48 (ジゼル)
ビルセゼルトの許可もなく、あの森を出たのは愚かだった。このままここにいればアランに迷惑がかかる。では、どこに行く? 思いつくところは一つしかない。もと居た森、わたしのためにビルセゼルトが用意したあの住処。
わたしを育てたと自負している小鳥たちがわたしを探しているかもしれない。闇に閉じ込められていないかと、気を揉んでいるかもしれない。でも、どうやって帰ればいい? 魔導士学校は、王家の森はどこにあるんだろう?
アランの屋敷の庭に続くのは『霧降る白鷲の森』で、そこからシャーンの屋敷の庭『ペガサスの住処』に行けると言っていた。シャーンの屋敷に行って、シャーンの母親に魔導士学校に連れて行って貰うか? でもそれではシャーンが困ることにならないか?
シャーンの父親もビルセゼルトだと言っていた。ならば、ビルセゼルトはシャーンを庇うだろう。
ビルセゼルト……シャーンの涙を自分の指で拭っていた。わたしの事はチラリと見ただけだった。いつかわたしの涙を拭いたのはハンカチだった。わたしには触れたくなかったから? だからハンカチを使った?
そうだとしたら、シャーンを罰したりしない。ビルセゼルトはシャーンを大事に思っている。だから自分の指が汚れることを気にしないで、シャーンの涙を指で拭えたんだ。悲しいけれど、わたしに触るのはイヤだった。
カラスから話を聞いて、すぐここを出ようと思った。夕刻が迫っていたけれど、早くしないと見つかってしまう。
(これは王家の姫。我が領域にお越しいただけるとは恐悦至極)
足を踏み入れるとすぐに、霧降る白鷲の森が声をかけてきた。わたしが森に入る事を許してくれた。
枝にいたリスに声を掛けるとキョトンとわたしを見た。
「ペガサスの住処はどっち?」
リスはじろじろをわたしを眺め
(王家の姫ってことはビルセゼルトの別荘に行くのか?)
と訊いてきた。
(それなら森を抜けるより、この先にある道を真っ直ぐ行くと早い。背の高い藪に遮られて見つけにくいけど、そこにいるツグミが案内するって言っている)
(でも、明日の朝まで待ったがいいよ。もう日が暮れる)
リスの傍にいたツグミが羽ばたいた。
森は親切にも枯葉を大量に出してくれ、いつの間に来たのか、数匹のケナガイタチが添い寝してくれた。獣の匂いに困ったが森の夜は冷える。寒さに凍えるよりはいいと我慢した。
そして、朝。ツグミは羽繕いしながら、わたしを待っていて、寝坊だねぇ、と笑った。そして隣の木の枝に移った。ついていくと、次から次に飛び移っていく。
(あんた、行方不明なんだって?)
ツグミが途中、話しかけてくる。
(行方不明なのに、ここにいるんだね)
どうやら行方不明の意味を履き違えていそうだ。
(それにしてもあんた、中途半端だね)
「ほう、どこが?」
(気を悪くするなよ。人間が何を言われると怒るか、判らないんだ)
「気を悪くなんかしていない。道案内に感謝している」
(中途半端なのは力だよ。持っているのに使えない)
「そうか……」
シャーンが封印されていると言っていた。小鳥たちにはそれが判るのか。
(ここだよ)
ツグミが地に降りて、藪をくぐって向こうに消えた。
背の高い藪、なるほど、向こう側が見えない。わたしはツグミに倣ってしゃがみ込み、這いつくばって藪をくぐった。
「うひゃあ、こりゃあ驚いた」
向こう側に出られた、と思った途端、頭上から声がした。慌てて見ると、三人の男がわたしを見降ろしている。急いで藪を引き返そうとするが、向こうが早い。
「おーい、待てよ、そんなに怖がるなって」
腕を掴まれる。
「おや、おや、この子、震えてるぞ」
腕を掴んだ男がニヤニヤと笑う。
「藪から何が出てくるかと見ていれば、こりゃあ、みっけもんだ」
「んだな、身に着けている宝石は高値で売れる」
「着ている服もいい値が付く」
「着ている娘はどれくらいの値が付くかね」
「年のころは十二、三? 見た事ない綺麗な髪をしている。この年なら、まだ誰も手を付けていなさそうだ」
「ならばひと財産作れるか?」
「あぁ、作れそうだ。けどな……」
男か舌なめずりをする。
「こんな人形みたいな女、もう二度と拝めない」
すると、あとの二人もニヤリと笑う。
「味見するか?」
「味見したって、誰にも判りゃあしない」
掴まれた腕を思い切り引っ張られる。藪に引っかかった袖が千切れた。
「あーあ、もっと大事に扱えよ。これでブラウスは売り物にならなくなった」
「や、やめろ! 放せ!」
無理やり立たされる。
「おや、喋ったよ」
「まぁ、そんなに怖がるな、可愛がってやるから」
「やめろ!」
千切れた袖を引いて、男がわたしの腕を丸出しにする。他の男が後ろから抱きすくめてくる。
「いい匂いだ、こりゃあ堪らん」
「おい、俺が先だ」
もう一人の男が言う。袖を取った男がわたしの足を捕まえる。あっという間に横たえられ、先だと言った男がわたしの上に伸しかかる。
バン! と、いきなり藪が弾け飛んだ。
「おい、うちの領地で何をしている?」
アランの声だ。
「アラン!」
「その娘から手を離せ、下衆どもが」
わたしに伸しかかっていた男が立ち上がる。
「うちの領地? ふん、そんなこと知った事か」
「立ち去れ。その子を置いてすぐ立ち去れば、今回は見逃してやる」
男が嘲り笑う。
「領主の息子か。アウトレネルの息子は確か出来損ないだったはずだが?」
稲妻が男の頬を掠めて後ろの木にあたった。ぶすぶすと木が焦げる。男がニヤニヤと笑う。後ろにいた二人は近くの木の陰に隠れた。
が、最初の男は、腰を降ろしてわたしを押さえつけ、アランを睨み付けている。
「坊や、そこで見てるんだな。女の抱きかたを教えてやるよ」
「やめろ!」
アランが駆け寄ろうとしてふら付く。
「おまえ、立っているのもやっとじゃないか。そんなんじゃ女一人守れやしない」
男がわたしの胸元に手を伸ばす。わたしは逃れようと、地面を手で掻いた。すると、急に空気の密度が上がった。
(わたしを抜き放ちなさい)
頭の中で声が響く。指先に金属の感覚が触れる。見ると銀色の剣がふと振り、そこにある。
(解き放つのです)
男がわたしの服を剥ぐ。シャーンに貰った留め具が弾ける。わたしは何も考えず、剣の柄を掴んで男に向かって振り払った。鞘に収まったままの剣が男を打ち据え、痛みに堪えかねて男がよろける。
ド、ド、ドドドドドド!!!
地響きがして地面が揺れた。同時に男が弾き飛ばされ、そこへ雷が落ちる。続く落雷が木の陰に隠れていた男たちに命中する。
なに? 何が起きた?
「ジゼル?」
地揺れが収まるとアランの声が聞こえた。
「ジゼル? 無事なのか?」
慌ててアランに駆け寄ると、地に倒れたアランは真っ青な顔で、息が浅い。
「うん、大丈夫、アラン、しっかりして」
するとアランは浅く笑う。
「少し無理し過ぎた。学校から屋敷に飛んで、キミの気配を探って……なのに僕はなんにもできなかった」
「アラン!」
するとまた声がした。
(その若者を助けたいか?)
見渡しても誰もいない。アランとわたしと、雷で命を落とした男たちの亡骸があるだけだ。
(わたしは『総ての神秘に建つ剣』だ。ジゼェーラ、おまえが生まれた時から、ずっとおまえを見守っていた)
剣を見ると、どこに行ったのか鞘は消え、刀身が月の輝きを示している。
(ジゼェーラ、今、おまえは三人の男を殺した。わたしを振る事でおまえの封印は解け、怒りがおまえから迸った)
「そんな……わたしは、わたしは、そんなこと望まなかった。人を殺めるなど!」
(そして今、そこに横たわる若者は命の火が消えようとしている)
アランを見ると、瞳が閉じられ、力なく横たわっている。
(助けたいか?)
「助けたいとも!」
(我が願いを聞き届けてくれるなら、その願い、叶えよう)
「あなたの願い?」
聞くまでもない、わたしはアランを助たい。シャーンを悲しませたくない。




