こがねの魚と銀の月

１３ （ジゼル）

　こないだの魔導士見習が来たと小鳥たちが騒ぐ。魔導士見習？　誰だったっけ？

　あぁ、そうそうシャーンのことだ。シャーンはきっとビルセゼルトが寄越した魔女だ。話し相手を寄越すとビルセゼルトは言っていた。

　話し相手はあなたがいい、わたしはそうビルセゼルトに言いたかったけれど、きっと校長は忙しいと思って我慢した。怒らせたくなかった。

　怒らせたくないと言えばシャーンのことも怒らせたくない。もう帰ろうかな。

　もちろん、今、ここで笑い転げている、誰だったっけ？　そう、名前を聞いていない男の人。男の子？　その中間くらいのこの人のことも怒らせたくない。

　この三人を怒らせたくないのは、罰が怖いからじゃない。でもなぜだろう、判らない。

「小鳥と話しているのかい？」

男の子（で、まぁいいや）がそう訊くから首を振った。もう話しはしていない。

「ふぅん。でも、時どき話しているよね」

なぜそんな事を聞くのだろう？　この男の子は小鳥とは話せないのかもしれない。

「そんなに見詰められると恥ずかしいよ」

男の子が嬉しそうに言う。恥ずかしけどイヤなわけではなさそう。なんだか不思議だ。それに男の子の頬が赤く染まったのも不思議だ。

　男の子が視線をわたしから沼に移す。

「この沼を描こうと思っていたんだけど」

そう言って、またわたしを見た。そしてわたしの手を取った。

「キミさえイヤじゃなかったら、キミを描きたい。描いてもいいかな？」

男の子から笑顔が消えて、不安の色が見える。わたしを怖がっているような目だ。

「だめかな？」

わたしは首を横に振った。描きたいものを描けばいい、と思った。すると、更に頬を染め、男の子は嬉しそうな笑顔に戻った。

　笑顔には笑顔を向けるものかと思い、男の子に笑んだ。

「キミは……可愛い顔で笑うんだね」

今までとは別の笑顔で男の子はわたしに言った。ビルセゼルトと同じ笑顔だ。そう言えば、この男の子はビルセゼルトになんとなく似ている。

　魔女たちは可愛いものや綺麗なものが好きだ。この男の子もそうなのだろうか？

　だとしたら、この男の子はわたしが好きなのかな？　なんとなく嬉しい。

　魔導士見習が待っているよ、ベンチに座って待っているよ――小鳥たちがまた騒ぐ。

「小鳥はなんて？」

男の子が訊く。思った通り、小鳥の言葉が判らない。

　わたしは男の子にもう一度、笑顔を見せて、その手を放した。

「あ……」

寂しそうな顔を置き去りにして、木立の中で手を振った。いつかわたしを抱き締めてくれた魔女に教わった、サヨナラの挨拶だ。

「帰ってしまうの？」

駆けだしたわたしを男の子の声が追いかけてくる。

「明日も僕はここにいるよ」

わたしにも来て欲しいと言っているんだと思った。明日もまた来ようと思った。

　庭のベンチに誰かが座っている。誰だったっけ？　そうだ、シャーンだ。シャーンは地面を見詰めている。何が面白いの？　地面に腐虫でも見つけた？　だったら腐虫が逃げないように、そっと近づいたほうがいい。そしてニコニコと笑顔でいよう。あの男の子が、わたしの笑顔は可愛いと言った。魔女は可愛いものが好きなはずだ。

　そんなことを考えながらそっと近づいたら、驚いたのは腐虫ではなくシャーンだった。こちらに視線を向け、わたしを見た途端、目が見開かれる。けれど、すぐに笑顔になった。シャーンの笑顔もきっと可愛い。

「ジゼル、いつの間に？」

「今」

「今、なのね。ジゼルにぜんぜん気が付かなかったわ」

そう言うとシャーンは立ち上がり

「会いたかったわ、ジゼル」

と、わたしを抱き締めた。

　昨日会ったばかりなのに？　不思議だったけど、嬉しくもあった。なぜだろう？

　するとシャーンが身体を離して不思議そうな顔をする。

「どうして抱き返してくれないの？」

「抱き返す？」

「ジゼルはわたしが嫌い？」

「抱き返さないのは嫌いということ？」

「わたしはジゼルが好き。だから会えて嬉しいの。だから抱き締めたの」

　うん、会えて嬉しいのはわたしも同じ。会いたいとは思っていなかったけれど。

　再びシャーンがわたしを抱き締める。

「大好きよ、ジゼル」

これで抱き返さなければ、シャーンが悲しむ。きっと悲しむ。それはイヤだった。それに会えて嬉しい。

「シャーン、あなたは温かいね。それにいい匂い」

抱き返すとシャーンからは微かに花の香りがした。桃の花の香りかな？　ちょっと違うけれど、そんな感じ。身体を離すとシャーンはニッコリ笑ってわたしの頭を撫でた。

「お散歩の途中でダンスを楽しんでるって小鳥たちが言っていたわ。どんなダンスなの？」

「小鳥たちに教わったダンス」

「へぇ、見てみたいなぁ」

　見せてあげてもいいけど、今日はもう疲れた。断ったらシャーンは怒る？　どうしよう？

「お茶を淹れよう」

お茶を淹れたらシャーンは怒らずにいてくれる？

「あ、ごめんね、お散歩から帰ったばかりで、咽喉も乾いているわよね」

なぜ、シャーンは謝るの？

「わたしにも、ご馳走してくれる？　お部屋に入ってもいい？」

良かった、お茶で許してくれた。でも、ドアを開けてもシャーンは部屋に入らない。どうして入らないのだろう？

　ドアを開け放したまま、シャーンを見ていると、

「入ってもいいの？」

と訊いてくる。頷くと、にっこり笑ってドアをくぐった。今度、お客様を部屋に入れる時はどうしたらいいのか、本棚に訊いてみよう。

　そう言えば今朝、お世話係の魔女が戸棚にクッキーを入れておくと言っていた。見ると皿に大ぶりのクッキーが三枚乗せてある。

　テーブルの引出からカップを二客とソーサーを一枚出して、カップにはお茶を、ソーサーにはクッキーを一枚乗せ、二枚のクッキーが乗った皿をシャーンの前に置く。

「お砂糖は？」

「いつも二つよ」

シャーンは嬉しそうだ。

「このクッキーは？」

「食べて」

「わたしには二枚ある。あなたはどうして一枚なの？」

「三枚あったから。シャーンに二枚、わたしに一枚。これで終わり」

「これはジゼルのクッキーでしょ？　ジゼルが二枚食べればいいのに」

「食べて。嫌い？」

「クッキーが嫌いかってこと？　大好きよ」

「食べて」

するとシャーンはクッキーを一枚手に取り、二つに割った。そしてその一つをわたしのクッキーの横に置いた。

「これで半分ずつね。ありがとう、ジゼル。いただくわ」

　割った。クッキーを割った。なるほど、そんな手があるんだ。

　あ、そうか。わたしが小鳥たちにパンを分けるのと一緒なんだ。わたしは小鳥たちが食べやすいように千切るけど、いくつも千切って、なるべくみんなに行き渡るようにする。それと同じだ。

　シャーンはスプーンで掻き混ぜながら、カップの中を覗きこんでいる。わたしと同じ？　砂糖のダンス、お世話係の魔女たちは見えないと言っていたけれど、シャーンには見える？

「ダンス、好き？　シャーンにも砂糖のダンス、見えている？」

「もちろん」

ニッコリ笑ってシャーンが答える。

「ジゼルも見えるのでしょう？　一緒ね」

「うん」

　なんでこんなに嬉しいんだろう。誰かと一緒だという事が、こんなに嬉しいことだとは。

　クッキーをわたしとシャーンはクスクス笑いながら食べた。なんで笑うのかは判らなかった。だけどわたしは笑っていた。シャーンも笑っていた。

　人は人と接触することで幸せになれる、とビルセゼルトは言っていたけれど、この事なのかもしれない。不幸な人はきっと笑わない。笑うってことは幸せなんだ。

「ジゼルが好きなものってなぁに？」

シャーンが急に不思議な事を訊いてきた。わたしが好きなものを知って、シャーンはどうしたいと言うのだろう？　だけど隠すことでもない。

「ミルクティー」

「へぇ、わたしもミルクティー、好きよ。ホットミルクにハチミツを溶かしたのも好き」

「夜明け前の静けさ」

「そんな時間に起きているの？」

黙ってわたしは頷いた。

「カスタードクリームとイチゴジャムのパン」

「それ、美味しそうね。あ……」

急にシャーンが慌てて立ち上がる。

「帰らなきゃ、夕食の時間だわ」

「魔導士学校の夕食はカラスの刻。もうすぐ」

「ジゼルは？　ジゼルの夕食は？」

「その半刻あと。魔女たちの食事が終わってから」

それじゃあ、また来るね、とシャーンは帰って行った。

「……」

何しに来たんだろう？　ビルセゼルトが寄越した話し相手でいいのかな？　また来ると言っていた。

　今日は楽しかった。あの男の子とシャーン、二人にまた会いたい。わたしはあの二人のことが、きっと好きだ。でも……

　ビルセゼルトが一番好き。