１５ （シャーン）
魔導士学校五日目。
講義が始まるのは明日からだ。今日は特に予定がない。図書館で調べ物をしてから森に行こう。
朝食が終わり、いったん自室に帰ろうと寮の談話室を通る。すると一年上の魔女に引き留められた。
「お願い、これをグリンバゼルトに渡して」
一通の手紙を差し出してくる。
「……どうやって？ グリンは黄金寮だわ」
「黄金寮の談話室に行って、そこにいる誰かに呼び出して貰えばいいのよ。ひょっとしたら談話室に本人がいるかもしれないし」
「うん。でもグリンはジェネイラのこと、知っているの？」
知らなければ手紙を貰ったところで返答に困る。いいや、そもそもこの手紙、貰うだけでも困るような代物なんじゃ？
「判らない。去年、『上級魔導理論』で一年同じだったけど……」
「グリンの性格じゃ、覚えていないかもね。だったら自分で持って行ったほうがいいと思うけど？ 顔が判れば思い出すかも」
そんなぁ、とジェネイラは泣き出しそうだ。
「黄金寮に行って『グリンを呼んで』なんて言ったら、わたし、あの寮の魔女たちに囲まれちゃうわ。それが怖くて誰もグリンに告白できないのよ」
ふぅん……ってことは、この手紙、ラブレターだ。だったらやっぱり引き受けられない。
「へぇ、グリンって女の子に人気なの？」
「あなたは妹だから気付いていないかもしれないけど、グリンはとっても素敵よ。この魔導士学校で今、女子の一番人気はグリンバゼルトよ」
あの輝く黄金色の髪、煌めく琥珀色の瞳、それだけでも素敵なのに、父親譲りのあの美形……ここまで言って、ハッ、とジェネイラがわたしの顔色を伺う。
「ごめんなさい、ついお父様のことを口にして」
「気にしてないわ。父はわたしの誇りよ」
わたしはさらりと言いのける。わたしが妾腹だという事をジェネイラは思い出したのだろう。
「だったら、ジェネイラ。グリンを談話室の外に呼ぶから、一緒に行って自分で渡すってのはどう？ わたしが持っていくってのは、悪いけど断るわ。グリンが困るだけだし、ジェネイラの得にならない」
迷ったようだがジェネイラも、勇気を振り絞る気になった。直接会えれば、手紙だけより成功率が上がると思ったのかもしれない。
黄金寮の談話室は、わたしを『なるほど』と唸らせた。作りは全く一緒なのに、わたしがいる白金寮とは雰囲気が大きく違う。
白金寮はまさしく学究の徒、と言った雰囲気で整然と片付けられ、ソファーで寛ぎながら本を読んだり、雑談の内容も学術的なものが多い。談話室の中に図書館から切り取った本棚もある。
その本棚は『学生時代のビルセゼルトが学校に内緒でここに設置した。いまだ学校は感知していない。ビルセゼルトの本棚と言われている』と寮長が入寮したときに自慢していたけれど、『そのビルセゼルトが今は校長なのだから、学校も承知しているはずだ』と新寮生に暴露された。『ばれたか』と寮長が舌を出し、みなの笑いを誘ったが、寮長の狙いは見事、達成されたのだろう。
それに比べて黄金寮は暖かな暖炉を囲み、和気あいあいと談笑している。ソファーもあるが、敷かれたラグに腰を下ろしている人が多い。クッションを抱いて、笑い転げていたりする。
その様子は伸び伸びと言うか、ゆったりと言うか、緊張感が全くない。リラックスするために談話室はある、そんな感じだ。
それぞれの寮が輩出したビルセゼルト、サリオネルトの面影が見えそうだ。謹厳実直なビルセゼルト、優雅で微笑を絶やさず、おっとりしたサリオネルト……
わたしは赤金寮の談話室を見てみたいと思った。赤金寮は北ギルドの長ホヴァセンシルが学生時代を過ごした場所だ。温厚篤実と言われる彼を育んだのはどんなところなのだろう。
グリンバゼルトに会いたい、と言うと、すぐそばにいた魔女が
「あなたは？」
と怖い顔で聞いてくる。ジェネイラが怖がるはずだ。
「わたしは白銀寮のシャインルリハギ。グリンの妹よ」
平然と笑んで見せる。すると談話室が一斉にわたしを見た。
うん、談話室が見た、そんな感じだった。実際はそこにいた人たちなんだけど、心証はまさしく〝談話室が見た〟だ。
待ってて、すぐ呼んでくる、自室が並ぶエリアへの入り口にいた誰かが慌てて駆けていく。まぁまぁ、ここに座りなよ、と別の誰かが声を掛けてくる。誰か、お茶を出してあげて、ガレット持ってたの誰だったっけ？ と大騒ぎだ。
わたしはと言えば、歓待されていることは判るけれど、それがなぜなのか判らず戸惑ってしまう。
「シャーン、どうした？」
お茶が出てくる前にグリンが顔を見せた。誰かが、『シャーンっていうんだ』と呟いている。
「何かあった？ 家が恋しくなったか？」
グリンは心配そうにわたしを覗きこむ。あいにくわたしはそこまで子どもじゃない。でも、兄の優しさは好きだ。
「ちょっと、いいかな？」
わたしは兄を廊下に誘った。
廊下で待っていたジェネイラが、グリンを見て顔を真っ赤に染める。
「この子は白銀寮のジェネイレシカ、ジェネイラよ」
手紙を受け取って欲しいのですって。おい、っとグリンが慌てる。それを無視してわたしは談話室に逃げた。
再び談話室に顔を出したわたしは黄金寮の寮生たちに歓待を受け、お茶とガレットをご馳走になりながらグリンが戻ってくるのを待った。
黄金寮の人たちは、談話室に入った時に受けた印象通り和気あいあいと仲良く、冗談を言い合って笑い転げている。女の子たちはわたしからグリンの話を聞きたがり、男の子たちは少なからずわたしに興味を持ったようだ。
「ねぇ、付き合ってる相手はいるの？」
誰かがストレートに聞いてくる。
「おーーい、グリンに怒られるぞ」
と誰かが言えば、怖い怖いと、笑いに部屋が包まれる。
隣に座っていた魔女が『冗談だからね』とそっとわたしに耳打ちする。『怖がらないでね』
わたしはその魔女に笑ってから、グリンに怒られると言った魔導士に向かって
「わたしの事で、グリンに文句言わせないわ」
と言った。すると頼もしいね、と、またも笑いの渦が起きる。隣の魔女も安心したように笑っている。
ひょっとしたらグリンには、もう決まった相手がいるのかもしれない、ふとそう思い、そうだとしたらジェネイラには気の毒だけど仕方ない、と思った。
グリンが談話室に戻ってくると
「こんなかわいい妹、なんでもっと早く紹介しなかった？」
と誰かが苦情を言う。
「まだまだ子どもだ、手出しするな」
とグリンがそれに軽口を返す。
掴まる前に退散しようと、
「ご馳走さまでした」
と立ち上がる。『おい、待てよ』とグリンが止めたけど、聞こえないふりをして談話室を後にする。またおいで、と誰かの声が聞こえた。
談話室の外ではジェネイラがシクシクと泣いていた。わたしは彼女の肩を抱き、
「白銀寮に戻ろう。談話室でミルクティーを飲もうよ。ジェネイラの部屋でも、わたしの部屋でもいい」
と言った。
