腰痛おじさんと犠牲の覚悟
轟音と光の奔流が収まると、村は不気味な静けさに包まれていた。
黒い影は一時的に退き、畑には再び夕日の色が戻っている。
「腰痛様が……勝利なされたぞ!」
「腰痛が世界を救ったんだ!」
「だから俺じゃなくて腰痛扱いするなぁぁ!」
擁護派と村人は歓喜に湧いていたが、討伐軍は剣を構えたまま眉をひそめていた。
王子クラウディオが低く呟く。
「……まだ終わってはいない。あの影は必ず戻る」
俺は腰をさすりながら立ち上がった。
だがその腕に、まだ黒い紋様が残っていた。
「ERR……∞……」記号が淡く点滅している。
「くそっ……まだ消えてねぇ……!」
精霊少女が袖を掴み、小さな声で警告した。
「……抗えてるけど……次はもっと深く来る。おじさんの体そのものが……境界になる」
「はぁ!? 腰痛から境界線になんの!?」
腰を押さえつつ絶叫する俺を、村人たちはただ信仰の目で見つめていた。
畑の静けさを裂くように、クラウディオが剣を掲げた。
「このままでは危険だ! 腰痛を封じるべきだ!」
「おい! 腰痛って人名みたいに言うな!」
思わず全力でツッコむ。
討伐軍の兵士たちが一斉に声を上げた。
「腰痛は災厄だ!」
「早く斬れ!」
「いやだから俺のことだろそれ!? 直接言え直接!」
一方で擁護派は負けじと叫ぶ。
「腰痛様を守れ!」
「腰痛の腰音が世界を救う!」
「なんだよ腰音が世界救うって!? 無理あるだろ!」
村人たちまで便乗し、門の前でわいわい議論を始める。
「腰痛さんを斬るのか守るのか……」
「いや畑を守ってくれるなら腰痛さん必要だろ」
「でも腰痛って伝染るの?」
「伝染らねぇよ!? ただの持病だよ!」
信仰と恐怖と誤解が入り混じり、村の空気は完全に二分された。
剣を構える討伐軍と、農具や素手で立ちふさがる擁護派が、再び衝突しかける。
「やめろぉぉ! 俺を巡ってケンカすんな! 守るのは俺じゃねぇ! 畑だろ!」
絶叫した声は、戦場の喧噪にかき消されることなく、確かに響いた。
俺が叫んだ直後、腕に浮かんでいた黒い紋様が一気に広がった。
肩から首筋へ、そして胸元にまで――。
「うおぉぉ……!? やばっ……!」
視界の端にノイズが走り、畑の緑が黒い砂のように崩れて見えた。
村人たちが息を呑む。
「腰痛様がさらに輝きを……!」
「いやこれ輝きじゃなくて侵食だからぁぁ!」
ヌメロが無感情に告げる。
「侵食率……六二%。臨界点まで残りわずか」
「そんな実況いらねぇぇ!」
その時だった。
空を覆う影から、ざらついた声が直接脳に流れ込んできた。
「……受け入れよ……腰痛は……永遠に……」
「永遠の腰痛!? 地獄だろそれぇぇ!」
だが声は続く。
「……畑も……枯れぬ……収穫も……無限……」
一瞬、心が揺らぐ。
草むしりも収穫も必要ない、無限に実り続ける畑。
農夫として、それは抗い難い誘惑だった。
「……そんな畑、ちょっと……いやいやいや!」
袖を強く引かれた。
精霊少女が涙目で叫ぶ。
「違う! 畑は“今”をみんなで守るから畑なんだよ! 一人で永遠に抱えたら、それは畑じゃない!」
その言葉に胸を殴られたような衝撃を受ける。
「……そうだよな……畑は、みんなで耕してこそ畑なんだ……!」
必死に心を繋ぎ止めるが、腰はバキバキと鳴り続け、影はさらに濃くなっていた。
ノイズは胸から背中へと広がり、全身を締め付けていた。
呼吸は浅く、腰の痛みは限界を超えている。
それでも、畑の緑がまだ残っているのを見て、どうしても諦められなかった。
「……畑だけは……絶対に守る……!」
ヌメロが算盤を弾き、冷酷に告げる。
「侵食率……七八%。残り一歩」
「残り一歩って言うなぁぁ!」
叫びながらも分かっていた。
このままでは俺ごと村が飲み込まれる。
犠牲にできるのは、腰痛……いや、俺自身しかない。
クラウディオが剣を構えた。
「怪物になる前に、俺が斬る!」
「勝手に決めんな! 俺が決めるんだ!」
精霊少女が泣きそうな顔で首を振る。
「……おじさん、ダメ……犠牲になったら……」
「大丈夫だ。畑は残せる」
腰を押さえながらも、鍬を構えた。
「畑も村も、全部守る! 犠牲にするのは……俺ひとりで十分だ!」
その言葉に、討伐軍も擁護派も村人も沈黙した。
誰もが、腰痛持ちのただのおっさんの覚悟に呑まれていた。
空の影が蠢き、再び声を落とす。
「……同じ……外に在る者……」
「知らねぇよ! 俺はただの畑のおっさんだ!」
絶叫と共に鍬を振り下ろす。
光と闇が再び激突し、村全体を包み込んだ。




