腰痛おじさんと世界樹の幻影
夜空に現れた世界樹の幻影は、ゆっくりと薄れて消えていった。だがその余韻は、村の人々の心にしっかりと刻み込まれていた。
「腰痛勇者様こそ世界樹の守護者だ!」
「腰音は神の合図だったのだ!」
「腰痛が鳴るたびに、世界は救われる!」
「いや救われねぇよ! 俺の腰は日常的にピキピキ鳴ってんだぞ!? 世界が毎日滅亡しかけるだろうが!」
必死のツッコミもむなしく、村人たちはすでに腰痛信仰の虜だ。
老婆は涙を拭いながら神妙に言う。
「腰痛とはすなわち天地を結ぶ鎹。畑を耕し、腰を痛めし者こそ、世界樹と共鳴するのじゃ」
「いやそれ畑仕事してる人全員が神話入りするだろ!」
子供たちはきらきらした目で俺を見上げ、口々に叫ぶ。
「腰痛様ー!」
「もっと腰鳴らしてー!」
「腰像はもうすぐ完成だよ!」
「腰像って略すな! なんか変な響きになるだろ!」
俺は腰をさすりながら深いため息をついた。
「……また畑ライフが遠ざかっていくな」
その隣では、精霊少女が静かに眠り続けていた。彼女の瞳に浮かんでいた紋章の光は消えていたが、まだ仄かな余熱を残しているように見えた。
王都。高台にそびえる王城の塔からも、昨夜の世界樹の幻影ははっきりと見えていた。
その報告を受けた王子クラウディオは玉座の間で吠えた。
「世界樹が……腰痛おじさんに呼応しただと!? そんな馬鹿なことが許されるか!」
側近の騎士が震えながら口を開く。
「殿下、確かに村の方角から強大な光が……。腰痛おじさんが中心にいたのは疑いようがありませぬ」
「黙れぇぇぇ! 腰痛ごときが世界樹に選ばれるはずがない!」
王子は拳を振り下ろし、机を粉々に砕いた。
だが、その後ろで控えていた学者や大臣たちは顔を見合わせていた。
「……腰痛おじさんは“精霊核”に関わっているのだろう」
「ならば利用すべきだ。農業の異常な成果も、国の糧になる」
「殿下の感情で排除するのは、むしろ国を危うくするのでは……」
小声の議論はすぐにクラウディオの耳に届く。
「貴様ら! 私に逆らうつもりか!」
怒声に空気が凍る。
しかし老齢の大臣が一歩進み出て、静かに告げた。
「殿下。腰痛おじさんを王都に呼び、真実を確かめるべきかと存じます。抹殺よりも、まずは観測を」
王子の目がギラリと光る。
「……なるほど。ならば“召喚”という名目で連行すればよい」
彼はにやりと笑い、命令を下した。
「直ちに使者を村へ送れ! 腰痛勇者を王都に参上させるのだ! 花嫁も一緒にな!」
怒りと執念に燃える王子の声は、王城全体に響き渡った。
同じ夜。魔王軍本拠地「黒牙の塔」の最上階でも、世界樹の幻影ははっきりと確認されていた。
幹部たちが長机を囲み、ざわめきが広がる。
「腰痛おじさんの村から放たれた光……あれは紛れもなく世界樹の顕現だ」
「しかも“精霊核”と呼ばれる少女が関わっているらしい」
「放置すれば王都が取り込むだろう」
低い声が場を制した。
「……我らが求めるのは、まさにそれだ」
黒衣の男ラドリウスが現れ、幹部たちを見渡す。
「腰痛……あの男は異常だ。魂の流れが乱れ、重なり合い、どこか別の位相に滲み出ている」
幹部の一人が訝しげに眉をひそめる。
「……何を意味している?」
「わからぬ。ただ一度きりの器では収まらぬほど、歪な在り方をしている……そう“外側”の匂いを纏っているのだ」
ざわめきが広がる。
「ならば危険ではないのか?」
「ふん。だからこそ利用価値がある。王都と争う旗印としてな」
別の幹部が鼻で笑った。
「腰痛を旗印にするだと? 滑稽ではないか」
ラドリウスは唇の端を吊り上げた。
「滑稽だからこそいい。民衆は愚かだ。愚かだからこそ“腰痛の奇跡”を信じる。……村に立ち始めた腰痛像を見ればわかるだろう」
重苦しい沈黙ののち、幹部たちは渋々同意した。
「……王都に奪われる前に、我らが手を打つべきだ」
「花嫁を確保せねばなるまい」
ラドリウスは満足げに頷き、冷たく言い放った。
「準備を整えろ。次に動くのは我らだ。腰痛と花嫁は……魔王軍が手に入れる」
黒牙の塔に、不穏な笑みが渦巻いた。
翌日、村は完全に祭りの空気に包まれていた。
夜空に現れた世界樹の幻影は、人々に「腰痛信仰」という新たな火をつけたらしい。
「腰痛勇者様に感謝を!」
「腰痛像がついに完成じゃ!」
「宴だ、宴だ! 腰痛鍋をふるまえ!」
「だから腰痛で全部まとめるなぁ!」
俺は必死に止めようとするが、広場の中央には本当に「腰を押さえて立つ俺」の木像が立っていた。
子供たちはその周りを駆け回り、老婆は涙を拭いながら手を合わせている。
「見よ……この姿こそ腰痛の威厳……」
「威厳ねぇよ! 痛がってるだけだろ!」
精霊少女は相変わらず俺の袖を握ったまま眠っていた。だがその寝顔は安らかで、村人たちはますます「神聖な婚礼の守護」と勝手に盛り上がっていく。
そんな喧噪の中、馬の蹄音が村に近づいてきた。
兵士が馬から飛び降り、巻物を高々と掲げる。
「王都からの召喚状である! 腰痛勇者様、直ちに王城へ参上せよ!」
場が一瞬静まり返った。
「ついに王都が動いたか……」
「腰痛様が呼ばれるなんて、やっぱり伝説……」
「いや呼ばれてるんじゃなくて召喚されてんの! 断ったらバッドエンドのやつだろこれ!」
俺は頭を抱え、腰をさすった。
だが村人たちは大喜びで叫ぶ。
「腰痛勇者様が王都に行くぞ!」
「腰痛と神の花嫁が国を救うんじゃ!」
「……誰か俺の畑を守っとけよな」
呟いた声は、祭囃子と歓声にかき消されていった。




