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電子決済時蕎麦

作者: 稀Jr.

時そばという落語がある。オチは、いまなんどきだい?と聞くものだ。確か、こっちを向いたときにのっぺらぼうだったので、怖くなって逃げてしまってタダになったところに、のっぺらぼうが追ってくる話だと思ったけど、定かではない。

さて、今さら「なんときだい?」と聞くまでもない。腕時計を見ればいいし、スマホの時計を見ることもできる。そもそも、ときではなくてなわけだから、「なん時だい?」と聞かれたときに、ときなのかなのか分からなくなるではないか。いや、実はときなので、漢字だと間違えないわけだが。それは兎も角として、1文2文と数えるのもわずらわしいし、いまどき文というわけにもいくまい。そこは電子決済でチャージ方式である。QR コードだったり、Suica だったり、PayPay だったりする。俺は現金は持たない主義だ、といって「なんどきだい」と聞く前に、スマホでペイペイしてもいいだろう。しかし、なんだな。ペイペイで払ったら、文を誤魔化せるわけでもなく、普通に支払いが完了してしまうじゃないか。可能なのはふみぐらいなものだ。まあ、それはいいけど、確か現代風の時蕎麦の話だ。


電子決済だとごまかせない。じゃあ、どうやって誤魔化すかというと、おっと、むこうに蕎麦屋がやっている。客がひとりいるな。

「おい、親父、蕎麦をいっぱいくれないか」

「はいよ、ぼくは親父じゃないからね。まあ、どうでもいいけど、何蕎麦がいいですか?」

「なんだ、ぼくッ娘か。その年でぼくッ娘ってのも、いろいろアレだけど、だからといって、追及するのもアレなんだけど、まあ、いいや、かけ蕎麦を一杯くれ」

「はいよ、かけ蕎麦一丁」

「お、親父、じゃなかった、ぼくッ娘は早いねぇ。いや、セクハラとかじゃなくて、あれだよ、早いのはいいことだ」

「まあね、あらかじめ茹でてある蕎麦を湯通しするだけだからね」

「そうかい、じゃあ、いいや、あれだよ、つゆをたっぷりかけてくれよ」

「はいよ、つゆたっぷりで、つゆだくだね」

「いや、それだと牛丼だよ。いや、江戸の世には牛丼はなかったけど、いまは令和だからな。牛丼はあるけど、つゆだくの蕎麦ってのはどんなんだい?」

「ほら、つゆたっぷり。江戸っ子はつゆにつけたいのに付けられないジレンマを抱えていたそうだが、これだとどんぶり一杯だからいくら付けても大丈夫だよ」

「そうかい、ああ、なるほど、ほう」


ずずずず、ずるるるる。


「今日びは、あれでだね、蕎麦をすすっていると、音が下品だからやめておけ、って苦情が来るんだな。落語家も大変だ。すすっているのに、音がしないんだから、単に無音なだけだよ、こんな感じだな。


<すする音が無音>


「これは、まあ、うまくないな。うまそうに見えないし、無音だから何をしているかわからないな。特に、文字だとわからないし、落語だと、舞台で何をやっているかわからないぞ」

「そうかい、ところで、つゆがたっぷり入っているんだから、もうちょっと工夫したほうがよくないかい?」とぼくッ娘の親父が言った。

「あ、あ、そうだな。・・・・あ、こぼしちまったよ。あまり揺らすものだから、つゆがこぼれちゃったじゃないか。裾が濡れちまってびっしょりだ。これだと、なんか、漏れてしまった感じがするから問題だな。もうちょっとこぼさないと、つゆってことが解らなくて困るな」


裾がびちゃびちゃになった落語家は、裾をパタパタさせてつゆを飛ばしている。つゆを吸った裾はぺったりと足に張り付いて気持ち悪いところだから、これは演技だから仕方がない。実際にはつゆなんてないし、つゆだくの蕎麦なんてないのだから。でも、観客には、つゆになったお椀が見えるのだ。それにつゆの匂いもやってくる。ああ、いい匂いだ。まるで牛丼のつゆのようだけど、それはまさしくカツオ出汁風味のつゆだった。つまりは合成つゆだ。

MAX 映画館では、つゆの匂いが漂ってくる。実際に、観客席にはつゆの匂いが充満しているのだ。さらに、つゆの細かい粒子が飛んでくる工夫がなされている。服を汚さない程度に微量なつゆが観客を包むのである。あたかも、落語家が裾をぱたぱたとしたときに飛んでくるつゆを浴びているような気分だ。いや、気分じゃなくて、実際飛んできているので、ちょっと汚い。気分の問題だが。


「おい、親父、じゃなかった、ぼくッ娘、つゆがこぼれちまったよ。ああ、もう、しょうがないな。まあ、これくらいのつゆで丁度いいな。江戸っ子は気が短いから、蕎麦を食うのも早いんだよ。だから、つゆもそんなにたくさんじゃなくていい」


ずずず、一口で客は蕎麦を喰い終わった。


「おい、親父、じゃなかった、ぼくッ娘、勘定だ、お勘定だ。で、いくらだい?」

「はい、千円だよ。現金は使えないから、スマホで決済をしておくれ。あ、顔認証でもいいよ」


俺は客の後ろから覗き込んだ。そうか、ここでやっと時蕎麦だな。どうやって、金額を誤魔化すのだろう。時蕎麦のようにもんを使う訳にもいかないし、現金を使う訳でもない。

どれどれ、うしろから覗き込んでみよう。俺もその手法を使いたい。


「じゃあ、顔認証でお願いするよ」

「はいよ、顔認証ね。じゃあ、こっちで認証してよ」

「おっと、千円を落としてしまった。千円を拾わなくちゃ、な、っと」

客は、千円を拾うためにしゃがんだ。

並んでいた俺の顔が、カメラに映った。


ピッ、支払いが完了しました。


「え、え、ちょっと、俺の顔で認証しちゃったんだけど」

「「毎度、ありがとうございます」」


お後がよろしいようで。


【完】


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