41 (シャーン)
そして魔導士学校十一日目。グリンが行方不明になって三日目。
あれからジゼルはわたしの部屋にいる。食堂以外に出ることを禁じられ、わたしが講義に行っている間は部屋にいること、談話室にも出てはならない。
理由はよく判らない。その措置を言ってきたのはアウトレネルで、寮監にも内容を知らせていないようだった。あの日の夕食の後、白金寮に来て直接わたしに告げたのだった。
そしてわたしを除いて誰とも話をしないよう、ジゼルに言い渡したのもアウトレネルだ。だがその言いつけはアウトレネルの愛息によって即刻、破られた。
「ビルセゼルトはジゼルをどうしたいんだろう?」
知られたら大変だからと、わたしが止めるのも聞かず、アランはジゼルとわたしをマグノリアの下に連れて行った。
「校長は森に行ったきり帰って来ない。グリンを探して沼に張りついているんだってさ」
「あぁ、だから校長の講義は暫く休講なのか」
デリスが納得する。
休講はやはりアウトレネルが、夕食の食堂で学生全員に向けて発信した。
そのあと、アランはアウトレネルと何か話していたがその時、校長が森から帰って来ないと聞いたのだろう。
「ビルセゼルトはシャーンの涙は拭ったが、ジゼルにはそうしなかった。ジゼルはビルセゼルトを見詰め、声をかけてくれるのを待っていた。ビルセゼルトだって気が付いていたはずだ」
アランの声は怒気を帯びている。
「だけど、一瞥しただけでジゼルから目をそむけた。ジゼルがぽろぽろ涙を流すのを見ないふりをした」
「アラン、判ったからやめて。思い出してジゼルが泣いている」
ハッと、アランがジゼルを見、屈み込んで『泣くな』と肩を抱き、そのまま隣に座った。
「何しろ、だ」
語気を弱めてアランが続ける。
「ビルセゼルトの子育ては普通じゃない」
「父にも立場があるのよ」
「シャーン、キミたち兄妹を母親に任せきりにしていることには理由も立つ。でも、ジゼルについては思いつく事情がない」
「そうだとしてもアラン、もうやめて。人の家庭に口を出しちゃいけないわ」
「……そうだね、シャーン、ついジゼルが可哀想で」
アランが口籠る。
アランとデリスには、わたしが知る限りのジゼルの生活ぶりを話した。
最近まで世話係の魔女から必要以上の罰を受け、それをとても恐れていたこと。それを知ったビルセゼルトが、ジゼルに罰を与えることを魔女たちに禁じたこと。ビルセゼルトがそれを知ったのはつい最近で、前回ジゼルを訪れてから五年が経っていること。
「可怪しいって、わたしも思わないわけじゃないのよ。でも、理由がないとは思えないの」
不満そうだけどアランが黙る。するとデリスが首を捻る。
「でも、そうなると、ほんと、どんな理由なんだろうね? だいたい、森に閉じ込めて小鳥が友達、なんて生活でいいわけがないと思うよ」
「うん、そうだ、そうだよ、デリス」
我が意を得たりと、アランが頷く。
「ジゼルはもっと、多くの人と交わって、たくさんの、いろいろな楽しいことや喜びを知っていい」
ジゼルはそんなわたしたちの顔を眺めて黙っている。アランに肩を抱かれ、落ち着いたのか、もう泣いてない。時どきアランを見上げて見つめている。少し、わたしの心が揺れた。
いくらジゼルの生活が奇妙でも、だからってどうしたらいい? どうすればジゼルを救える? それにグリンは? グリンはどうなっている?――わたしたちはグリンがいなくなり、ジゼルを預かるようになってから、夕食後に集まっては知恵を出し合った。だけど答えは見つけられずにいた。
そして今日、わたしとジゼルは校長の執務室に行くように言われる。朝食の食堂で寮監に言われた。
「アウトレネル様が迎えにいらっしゃいます。講義の予定があっても行かずに待つようにとのことです」
まったく、幾らビルセゼルト様の腹心と言ってもギルドの人間が、魔導士学校でこうも幅を利かすなんて……寮監はぶつぶつ言いながら行ってしまった。
迎えに来たアウトレネルについていくと、途中でジゼルに皮肉を言った。
「本当に、封印は解けてないのか? おい、ジゼル。おまえがグリンを魚に変えたんじゃないだろうな?」
悪意の籠ったアウトレネルの声と言葉にジゼルの身体が震え出す。
「お願い、レーネ、やめて」
わたしの抗議に、言い足りなさげにアウトレネルも黙った。
校長室の前でアウトレネルが立ち止まる。
「中に水槽がある。その中の魚がグリンかどうか確認するため、呼んだ」
そう言った後、アウトレネルが少しの間、黙り込む。
「部屋にはビルセゼルトもいる。が、ヤツには話しかけるな。その、なんだ……驚くかもしれないが、それを口に出してはいけない」
判ったな、とアウトレネルがきつく言う。それからドアを開いた。
なるほど、広い部屋に大きな水槽が置かれている。中で人が泳げそうなほどだ。緑色の水で満たされている。
「グリン!」
金色の光に思わず走り寄り、呼びかける。
= 金色の大きな魚。一人ぼっちでも寂しくない =
水槽の中を優雅に泳ぐのは、本当にグリンなの? いったん奥に消えて、またこちらに来て、まぶたのない瞳でわたしを見、そしてまた奥に消える。
表情のない目。ユラユラと揺れる胸鰭に尾鰭……
「グリンが姿を変えたのは、この魚で間違いないか?」
ジゼルに問うアウトレネルの声が後ろから聞こえ、わたしは振り返った。
「!」
アウトレネルの後ろに置かれたソファーに父が座っていた……魔導士のローブはなく、ゆったりとした部屋着のまま、力なく腰掛け、呆然と水槽を眺めている。
燃えるようだった赤い髪は、ただ赤いだけで、鋭い眼光を放っていた瞳はレンガ色だが力を感じない。
わたしがビルセゼルトを見ているのに気が付いて、アウトレネルが舌打ちした。
「どうだ、ジゼル、間違いないか?」
そうだ、ジゼル……ジゼルを見ると、水槽に貼り付くように中を覗きこんでいる。
「緑深いあの沼は金色の魚しか住むことができない。だからグリンは魚になった。あの沼に住みたいと願ったのに、それすら適わないと泣いている」
「は?」
慌ててジゼルを庇うように抱き締める。アウトレネルも追い詰められている。怒らせてはいけない。
「黄金の髪は黄金の鱗。やがて剥がれて血が通う。命通えば髪は燃え、瞳に宿る血の光」
「ジゼル?」
「沼の伝説か。なるほど」
訳の判らないジゼルの言葉にアウトレネルは合点がいったようだ。
「もういい、帰れ。ジゼルの処分はグリンの件が片付いてからだ。森に隠すなよ。ビルセゼルトがあの調子じゃ、森に入られたら手出しができない」
「レーネ、父は? 父はどうしたの?」
アウトレネルは顰めっ面をわたしに向けた。
「力を使い過ぎただけだ。二・三日で元に戻るはずだ、心配ない――さぁ、もう行きなさい」
アウトレネルは、この時だけは優しい声で言った。




