第15話 炎と吐息の間で
夜明け前の空はまだ青黒く、地平の向こうで雷光が遠くの山肌を照らしていた。
雨上がりの湿った空気の中、アレンとリュミナは無言のまま森を歩いていた。
戦いの後の静寂。風の音さえどこか遠く感じた。
「……なんか疲れたね。」
リュミナがぽつりとつぶやいた。
アレンは頷いたがその声は低く、どこか沈んでいた。
「……あぁ。長かった。ようやく街に戻れる。」
リュミナはちらりと彼の横顔を見た。
勝利の安堵よりもどこか疲弊したような陰が見えた。
額に浮かんだ汗。歩くたびにわずかに乱れる呼吸。
それでも、アレンは笑おうとした。
「すまん、変な顔してたか?」
(疲れたって言ったのは私だけどさ。
アレンの方が何倍も疲れてそう。
まぁ、メルナのと激戦があったけど。)
「ううん……なんか、いつもよりアレンの方も疲れてそうだなと」
「そりゃ、少しはな。久しぶりに本気で命を賭けた。」
言葉にしてから、アレンは右手を軽く握った。
その掌がかすかに震えていた。
――カチリ。
腰にぶら下げたブレードや短刀が、揺れて当たる音が、妙に響いた。
リュミナは歩きながら、ふとアレンの左腕を見た。
戦闘中にメルナの爪がかすったのを思い出す。
だが、その時は血も止まっていたし、大した傷には見えなかった。
それでも――。
(なんだろ……動きが少し硬い気がする。)
アレンは森の木々の間を進みながら、視線を前に固定していた。
「街まであと半日ほどか。途中で休む場所を探そう。」
「うん。でも無理はしないでね。」
「大丈夫だ。俺は――」
言いかけて、足元の枝を踏み外した。
アレンの体がぐらりと傾いた。
リュミナは慌てて支える。
「アレン!? どうしたの!?」
「……いや、何でもない。少し足が痺れただけだ。」
そう言って笑うが、その笑みはほんの少し遅れたように見えた。
汗の粒が頬を伝う。体温が異様に高い気がした。
リュミナの心に、不安の影が落ちる。
(変だ。アレンがこんなふうに息を乱すなんて……。)
それでもアレンは、いつものように前を歩こうとした。
まるで自分の不調を悟られまいとするように。
肩越しに振り返り、無理やり明るい声を出す。
「街に戻ったら、久しぶりにまともな食事ができるな。
ルナリスの星霜サンドが食べたくなってきたな」
「……うん。あぁ、思い出させるせいで今、
無性にルナリスのサンドが食べたくなった!」
アレンは微笑んで、再び歩き出した。
けれど、その背中を見つめるリュミナの胸は締めつけられていた。
何かが確実におかしい。
・ ・ ・
森を抜け、なだらかな岩道を進むころには、太陽がすでに傾きかけていた。
赤い光が木々の隙間から差し込み、湿った地面を照らした。
アレンの呼吸は荒く、歩幅がだんだん小さくなっていった。
「アレン、本当に大丈夫?」
リュミナが心配そうに見上げる。
アレンは軽く首を振り、いつものように笑みを作った。
「問題ない。あと少しで、街の外縁に――」
言いかけた瞬間、視界が歪んだ。
足元の大地が揺れるような錯覚。
次の瞬間、アレンは片膝を地に突いていた。
「アレンっ!?」
リュミナが駆け寄る。
アレンの顔色は蒼白で、額にはびっしりと汗。
息が荒く、鎧の下の身体が震えている。
「……体が……重い。おかしいな……視界がにじむ……」
その言葉を遮るように、周囲の茂みがざわめいた。
低い唸り声。影が四方からにじり出てくた。
狼型の魔獣、シェードウルフが、牙を剥いて取り囲んでいた。
「まずい、こんな時に!」
アレンは剣を抜こうとするが腕が動かず、
まるで筋肉が麻痺したように力が入らなかった。
「アレン、下がって!」
リュミナが腰のレーザーガンを引き抜く。
光が走り、銃口が赤く輝く。
魔獣の群れが一斉に飛びかかる。
――ガシュン!
青白い閃光が走り、一体のシェードウルフの頭部が蒸発した。
だが、すぐに二体目、三体目が迫る。
「くっ……多い!」
リュミナは連射しながら、アレンを背に庇った。
光弾が次々と闇を裂くたびに、反動で腕が震えた。
背後で、アレンの苦しげな息遣い。
それが耳に刺さるように響く。
彼が立てない――それだけで、戦場がこんなにも不安になるなんて。
「……離れちゃダメだよ。私が守るから!」
最後の一体を撃ち抜くと、銃身が熱を帯びていた。
リュミナは荒い息を整え、あたりを見回した。
魔獣の影は消え、再び静寂が訪れた。
「アレン、今のうちに……どこか隠れよう。
すぐ近くに洞窟があったはず。」
彼女は彼の腕を取って、必死に引きずるように歩いた。
重い。けれど、アレンは抵抗しなかった。
ただ苦しげに唇を噛みながら、微かに頷いた。
森の奥、岩壁の裂け目に見つけた洞窟へと二人は滑り込んだ。
中は狭く、ひんやりとしていて、湿った土と苔の匂いが充満していた。
外の光はほとんど届かず、ランタンの明かりがわずかに揺れる。
リュミナはアレンを壁際に座らせ、息を荒げたまま確認した。
「ねぇ、本当に何があったの? 怪我? まさか……」
アレンは苦笑しようとしたが、その表情はゆがんだ。
左腕の袖口から黒ずんだ血がにじんでいた。
そこには、メルナの鉄爪痕が浅く刻まれている。
リュミナの顔から血の気が引いた。
「……まさか、毒……?」
アレンは答えなかった。
ただ、そのまま目を閉じ、深く息を吐いた。
額の汗が土に落ち、微かに蒸気を上げた。
リュミナの心拍が一気に跳ね上がった。
彼女は腰のポーチからメディカルツールを掴み取った。
「バカッ!なんで早く言わないのよ!!
待ってて、アレン……今、助けるから!」
洞窟の奥に、火打石の音が響いた。
小さな焚き火が灯る中、二人の影が揺れた。
夜が、深く、冷たく落ちていった。
洞窟の奥で、焚き火がぱちぱちと小さく弾けた。
赤い火がアレンの頬を照らした。
その顔は苦痛にゆがみ、額の汗が光っていた。
リュミナは濡らした布を絞りながら、手を震わせていた。
「熱がどんどん上がってる……」
手のひらを当てると、まるで火を抱いているような熱さ。
メルナの爪――あの時の傷が、黒く変色していた。
「ダメ……絶対にここで死んじゃダメだから」
リュミナはポーチから取り出した、
メディカルツールの小型のインジェクターを組み立てた。
青白く光る液体をセットして、震える指で注射口を合わせた。
「……ちょっと痛いかもしれない。でも……我慢して」
彼の腕に針を差し込むと、わずかにアレンの指が動いた。
声にならない呻き。
それでもリュミナは止まらなかった。
ツールのモニターを確認し、毒素反応が下がるのを祈るように見つめた。
けれど数値は緩やかにしか減っていかない。
息をするたびにアレンの胸が荒く上下した。
呼吸が浅く、喉の奥から低い唸りが漏れた。
「お願い……頑張って……」
リュミナは彼の手を握りしめた。
大きくて、傷だらけで、あたたかい手。
その感触に、自分の胸の奥が痛くなった。
――いつも誰かを守ろうとして、
――自分のことは後回しにして。
「ほんと、馬鹿だよ……」
涙が頬を伝った。
震える指先で、彼の額の汗を拭った。
小さな布の端が、ぽたりと濡れる。
リュミナは焚き火のそばに体を寄せて、
アレンの体を少しでも温めるように上着を掛けた。
彼の呼吸のリズムに合わせて、そっと背中をさすった。
「大丈夫……私がここにいる。
今度は私が助ける番なんだから……」
小さな声でつぶやいた。
それは呪文のようでもあり、祈りのようでもあった。
夜が深まるにつれて、外の風が強くなっていった。
洞窟の入り口に雨が打ちつけ、冷たい湿気が忍び込んだ。
リュミナは焚き火の火を守るように、アレンに寄り添った。
時間が止まったように長く感じた。
ツールのライトがかすかに点滅を繰り返し、青ランプに変わった。
毒素反応が、ようやく中和された。
「……効いた……。よかった……。ほんとによかった……」
小さく息を吐いたリュミナの頬に、火の粉が散った。
彼女は痛みを気にも留めず、微笑んだ。
「もう大丈夫だよ。ちゃんと街に帰ろうね。
薬も、お医者さんもいるし……そしたらきっと、元気になるから」
その声はかすれて、泣き笑いのように震えていた。
火の明かりの中、アレンの眉がかすかに動いた。
その手が、わずかに握り返した。
「……リュミナ……」
か細い声。
その一言だけで、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。
「うん、ここにいるよ。ずっとそばにいるから……」
夜の風が洞窟を抜け、焚き火の炎がやさしく揺れた。
致命的な毒素反応が消えたが、アレンの高熱は収まらず
呻くように苦しんでいた。
「さ……さむい……」
「え?」
リュミナは焚火の火を強めて、自分の分の野営布もアレンに被せた。
「大丈夫、アレン?」
彼の体はまだ残った毒素と戦っているようで、高熱が収まらずに全身で震えている。
彼らが持つ野営布は薄いボロ布であるため、2枚重ねたところでそれほど暖かさを感じない。
(どうしたらいい?このままだとアレンが体力を奪われる)
苦しそうな吐息のアレンを見てリュミナはついに決心した。
ローブを脱いて下着姿になると、それを彼の首元に巻き、アレンをしっかりと抱き締めて2枚重ねの野営布で覆った。
(こういう時は人肌が一番暖かいはず)
二人で抱き合って寄り添い合う内に、リュミナも自然と眠りに落ちた。
定番の裸抱き合い人肌温め合いシーンです。ド定番ながらドキドキしますよね!
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