腰痛おじさんと王都の影
翌朝。
鳥のさえずりと共に目を覚ました俺は、腰をさすりながら畑へ向かった。昨夜、不気味に光っていた芽はどうなったか――嫌な予感は的中する。
「おじさん! 見て見て!」
ユウが叫んだ。
畑の真ん中、光る芽はもう俺の背丈を越えていた。幹のように太くなり、枝葉が淡い青の光を放っている。朝日を浴びてもなお消えぬ光は、まるで空気に脈を打ち込むかのようだった。
「すごい……! これぞご神木じゃ!」
老婆が祈るように手を合わせ、他の村人たちもざわめく。
「やっぱりおじさんのおかげだ!」
「腰痛勇者様、守り神だ!」
「いやだから、腰痛はただの持病だって……!」
必死に否定するが、ユウとミナはきらきらした目で俺を見上げる。
「おじさん、ちゃんと守るんだよね!」
「ご神木とおじさんはセットだよ!」
……セットにされても困る。守るどころか、腰が限界に近いんだ。
俺は天を仰ぎ、ため息をついた。
そのとき、老婆がぽつりと呟く。
「芽が村を呼んだんだよ。そして、おじさんをも」
「は?」
聞き返す間もなく、村人たちの歓声が再び響き渡った。
――やれやれ。また勝手に祭り上げられていくのか。
一方そのころ、王都ルクセン。
石造りの城壁に囲まれた城内では、商人の報告を受けた国王が重々しく言葉を発していた。
「光を放つ芽……そして腰痛持ちのおじさんか。奇怪だが、もし本物ならば国の財源を救える」
広間に集う大臣たちは頷き合い、ざわめく。
「食糧不足に悩む我が国にとっては朗報ですな」
「いやしかし、村人の見間違いでは?」
「いいえ、商人の証言は揺るぎません」
意見が割れる中、王子が勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。
「馬鹿な! あの中年を信じるのか!? 勇者召喚の大儀を、あの冴えない腰痛持ちが汚したのだぞ!」
彼の顔は怒りと焦りで赤く染まっている。
「腰が鳴っただけで神格化されるなど、我が国の恥だ!」
だが国王は低く唸り、言葉を遮った。
「感情で国を治めるな、クラウディオよ」
王子は唇を噛む。
「では……?」
「調査隊を送る。討伐ではない。あの“おじさん”とやらが奇跡を起こせるのなら、我が王家の庇護下に置く」
国王の決定に、大臣たちは一斉に頷いた。
しかし王子は、拳を握り締めたまま悔しげに吐き捨てる。
「腰痛が勇者だと……? 笑わせる。奴が栄光を得るなら、私の威信は地に落ちる。必ず償わせてやる……!」
その声は広間の奥に吸い込まれ、やがて城門が開かれる。
鎧をまとった騎士たちが整列し、旗を掲げて進軍していく。
王都から村へ――調査隊が動き出したのだ。
日が傾き始めると、村人たちは交代で畑の見張りを始めた。
昼間よりさらに強く光を放つ芽は、遠目にも目立つ。誰かに狙われるのではと、皆が不安を口にしていたからだ。
「おじさんがいるから大丈夫!」
「そうだよ! 師匠なら腰一つで村を守れる!」
……どんな信頼だよ。腰一つってなんだ。
俺は子供たちの期待の視線を受けながら、仕方なく畑の前に座り込んだ。
そのときだった。森の中から、ひゅるりと風が抜けるような気配がした。
闇の中から黒いマントを纏った人影が現れる。
村人たちは悲鳴を上げ、鍬や棒を握りしめた。
「待て待て! いきなり敵扱いするな」
俺が腰を上げると、ポキッと例の音が響いた。
影の人物は驚いたように一歩下がる。
「……それが“神託の音”か」
「いやいやいや! ただの腰痛だって!」
マントの下から覗いた顔は鋭いが、妙に疲れた表情をしていた。
「俺は魔王軍の使者だ。だが勘違いするな、戦いに来たわけじゃない」
「魔王軍!?」村人たちがざわめく。
「安心しろ、取って食おうという気はない。……忠告に来ただけだ」
男は畑の中央、光る芽を指差した。
「その芽は……危険だ。放っておけば村を呑み込みかねない」
村人たちは震え、俺は眉をひそめる。
「いやいや、ただの農業スキルの副作用だろ。眩しくて腰に悪いくらいだ」
場の空気が固まる。だが男は真剣そのものだった。
「信じるか信じないかは勝手だ。だが近いうちに……それが災いを呼ぶ」
言い残し、マントの影は森の闇に溶けていった。
「……腰に悪い眩しさ、って説明で済ませたかったんだけどな」
俺のぼやきは夜風に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
その夜。村は早めに灯りを落とした。
子供たちを寝かしつけ、村人たちは家に引きこもる。だが俺は眠れず、畑の前に腰を下ろしていた。
光る芽は、昼間よりさらに巨大になっていた。
幹は二抱えほどに膨らみ、葉は風もないのにざわめいている。淡い青白い光が村の輪郭を浮かび上がらせ、虫の声すらかき消すような静寂が広がっていた。
「……雑草で済む規模じゃねぇな」
腰をさすりつつ呟いた瞬間、ズキリと痛みが走り、思わず顔をしかめる。
「くそ、腰が悲鳴をあげてるのは予兆か、ただの老化か……」
そのとき。
遠くの道から蹄の音が響いてきた。松明の赤い光が点々と連なり、近づいてくる。
「おじさん、あれ……」
眠れなかったのか、ユウが目をこすりながら俺の隣に座った。
「旗が見える……王都の兵隊だ」
松明の列はやがてはっきりとした。鎧をまとった騎士たちの一団。調査隊だ。
村人たちも目を覚まし、戸口から顔を出す。ざわつきが広がり、誰もが不安に揺れる視線を俺に向けた。
「……いやいや、俺に期待すんなよ。ただの腰痛持ちだぞ」
そう言った瞬間、背後で大きな音が鳴った。
光る芽の幹が裂け、眩い光が夜空に迸る。
村全体が青白く照らされ、兵士たちすら馬を止めて目を見張った。
「な、なんだあれは!?」
「神木が……暴れているのか!?」
俺は頭を抱え、空を仰ぐ。
「……やっぱり平穏は三日と持たんのか」
腰をさすりながら、月と光の芽を交互に睨みつける。
王都の調査隊と、正体不明の芽。
二つの影が重なり合い、俺の平穏なスローライフはさらに遠ざかっていくのだった。




