腰痛おじさんと侵食の影
閃光と闇がぶつかり合い、村全体が揺れた。
家屋の瓦が落ち、風車の羽根が悲鳴のような音を立てる。
畑の土は波打ち、ところどころが黒いノイズに侵食されている。
「うおおおお……腰が……ッ!」
俺は腰を押さえて地面に倒れ込み、歯を食いしばった。
腕には黒い紋様が浮かび上がり、「ERR」「000」といった記号が点滅していた。
「腰痛様の神聖なる刻印だ!」
「違ぇぇぇ! 完全に感染だろこれ!」
村人たちは恐怖よりも信仰を選び、祈るように俺を見上げる。
擁護派は合唱を止めず、討伐軍は剣を構えたまま一歩も動けずにいた。
精霊少女が必死に俺の顔を覗き込む。
「……まだ抗えてる……でも、長くはもたない……」
「くそっ……腰痛が、限界超えてんだよ……」
全身を襲う痛みに呻きながらも、畑の緑がまだ残っているのを見て、必死に意識を繋ぎ止めた。
腕に浮かぶ黒い記号は、不規則に点滅を繰り返していた。
「ERR……000……∞……」
視界までノイズが混じり、世界がモザイクのように歪んでいく。
「ぐっ……やべぇ……これ以上は……!」
腰を押さえる手が震え、鍬を落としかける。
だが擁護派は大はしゃぎだった。
「見ろ! 腰痛様に聖なる紋章が宿った!」
「ERRは永遠を意味し、000は無垢、∞は無限! 腰痛は神だ!」
「全部てきとーな解釈すんなぁぁ!」
村人までもが肩を組み、即席の祭りを始めた。
「腰痛さま! 腰痛さま!」
「違ぇ! これは祭りじゃなくて病状だ!」
討伐軍の兵士は剣を構え直し、クラウディオが叫ぶ。
「これ以上侵食が進めば怪物になる! その時は俺が斬る!」
「斬るなぁぁ! 俺まだ畑の草むしり残ってんだよ!」
ヌメロは冷静に告げた。
「外側化進行率……三十八%」
「実況すんな! こっちのメンタル削られてんだよ!」
ギャグの渦中でも、影は確実に俺を蝕んでいた。
腰痛の振動に合わせて侵食が広がり、笑いと恐怖が入り混じった戦場に、次の不吉な囁きが響き始める――。
耳の奥に、ざらついた声が響いた。
「……こちらへ……」
冷たい闇の囁きが、脳に直接突き刺さる。
「畑も……永遠に……朽ちず……刈り取られることなく……」
「なっ……畑が永遠……? いや……それ、ちょっと魅力的じゃねぇか……?」
一瞬、心が揺らぐ。草取りも収穫もいらない、無限に実り続ける畑――。
農夫として、いや人間として抗い難い誘惑だった。
その時、袖を掴む小さな手が俺を現実に引き戻した。
「だめ……!」
精霊少女の瞳が涙で潤んでいる。
「畑は“今”、みんなで守るもの……ひとりで永遠に抱え込んだら……畑じゃなくなる……!」
「……っ!」
胸に重く突き刺さる言葉だった。
畑は、ひとりじゃない。みんなで耕して、食べて、笑う場所だからこそ意味がある。
「そうだよな……畑は、今を生きるためのもんだ……」
俺は必死に呟き、黒い囁きを振り払った。
だが、その代償のように腰が爆発音をあげる。
――バキィィィィンッ!
ノイズが腕から胸元まで一気に広がり、視界を暗闇が覆っていった。
黒いノイズは胸元まで這い上がり、心臓を締め付けるように脈打っていた。
「くっ……はぁ……! 俺まで外側になるなんて……冗談じゃねぇ……!」
ヌメロの冷徹な声が頭上から落ちてくる。
「侵食率……五〇%。境界は半分を超えた」
「半分って言うな! 縁起でもねぇ!」
剣を握るクラウディオが前へ出る。
「これ以上は危険だ! 怪物になる前に斬る!」
「やめろ! 俺は……まだ、俺だ!」
必死に鍬を振りかざす。その姿に村人や擁護派が声を上げた。
「腰痛様を信じろ!」
「畑を守るのは腰痛様だ!」
「犠牲にすべきは……腰痛だぁ!」
「待て! 最後のコールおかしいだろ!?」
それでも分かっていた。
――腰痛が、この侵食のトリガーだ。
もし犠牲にできるのなら、それは自分の体に刻まれた痛みしかない。
「畑は犠牲にしねぇ! 腰痛は犠牲でいい!」
腹の底から声を絞り出し、鍬を振り下ろす。
轟音と共に腰が鳴り響き、光の波が再び外側の影を押し返した。
ノイズは一瞬退き、村の畑に夕日の色が戻る。
だが、俺の足元にはまだ黒い紋様が残っていた。
侵食は止まったわけじゃない――むしろ、次の段階へ進もうとしていた。
「……次で決着をつける」
呟く俺の声をかき消すように、空からノイズ混じりの声が響く。
「……腰痛……同じ……外に在る者……」




