腰痛おじさんと光る芽
翌朝。鶏の鳴き声で目を覚まし、腰をさすりながら畑に出た俺は、思わず目を丸くした。
昨夜、土の隙間から顔を出したばかりの光る芽が、一晩で膝丈ほどに伸びていたのだ。葉の先端は淡い青に輝き、朝日に照らされると小さな星のように瞬いて見える。
「おじさん! 見て見て!」
駆け寄ってきたユウが目を輝かせる。
「これ、勇者の証だよ! 師匠が守るべき聖なる木なんだ!」
隣でミナもはしゃぐ。
「おじさんと結婚したら、この木も私のものになる?」
「いやならん」即答した。
「そもそも俺は勇者でもなんでもない。ただの腰痛持ちだ」
そう言って腰を伸ばした瞬間、グキッと音が響く。
「今、木が応えたぞ!」
「やはり勇者様の証だ!」
……いや、今のはただの鈍痛だ。
気づけば村人たちがぞろぞろ集まってきて、光る芽を取り囲んでいる。老婆は両手を合わせ、祈るように呟いた。
「こりゃあ神の贈り物に違いないねぇ……」
俺は頭を抱えた。
「だから違うってば……」
村人たちは光る芽を取り囲み、口々に好き勝手なことを言い始めた。
「薬草じゃろうか? 煎じれば万病に効くやもしれん」
「いや、神が遣わした守り木だ。きっと豊作を約束する!」
「見よ、腰痛勇者様の奇跡じゃ!」
「……誰が腰痛勇者だ。腰が痛いだけだっての」
俺は小声で否定するが、歓声にかき消されて届かない。
サラが近づいてきて、葉をじっと見つめる。
「普通の植物と違いますね。葉脈が……光を流しているみたい」
「おっ、観察が鋭いな。前世で植物学をかじったことがあってな」
つい口が滑り、うっかり解説モードに入ってしまう。
「これは光合成だけじゃなくて、周囲の魔力を吸収して成長してるんだ。だから成長速度が桁違いなんだろう」
村人たちは一斉に目を見開いた。
「さすがだ! 知恵者にして勇者様!」
「魔力を吸収するだと……やはり伝説級!」
「腰痛にすら意味があるのかもしれん!」
「いやいやいや、最後おかしいだろ!?」
俺は慌てて手を振ったが、もう遅い。村人たちの頭の中では「腰痛=神託」が確定してしまったらしい。
村長バルドがずしんと一歩前に出て、白ひげを揺らしながら布告する。
「よいか皆の者! この芽は村の希望、このおじさんは守り神! 以後、全員で畑を守り、この奇跡を絶やすでない!」
「おおおお!」
村人たちが声を揃えて拳を掲げる。
……待て待て待て。
俺は頭を抱えた。やれやれ、また勝手に祭り上げられていく。
「俺はただ畑を耕したかっただけなんだが……」
場面は変わり、王都ルクセン。
壮麗な城の謁見の間で、あの旅の商人が土埃まみれの衣服のまま頭を垂れていた。
「そ、そこに……奇跡の畑がございます! 一晩で豊作、光を放つ植物……そして、それを操る腰痛持ちのおじさんが!」
重厚な沈黙。
王座に腰掛ける国王は、白い顎髭を撫でながら目を細めた。
「腰痛……おじさん?」
「はい! 村人たちは“守り神”と崇めておりました!」
列席する大臣たちはざわめいた。
「馬鹿な、腰痛ごときで神格化されるはずがない!」
「だが、一晩で作物が実るというのは前代未聞……」
「もし本当ならば、国家の食糧難を救えるぞ」
その声に、王子が顔を真っ赤にして立ち上がった。
「馬鹿馬鹿しい! 勇者召喚で現れたあの男だろう! あんな冴えない中年を、我が国の希望にしてたまるか!」
商人は慌てて首を振る。
「で、ですが……実際に芽が出るのをこの目で……」
「黙れ!」王子は机を叩く。
「腰痛など勇者の証でもなんでもない! ――父上、すぐに討伐隊を送るべきです!」
国王は唸るように低く答えた。
「……討伐隊ではなく、調査隊だ。もしも噂が真ならば、利用しない手はない。
“腰痛おじさん”とやらを、我らの支配下に置くのだ」
商人は胸を撫で下ろす。だが王子はなおも歯噛みした。
「クソ……次は絶対に追放では済まさん。あの中年、俺の面子を潰した罪、必ず償わせてやる!」
こうして、王都から使者が村へ向かうことが決まった。
その夜。
村は静けさに包まれていた。昼間の大騒ぎが嘘のように、子供たちの寝息が家々から漏れ、虫の声が規則正しく響く。
俺は一人、畑に腰を下ろしていた。光る芽の前に。
青白い光を放つその茎は、日中よりもさらに伸び、背丈を追い越しそうな勢いだ。葉は夜風に揺れ、淡く脈打つように明滅している。
「……まるで呼吸してるみたいだな」
思わず手を伸ばす。指先が葉に触れた瞬間、ビリッとした感覚が走り、胸の奥に微かな声が響いた。
――みつけた。
「……なっ!?」
慌てて手を離す。だが光はさらに強まり、畑全体を淡い青で染め上げた。
村人が目を覚ましたら、また大騒ぎになるに決まっている。
「勘弁してくれ……。俺は平穏に畑を耕して、たまに腰を伸ばしてポキッて鳴らして、それでいいんだ」
腰をさすりながら呟くが、答えるように芽がかすかに揺れる。
そのとき、視界の端に人影がよぎった。
森の方角で、黒いマントを纏った誰かがこちらを覗いている。
月明かりに照らされ、ぎらりと光る瞳。
「……やっぱり、平穏は長続きしないか」
俺はため息をつき、立ち上がった瞬間――腰がグキッと鳴った。
「ぐぅ……! いやいや、今のは奇跡でも何でもなくただの痛みだからな!?」
しかし、闇の中の影はじっと畑を見据えたまま、微動だにしなかった。
光る芽は静かに、だが確実に成長を続ける。
世界がまた勝手に動き出そうとしている気配を、俺の背筋――いや、腰が先に察していた。




