腰痛おじさんと森の逃避行
倒れた木々の間を、俺は腰をさすりながら必死に走っていた。
後ろでは討伐軍と魔王軍が混乱して足を止めているが、それがいつまでも続くとは限らない。
「ぐっ……いっててて……!」
走るたびに腰がバキバキ鳴り響く。
「見よ! 腰痛様が道を拓いておられる!」
信者たちが歓声を上げると、倒木の隙間を勝手に「奇跡の通路」と呼び、さらに信仰を深めていった。
「違う! 俺はただ腰が壊れてるだけだ!」
それでも彼らは熱狂を止めない。
「腰音に従え!」
「腰痛のリズムで進軍だ!」
……後ろで合唱まで始める始末だ。
「ポキッ♪ ポキッ♪ 腰の響きは未来の鐘~♪」
「やめろぉぉ! 俺の腰で歌うな!」
前方では少女が夢うつつで袖を握り、ぽつりと呟く。
「……外側……まだ、近い」
その言葉に冷や汗が背を伝った。
腰痛に夢中になっている連中とは裏腹に、本当にやばいものが迫っている気配がひしひしと迫ってきていた。
森を進むにつれ、擁護派の連中はますます調子に乗り始めた。
「腰痛様を守る会、ここに結成!」
「第一条、腰痛の音に合わせて歩くべし!」
「そんな会則作るな! てか勝手に会作んな!」
だが彼らは止まらない。腰を押さえつつ行進し、俺の鳴る腰に合わせて合唱を始めた。
「ポキッ♪ ポキッ♪ 腰痛様の導き~♪」
「ポキッ♪ ポキッ♪ 腰音は勝利の鐘~♪」
「お前ら声でかい! 森に響かせるなぁぁ!」
必死に止めるが、信者たちの熱狂は冷めない。
その結果――。
「腰痛の行軍だ! 追え!」
すぐに討伐軍が俺たちを発見した。
鎧の音と怒号が森中に響き渡り、木々の影から兵がなだれ込んでくる。
「腰痛を捕らえろ!」
「腰痛を討て!」
「だから俺は名前じゃねぇぇ!」
俺は少女を抱えて必死に逃げる。だが擁護派は盾になるつもりで立ち塞がり、逆に討伐軍との小競り合いが始まった。
「腰痛様を守れ!」
「腰痛を倒せ!」
「腰痛を議会にかけろ!」
「いや政治問題化すんな!」
森はたちまち戦場と化し、枝葉の間に火の粉が舞う。
俺は額に汗を滲ませながら、心の底からこう思った。
「……マジで畑に帰りたい……」
剣戟と怒号の渦中に、ひときわ冷たい声が割り込んだ。
「……腰痛発作、発生間隔。およそ三十秒ごと」
森の奥から現れたのは、黒い外套をまとった魔導士――ヌメロだった。
手には算盤と魔導書。目は光を帯び、何かを計測している。
「腰痛波動の平均衝撃範囲、半径十五メートル。外側との同調率……上昇中」
「おい! 勝手に外側と同調させんな!」
俺が叫んでも、ヌメロは淡々と続ける。
「外側の干渉値……急上昇。臨界まで、残り十……九……」
空気がノイズのように揺らぎ、視界が歪んだ。
討伐軍の兵士の一人が悲鳴を上げる間もなく、影に飲み込まれて消えた。
「ひっ……腰痛に食われた!?」
「違ぇよぉ! 今のは俺じゃねぇ!」
森の奥で、黒いシルエットが蠢いた。
目の代わりに浮かぶのは「ERR」「000」といった意味不明な記号。
それは確かに、少女が呟いていた“外側”そのものだった。
精霊少女が袖を握りしめ、震える声を上げる。
「……外側、もう、すぐそこ……」
「やめろ! ホラーすぎんだろ!」
腰の痛みも忘れて叫ぶ俺の声は、森のノイズに吸い込まれていった。
ヌメロの無機質な声が続く。
「干渉値……臨界。外側、完全顕現まで残り七秒」
「勝手にカウントダウンすんな!」
俺は少女を抱え直し、必死に退路を探した。
その瞬間――腰に激痛が走る。
「ぐわっ……! やっべ、くる……!」
――バキィィィンッ!
轟音と共に、大地が揺れた。森を貫く川の土手が崩れ、倒木が連なって一本の橋のように架かる。
「道が……拓けた!」
「腰痛様の奇跡だ!」
「奇跡じゃねぇ! ただの発作だ!」
混乱する討伐軍と魔王軍を置き去りに、俺はその橋を駆け抜けた。
背後では擁護派が「腰音行進曲」を合唱しながら続き、ヌメロが冷たく呟く声が聞こえる。
「腰痛波動……予測不能。外側、観測不可能領域へ拡大中」
橋を渡りきったところで、俺はようやく足を止め、肩で息をした。
見上げれば、森の向こうに赤い夕日が沈んでいく。
草原が広がり、その先には村の方角がある。
「……やっと……畑に帰れるかもしれん」
だが振り返ると、森の奥にノイズのような人影がこちらを見つめていた。
「ERR」「000」「∞」と浮かぶその瞳。
ぞっとするほどの静けさで、確かに“外側”がそこにいた。
「帰らせろよぉぉぉ!」
俺の絶叫が、夕暮れの空にこだました。




