こがねの魚と銀の月

２２ （シャーン）

　図書館に行く目的がなかった。学校の雰囲気を味わいたいけれど、図書館しか思いつかなかったから、そう言っただけだ。

　ジェネイラの情報は大いに興味深い。アランに興味はない。けれど、デリトーネデシルジブ、多分アランの言うところのデリス、彼には興味がある。なぜなら彼は『影』が操れる数少ない魔導士だ――『光』あるいは『影』が扱える魔導士は極端に少ない。

　ギルドが認めるところによると、現存する魔導士で『光』を扱える者はいない。『影』は元南の魔女で前東の魔女ソラテシアの夫で妖幻の魔導士ダガンネジブだけだ。今は学生だけど、正式な魔導士になればデリトーネデシルジブも加えた二人となる……デリトーネデシルジブはダガンネジブの甥だ。

　わたしたち兄妹の叔父サリオネルトも死の直前、『光』と『影』を取得したと言われているが伝説で、真実を示す根拠はない。

　影を操る魔導士がどんな顔をしているのか一度くらいは見ておこうと、わたしは喫茶室パロットに向かった。場所は図書館で校内の見取り図を見て知っている。

　校内の喫茶室は全部で四軒、朝食後から夕食前までが営業時間。喫茶室なのだからメインは喫茶だが、朝食と同じメニューなら、余っていれば出してくれる。クッキーは三枚まで、マドレーヌは二つまでと制限はあるけれど、焼き菓子も頼めば一人一日一種類だけ出してくれる。

　食堂のキッチンに繋がっていて、どの学生がどれくらい利用したか把握される。焼き菓子以外に制限はないが、朝夕、きちんと食事を摂っているのに、喫茶室でも食事をしているのが毎日続く、なんて、明らかな食べ過ぎが続けば癒術魔導士のチェックが入るらしい。ちなみに喫茶室の利用は無料だ。

　喫茶室のドアを開けるとベルがチリンと鳴った。すると、複数の『いらっしゃいませ』と言う声に迎えられる。よく見ると梁(はり)や植木鉢の枝に無数の、色とりどりのインコが留まっている。そのインコたちの声だ。出遅れた一羽が慌てて『いらっしゃ』と言った。

「こっち、こっち」

奥からアランが声をかけてきた。その後ろで身を乗り出して見ているのはグリン、明らかにイヤそうな顔をしている。

「諸君、こちらが我らがヤマブキボタンインコの妹、マメルリハのシャーン……あれ？」

アランの横で、

「シャインルリハギ」

そっとグリンが言った。

「そう、シャインルリハギ、シャーン。白金(しろがね)寮だ」

どうやらアラン、わたしの正式名を知らなかったようだ。

「よく来てくれたね。来てくれると信じていたよ」

こっちにお座りよ、とアランが自分の隣の席を空(あ)けた。

「ここのインコ、って、枝に留まっているインコは人間の言葉を喋るのね」

ごめんなさいと、反対隣に断って、アランの隣に割り込んだ。どうせ他には座れそうもない。

「そう、人間のインコもどんどん喋るよ」

「それにしても、ヤマブキボタンインコ？　マメルリハ？」

「うちのインコちゃんのイメージさ。全員僕が付けた。ちなみに僕は、五《う》月《る》蝿《さ》いくらいお喋りなセキセイインコ」

「そうなんだ……」

そう言う以外、なんと答えればいい？

「で、こっちがコザクラインコ、黄金(こがね)寮のエンドリッチェルラ、エンディー」

黄金寮の談話室で『冗談だから怖がらないで』と耳打ちしてくれた魔女だ。会釈をしたらニッコリ笑って返してくれた。

「その隣はキキョウインコ、白金(しろがね)寮のサウザネーテルラム、サウズ。同じ寮だから知ってた？」

「うん、寮長さん」

サウズは片手を上げてニッコリしてくれた。

「今、来ているメンバーでは最後、スミインコ、赤《あか》金《がね》寮のデリトーネデシルジブ、デリス。おい、デリス、こっち向けよ、顔くらい見せろ」

グリンが身体を奥に引っ込めると、その向こう側に深々と座っていた魔導士が上体を起こしてこちらを見た。

　黒髪に、黒い瞳。でも、なんで？　目が合った途端、全身に呪縛が走る。微動だにできず、視線も外せない。なに、これ？

「で、そのほかの連中は纏(まと)めて小(こ)雀(すずめ)ちゃん、気ままなお喋りを楽しみに来ている」

そんなわたしに気が付かず、アランが紹介を続ける。

　わたしはデリスから視線を外せず、デリスがわたしから目を逸らすこともない。すると、

「おい」

と、わたしとデリスの間にグリンが割り込んだ。

　途端に呪縛がとれ、ほっと息を吐いた。

「デリス、一年生を威嚇するな」

デリスはグリンの顔を見てから、そっぽを向いたようだ。グリンに隠れて、よく見えなかった。

「あれ？　どうした？　揉めるなよ」

アランが二人を執成(とりな)した。

　すると、

「マメルリハ……アラン、おまえ、本当に渾名をつけるの、巧いな」

笑いながら言ったのは、きっとデリスだ。声がするのはデリスのあたりだ。落ち着いた、心に染みる声、そう思った。

「そりゃ、まいどありがとう。デリスに褒められるとやる気が出てくる」

アランは座ると、

「今日は新学年度最初の会合、で、テーマは決めてない」

と言った。

　サウズが『何を頼む？』と訊いてくる。ミルクティーと言うと、マドレーヌとミルクティーと、大声で頼んでくれた。

　小雀ちゃんは全部で五人、今、一つのテーブルを囲むのは、インコちゃんがわたしを含めて六人の総勢十一人、わたしの紹介が終わると、みな、元の話題に戻ったようで、それぞれの相手と話している。わたしの相手はアランだ。

「あの、わたし、今日は来たけど、サロンのメンバーになるつもりはないわ」

「あ、そう？　いいよ、気にしなくて。来たくなったら来ればいい。開催の連絡はするよ」

何を言っても無駄だろう。気にするのも無駄だ。

　サウズが頼んでくれたお茶が宙をユラユラしながらやってくる。サウズがそれを受け取って、わたしの前に置いてくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

　するとサウズの隣のエンディーが『こっち』とサウズを睨み付ける。さっきから二人は本を覗きこんで何やら相談していた。

「あの二人は付き合っているんだよ」

小声でアランが教えてくる。

「エンディーを気に入って連れてきたのは僕なのになぁ」

と笑う。

　へぇ、とわたしは思った。それなのにこの人アランは平気で二人と仲よくできるんだ。なんとなく見直したい気分になった。

　グリンを見ると、あちらを向いて何か話し込んでいる。デリスと難しい話をしているようだ。

　そうそう、とアランが思い出したように言う。

「デリスは無意識のうちに威嚇術を使っちゃうんだ。馬鹿力ってやつだ。コントロールできるよう奮闘中だ」

だからさっきのことは気にしないでやってくれ。

「アランって、実は優しい人なのね」

思った通りのことを言うと、アランが真っ赤になった。小雀ちゃんたちがそんなアランを囃(はや)したてる。

「五月蝿(うるさ)いな、おまえらに囃したてられその気になって、僕は何度、苦汁を味わった事か」

　やっぱり一番の話題は教授や、ここにいない学生の噂話だ。その次にどの講座がいいとか、そんな話だ。途中、アランが『いつもはもっと実のある話をしているんだよ』とこっそり伝えてきた。

　お茶のお替わりをする人が出始める頃、次の講義に行く時刻になった。そろそろ寮に戻って支度しよう。

「じゃぁ、僕はそろそろ行くよ」

と、わたしより先に立ち上がったのはデリスだった。

「あ、わたしも」

ちゃっかり便乗しようと、立ち上がったわたしと奥から出てきたデリスが並ぶ。なに、この人、背が高い。もう少しで天井に届きそう。

「マメルリハ、チビだな」

デリスがニヤリと笑う。

「あら、木が立っているのかと思った。小鳥が間違えて留まりに来そうね」

やられたらやり返す。わたしもニヤリと笑って見せた。

　と、周囲が一斉にお喋りをやめた。グリンがゆっくりと立ち上がっている。攻撃体制を取る寸前だ。デリスは、フンと顔を背けてわたしを押しのけると、喫茶室を出て行った。

「困るよぉ、マメルリハちゃん」

軽い叫び声をあげたのはアランだった。みんなホッと胸を撫で下ろしている。

「デリスに背の事、言っちゃダメ、コンプレックスなのよ」

そう言ったエンディーはうっすら涙目だ。まぁ座れ、と小雀ちゃんに言われてグリンが座った。

　みんなの話を総合すると、デリスは成績優秀で将来を嘱望されている。もちろん魔導力もずば抜けている。が、そのずば抜けた力をうまくコントロールできない。そして、他から頭一つ出てしまう背の高さがコンプレックスで、以前、それを揶揄(から)かった級友と喧嘩になって相手に大怪我を負わせた事があるらしい。グリンは、カッとなったデリスがわたしに攻撃を仕掛けた時に備えて攻撃体勢を取ったようだ。

　話を聞いている間に時は経つ。慌てて喫茶室を出て、白銀寮に向かった。って、あれ？　白金寮の入り口に誰かいる。黒髪で、あの背の高さ。デリスだ。わたしに気が付くと、近くにあったベンチに座り手招きしている。

　どうしよう、さっきの仕返しに来た？　仕返し、ってわたし、何もしてない、背のことを揶揄したのだって、向こうが先だわ。

　少し間を空けて、同じベンチにわたしは座った。すると

「さっきは済まなかった」

デリスが謝ってくる。謝られるようなこと、あったっけ？

「威嚇したつもりはないし、威嚇術は発動されてないはずなんだ」

前を向いたままデリスが言う。こうやってみると、優しい顔立ちをしている。

「そんなに僕って怖いかな？」

真面目な顔で聞いてくる。そしてわたしを見た。

「ううん……」

またもわたしはデリスから目が離せなくなった。これって『威嚇術』ではなく『魅惑の瞳』なんじゃない？

　デリスから視線を外せないまま、

「怖くはないわ。でも、視線が離せない」

と言うと同時に、デリスが

「キミは魅惑の瞳の使い手？」

と、わたしがデリスに訊きたかった事を訊いてくる。

　その時、

「シャーン？」

わたしを呼ぶ声が白金寮の入り口から聞こえてきた。わたしとデリスはその瞬間、たがいに視線を外すことに成功した。

「シャーン、早くしないと『呪文力学』が始まるよ」

アモナだ。

「あなたが魅惑の瞳を使ったのかと思った」

そう言ってから、わたしはアモナのところに駆けて行った。