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こがねの魚と銀の月  作者: 寄賀あける


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31/50

31 (ジゼル)

 沼に行きたいのにシャーンが来ない。ヒヨドリの刻はもう過ぎている。そろそろ来るのかな? もし来なかったらどうしよう、と泣きたい気分になった時、誰かが窓から(のぞ)きこんだ。


 誰だった? そうだ、シャーンだ。待っていたよ、シャーン。


 大慌てでドアを出る。

「ジゼル、待たせてごめんね」

「シャーン、大好き」

抱き付くと抱き返してくれる。でも、あれ? 今日のシャーンは笑っていない。


「シャーン、怒っている?」

「え? なぜ? 怒るようなことは何もないわ。それより沼に行きましょう」


 うん、沼に行こう。でも、やっぱりシャーン、笑顔を見せてくれない。わたし、嫌われた?


 沼に行く間もシャーンは黙ったまま。何も言わず黙々と歩いている。わたしの後ろを歩いている。


 ねぇ、シャーン、わたし、シャーンと話したい。今日はオトシブミが(めす)を争って喧嘩していた。そこに蝶が二頭、ユラユラ(から)み合うように飛んできたから、そっちについて行ったけど、途中で見失っちゃった。


 シャーン、怖い顔、何かあった? あの、木のような男の子、なんだったっけ、そうデリス、あの人と何かあった? それともわたし、何かした?


「ジゼル、お願いがあるの」

急にシャーンが話し出した。


「沼の男の子に、ジゼルの名前とジゼルのお父さんの名前を教えてあげて」

「お父さんの名前……ビルセゼルト?」


「そう、ビルセゼルト。ジゼルのお父さんでしょう?」

「小鳥たちはそう言っている。でも、そうなのかな?」


「小鳥たちがそう言うのなら、そうなのよ」

シャーンは悲しそうだ。


「いいけど、どうして?」

「……お願い。何も訊かずにそうして」


「そうすると、シャーンは喜ぶ?」

シャーンが立ち止まった。わたしも立ち止まる。


「ジゼル……」

シャーン、泣いている? 泣きながらわたしを抱き締めた? 判らないけれど、わたしもシャーンを抱き返した。


「大好きよ、ジゼル」

「うん、わたしもシャーンが好き」

シャーンはわたしを抱き締めながら、泣くのを(こら)えているようだった。


「沼はもうすぐ?」

「うん、もうすぐ」

「行きましょう」

シャーンが歩き出す。わたしも歩き始める。


 沼が見えてきた。(ほとり)にあの男の子が、今日も絵の道具を出して(かたわ)らに立ち、こちらを見ている。


「会いたかった」

わたしは駆けだして男の子に抱き付いた。男の子は受け止めてくれたけど、目はシャーンを見ている。そして抱き返してくれない。


 どうして? どうして今日はわたしを見てくれない? 受け止めてくれたけど、抱き返してくれない。


 どうして? わたしの事、嫌いになった? そして、どうしてシャーンを見ているの?


「シャーン……どうしてここに?」

「やっぱりグリンだったのね」

シャーンの目から涙がこぼれ始める。なんで? どうして? そしてわたしはどうしたらいい?


 シャーンと男の子は知り合いで、ひょっとして仲が悪い? 男の子とわたしが仲良しだから、シャーンは悲しい?


「お願い、名前を教えてあげて」

シャーンがそう言ったのはきっとわたしにだ。さっきお願いされたこと。


「わたしの名はジゼェーラ。でも、呼ばれるのはジゼルがいい」

「……えっ?」

男の子がわたしを放した。視線をシャーンからわたしに向け、じっとわたしの顔を見る。なんだかすごく怖い顔。どうして?


「今、なんて言った?」

「わたし、ジゼェーラ。父はビルセゼルト。魔導士学校の校長。知ってる?」


 男の子は魔導士学校の学生なのだから、きっと校長の事を知っているはず。


 男の子はわたしをじっと見ている。ううん、(にら)んでいる。怖い顔をしている。わたし、何か悪いことした? 怒っているよね?


「僕の名はグリンバゼルト、グリン。シャーンの兄で、父は……」

男の子の名前はグリンバゼルトと言うんだ。そして通り名はグリンでシャーンのお兄さん。


 そう教えてくれながら、グリンはどんどん怒っていくみたい。そして父親の名を言おうとして、止まってしまった。言いたくないのかな?


「父の名は……」

そう言ってグリンはわたしから目を逸らした。

「ビルセゼルト――」

「ビルセゼルト? わたしと同じ? どうして?」

「こっちが聞きたい!」


 大声で怒鳴りながらグリンがわたしを見た。琥珀色の瞳が赤い光を帯びている。怒っている、グリンは間違いなく怒っている。


 緑の沼が水面を波立たせ始めた。木立がざわざわと大きく揺れる。グリンが力を身体から(ほとばし)らせている――稲妻が落ち、さらに大きく水面が乱れる。


「グリン、やめて、ジゼルは何も知らないの」

「連れて行け、二度と来るなと伝えろ」

再び稲妻が光り、近くの木が裂ける。


「ジゼル、来て」

シャーンがわたしの手を引いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

泣きながらシャーンはわたしの手を引いて走る。わたしはシャーンに手を引かれたまま、一緒に走った。


 何が起きた? なぜグリンは怒った? でも判る。グリンは、わたしのことが嫌いになった。


 シャーンと一緒に走りながら、わたしも泣いた。


 グリンがわたしを抱き締めて『好きだ』と言ってくれることはもうない。きっと、もう二度とない。


 わたしの住処まで走り抜けた。沼の方向で稲妻が幾つも落ちているのが判る。


「ジゼル、わたしはあなたのお姉さんなの」

泣きながらシャーンが言った。


「わたしとグリンの母親は、あなたのお母様とは違う魔女なの。でも父親は同じ。ビルセゼルトなの」

「父親が同じ。兄妹。グリンはわたしの兄で、シャーンはわたしの姉。わたしは二人の……妹か弟」

「そうよ、その通りよ」

「それは、悲しい事? 怒る事? グリンはものすごく怒っている」

「ジゼル……」

シャーンがまたわたしを抱き締めた。


「そうじゃないの。グリンはあなたが妹だと気が付くのが遅かったの。気が付く前にあなたを女性と意識してしまったの」

あぁ、そうだ、グリンはわたしと結婚したいと言っていた。


「わたしはまだ女になるとは決めていない」

「お願いジゼル、その話、今はしないで」

「うん……」


「最初からあなたを妹だとグリンが知っていたら、こんなことにはならなかった」

グリンはね、父を、ビルセゼルトを凄く嫌っているの。だからあなたが妹だと知っていたら近づくことはなかった。


「なぜビルセゼルトを嫌う?」

「それは今度話すから」


 良かった、今度話すという事は、少なくともシャーンにはまた会える。


「でもね、妹だと判っていて知り合っていたならば、グリンがあなたを嫌うことはなかったと思う」

だけど、妹だと知らずに知り合い、グリンはあなたに恋をしてしまった。


「今、グリンは失恋のショックで、自分で自分をどうしていいか判らなくなっているの。自分の感情が、怒りなのか、嘆きなのか、きっと判らず苦しんでいる」

「うん、グリンはもう、わたしの事が嫌いになった」

それは強く感じた。グリンのあの目はわたしを罰したいと言っていた。


「ジゼル……」

シャーンがわたしを抱き締める。今日、何度目だろう。

「わたしはジゼルが好き。何があっても変わらない」

「姉だから?」

わたしの問いに今日初めてシャーンが笑みを見せた。


「それもあるけれど、純粋にジゼルが好きなのよ。例え妹でなくても、わたしはあなたが好きよ」

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