20 (グリン)
金属の光沢を持つくせに、柔らかく滑らかにサラサラと零れる髪。白く、そのくせ仄かに血の色を乗せて命の温かさを感じさせながら、やはり柔らかで、けれど弾力を感じさせる頬。艶やかでふっくらとして、触れれば溶けてしまいそうな薄紅色の唇。
それらをどう描けばカンバスに映せるだろう?
それにしても、この子はなんて綺麗なんだ。こんなに綺麗な子を僕になんか描ききれるものだろうか? 何枚スケッチしても納得できるものが描けない。所詮、僕の絵の実力はこんなものか。
絵描きで身を立てられたなら……何度そう思った事だろう。でも、そんな事が無理なのは周囲が許さないのもあるけれど、それ以上に自分に実力がないからだ。判っている。僕には絵の才能はない。楽しみとして描くしかない。
スケッチブックを放りだして寝転がると、雲の切れ間に青空が見えている。いつの間にか嵐は行ってしまった。
結界を解こう、小鳥たちが出てきて心配そうにこちらを見ている。彼女の傍に行きたいんだ、きっと。
あぁあ、また鳥団子だ。そのうち腕が伸びて、ほら、伸びた。彼女がこっちを見てニッコリ笑った。胸がキュンとした。やっぱり僕は彼女が好きだ。
彼女は笑みを浮かべたまま、僕に近づいて来る。そして僕に抱き付いてくる。もちろん、僕も抱き返す。
こんなに幸せを感じるのはいつぶりだろう。ずっと苦しんでいたように思える。気持ちがこんなに暖かい。彼女のお陰だ。
僕から離れると、彼女は僕が放り出したスケッチブックを手に取って見ている。そして、自分が描かれているページを見てニッコリした。
「ねぇ……」
思い切って聞いてみよう。大事な事を聞いておこう。僕はこのままキミを好きになっていいのか、それとも諦めなくてはいけないのか?
「キミには、その……決まった相手がいるの?」
いつも通り、不思議そうな顔をする。
「ほら、親が決めた許嫁とか。その……」
既に誰かの囲い者だと言う可能性は消えてはいない。だけど、それを訊くのは憚られる。
いいや、もう、彼女がどうであろうと、僕の気持を言えばいい。
「その……そう言った相手がいないなら、いつか僕と結婚してくれないか?」
言ってしまって自分で驚く。『結婚』は言い過ぎだ、いきなり過ぎだ。好きになっていいかと聞こうと思っていたのに、口から別の言葉が飛び出した。
「いや、その、そうできればいいな、って思って。そう、キミがイヤでなければだし、ずっと先の話だし、僕はまだ職業さえ決めていないし」
しどろもどろの言い訳だ。聞いているのが小鳥たちだけでなきゃ、僕はしばらく自分の部屋から恥ずかしくって出てこられない。顔が熱くなってくる。
「でも、それくらいキミのことが好きだ。一生キミと一緒にいたい」
これだけは譲れない。これだけはしっかり伝えなくちゃいけない。
彼女はぽかんと僕を見ている。そりゃあそうか、いきなりこんなこと言われたんだ、驚くのも無理はない。そして……
初めて彼女が僕に言葉をくれた。
「あの……」
「う、うん?」
「わたしもあなたが好き」
心臓が止まる。たぶん一瞬止まった。だけど、次には早鐘のように動き出した。
「でも職業って? 魔導士じゃないの?」
「いや、魔導士は魔導士なんだけど。魔導士にもいろいろあるんだよ。学者とか、役人とか、街住みとか」
「あなたは絵描きになるのかと思った」
「……」
今日の僕の心臓は、理由を付けては止まりたがる。
「わざわざここに絵を描きに来ているのは絵描きになるお勉強?」
「絵描きになるのは簡単じゃない。僕には才能がないようなんだ。だから絵は楽しみで描いてる。魔導士としての才能はあるようだから、キミに生活の苦労はさせない」
「生活の苦労。食べたり着たり住んだり」
「そう、それ」
ふうん、と彼女が僕を見る。
「そんな事はどうでもいいけど」
「どうでもよくないよ。大切なことだよ」
「大切なのは愛があるかどうか」
そりゃあそうなんだけど……
「さっきも言ったけれど、あなたのことは好き」
「それじゃあ?」
「でも、わたしは男になるか女になるか決めてない」
「え?」
「だから、今、約束はできない。女になると決めたら、その時は考えてもいい」
「え?」
え? え? え? 今、なんて言った?
「男か女か決めてない?」
「うん、じっくり考えてそれから決めればいいと教わった」
「それは誰に?」
「カタツムリのジムズム」
思わず笑いだしそうになって、必死に止めた。いや、待て、この子はカタツムリとも話せる? そうじゃなくって、もしかして妄想? でも、だからって僕は彼女を嫌いになれない。むしろ、真面目な顔でそんな事を言う彼女を可愛いと思っている。
この素直な子は、ちゃんと教えれば理解して納得する。それを僕は知っている。ただ、きっと、今まで傍にそうしてくれる人がいなかったんだ。
「そうか、判った。それじゃあ、キミが女の子になるのを待つよ」
なんだか楽しくなって声を立てて笑うと、彼女がツンと剥れた。へぇ、そんな顔もできるんだね。
「やっぱりわたしはヘン。でもあなたはわたしを嫌いになったりしない。そんな気がする」
剥れ顔で彼女が言う。
「へぇ、それはなんで?」
「……嫌いになる?」
「ならないよ」
嬉しそうにニッコリ笑う。
「でしょ? そんな気がした。それにわたしを罰したりしない」
「罰? 罰って?」
「世話係の魔女たちが、何かあるとわたしを罰した。服を汚したりしたとき」
「えぇ? 服なんか汚れるときは汚れるものだ。そんな事で罰するって、どうかしている」
「あなたはわたしを怒ったり罰したりしない?」
「もちろんだよ。約束する」
すると彼女がニッコリ笑った。
「やっぱりあなたは、えっと……父と同じ」
「お父さん? キミの?」
「そう、こないだ初めて会った。あの人もきっとわたしを嫌うことがない。それに罰しない」
初めて会った? こないだ? ひょっとして、ずっと森で迷子になっていた? 森の守護で今まで死なずにいられた?
まさかね、と思うけど。けれど、ありえなくもないと思わせる雰囲気が彼女にはある。ミステリアスと言うのだろうか?
「帰る」
「え?」
いきなり彼女が立ち上がる。
「帰る時刻」
「どこに帰るの?」
「森の家」
止める間もなく木立に走り込む。そして振り返り、いつものように手を振った。
「待って!」
慌てて後を追おうとする僕に小鳥たちが群がって邪魔をする。彼女がどこに住んでいるか、それを僕には知られたくないようだ。
それが森の意思なのだろう。




