39 (アラン)
講義が終わって寮に戻り、すぐにグリンの様子を見に行った。すると、あろう事かあの馬鹿、部屋を抜けだしている。
談話室にはエンディーがいて、見張りを頼んでおいた。帰ってきたとき、エンディーは『グリンは部屋にいる』と言った。ならばグリンは移動術を使って部屋を出た? 違う、この部屋からは術の痕跡を感じない。
記録術を仕掛けたクッションを出しっぱなしにしておいてよかった。グリンはクッションの記録術に気付いていなかった。
アイツは自分の知識と技術を過信し過ぎだ。もっと周囲に感覚を研ぎ澄まし、危険を察知することを覚えなくちゃいけない。
なるほど、窓から出奔か。いつもそうしていたか。手慣れた様子で枝に飛び移っている。
行先は沼、だな。どうする、ほっとくか? それとも、あまり気が進まないが、シャーンの力を借りるか?
王家の森は王家直系しか入れない。が、その同行者であれば受け入れる。魔導生物学の研究者が数年前、ビルセゼルトの案内で沼の生物を調査した。たぶんシャーンと一緒なら、僕の事も森は受け入れるだろう。
「なんだ、逃げられたか」
いったん自分の寮に戻っていた、デリスがやっと顔を見せた。昨日、シャーンから聞いた話は聞かせ済みだ。
「森、かな?」
「森、だね」
どうする? と、たがいに目配せする。
「グリンは窓から部屋を出ている。僕たちが談話室を通れば、今、談話室にいる連中は、僕たちがグリンを探しに行ったと思うだろう。グリンの不在が知られてしまう」
僕がそう言うと
「どこに飛ぶ?」
デリスがニヤリと笑う。移動術を使おうと僕が言っていると察したのだ。
「白銀寮。入り口の、デリス、おまえがシャーンを待っていたあのベンチの近くに」
「おい、なんでそれを?」
「悪いな、『木が立っている』と言われたおまえを気にして気配を追った」
「ふむ、アラン、そんな事で術を使うな。体力を消耗するぞ」
「使うときに使わないでどうする? 僕の力は、僕が大切に思う人のために使う。そのためにある」
行くぞ、と白金寮の入り口に移動した。寸時遅れてデリスも姿を現す。
白金寮の談話室でシャーンを呼ぶように頼む。いつもシャーンと一緒にいるアモナが手を挙げて、合図を寄越し、女子寮に消えていく。
(シャーンの部屋に街人の気配がする)
デリスが送言術で話しかけてくる。
(うん、確かに気配がある。マグノリアの藪で会った子の気配と同じか?)
(あぁ、同じだ。あの子だ)
(じゃあジゼルだ。ビルセゼルトの娘だな)
「ビルセゼルト!?」
「おい!」
急に大声で校長の名を叫んだデリスに、談話室に居合わせた連中が注目する。
と、女子寮からシャーンの泣き声が聞こえ始めた。
「シャーン!」
なんの考えもなしに僕は駆けだしていた。シャーンが泣いている。シャーンが助けを必要としている。
「アラン、だめだ、そっちは女子寮だ」
デリスが僕を止めている。みんなの視線が痛い。
そうさ、女子寮さ、それがどうした? 好きなだけ僕を蔑めばいい。
「シャーン」
廊下で突っ伏して泣くシャーンに声をかけ、肩を抱くと、シャーンは僕を見て抱き付いてきた。さらに泣き声が大きくなる。
デリスは女子寮だという事に躊躇って追ってこない。良かった、と思う。この状況を見たらデリスは僕とシャーンの仲を疑う。
シャーンの部屋を覗くと、プラチナに輝く髪の少女がいる。一瞬、グリンの髪の色が抜けたかと見間違えるが、これがジゼルだ。ビルセゼルトに、グリンに、よく似ている。
(シャーン、グリンは沼に行ったのか?)
シャーンが慣れているかは不明だったが、送言術で話しかける。誰にも聞かれてはいけない。グリンが森に行っていたと、知られてはいけない。幸い、シャーンは驚くこともなく頷いた。だが、まだ泣き続けている。
(シャーン、マグノリアの木の下に飛べるか? あの子はジゼルだろう? ジゼルを連れて飛べるか?)
シャーンはまた頷く。
(泣くな、シャーン。グリンを助けに行く。一緒に行こう)
シャーンが僕を見た。涙が止まっている。
(僕たちはいったん白金寮を出て、マグノリアのところに飛ぶから。あそこで落ち合おう。いいね、できるね?)
シャーンが頷くのを確認して僕は言った。
「もう泣かなくても大丈夫。グリンはいつも通りだよ。安心して、部屋で過ごすといい」
(今から二十数えてから飛ぶんだよ)
送言しながらシャーンを部屋に押し込み、ドアを閉めた。廊下には僕とアモナが残される。
「シャーンが心配なら、部屋の中の事は他言無用だ」
可哀想だが脅心術を仕込んでアモナに告げる。これで怖くてアモナは、誰にもジゼルの事を話せない。
談話室に戻るとデリスが心配そうに僕を見た。
「大丈夫、シャーンは落ち着いた。行こう、デリス」
談話室にいた連中に『騒がせたね』と詫びを入れて外に出る。白金寮の寮長、お喋りオウムのインコちゃんの一人、サウズの視線が痛かった。きっと近いうち、追及してくることだろう。
白金寮を出てすぐに、『マグノリアの木の下』と言って、移動術を使う。すぐにデリスが追ってくる。
「アラン、今日は講義の時も難しい術の実演をした。使い過ぎだって」
デリスの小言と共にシャーンがジゼルを連れて姿を現す。
「細かいこと言うと、女の子に嫌われるよ」
僕の厭味をデリスは聞き流す。そして結界を張る僕を手伝い始める。
「で、シャーン。グリンがどうかした?」
「それがね、アラン。ジゼルが言うには森の沼に落ちて……金色の魚に変わってしまったって」
さすがにデリスが息を飲む。シャーンの目には涙がいっぱいだ。僕は黙ってハンカチを渡した。
ジゼルを見ると、不思議そうに僕を見ている。この人、誰だったっけ? そんな感じの表情だ。
「そこに座って」
促すと、ジゼルは素直にベンチに腰掛けた。
膝を折って視線の高さをジゼルに合わせ、話しかけた。
「僕はアラネルトレーネ、アランでいいよ」
「アラン、わたしはジゼェーラ、ジゼルでいい」
間違いなくビルセゼルトの娘か。
「で、ジゼル、グリンがどうなったか知っている?」
シャーンが話そうとするのを僕は遮った。目撃者から聞く方がより正確に情報が掴めると思った。
「グリン……見る見るうちに髪が伸びて、全身を覆った。そして手と足が短くなってひらひらになって、そして魚に変わった。金色の魚に変わった」
と、その時、殺気を感じた、強い殺気だ。だめだ、僕の結界は破られる!
メリメリと結界にヒビが入る。シャーンとジゼルを匿う僕の前にデリスが仁王立ちになる。
「大丈夫、父だわ」
シャーンの声に思わず振り返る。デリスが慌てて攻撃体勢を解く。
「何事かね? デリトーネデシルジブ。そして後ろに隠れているのはアラネルトレーネかな?」
「か、隠れてなんかいない」
デリスがでか過ぎるからそう見えるだけだ、これは言わずにいた。
「そうか、わたしから、わたしの娘を守ろうとした、そんなところか」
クスリとビルセゼルトが笑う。僕たちを皮肉ったのだ。
この人は、僕の事も、デリスの事も、どうとも思っていない。その上、ジゼルの事もシャーンの事も、どうでもいいんだ、ふとそう思った。
「森が大騒ぎするので周辺の様子を見た。すると森に隠したはずの娘の気配を構内で見つけた」
ビルセゼルトが僕をじっと見る。
「そして、わたしの息子が魚になったと言い始めた」
薄く笑ってビルセゼルトは、僕から視線を外した。
どこから聞いていたんだ? 結界は完璧だった。少なくとも殺気を感じて解術されるまでは。
森のほうをしばらく見てからビルセゼルトは、僕たちに言った。
「さて、諸君。そろそろカラスの刻だ。食堂に行きたまえ」
「でも、グリンが!」
僕は完全に無視される。ビルセゼルトは見もしない。
「シャーン、ジゼルも連れて行って食事をさせてくれ。ロクに食べていないと世話係が心配していた。おまえもしっかり食べなくてはだめだよ」
頷くシャーンにビルセゼルトが近づく。シャーンの手からハンカチが消え、僕のポケットに戻ってきたのはビルセゼルトの魔導術だ。ビルセゼルトは自分のハンカチを出して、シャーンの涙を拭った。
それからジゼルを見る。でも、すぐに目を逸らした。ジゼルの目から涙が零れ落ちるのに、ビルセゼルトは見ようとしない。
(なぜだ? なんだ、この違和感。何かが可怪しい)
いぶかる僕を尻目に、ビルセゼルトが言った。誰に言ったのかはよく判らない。
「グリンバゼルトの事はわたしに任せなさい。わたしの息子はわたしが取り返す」




