33 (アラン)
ここのところ機嫌が良かったグリンバゼルトが、談話室に入ってくると物も言わずに自室に籠った。寮長のカトリスマシコに目配せして、様子を見てきて貰う。
「ダメだ、アラン。グリンのヤツ、まったく応答しない」
「あの様子じゃ、食事に誘っても来そうもないね。ほっといて我々だけで夕食に行こう。帰ってきても機嫌が直っていなければ、また考えよう」
今日、最後の講義までは上機嫌だったのに、グリンに何があったのだろう? 本人が扉を開かない限り、僕にできることはない。それに食堂に行けばシャーンがいる。ひょっとしたら何か知っているかもしれない。
ところがシャーンも食堂に来ない。白金寮のアモナが言うには、夕食直前に帰ってきて、体調が悪いと部屋に籠ったそうだ。グリンと同じだ。何があった?
黄金寮の入り口で出くわした時、シャーンは『グリンに会わなくちゃいけない』と言った。追い詰められているような瞳、気になったけれど、あの時は訊いたってシャーンは何も言わないだろうと思った。
「ちょっと白金寮のシャーンに会ってくる」
カトリスにグリンの事を頼んで、白金寮に向かった。カトリスは『そっちは任せたよ』と言ってくれたが、少しだけ僕は気まずさを感じていた。
カトリスはグリンの事でシャーンに会いに行くと思ったのだ。でも僕は? もちろんグリンの事もあるけれど、それ以上にシャーンが心配だった。果たしてシャーンは打ち明けてくれるだろうか? きっとグリンの秘密をシャーンは知ったんだ。
グリンの秘密……森にこっそり忍び込んでいること。そしてグリンは森の魔物に魅入られた。森の魔物、その正体が判らない。親父に、グリンは森に行っていると報告したとき、親父は何か知っていると感じたが、僕に聞かせてくれなかった。
森には何か秘密がある。そう思って調べたら、これが正解かと思う答えは出た。けれど、もしそれが本当に正解なら、誰がグリンを救えるだろう?
グリンは、ビルセゼルトを更に恨むことになるだろう。恨んでどうにもなる事じゃない、そう言ってやりたいが、言ったところでグリンの気持ちにはきっと響かない。
魔導士学校の森、つまり王家の森。入る事が許されるのは王家の直系のみ。はっきり判っているのはビルセゼルトにグリンバゼルト、シャインルリハギ、そしてジゼェールシラ。
そのジゼェールシラ、ジゼェーラがどこにいるのか誰も知らない。噂では魔導士学校となっているが、魔導士学校の構内にジゼェーラの気配はない。
森に隠されている。そう考えるのは僕だけではないはずだ。だが、なぜジゼェーラは隠されている? 隠す理由が判らない。しかし今はそれを追求している場合じゃない。たぶんグリンはジゼェーラと出会い、彼女に恋をし、そしてジゼェーラが何者なのかを知ったんだ。そしてシャーンもそのことを知っている。
グリンにジゼェーラが何者かを知らせたのはきっとシャーンだ。グリンより先にグリンの相手はジゼェーラだと、シャーンは気が付いた。だから今日、シャーンは元気がなかった。グリンに会わなくてはいけない、と言ったのは、グリンにこの事を知らせるつもりだったからだ。
とにかくシャーンに会おう。会って真相を聞こう。僕の憶測だけではどうにもならない。
憶測が当たっていたとしたら、シャーン、今、キミはどれほど心を痛めていることだろう。キミが悪いんじゃない、そんな言葉で慰めることができるだろうか?
白金寮でシャーンを呼び出すと、体調不良で誰が声をかけてもドアを開けてくれないと言われる。
「んー、黄金寮のアランが会いたいと言っている、と伝えてくれないか?」
シャーンはきっと来る。グリンの事を話せる相手を欲している。
シャーン……
他の女の子と違って虫を怖がらない子だった。グリンと二人、面白がって脅かそうとするけれど、どんな虫を目の前に放り投げても、掌に乗せても、動じたことがなかった。
それなのに、グリンが小さなトカゲを捕まえて、キミは尻尾を摘まんで、トカゲは尻尾を切って逃げて……グリンと僕は大笑いで、キミは大泣きで、驚いて泣いたと思ったのに、トカゲを殺してしまったと、キミは泣いたんだった。
グリンはますます笑ったけれど、『どうしよう?』と泣きじゃくるキミを僕は放っておけなかった。大丈夫、トカゲは死んでいない、そう言ってあげるほかには何もできなかったけれど。
キミは忘れてしまっただろう。だけど……僕は忘れていないんだ。忘れられないんだ。
「アラン……」
女子寮の入り口、階段の前に、目を泣きはらしたシャーンがいる。
「シャーン」
僕は両腕を広げた。シャーンがゆっくり歩み寄り、僕に包まれる。そして声も出さずに泣き始める。
白金寮の談話室が静まり返り、僕とシャーンを見守っている。恋仲なのかと疑っている。
「グリンに何があったのか、知っているね?」
頷くシャーン。
「僕に話してくれるかい? 少しは助けになれると思う」
これで、僕とシャーンの仲を疑うヤツはいなくなる。シャーンが好奇の目に曝されることはない。その替わり、しつこくグリンの事を聞きたがるヤツは出る。それには沈黙を守ればいい。
「外に出よう」
僕はシャーンの肩を抱いて白金寮の談話室を出た。
マグノリアのベンチに結界を張って、シャーンの話を聞いた。凡そ僕の憶測は当たっていた。『どうしたらいいの?』と訊いてくるシャーンに、僕は返す言葉が見つけられない。
「シャーンは少しも悪くない」
僕はもう一枚ハンカチを持っているべきだった。ハンカチはすぐにシャーンの涙でびしょびしょになり、使い物にならなくなった。そのハンカチをシャーンは、魔導術で乾燥させてはまた涙で濡らした。
「うん、誰も悪くないの。判っているの」
「そうだよ、敢えて言うならタイミングが悪かった」
シャーンが少し落ち着いたところで冗談を言ってみる。もちろんシャーンを笑わせる事なんかできない。
「グリンは大丈夫かしら?」
「グリンには僕たち黄金寮の寮生がついている。すぐには無理だろうけれど、必ず吹っ切る。グリンは強いよ」
「そうなの?」
「んー、頑固だ。その頑固さが、いい方向に行くよう、サポートするよ」
「悪い方向に行って、ずっとジゼルを思い続けたりしない?」
ちょっとだけ言葉に詰まった。ずっと思い続けているのは僕だ。
「思いを寄せてはいけない相手だとグリンは知っている。アイツは真っ直ぐだ。間違いは修正する」
「そうね、グリンはそんな性格よね」
シャーンの涙は止まったようだ。動揺を鎮める手助けを、少しは僕にもできただろうか。
「ねぇ、アラン」
「なんだい? シャーン」
「マメルリハって呼ばないのね」
「なんだ、そう呼んで欲しかった?」
「もう、わたしはお喋りオウムに必要ないのかな、と思って」
「なにを言い出すかと思ったら……」
「だって、グリンはこの件できっとわたしの事も許さない。そんなわたしにグリンの懐柔なんて無理」
「それは違うよ、シャーン。キミは今まで通りグリンと接しなきゃいけない」
キミはグリンにとって『日常』なんだ。そのキミがグリンから離れちゃいけないし、グリンに日常を取り戻させるにはキミが必要だ。
「日常……ジゼルとの事は?」
シャーンが不安げに僕を見た。幼い頃の涙に潤んだシャーンの瞳を思い出す。
抱き締めたい衝動を抑えて、僕は答えた。
「ジゼルとの事はグリンにとって『夢』でしかない。美しい森と幻想的な沼が見せた夢だ。いつか夢だったとグリンも気が付く。多少時間が掛かっても、必ずグリンは日常を取り戻す。それが日常というものだ」




