腰痛おじさんと精霊核の紋章
精霊少女の放った光が広場を包み込んでから、しばらく時間が経った。
倒れていた兵士や村人たちは、順々に目を覚まし、互いに剣や鍬を手放している。争いは跡形もなく消え、妙に穏やかな空気が流れていた。
「……やれやれ、やっと静かになったか」
腰をさすりながら息をつくと、村人たちが一斉に俺を囲んだ。
「腰痛勇者様こそ、平和の象徴だ!」
「腰の音ひとつで戦いを止められるなんて!」
「腰痛こそ世界を救う!」
「救わねぇよ! 腰痛は病気だから! 病院で治すもんだから!」
必死に否定するが、老婆が杖を突きながら神妙に言い放つ。
「腰痛は呪いであり、同時に祝福……腰を痛めし者こそ、世界の均衡を司るのじゃ」
「適当に神話をでっち上げるなぁぁぁ!」
俺のツッコミは相変わらず虚しく響くだけだ。
子供たちはきらきらした目で俺を見上げる。
「おじさんの腰音、好き!」
「もっと鳴らして!」
「整体師じゃねぇんだぞ俺は!」
広場は再びお祭りのような熱狂に包まれ、俺の平穏はますます遠ざかっていくのだった。
広場の片隅で、光の花から生まれた少女が再び目を開いた。
青白い瞳の奥に、紋章のような光が淡く揺れている。
魔王軍の使者がそれを見て目を細めた。
「……やはり。“精霊核”が顕現したか」
「精霊核……?」
俺は眉をひそめる。
「世界を揺るがす種火だ。芽に宿り、腰痛に導かれて花開いた」
「導いてねぇ! 俺は腰を伸ばしただけだ!」
全力で否定する俺をよそに、村人たちは神妙に頷き合う。
「やはり腰痛は神託……」
「腰音こそ召喚の儀式……」
「腰の鳴るところに奇跡あり!」
「勝手に腰痛教をでっち上げるなぁぁぁ!」
少女はそんな熱狂を意に介さず、俺の袖をぎゅっと握り、小さな声で呟いた。
「……十度の転生。そのすべてを、私は見ていた」
「……見てた!?」
俺は思わず声を裏返した。
「お、お前……いつからそんなストーカーみたいなことを……!」
少女の瞳が、静かに俺を映す。
「おじさんは“外側”を歩いている。だから、どんな世界に転んでも……見えてしまう」
「外側……? またややこしい言い方しやがって」
混乱する俺をよそに、村人たちは当然のように意味を取り違える。
「やはり腰痛勇者様は世界の外をも旅する御方!」
「次元を越える腰音……!」
「いや違う! 俺はただ転生でハズレルートばっか踏んでるだけだ!」
俺の叫びは、やっぱり信仰めいた熱気にかき消されていった。
少女の言葉が胸に引っかかったまま、俺は腰をさすりつつ深いため息をついた。
「……外側? なんだよそれ……余計に不安になるだろ」
その時だった。村の外から、地響きのような音が近づいてきた。
馬のいななき、甲冑のぶつかり合う音、そして整然とした足並み。
「増援だ! 王都から兵が来たぞ!」
見張りの青年が叫ぶや否や、村の入口に数十人規模の兵士が現れた。盾と槍を構え、完全武装の部隊だ。
先頭に立つ将校が声を張り上げる。
「王子クラウディオ殿下の命により、腰痛勇者様とその花嫁を連行する!」
「またかよ……! 誰が花嫁だって? そもそも俺は勇者じゃ――」
「黙れ!」
俺の抗議は鋭く切り捨てられた。
兵士たちが広場を取り囲むと、村人たちも黙ってはいない。
「腰痛勇者様を連れて行かせるな!」
「村の宝を奪う気か!」
「花嫁様は村に残るのじゃ!」
鍬や鎌を構え、村人たちが兵士に立ちはだかる。
そこへ黒マントの魔王軍の使者が一歩前に出た。
「……ふん。ようやく本気を見せたか、王都」
口元に不敵な笑みを浮かべ、黒い魔力をまといながら続ける。
「だが、この“精霊核”は渡さん。腰痛と共にあるべきだ」
「だから腰痛で括るなっての!」
俺は全力でツッコミを入れるが、誰も取り合わない。
こうして再び、村は兵士、村人、魔王軍の三つ巴の修羅場へ突入していった。
三つ巴の緊張が極限に達したそのとき、静かな声が響いた。
「……争い、いらない」
精霊少女が立ち上がっていた。
袖を掴む小さな手に力がこもり、青白い瞳に浮かんだ紋章が一層強く輝きを増していく。
「まさか……!」
魔王軍の使者が息を呑む。
次の瞬間、少女の体から光が奔り、夜空へ柱のように伸びた。
それはやがて巨大な樹の幻影を形作り、村の上空に揺らめき始める。枝葉は天を覆い、根は大地を抱きしめるかのように広がっていく。
「……世界樹の呼び声……!」
魔王軍の使者が低く呟く。
「神託だ! 腰痛勇者様の奇跡だ!」
「腰音が世界樹を呼び覚ました!」
村人と兵士が一斉に歓声を上げる。
「いや俺の腰から世界樹出てねぇからな!?」
俺は必死に否定するが、誰も聞いちゃいない。
少女は淡く光を放ちながら俺を見上げ、静かに告げた。
「おじさん……外側を歩くあなたに、この樹は応える」
「……俺はただ畑耕して腰痛めてるだけなんだが!?」
困惑と絶望をない交ぜにした叫びも、光の奔流にかき消される。
やがて世界樹の幻影は夜空を震わせ、遠く離れた王都にまで届くほどの光となって輝き渡った。
その光を目にした者は誰もが確信するだろう――腰痛おじさんこそ、新たな神話の中心だと。
「……また平穏が遠ざかったな」
俺は腰をさすりながら、重いため息をついた。




