45 (ジゼル)
このところ、毎日のようにシャーンが来てくれる。とても嬉しい。
グリンがちゃんと人間に戻ったと、シャーンが教えてくれた。良かった。グリンは人間なんだから、人間の中で生きていかなければ幸せになれない。だれかがそう教えてくれた。誰だったっけ? そうだ、ビルセゼルトだ。グリンはビルセゼルトに、教わらなかったのかな? 魔導士学校では教えないのかな?
わたしには好きな人が増えた。アランとデリス。
あの木のような人、デリスはとっても優しい。見た目通り心も大きくて、動作はゆっくりしているけれど、それが暖かさを増しているように思う。
そしてアラン。あの人は複雑。暖かくて冷たくて、柔らかくて硬い。でも、奥のほうはとても熱くて、その熱さは表に出る時を待っているみたい。とても親切で、自分よりも他者の事を先に考えている。とても強い人。そして脆い人。いつも自分が崩れないように気を張っている。わたしの頭を『よしよし』と撫でてくれた。わたしもアランを『よしよし』と撫でてあげたい。
シャーンはデリスの事もアランの事も好き。そしてアランの傍に行きたいのに、なぜか行かない。なぜ行かないのだろう?
デリスはシャーンの事が特別な意味で好きで、アランの事がとっても好きで、きっとそれで悩んでいる。
シャーンが来ているときにデリスも来たことがあったけど、あの時シャーンは泣いていた。デリスが泣かせた? そう思ったけれど、違っていた。アランが泣かせたんだった。
わたしは窓辺で小鳥とおしゃべりしていて、聞いていないふりをした。デリスがシャーンと二人きりになりたがっている、そう感じたから。
ソファーにシャーンが座り、デリスは傍らに膝をついて、優しい眼差しでシャーンを覗きこんでいた。
「いつごろ、返事を貰えるのかい?」
デリスの声は優しかったし、とても落ち着いて穏やかだった。
「ごめんなさい、デリス。判らないの」
シャーンの瞳に涙が溜まる。
「シャーン、それなら僕が答えを言ってもいいか?」
シャーンがデリスを見る。
「あなたは答えを知っているの?」
「シャーン、キミはアランが好きなんだろう?」
「……判らないの」
「なにが? 何が判らないのかな?」
デリスが悲しそうに呟く。
「もう、とっくにキミは気が付いている」
シャーンが両手を顔にあて、泣き声を上げ始めた。
「でも、アランはわたしを拒むわ」
「……そうかもしれないね」
そしてデリスはシャーンを抱き締めて、シャーンはデリスの胸で泣いて、泣き止むまでそのままだった。
「アランは素直じゃないんだ。それに強がりだ。その上、自信家なくせに、まったく自分に自信がない。困ったヤツだよ」
シャーンがデリスに頷く。
「僕にはアランの気持ちを動かすことはできないと思う。それができるのはシャーンだけだ。シャーンは自分の気持ちに素直でいればいいと僕は思う……素直でいて欲しい」
デリスがシャーンの頭を撫でた。ありがとう、シャーンの小さな声が聞こえた。
それからもデリスとシャーンが鉢合わせすることは何度もあったけれど、シャーンが泣くことはなかった。冗談を言って笑い合ったり、わたしのことも仲間に入れてくれ、一緒にお喋りしたりした。
デリスはシャーンを特別好きではなくなったように見せかけていて、シャーンもそう感じているようだったけれど、デリスにとってシャーンが特別なのは変わっていないとわたしには判った。
グリンが魚に変わったあの時から、なぜかわたしにはいろいろなことが判るようになった。怖かったから黙っていたけれど、その力はどんどん強くなっていくのを感じていた。
そう言えば、顔を見てもすぐには誰か判らなかったのに、今ではそれもない。ひと目でその人の名前が判る。何かを思いだそうとすると、頭に霧がかかったようになっていたのもなくなって、時にはすぐに思い出せないこともあるけれど、最近の事はすぐに思いだせた。なにしろわたしは変わっていった。言葉遣いさえも、以前と違うときがある。
誕生日が近かった。封印が解かれる日が近かった。だからだろうと思った。
「グリンが学校に戻ることになったの」
ある日、シャーンが言った。
「もう、わたしはここに来られないかもしれない。でも、デリスは来てくれるから安心して」
「グリンはちゃんと自分を取り戻した?」
「そうね……髪の色と瞳の色が変わってしまったけどね」
「赤くなった?」
「どうしてジゼルには判るの?」
「自分はビルセゼルトに愛されていると、グリンバゼルトが気付いたから……本来の髪と瞳に戻った」
「え?」
「なぜかわたしにはいろいろなことが判る。なぜだろうな?」
「ジゼル? どうかした?」
シャーンが驚いてわたしを見た。しまったと思った。わたしはどんどん変化している。それを知ればシャーンが心配する。自分自身、この変化に戸惑っている……シャーンに心配かけちゃいけない。
「ううん。言ってみただけ」
シャーンの瞳は疑っていたが、これ以上何を言っても墓穴を掘るだけだ。
「シャーン、大好き」
そう言ってわたしはシャーンに抱き付いてみた。
「わたしもよ、ジゼル」
シャーンは笑顔で抱き返してくれ、その日はそのまま帰って行った。
それにしても、ビルセゼルトの話が出てこない。
グリンが元に戻り一息ついたのに、ビルセゼルトはわたしを探していないのだろうか? シャーンからは何も聞いていない。
捨てられた姫君と、小鳥たちは歌っていた……わたしはあの森に捨てられたってことか。捨てた娘がいなくなろうとどうでもいい。そう思おうとしたが、腑に落ちない。それは違うと、頭の奥のほうから声がする。
窓から空を見上げると、トビが飛んでいた。呼び寄せるとすぐに来たので、朝食の残りのベーコンを与えた。
(塩気だ、塩気がする)
大喜びでトビが食べる。おまえの体には悪そうだ、とは言わずにいた。
「王家の森魔導士学校を知っているか?」
問えば、もちろん、と答えてくる。
「では、行って校長ビルセゼルトの様子を見てきて欲しい」
するとトビが驚くようなことを言う。
(ビルセゼルト? あいつはご乱心で、アウトレネルが牢に閉じ込めたぞ)
「嘘だ!」
(鳥の間でも大騒ぎさ。あのビルセゼルトがね、って。おーーい)
トビがカラスを呼び寄せた。
(このお嬢さんにビルセゼルトの噂を話してやりなよ。おまえのほうが人間の近くにいる。詳しいだろ)
ご馳走さん、トビは羽ばたいていってしまう。
「ビルセゼルトはどうしたんだ?」
(ビルセゼルトねぇ……)
カラスは窓辺から部屋の中、テーブルにあるプラムを見ている。
「詳しく話せ。全て話せばプラムをやろう」
(あんた、魔導師でもないし、力も不完全だね)
聞かれてもいないのに余計なことを言う。無視していると、フフンと笑ってからカラスが言った。
(ビルセゼルトはね、娘がいなくなって半狂乱だよ。森の中の建屋をぶっ壊してしまうし、校長室もボロボロにしちまった。腹心のアウトレネルにも八つ当たりさ。でもそれは気が引けたんだろうね、大きく外して、その隙にアウトレネルや助っ人の教授たちに抑えられた)
「牢に入れられたって?」
(牢? そんなもんには入っちゃいない。南の魔女が出張ってきて、眠らせた。暫く眠らせるって言っていた。その間に娘を探せと、魔女様が命じた)
カラスがわたしをじろじろと見始める。
(プラチナの髪、深緑の瞳、年齢はもうすぐ十三。あんた、ビルセゼルトの娘なんじゃ?)
「ほら、プラムだ、持っていけ」
窓の外にプラムを放ると、カラスが拾って持って行った。あのカラスは、南の魔女にわたしがここにいると知らせるだろうか?
―― だめだ、アランに迷惑がかかる。




