるの?」

「うん?」

カップに口を付けたまま、上目使いでジゼェーラがわたしを見る。


「あなたは、人間以外と話せない?」

「わたしは小鳥とお話しできるだけ。哺乳類とは片言(かたこと)になってしまうわ」

「へぇ。なんで?」

「なんで、って、普通は人間としか話せなくて、ときどきわたしのように、小鳥や猫とかと話せる魔女がいて、あとはみんな、親に習ったり、魔導士学校で学んで話せるようになるのよ」

「不便だね」

不便、なのか。


「わたしはいつの間にか話せるようになっていたし、今のところ話せない相手はいなかった。この森の中の生き物、植物も含めて、と話せる。あと、風と光も時どき話しかけてくる。夜は光の寝言が()()()くっていけない」


 光の寝言……聞いてみたい気もするが、なぜか肯定してはいけないと思った。ジゼェーラは、まともなのか?


 驚きすぎてもう一つの疑問を忘れるところだった。

「いつも罰を受けているの?」

ジゼェーラはまた小首を傾げる。

「いつもではないけれど、何かあると罰せられる」

「何かって? 例えば?」

「嫌いな物を残したり、ソースで服を汚したり、部屋にパン屑が落ちていたり、枕に抜け毛があったり。刺繍をしたときは、針で指を刺してしまって、怪我をしたと怒られた」


「それで? どんな罰を受けるの?」

「音も光も風もない闇に閉じ込められる。そこには上も下もなく、時間も判らない。とても恐ろしい」


 恐ろしくって泣き続け、いつの間にか気を失う。その内また気が付いて、再び泣き続ける。その繰り返しだ。罰すると世話係が決めたら、罰は必ずそれだ。泣いて謝っても許してくれない。


「そんな……犯した罪より罰が重すぎる。むしろ、ジゼェーラ、あなたは罰せられるようなことは何もしていない」


 なんてこと? あまりに酷い。本当にジゼェーラはそんな生活なの? 思わず涙が滲む。この子はわたしの妹なのに。


「校長も同じことを言った。わたしを罰した世話係たちの間違えだと言った」

「校長? ビルセゼルト?」

「そう、ビルセゼルト。おまえは何も罪を犯していない。真っ直ぐなままだ、いろいろ学ばなくてはならないこともあるが、おまえはおまえのままで良いと言った。あの男の声は穏やかで優しい」


「あの男、って、あなたのお父さんなのでしょう?」

「わたしの父親ということ? ビルセゼルトがわたしの父親? 聞いた事はないけれど、言われてみればそうかと思う」

「そんな……」


「校長は、もう罰したりしないと約束した。一昨日のことだ。外で見た時は迷子だと思ったが、わたしの部屋で見知らぬ魔女、つまりあなたを見て、迷子ではなくわたしが目的と思った。ビルセゼルトに知られないように、こっそりわたしを罰しに来たのかと警戒した。でも違った」


 丁度お茶が欲しいと思っていた。一昨日ビルセゼルトはわたしのカップに砂糖を入れてくれた。とても嬉しかった。疑ったお詫びに、あなたのお茶に砂糖を入れてあげれば喜んでくれると思った。


「で、なぜあなたは泣いている? 頬に触れてその涙をわたしが拭いてもいい?」

「ジゼェーラ……」


「これも一昨日ビルセゼルトから学んだ。ビルセゼルトはハンカチで拭ってくれたけど、わたしはハンカチを持っていない。あるのかもしれないけれど、どこにあるか判らない。ハンカチでなくてはダメ? 拭って貰って嬉しかったけれど、あなたは嬉しくない?」


 何も言えず、ただ首を横に振った。


「やはりハンカチを探そう。タオルではだめなのだろうか? タオルならしまってある場所を知っている。ちゃんと拭かないと肌が荒れるとビルセゼルトが言っていた」

立ち上がる気配に、

「タオルでいいのよ」

やっとのことでわたしは言った。ジゼェーラが何かごそごそしている間、泣き続けていた。切なかった。


 わたしは心のどこかで、わたしよりもジゼェーラは大事にされているだろうと思っていた。正式な妻との間にできた子なのだ。大事にされないはずはないと、疑うことなく思っていた。


 だが、母親から引き離され、父親の(もと)でもなく、学校に預けられて、どう大事にされているのかと不思議だった。ひょっとしたら、特別に魔女・魔導士としての教育を受けているのかとも考えた。


 でも違った。確かに衣類はどれも上等な物、身に着けている装飾品も然り、でも、わたしの物も遜色ない。装飾品の中にはわたしとお揃いの物もある。


 お父様からの贈り物よと母が喜んだ、三連のネックレスは使われている石こそ違っているものの、同じ仕様だ。きっとジゼェーラが付けているのも父が選んだに違いない。


 そのネックレスをわたしは、母が『父から』と偽って寄越したのだと思っていた。魔女は嘘が吐けない。『父から与えられた(かね)で買った』を大きく省いたのだと、そう思い込んでいた。


 母がジゼェーラにネックレスを贈るとは思えない。もちろん、偶然がないとは言わない。だが、こんな偶然があるものだろうか? わたしのネックレスも、父がわたしのために選んだのだ。父は、わたしとジゼェーラに、少なくとも経済的な分け隔てをしないよう気を使っている。


 ジゼェーラは世話係に虐められていた。それを父が知ったのは、やっと二日前のこと。もう虐められることはないにしても、ジゼェーラはどれほど我慢してきたことだろう。こんなに近くにいるのに、父はジゼェーラを訪れることもない、と小鳥たちは歌っていた。捨てられた、と言っていた。


 ジゼェーラはわたしと違って、父の正式な妻が産んだのだから、父がジゼェーラと会うのに何の問題もないはずだ。なぜ父はジゼェーラに会おうとしないのか。


 ジゼェーラに酷い事をした世話係を父は認めなかった。間違っていると言った。もう、ジゼェーラが罰せられることはない、と言った。きっとわたし同様、世話係に憤りを感じている。ジゼェーラを大切に思っていないわけじゃないと思った。なのに、なぜ、こんな近くに足を運ばないのだろう。


 一昨日は五年ぶりだと小鳥たちが言っていた。その訪れは七年ぶり……十二年の間にたった二回。少なすぎると思うのはわたしだけではないはずだ。


 しかもジゼェーラは父を自分の父親と認識していなかった。だけど小鳥たちは知っていた。ビルセゼルトの娘と言っていた。


 判らないことだらけで、悲しいことだらけで、しかもその悲しさをジゼェーラ自身が気づいていない、それが一番悲しかった。


 ジゼェーラ、わたしの妹。あなたはもっと愛されていい。愛されるべきだ。


 わたしも父の愛情を受けずに育った。けれどわたしには母がいて兄がいて、二人はわたしを愛してくれている。そしてわたしも二人を愛している。


 ジゼェーラ、愛しいのが小鳥や動物たちだなんて、悲しいことなのだ。それすら知らないあなた。わたしが教えてあげる。愛の素晴らしさ。愛することの素晴らしさ。家族の温かさを。


 どこまでできるか判らない。魔導士学校は四年で卒業する。その間、わたしはジゼェーラの傍にいよう。


 ぽろぽろと涙を流すわたしを、ジゼェーラが心配そうにのぞき込む。ふわふわのタオルでわたしの涙を拭っていく。


「好きよ、ジゼェーラ」

わたしはそっと呟いた。するとジゼェーラはやっぱり小首を傾げた。


「わたしの名前はシャインルリハギ。シャーンって呼んで」

ジゼェーラは頷いて

「わたしの名をあなたは知っている。でも、呼ぶのはジゼルがいい」

真っ直ぐわたしを見て言った。


 深い緑色の瞳……奥のほうで何かが揺れた気がした。

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