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こがねの魚と銀の月  作者: 寄賀あける


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38/50

38 (ジゼル)

 沼の畔に誰かが立っている。わたしに気付いてこっちを見てる。誰だった? そう、グリンだ。グリンに会いたくてわたしはここに来たんだった。


「キミ、名前は?」

なぜ、そんな事を聞くの? グリンはわたしの名前を知っているでしょう?


「キミの名前はなんだ?」

「ジゼェーラ……でも、ジゼルと――」

「父親の名は?」

呼んでほしいのはジゼル、そう言おうとしたのに、言わせてくれない。


 父親の名も知っているでしょう? グリンと同じ。

「父は……ビルセゼルト」

「……なぜここに? 二度と来るなと言ったはずだ」

うん、そう言われた。でも、もう一度だけ、どうしてもグリンに会いたかった。


 きっとそれはグリンも同じだ。グリンが泣いている。二度と来るな、と、言いたくないのに口にして、グリンは苦しんでいる。

「……泣かないで、グリン」

「僕の名を呼ぶな!」


 グリンがわたしに向って何かを投げた。風弾だ。本で読んだ事はあるけれど、実物を見るのは初めて。突風はすぐ横の木にあたり、梢が悲鳴を上げて震えた。


「消えろ、次は狙いを外さない」

グリン、怒っている。怒らないって約束したのに。昨日からグリンはその約束、忘れている。悲しくて、涙が止められない。


「お……怒らないで」

「……」

グリンが黙った。でも、気持ちが揺れているのは伝わってくる。わたしと同じで泣いている。


 グリンが苦しんでいる。わたしのせい。わたしが答えを間違えたから。グリンが顔を背けた。わたしの事なんか見たくもない、そんな感じだ。


 少しグリンに近づいてみる。


 わたしはグリンに謝るためにここに来た。それにはこの距離は遠すぎる、もっと近くで、グリンの目を見て謝らなければ、わたしの思いは伝わらない。


 するとグリンが沼に向かった。沼に向かって歩いていく。ダメ、沼は危ない。そこには、そこには……


「行かないで、グリン」

その沼はどんな生物も生きていられない、ビルセゼルトがそう言った。でも、金色の魚は沼にいる。その沼に入るには金色の魚になるしかない。


「沼に入ってはだめ」

止めるのに、グリンはどんどん沼に向かってゆく。わたしは駆けだして、グリンを捕まえた。


「グリン!」

抱き付いたわたしをグリンは抱き返すどころか、受け止めてもくれない。わたしとグリンは遠くなってしまった。


「グリン、だめ、行かないで」

見上げるとグリンもわたしを見た。琥珀色の瞳……涙にぬれた琥珀の瞳、それが迷い、彷徨(さまよ)い、わたしを見詰めながら別のものを見ている。


 そして何かに思い当たり、琥珀色の瞳が赤みを帯びる。怒りだ。グリンは怒りに包まれている。


「ごめんなさい。わたしがいけなかった」

グリンの顔色が青ざめる。怒りがグリンの身体を震わせる。


 わたし、まずい事を言った? 何か()(くじ)った? グリンがわたしの腕を(つか)んだ。痛みで腕が(しび)れる。


「僕がキミを(なぐさ)んだら、ビルセゼルトはどう思うだろうね」

ビルセゼルト……そうか、グリンはビルセゼルトが嫌いなんだ。だからわたしのことも嫌い。きっとそうなんだ――


 掴まれた腕がさらに強く引かれ、バランスを失して倒れ込む。怖い顔でわたしを見詰めながら、グリンが膝をついてわたしの目を(のぞ)きこむ。


 琥珀色の瞳はやはり赤い光を宿して奥のほうで燃えている。グリンはわたしを見ながら、わたしを見ていない。


 わたしの胸元に手をやって、グリンが服を引き裂いた。螺鈿(らでん)細工の留め具がどこかに飛んでいく。グリンの体重がわたしにかかる。その時……


 わたしの背を支えていた地面がずぶずぶと沈み込んだ。あっという間に地面は消えて、グリンとわたしは沼の水に飲み込まれていく。


 息ができない、そう思ったのに、空気の層ができていて、わたしとグリンを包んでいた。でも腰から下には水の冷たさを感じる。


(グリン……?)

グリンを見ると瞳から赤い光は消えている。でも、悲しそうな目、どうして逃げないの? 逃げていいんだよ、そう言っているように感じた。


 そしてグリンはわたしを抱き締めた。いつものように、きつく優しく。それから頬ずりすると、もう一度わたしの瞳を覗きこむ。そして(ひたい)に口づけた。


「グリン!」

グリンがわたしを放す。わたしから離れ、空気の塊から離れ、水の中に全身を躍らせる。


 黄金に輝く髪がするすると伸び始め、やがてグリンの全身を包む。腕が縮み、足が縮み、横に広がってひらひらし始める。頭は首とともに胴にめり込んでいく。そして(まぶた)がなくなった目でわたしを見、ゆらゆらと胸鰭(むなびれ)を振った――バイバイ?


 金色の大きな魚……


 そう思った瞬間、空気の塊が消えた。わたしはあわてて水中から顔を出し空気を求めた。


「グリン!」

水の中に姿を探すがグリンも、金色の魚も見つけられない。


 どうしよう、グリンは金色の魚になってしまった? きっとなってしまった。そんなのダメ、グリンは魚じゃない。人間だ。人間は人間として生きていく。そうでなきゃ、そうでなきゃ幸せになれない。そうでなきゃ……シャーンが悲しむ。


 わたしも悲しむ。きっとビルセゼルトも悲しむ。


 そうだ、シャーン、シャーンならなんとかしてくれる。シャーンに会いたい。会わなくてはいけない。スズランだ、スズランの花を使おう。


 森を走り抜け、息を切らして部屋に飛び込む。スズランを(つか)んで花瓶から引き抜く。勢いで花瓶は飛ばされ、ガシャンと音を立てた。


「お願い、シャーンの許に。シャーンに会わせて」

スズランを持った手が熱くなり、全身が熱くなり、それが冷めると、目の前に誰かが立っていた。


 手に持った本を机に置こうとしていたんだろう、急に現れたわたしに驚いて、動作が途中で止まっている。シャーンだ、シャーンの部屋だ。


「シャーン、助けて。グリンが魚に変わってしまった」

「どういうこと? それにジゼル、ずぶ濡れなのはなぜ?」


 沼で起こったことをシャーンに話す。わたしの説明でシャーンは判ってくれるだろうか? タオルでわたしを拭きながら、シャーンは話を聞いている。時どき(てのひら)(かざ)して、暖かい風を吹かせている。これもきっと魔導術だ。グリンがわたしに向けた風弾と違って優しいけれど。


 破れた服を直したのも、きっと魔導術だ。シャーンは取れた留め具も別の物に付け替えてくれた。わたしの物と同じ匂いの留め具だった。


 わたしが話し終える頃、わたしの髪も服も乾き、その代わりシャーンの顔が涙でずぶ濡れになった。でも、シャーンの泣き声は聞こえない。


「グリンが魚になった ――」

ポツリとシャーンが呟く。


 シャーンはきっと何かを考えている。深い息がゆっくりとシャーンの胸を上下させている――と、急にドアがノックされ、シャーンが飛び跳ねるほど驚く。


「シャーン、談話室にお()で」

女の子の声がする。


「そこから動かないで、ジゼル」

シャーンはそう言って立ち上がるとドアを開け、そこにいた人にこう言った。


「アモナ、お願いがあるの、黄金(こがね)寮のアランを呼んで」

するとアモナと呼ばれた人がクスッと笑った。


「アランならもう談話室に来ているわ。赤金(あかがね)寮のデリスも一緒よ」

それを聞いてシャーンが泣き崩れた。泣き声を上げてシャーンが泣いた。

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