ジルとバル 村上水軍の秘宝、飛島伝説
白い航跡を残して走る連絡船のデッキで俺は美津子と潮風を浴びてベンチに座っている。
他人から見れば夫婦と思いそうだが旅行好きの唯の友人だ。
俺は、都築慎吾、五十五歳でバツイチ、京南大学教授の考古学者、隣にいる女性は坂井美津子、独身を五十歳まで貫いている、洛中大学附属病院、外科医で教授、偉ぶるところもなく歳より若く見えるスマートな女性、そして生まれが関西でもないのにへたな関西弁で捲し立てる、天真爛漫なオバサンだ。
いま向かっているのは笠岡諸島にある飛島、笠岡市の住吉港から約18kmにある島で、大飛島・小飛島をあわせて飛島と呼ばれる。
笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、なかでも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられる。
大飛島で奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したということもあり、笠岡諸島の中でも重要な地であったことが伺える。
村上水軍にとっても重要な戦略的拠点であったのではないかと考えられる。
かつては、大飛島の南東にある大浦港の近く、大潮の干潮時に東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ架け橋が現れたそうである。
この橋の先端になる小飛島側に村上水軍が建てたものという伝説の古い祠があり、村上水軍の財宝のありかを示す古文書が隠してあるという。
村上水軍の事を調べていると飛島に伝わる謎に包まれた伝説に興味が湧いた。
教授会で知り合ったバルこと坂井美津子と一緒に飛島に行く事になる。
美津子の中学時代はギャルだったと打ち明けてくれた、俺もロックンロールに夢中になりギターを弾いていた、この事で妙に気が合い親しく話をする間柄に、ジジイがジルにババアがバルと愛称で呼ぶことになる。
ある時、美津子が大飛島出身の患者から聞いた話を聞かせてくれた。
大飛島は大潮の干潮時に小飛島に向かう様に海の架け橋が現れる事と祠の事が出来過ぎている。
村上水軍は瀬戸内海、来島海峡付近を拠点としていたがその近くにある飛島も勢力圏ではないかという推測が生まれ、小飛島は島全体が暗礁に囲まれており、船がつけられないのに祠があるということも不思議だ。
山陽本線笠岡駅に停車した電車から降りる慎吾と美津子、俺はおもむろに駅プレートを見上げた。
「着いたね」
「これからどうするねん」
美津子が不安そうに呟いて付いてくる、駅正面の改札口に向かって歩き始める。
「とりあえず住吉港まで行って連絡船を待とうか」
ボストンバッグを抱え込み改札口へ急ぐ、追いかけてくる美津子。
改札口を出てタクシー乗り場へ向かう二人の頬に初夏の潮風が吹き付ける。
「…ねえジル、タクシーで行くのか」
「歩いても行けるけど…駅の反対側だから道がよく分からん、乗ろうよ」
構内で客待ちの黒いタクシーが走って来る、目の前に止まりドアが開く、運転手にわかるようにボストンバッグを持ち上げると運転席の窓開く。
「この荷物トランクへお願いできますか」
美津子を先に乗せ、二人分の荷物をトランクに積み、乗り込む
「笠岡港旅客船ターミナルまで」
「なんやあれ…川が見えてきたで」
指差しながらはしゃぐ美津子、初夏の太陽に反射する水面が眩しい。
「ここら辺は干拓地だから外海までの水道だよ」
「お客さんよくご存知ですね、昔ここら辺は湾で、あそこの岩山が神ノ島という島だったのですよ、今は陸続きで岩山に見えますがね…」
気の良さそうな運転手が突然口を挟む。
「バル…ほら…ターミナルが見えてきた」
「船や、久しぶりに見るわ」
ガラスに額をつけてバルが叫ぶ。
ターミナルにタクシーが止まりドアを開く。
「お客さん、連絡船はそこの入り口を入って桟橋に向かって歩いてください、トランク開けますから忘れ物がないように」
「ありがとう」
二人でトランクの荷物を出す。
「あても持つから、荷物渡してや」
美津子と荷物を持って桟橋に向かってあるいていると船員らしい制服を着た青年に声を掛けられる。
「どこへ行かれますか? 船に乗る前にチケットをあの建物で買ってください」
美津子を桟橋で待たし、桟橋の側にあるチケット売り場と書かれた板張りの古い建物の中に入ると慎吾は昭和レトロを感じた、チケット販売所と書かれたカウンターに行くとカウンターの中から事務服を着た若い女性がカウンターの隣を指差した、そこには真新しい自動販売機が並んでいる。
レトロなカウンターで買いたかったと思いながら自動販売機で飛島行きを探しチケット二枚買って美津子に一枚渡す。
そして桟橋のプレートを見て歩き飛島行きの連絡船に乗り込んだ、俺たちの乗った連絡船は水道を抜け瀬戸内海へ入る、眩い水面と青い空の中、白い航跡が長い尾を引いている。
「潮風で髪がわやや、船室に入らへん」
風に向かって美津子が髪をかき揚げ騒いでいる。
「今日はどこ泊まるのや、港出る時に見たけどこの船、大飛島止めになっとったで」
「島にただ一軒ある民宿を予約してある」
「そうかいな、楽しみや、海の真ん中やから、魚がうまいかも」
デッキから客室に降りると旅行客が数人座っている。
「ということは皆同じ宿や」
「きっとそうだろうね」
「ここがええ、ここ座ろう」
慌ただしく席に座る二人を見て話しかける老人。
「あんたらも旅行かい、わし、佐竹要蔵といいます。海の架け橋とやらを見にきたのですわ」
気さくに話し掛ける老人。
「私たちは仕事で…」
「仕事…? 架け橋以外何もない島ですよ、なんの仕事ですか」
「考古学者なもので島の歴史調査です」
「学者さんですか、私たちは敬老会の旅行です。どうせ宿は同じですからよろしく」
友達みたいに気安く肩を叩かれ戸惑うが悪い気はしなかった。
島に近づいたのか船のエンジン音が小さくなり船体が震える、乗客たちが席を立ち出す。
「島の桟橋が見えてきましたよ」誰かが叫んだ。
警笛を鳴らし連絡船が岸壁に近づくと船員が岸壁へ向かって係留ロープを投げる、岸壁の向こうに小高い丘、数軒の民家が並んでいる。
洗濯物が風に吹かれて揺れ、蝉の鳴く声が響いていた。係留された連絡船から美津子と桟橋に降りると、ザワザワと要蔵たち敬老会の人達も降りてきた。
「おお、ええとこ、魚もうまいで」
突然美津子が岸壁に座り込んで海を覗いて叫んだ
「綺麗な海やで、底まで見えるで、魚もおるで」
その言葉につられて俺も覗き込む、海藻が波に揺れ、磯の間を無数の魚が泳いでいる。
「まるで子供だな」美津子に言えばすかさず「こんな白髪頭の子供がどこにおるンや」
美津子が水に映った顔を見て叫んだ。
俺は思わず吹き出した。
岸壁でいちだんと大きな声がする。
「民宿ユリカモメにお泊まりのお客様はこちらへ」。
夫婦らしい男女がメガホンで叫んでいる。
「バル、俺たちが泊まる民宿だ」
「ほな、行かんとあかんが、はよいこ」
俺の袖を引っ張り走り出す美津子。
民宿ユリカモメの主人、七尾義雄が泊り客の荷物を軽四に積んでいる。
女将の由美子が敬老会の客たちに何か言っている。
「荷物は主人が宿まで持って行きますから貴重品以外は荷台に置いてください。
「宿はあの丘にありますから、私たちは遊歩道を歩きます。」女将が先頭に立ち敬老会の客と俺たちを誘導して歩く、遊歩道は車道とわかれ、一直線に丘に向かっている。
民宿ユリカモメは岸壁から見える小高い丘の上に建っていた。
遊歩道を登ってゆくと背後に瀬戸内海の島々がとても美しく見える。
美津子は時々振り向きながら「いや、綺麗やわ」と言いながら友達になった敬老会の人たちと登ってゆく。
ものの五分程度で風情のある民宿に着き、天井から魚網やガラスの浮玉が垂れ下がるロビーで女将の由美子から部屋を告げられる。
「佐竹様御一行様は一階のさざ波の間と潮風の間にご案内いたします、都築様と坂井様は二階の潮騒の間に主人が案内いたします」
「部屋まで案内しますからついてきてください」主人とロビーの中央にある広い階段を登り潮騒の間と板に書かれた部屋に入る。
「あの〜二部屋予約したはずですが」と申し訳なく俺が言うと申し訳なさそうに主人が「なんせこの時期は混みますので相部屋お願いします」と頭を下げる、俺は「困る」と言ったが美津子は「かまへんで」と平然な顔をして言った。
女将がすかさず上がってきて「すみませんね、よろしくお願いします」と頭を下げ、そそくさと部屋を出て行った。
なんか気まずい空気が流れたが美津子が「この年やから、何もあらへん、それにお互いひとりモンや」と言い放った、俺は戸惑って「それはそうですが」と落ち着かない口調になった。
「あれやこれやと打ち合わせもあるさかい、相談するのに便利やわ、荷物置いたら夕食まで時間あるさかいロビーに行こうや」笑いながら美津子は荷物を置き始めた。
ロビーに降りてビールを飲んでいると主人の義雄がやってきて「すみませんね、てっきりご夫婦と思っておりました、それに明日の深夜が大潮の干潮となっておりますので混んでしまいました、申し訳ありません」ひたすら謝る義雄を見て美津子は「ええやん、色々と打ち合わせもあるし、一部屋の方が便利屋やで、それに見ての通りこの年や、何もあらへんわ」とまた言いながら俺をチラッと見る美津子に俺は戸惑った。
まだ夕食まで時間があるので部屋に戻って荷物の整理をしようと思い美津子と部屋に戻った。
潮騒の間は和風で窓が大きく港の向こうに小飛島が見えた、窓を開けると初夏の爽やかな潮風が入り気持ちのいい部屋だ。
「気持ちのええ風がふいとる、向かいに島も見えるさかい、最高や」、美津子は窓に向かい深呼吸を始めた。
「あれが小飛島だよ、港の岸壁からあの島まで海の架け橋が現れる、それにしても周囲は岩だらけの島だ、あれでは船も着けられん」島を見ながら俺は不思議に思った。
美津子が島を指差して「あそこに、祠みたいなものがあるで」
俺は祠を見つめ「それが不思議、どうやって祠を建てる材料を運んだのだろう」「そやな、不思議やわ」美津子も感心して見つめる。
「そろそろ夕食だから大広間に行こうか」部屋を出て美津子と一階の大広間に向かった。
大広間は二十畳ぐらいの明るい和室で正面に簡易舞台と瀬戸内海の地図が貼ってある、宿泊客が席に着いて食べ始めている。
空いている席を探し美津子と並んで座る。
向かいの席に要蔵と敬老会の人々が座っている、要蔵が俺に気づく。
「きたきた、やっときたね、待っていたよ」ビールを飲みながら叫んで手を振る要蔵、俺と美津子は軽く頭をさげ「先ほどはどうも」定例の返答をする。
「ここに並んどるのが敬老会の四人じゃけんよろしゅう」アルコールでご機嫌な要蔵。
「まあ、ゆっくり楽しみ、こっちもよろしゅうやるで」要蔵は四人にビールを注ぎ回る。
俺たちもビールを頼み、食べ始める。
女将が簡易舞台に上がり話し始める。
「そろそろ飛島に現れる海の架け橋についての説明をしたいのですが、よろしいでしょうか」マイクを持ち地図の前に立って説明を始める。
「この地図をご覧ください」地図を示し「瀬戸内海の地図ですが、飛島はここあたりです」手で飛島を押さえながら話を続ける。
「日本の中世に活躍した村上水軍は瀬戸内海国立公園にある因島から大島、大三島など芸予諸島を拠点に活躍した水軍でここ飛島も勢力圏に入っておりました」女将はとても雄弁で身振りも添えて飽きさせない。
「小飛島には島神社という祠があり、どうやらこれも水軍の遺産ではないかと伝えられております、大飛島には奈良・平安時代の祭祀遺跡があり珍しい奉納品が出土しております、遺跡から小飛島を望めば祠が一直線上に見え、また大潮の干潮時に小飛島に向かって砂洲が海の架け橋のように現れ祠のすぐ下まで歩いて渡れます。
今日の深夜は大潮の干潮ですこの機会にぜひ橋を渡ってください。
「あんた、ビール」女将も少し疲れたのか舞台に座り込み主人にビールを要求すると、会場に笑いが溢れる。
女将は義雄が運んできたビールのジョッキを一気に飲み干す。
「さて、これから不思議なことをお話しします」この女将、演出もうまい、美津子も身動きもしないで次の言葉を待っている。
会場が静かになるのを待ち女将は低い声で話し始めた「飛島伝説では祠に深夜訪れると亡くなった方と再会できると言われております。
再開したい方のお名前を絵馬に書いてこのローソクに火をつけてください」女将が色鮮やかな飾りローソクを懐から取り出す「ローソクが燃え尽きるまでお話できますよ、ではこれで」女将が説明を終えると美津子が擦り寄ってきた「女将さん、話がめちゃうまいよってなんかゾクゾクするわ」と言いながらビールを飲む「俺、女将に聞きたいことがあるからちょっと行ってくる」俺は美津子を残して席を立ち女将にとこに行く「女将さんお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」女将は舞台を片付けながら「では1時間後で、ロビーに参りますのでお待ちください」と女将は言い残して奥に去った。
俺と美津子は食べ終わるとロビーのソファーに座って女将を待った、エプロンを外しながら女将がやってくる。
「お待たせしました」女将は愛想よく微笑みながら「なんのお話でしょうか」俺はソファーから立ち上がり「先ほどのお話を聴いて感銘いたしました、考古学者の都築慎吾です、こちらは医師の坂井美津子さんです」俺は名刺を差し出した。
女将は名刺を見ながら「考古学者さんでしたか、なんか聞きたいことがあるそうで、どのようなことでしょうか」俺たちはソファーに深々と座り、話しだした「村上水軍ついて古い文献を見ていたら村上水軍のお宝を示した古文書が瀬戸内海のどこかの島に隠されているという伝説がありましたて…。
それによると海が割れ、架け橋がいでる道を歩き、光る祠の付近を探せとなっているのです、もしや小飛島の祠ではと気になりました」女将は落ち着いた声で「そのことですが、その話はよく聞きますよ、大学の考古学研究室の方々もたくさん調査に来られましたが…見つかりませんでした」主人が女将のそばに座る「あの時は大変でしたよ、半年もの間、あちらこちらを掘り返して、あんたも探しに来たのかい」迷惑そうな顔をして聞いてきた。
「いえ、私たちは観光で来たもので」俺は慌てて話を打ち消した。
すると美津子がとんでもないことを言い出した「お宝と聞いたら、黙っておられんで、興味が湧いてきよった」「そうですね、誰でも興味がありますよね」と女将が笑いながら「私たちも期待したのですが、残念ながら見つかりませんでした、あれば一躍有名になって観光客も増えたのですが」すかさず義雄が口を挟む「島に穴が空いただけでしたよ、それに祠も光りません、迷信ですよ。
それに今は国立公園条例でここらは勝手に掘れません」女将がそっと立ち上がり大広間にある地図を指差して」村上水軍の勢力は芸予諸島を中心に大坂から下関までの広範囲ですから島の数は多いし、どこだかわからないのではないですか、少なくとも飛島は違いました」ときっぱりと言い放した。
外を覗いて主人が「今日はよく晴れているから月も綺麗に見えていますよ、懐かしい人に会って月でも眺めて下さい」「そやけど不思議やね、懐かしい人に会えるとは」美津子が天井を見て呟いた。
「潜在意識というか…、よくわからないのですがそれが影響しているという噂です、会える人いれば会えない人もいます。まあ、旅の余興として試してみて下さい」女将が言うとすかさず美津子が「それは、あての専門分野やで、それにしても興味あるわ」すると女将が驚いたように見えた、そろそろ部屋に戻りたいので俺は「お忙しいところありがとうございました」と挨拶をして美津子と部屋に戻ろうとしたと時、ご主人が「時間になったらお声がけしますから、それまでゆっくりしてください」と言いながら外へ出て行った。
女将は「ローソクと絵馬を出さなくちゃあ」と奥に歩いて行こうとすると大広間から騒がしい声と音がした。
要蔵の声がロビーに響く「大変だ、健三が倒れて机で胸を打った」「それは大変」女将と主人が奥から飛び出してきて大広間へ向かう。
俺の部屋にも聴こえてきた、「バルも行ったほうが」「そうやな、急いで行くわ」医療バッグを掴み美津子と俺は階段を駆け降りる。
高橋健三が胸を押さえて倒れこんでいる、その側でオロオロしている敬老会メンバーの南田幸子、抱き起こそうとする斎藤剛士、心配そうにのぞいている飯田直子、「どうなさいました」女将の声がひときわ大きく響く。
「立ちあがろうとしてふらつき、机の角で胸を打った」幸子が心配そうに言った。
「苦しそうにしとる、医者を呼んでくれ」剛士が女将に縋る、「医者は北木島の診療所でないと…、役場に頼んで救急ヘリ呼んでもらう」「困ったな、どうする」息苦しく呼吸をする健三を見て直子がつぶやく、「私に任せて」美津子が健三の胸を触る、俺はすかさず、「この人は医者です」と言ってしまう。
「ジル、ステソスコープ出して」なにそれ、俺は狼狽える。「ごめんな、聴診器や」最初からそう言え、と少しムカついた。
健三の胸に聴診器を当てながら「どうも右肺がおかしい、呼吸音がしない、潰れているのかも…応急処置やけど、するさかい」ステンレスケースから太い注射針と麻酔薬を取り出し消毒する、「健三さん麻酔打つからね」手早く麻酔して太い注射針を胸に差し込む、スーという空気が抜けるような音がする、しばらくして健三が「楽になった」と言った。
「女将さん救急救難艇、どれくらいできますか」「北木島からだから、あと二十分ぐらいで桟橋に…、高速エンジンの音が聞こえる」「すぐ用意してくるから健三さんを荷台に乗せてくれ」義雄は荷台に布団を敷いた、俺と美津子は遊歩道を駆け降りて桟橋に向かう、救急救難艇が桟橋に接岸する。
軽トラが桟橋につくと救命士がストレッチャーを押しながら車へ急ぐ。
美津子が救命士に「救急の担当医をお願い」と言った、すると「このヘッドセットに出て下さい」と渡された。
美津子が「先ほどの患者ですが胸部打撲で気胸を起こしています」
「応急処置はしましたが肋骨も折っているようです、よろしくお願いします」
え…私ですか、洛中大学附属病院外科医、坂井美津子です、明日にでも診療所にお伺いします、ではよろしく」「診療所へ行くの」俺は聞き直した「医療行為したよって、行かんとあかん、診療所から大学へ問い合わせがいくから、民宿に戻ってから大学にも連絡しとかんと」「医者も大変だね」「そや、大変なんやで」遊歩道を月明かりに照らされて二人で民宿に戻った。
民宿のロビーに義雄の軽トラで戻った要蔵、幸子、直子、剛士、疲れた様子で座っている、女将がコーヒーを持ってきた「みなさん、お疲れでした、これ飲んでください」
「酔いも覚めてもうたな」要蔵はうまそうにコーヒーをすすりながら「美津子さん、ありがと、お医者さんで助かった」「ほんまに、健三さん着いている」「感謝します」幸子、剛士も付け足した。
直子はと言うと冷めた感じで「やれやれ一段落した、これで安心して祠に行ける」と言いながら部屋に戻っていった。
「そろそろ時間ですので用意して下さい」義雄が何やらゴソゴと動き出し、女将さんが絵馬とローソクを包んでいた。
剛士さんは夜釣りでもするのか釣り道具を持ってきた、「釣りが好きや」要蔵が笑いながら玄関に出てきた。
全員が揃うと義雄が先頭になって遊歩道を下ってゆき、桟橋いつくと常夜燈の下に集まり女将から絵馬とローソクを受け取り桟橋の先端へ移動した。
俺が美津子と歩いていると突然後ろから直子の声が「なぜジルとかバルって呼び合うの」って聞いてきた、美津子が振り向いて「わて…若い頃ギャルやってたんや、こいつはヤンキーやっていた、ババアやジジイになってもあの頃のパワー忘れんようにババアはバル、ジジイはジルと呼び合う事にしたのや」直子は頷きながら「面白い、それはパワーでるわ」笑っていた。
幸子も聞いていたのか「それは面白い、私も真似するかな」「やめとけ、ジルなんて呼んだらお前とこの爺さん飛んで逃げるで」要蔵が笑っていた。
干あがった海、石と砂が盛り上がって橋のような道が小飛島の祠に向かって伸びている。
私たちは桟橋から降りてこの道を歩き出した、月明かりで持ってきたライトは使わずに
歩ける、船のエンジン音がしたので義雄がライトで海を照らすとプレジャーボートがこちらに向かって走ってくる、義雄がライトを振ると方向を変え始めた「干潮で陸に乗り上げる船が時々いるのですよ、夏休みは特に多い、その度に大騒ぎですよ」苦々しく義雄が言った。
「もうすぐ祠の下に着きますよ」先頭を歩いていた女将の声がする、月明かりに浮ぶ祠は不気味に見える。
「平たい岩がありますからその上に上がって下さい」
女将が岩の上からライトで我々の足元を照らす。
「手を伸ばして下さい、引っ張りますから」一人ずつ岩に上がる、重そうな釣り道具を持つ剛士、要蔵が見かねて「剛士、釣り道具はここに置いとけ、祠まで持っていっても仕方ないだろう」岩から祠に向かって坂道と小さな鳥居、石碑が見える、石碑には島神社と掘ってある。
坂道を上る女将について上がって行くと広場があった、祠は生い茂る木々に隠れて暗闇の中だ、広場は手入れがされ、歩きやすい。
「ではローソクと絵馬をお渡しします」女将が配り出した「どうするの、入るの…?」幸子が怖そうに直子に聞く「四人で入ってもいいですか」要蔵が怖がる幸子を見かねて声を出す「大丈夫ですよ、祭壇の前にある椅子にお座り下さい」ローソクと絵馬を持って祠に入る四人、俺が扉の隙間から覗くと正面に祭壇がありその前に長いテーブルがあり、表面に溶けたローソクの残りがこびりついている、それぞれに火のついたローソクをテーブルに立て絵馬を置くと炎が揺れ祭壇が青白く光り出したそれぞれの正面に古い武具を纏った人影が現れる、それぞれの話し声は聞こえないが要蔵の唇が動く、そしてローソクが消え四人が祠から出てくるが放心状態で何も喋らない。
「次は慎吾さんと美津子さんですね」女将がローソクと絵馬を渡そうとするが俺は「我々は祠を見にきただけですから…、それにしても古いものですね」「では中に入ってよく見て下さい」女将は扉を開け我々を祠の中に招き入れた、微かにローソクの燃え尽きた匂いが漂う暗い祠の中、「月明かりが祠の中で反射している」美津子が光の跡を追う「なんや…あれ、反射した光が板の節穴から外へもれとるで、あの木の下まで伸びているわ」美津子は祠を出て木に近づこうとする、俺も祠を出て美津子の跡を追う「あそこや、木のウロや、あそこをてらしよる」二人でウロを覗き込む、「何かある」俺はウロの中に手を入れた「なんだこれ」蝋紙に包まれた長細い物を俺は取り出した。
女将が急いでやって来た。「巻物…?ヒョットして村上水軍の」驚きを隠しきれない女将。
「とりあえず持って帰りましょう、明るいところで見たいわ」大事そうに抱えたものを見て義雄「何か見つけたのか」とやってくる。
「何だかわからないけど、大発見になるかも」俺も興奮していた。
潮が満ちてくる時刻です、そろそろ戻りましょう」女将が坂道を降り出した、「釣りがしたいからもう少しここにいてもいいかな」岩まで降りたら剛士が言い出した、「潮が上がってくると明日の昼まで戻れんぞ」突然、義雄が言った、すかさず幸子が「どうせ釣れないよ、向こう岸から釣れば」「帰れないと困るよ」直子も嗜めた、納得したのか剛士も釣り道具を持ってついてきた。
中洲に海水が上がって来ている「危ないとこだった、まだこれなら濡れずに戻れる」桟橋に上がり遊歩道を歩き民宿に戻ろうとする幸子、直子、要蔵「乗ってゆけ」声を掛ける義雄、剛士は桟橋から釣りを始めた、俺は蝋紙に包まれた物を早く見たくて早足になる。
「ジル、もっとゆっくり歩いたらどうや、疲れるわ」文句を言いながら跡を追ってくる美津子、主人と女将と幸子、直子、要蔵は荷物を積んで車に乗って戻った。
遅れて民宿のロビーに入るとソファーに座ってくつろいでいる。
美津子と並んでソファーに座り蝋紙を開く。
皆、興味深そうに覗き込む、「なんか、巻物みたいやな」美津子が声を上げる。
「早く見てみよう」要蔵が急かせた。
破らないように慎重に巻物を開く、かなり痛んでいて手元が震えるのだが気を取り直して慎重にひらいてゆく。
「なんて書いてある、とりあえず全部開こう、テーブルを寄せるよ」テーブルを移動する要蔵を手伝う直子。
俺は拡大鏡を出して読み始めると美津子が「声出して読まんかい、しんきくさいな」苛立つ。
「読みづらいけどなんとかなりそうだ」「ここ、北木島と書いてある」由美子が巻物を抑えた、「警護州って文字も見える、水軍の事かな」要蔵が難しい顔をして「何、その警護州てのは」身を乗り出してくる。「昔、毛利・小早川家では主人を警護して海をゆくことからこの人たちを警護州と呼んだ、多分村上水軍のことではないかな、女将が「と言うことは、毛利の殿様を警護して飛島から北木島へ行ったと言うこと」「そうだね、その功績に報いるため殿様が水軍にお金を渡したとも書いてある」俺はなるべくわかりやすい言葉で説明する。
「オラオラ、金や、お宝やで」直子が素っ頓狂な声を出す、幸子が真面目な顔をして聞いてくる「その財宝、どこにある」「そう焦るな、先生に解読してもらわんと、わしらじゃ読めん」要蔵、幸子を嗜めた、「その先は…」美津子が急かす。
俺は主人に「北木島って石材が有名ですね」主人は「良質の石材が有名だよ、大阪城の石垣も北木島の石材と言われている」「秀吉が天下を握って大阪に築城する際、小早川も毛利も北木島から石材を積んでいった、石材の切り出しに村上水軍も一役かったというような文面もある、どうやら石切場の何処かに隠したのかも…ここから先は場所を示しているみたいだけどわからない名称ばかり出てくる、例えばここ、切り立った岬の中腹に石を掘り出した後の穴とだけ書いてあるけど、どこの岬だろうね」頭を傾げて「わからん」と言うだけの義雄。
美津子が明日診療所に行くと言うので健三の見舞いを兼ねて北木島に行こことになった、無論、石切場も見るつもりだ、女将に北木島の役場に勤めている甥に連絡を取ってもらい石切場に入る許可をもらうと、主人が「私が船を出すから皆で行こう」と言い出した。
剛士は「なんか面白いことになってきたな」と言い出すと幸子が「宝探しや、釣りより面白いで」と言う、直子が「出てきよったらみなわてらの物かいな」と言うので俺はすかさず「そうはいきません、何が出るかわかりませんが国宝と認定されると個人の持ち物になりません、それに金、銀、となれば地権者や公共機関も介入します」と釘を刺した、直子は不満な素振りを見せ「なんや、全部貰えんのかいな」と愚痴を言う、幸子が「ロマンや宝探しのロマンや」と笑顔で叫んだ。
「古文書を全て読んでみないと、なんとも言えませんね」と言いながら今日のところは疲れているのでここまでとし、各自部屋に戻った。
「村上水軍の財宝か、何を隠したのや、楽しみや」おどけて部屋に戻る美津子。
翌朝、朝食を済ませ桟橋へ、義雄が船で待っている。
俺は皆と一緒に北木島の役場へ向かう。
女将の甥、七尾博史が席を立ちカウンターへ来た「おばさん、お久しぶりです」色は黒いがなかなかの好青年である。
要蔵が「診療所が近いから俺たちは健三の見舞いに行くわ」と言い出した、そして幸子、直子、剛士を連れて診療所に向かった。
主人と女将、美津子は役場の女性職員に応接室へ案内されると「おばさん、知りたいことはなんですか」と博史は単刀直入に聞いてきた。
「島の祠で巻物を見つけて…」ゆっくりと説明をした。
「これがその巻物です」俺はテーブルの上に巻物を置いた、「随分古いものですね」と博史はまじまじと見つめる、俺は巻物を丁寧に開き「ここに記載されている文章に村上水軍が隠した何かがあるのです」「それはすごい、どこですかその場所は」博史の目が輝く。
「岬の石切場としか書いてないのではっきりとした場所は分かりません」と俺が言うと「岬にある石切場、…ですか、石切場は島の内陸部ですが、岬にあるのは聞いたことがない、役場に水軍のことを調べておる職員がおるから呼んでくる」と部屋を飛び出した。
しばらくして若い職員、間野時夫を連れて戻ってくる「間野君です、水軍のことについてお尋ねなのだが、岬にある石切場ってあったかな」「岬ですか…」しばらく沈黙して考えていた時夫も「石切場は島の中央部付近が多いのですが岬付近にあるとは聞いていませんね」「これですが」時夫に巻物を見せ「この水軍の巻物に載っているのですが「これって村上水軍の古文書ですか、もしや小飛島の祠あたりで見つけられたものですか、私もだいぶ探したのですが…、大飛島の恋人岬に石を掘り出したところがあると聞いたことがありますが、もしやそこでは」時夫は興奮して顔を赤らめている。
主人が突然「俺も聞いたことがある、あそこはなら、平安時代に祭祀遺跡の祭壇石を掘り出した所だ」「可能性がありますね」時夫は主人の言葉に動揺している、「どうする発掘調査か、笠岡市教育委員会の許可がいる」博史が腕を組み天井を見上げる。
「とにかく行ってみよう」俺が言うと美津子は「灯台下暗し…や、けど、わかってよかったわ」微笑んだ。
主人が「今日は遅いから明日にしよう」と言うと美津子は「とりあえず、わては、医療報告せんとあかんで診療所行くで」立ち上がると、博史は美津子の顔を見て「ひょっとして、観光客の命を救ったと言う先生ですか、ここでも有名ですよ」と握手を求めた。
女将が立って「博史、助かったわ、ありがとう」と頭を下げる。
役場を出ると「では診療所へ」と主人が歩き出した、後に続く。
健三の病室に入ると要蔵、剛士、直子、幸子、ベッドを囲んで話している、健三はとても元気そうだが胸からパイプがドレンポンプに繋がっているのが痛々しい。
健三が起きあがろうとすると美津子が肩を抑えながら「そのままでええわ」優しく囁く。「痛みは、ないか」と言葉を付け足す。「あのなあ、担当の先生がいいよったで、とても適切な処置や、命拾いしよった」要蔵の一言で静まり返った病室の雰囲気が笑顔と笑い声に変わった。
「ほんまに、あんな太い針をいきなり胸にブスッとや、驚いたわ」胸に指を当て戯ける剛士「さっき担当の先生におうてきたわ、二、三日で退院やそうやで…、そろそろくろうなってきたさかい、帰るわ」美津子が窓の外を見ながら言った、日も暮れはじめ病室を出て桟橋から船に乗りとばりの降り始めた海を見ながら飛島に向かう。
舵を取りながら主人が大きな声で「明日の朝、恋人岬に行こう」と叫ぶと要蔵が「わしらも連れて行ってくれや」と叫ぶ、女将が「朝食が済んだらみんなで行きましょう」叫ぶ。
直子、幸子の耳元で「お宝や、楽しみや」と囁く。
和気藹々と民宿に着きそれぞれの部屋に向かう。
俺は何か胸騒ぎがして「何か話が出来すぎている」と地図を見ながら独り言を言う。「ジル、どうしたんや、何言っとる」美津子が心配そうに俺を見つめる。座卓に広げた地図を指差して「バルよく見て、ほれ、こうして線を引くと一直線上に小飛島の祠と恋人岬、遺跡、まだ伸ばすと大阪本能寺」不思議につながる、大阪本願寺とは一向衆(浄土真宗あるいは真宗)本願寺派の本山、これが大阪本願寺である。
現在の大阪城のある所だ。織田信長があの地形こそ古今まれなる城地なり、ここに城を築き西国の押さえにと信長が欲しがった地であった。
「大阪本願寺って?遺跡は掘るの?」不安そうに俺を見る美津子。
「許可がないから発掘はできない、遺跡や出土品を見るだけ、大阪本願寺か…頭の中から景の影が消えないのだ」「景って村上水軍の娘のことか」「この辺に立ち寄った形跡はないのだが、妙に気に掛かる」「明日、行ってみたらわかるのと違う、もう遅いよって、あては寝るで」と言い残し布団に入る美津子。
信長が秀吉に命じて大阪本願寺の地を奪いに、毛利が一向衆に加担し、その毛利の警護州として村上水軍の景が戦に加わったのか、俺にはわからんが何だかそのような気がしてきた。
そして朝、俺と美津子が朝食を終えてロビーに入ると剛士、要蔵、直子、幸子がソファーでのんびりと話しを、主人は外で支度をしている。
すると博史が現れた、「博史君どうしてここへ、仕事は」と女将、「観光課の仕事としてきました、参加させてください」俺を見る博史、「俺はかまわないけど」「ええがな、ぎょうさんいたほうが楽しいで」美津子がはしゃぐ、「車の用意もできました、行きますか」主人はそそくさと軽トラに乗り込む、女将がお弁当の包みを見せて「お弁当も、ほらここに」助手席に乗り込む、「楽しいピクニック」直子が言うと剛士が「発掘調査やから」と嗜める。
「そやけど、おおきに、お弁当は助かるわ」声を揃えて皆が言う。
「荷台に載って、出ますよ」主人の声に軽トラの荷台に乗り込む、恋人岬は小高い丘、麓に祭祀遺跡がある。
俺は丘の周辺を歩き回る、「穴も何もないですね」主人が「あの斜面に洞窟があるけど」「洞窟ですか…」俺は気のない返事をして雑草を踏みながら斜面へ向う主人を追った。
「あった、ここです」雑草を鎌で刈り出す。
「真っ暗や、何も見えへん」直子が洞窟を覗き込む「ライト持ってきたから」女将がライトを配ってくれた、「入るんか、薄気味悪い洞窟やで」要蔵が尻込みをすると「ここまで来たからには、入らんと」幸子の激が飛ぶ、俺と美津子は主人の後に付いて入った「石材の採掘に掘った穴だ、岩肌にノミの跡が付いている」俺は岩肌をなぞった。
「深いで、まだ奥があるよって」美津子はライトを持って奥に穿いてゆく、女将が「足元に気をつけてください」叫ぶと博史が「縦穴があったら危ないので十分注意してください」と叫ぶ、要蔵、剛士、幸子、直子、博史、団子状態で女将の後をゆっくり歩く。
突然美津子の甲高い声が「石の上に祠があるで」俺はライトで照らしてみる、平たい石の上に祠がある、扉が少し開いている「中に何かある、扉を開けてみよう」「何や…、玉手箱みたいやな、綺麗やわ」そっと美津子は取り出し石の上に置く、「何だ、漆塗りの美しい箱だね」剛士が組紐を解きかけたその時、しわがれた声で「開けてはならぬ」女将が叫ぶ。
「おばさん、その声、どうしたのです」博史が驚いた様子で聞く「こんどは何や、ほお〜、綺麗な玉手箱やないか」ライトで照らす要蔵に直子が「何が入っているの」剛士が組紐を解き開けようとするとまた女将が「開けてはならぬ」としわがれた声で凄むと声に驚く剛士だが箱を開ける。
洞窟の壁面に青白い閃光が縦横無尽に走り、箱から白煙が…洞窟に充満する煙、俺は美津子の手を掴んで薄れる意識の中で煙が渦を巻き球となり閃光と共に洞窟の入り口から外へ飛び出すのを見た。
船のエンジン音で気がついた「なんで連絡船に乗っているのだ、洞窟で倒れたはずなのに…」隣の席で美津子が寝ている、そっと揺さぶると美津子が目を開いた「どうしたんや、船に乗っているや」驚いてあたりを見渡し叫ぶ美津子。
後ろの席にいた四人グループの中の一人が「どうした、夢でもみたんか」と立ち上がると数人の笑い声が聞こえてきた。
「どこ行きの船や、洞窟におったはずやのに」俺の顔を見つめて言った、「飛島行きの船ですよ、これから敬老会のメンバーで海の架け橋とやらを見に行く、私は佐竹要蔵、隣から高橋健三、南田幸子、斎藤剛士、飯田直子とみな敬老会のメンバーです」俺は驚きの眼で彼らを見つめた。
要蔵、剛士、健三、直子、幸子…名前は同じだが顔が違う、呆気に取られて顔を見つめていると「何や、知っとるのか?」と聞かれ「いや、人違いでした」と話を逸らした。やがて船は大飛島の桟橋に着く、「民宿に泊まるの」「島に一軒しかない宿泊施設やで」「どんな感じかな、楽しみや」「瀬戸内海の真ん中、美味い魚が食える」敬老会グループの声が聞こえてきた。
タラップの下にいる船員に声を掛ける「民宿ユリカモメはあの丘の上ですね」俺が指差して尋ねると「もうユリカモメはありませんよ、ご夫婦でされていたのですが数年前、ご夫婦が突然行方不明になられて、今は廃墟になっていますよ」と告げられた。
「泊まるのだったらそこの案内所で聞いてください、空いていれば泊まれる宿、民泊ですが二、三件ありますよ」と言われ案内所に行ってみることに、「空いていなかったらどうするのや」と美津子「その時は最終便で戻る」と答える。
「聞いてみるものや、あいとったが、よかった」案内所で紹介された民家と歩く「ここみたいだね」玄関に入ると佐伯久子というお婆さんが出てきて部屋に通された、8畳の和室に座卓、荷物を置き座っていると久子がお茶を持って入ってきた。
「よくおいでで、どこからです」「東京です、彼女は神戸です」「あれ、ご夫婦ではないのかね」「一部屋でよかったのかいな」と聞くので、古い友人ですから大丈夫ですよと答えると「それは遠いとこから、何をしにこられた」と「干潮時に歩いて渡れる島があると聞いてきてみました」「ああ、小飛島のことやね、今は潮の流れが変わって大潮の干潮でも道が出てこん四、五年前までは渡れとったのに」と久子。
「あの…昔、民宿ユリカモメってありましたよね」「ああ、由美子さんとこね、それが
不思議なことに、突然ご主人の義雄さんと共に消えてしまったのだよ、村中で探したのじゃが、恋人岬に義雄さんの軽トラックだけ残して消えてしもうたんじゃ。
なんか聞くところによるとお客さんも五、六人、それに甥の博史さんもいなくなって北木島の役場でも大騒ぎになったと駐在が言っておった」
「それっていつ頃のことですか」「そうだね、かれこれ五年も前になるかね」「慎吾、これって、どういうことや」「まさかタイムスリップ、俺たち五年前から弾き飛ばされたのかも、お婆さん恋人岬に洞穴ってありますか」「良く知っとりますな、あったみたいだけどいつの間にか埋もれてしまった」「遺跡は?ありますか、小飛島に祠は?」「ちょっと待ってくれや、それにしてもよくご存知じゃのう。
「遺跡はあるけど、祠は見えるけどもうボロボロじゃ、なんせ海の道が現れんようになってから誰も行ってないみたいだよ」「小飛島に渡れませんかね」「岩だらけで船が近づけん、ゴムボートなら泊まり客が釣りに行っておった、納屋に泊り客が残していったゴムボートあるけど使うかね」「ぜひ貸してください、明日の朝行ってみます」「長いこと使っていないからどうか、みて見たらいい納屋に案内するから」お婆さんに連れられて納屋に入ると、四人ぐらいは乗れるゴムボートが壁に立てかけてあった。触ってみると空気も入っており使えそうだ。
「使えそうかい、わしはそろそろ食事の支度をするから母屋に帰る、お客さんたちはお風呂でも入ってゆっくりして、食事の用意ができたら呼ぶから」風呂に入り部屋に帰るともう食事の用意がしてあった、部屋の前でお婆さんの声がした「入りますよ、何もないけど魚だけは生きがいいで、美味いよ、なんか飲むかい」「喉乾いたよって、ビール頂くわ」
「すぐ持ってくるで、ゆっくり食べや」「ところで、バル時間軸はどうなっている、不思議だ」「剛士さんが箱を開けはるとこまではしっかり覚えておるけど」「そうだ、その後、光が走った、気がついたら船の中」
「その時点で戻ったのか」
「義雄さんも、由美子さんも、要蔵さんも、幸子さんも、直子さんも、博史さんもどこ行ったのだろう、今日あった敬老会グループと名前は同じだが顔が違う。
何が何だか何もわからん」
「あした、祠に行ってみたら分かるで」
「そう願いたい」
凪のような穏やかな海にゴムボートを浮かべて小飛島へ向かう、必死で漕いでいる俺を尻目に「ゆらゆらして、気持ちええ」海に手を入れて空を見上げる天真爛漫な美津子、
怒る気にもなれない。
「もうすぐ着くから」
足場の良さそうな砂浜を目指しゴムボートから降り、祠を目指し岩肌を登り平らな岩の上に出る。
「この前はここまで海水があったのか」
坂道を歩き祠の前に立つ、何年も放置されていたのか扉も剥がれ見るに忍びない姿になっている、「入るか」「もちろんや」床が抜けぬないように足で探りながら慎重に歩く。
「あれ、祭壇の前に岩がある、こんなもんあったか」
岩に近づきよく見ると数珠が岩に埋め込まれている、しかも五角形に測ったようにきっちり正五角形になっている。
「ジル、ふさの色を見て」
「青、黄、赤、白、黒、これは…あの人たちが手首につけていた物、ここにきたのか?」
「この数珠、妙やで、岩を溶かせ埋もれているで」
「まさか数珠が岩を溶かした?」
「そんなアホなことあるかいな」
あの時白い煙が球状になり光の玉となって外へ飛び出し、一直線に飛ぶと遺跡、そしてこの祠、そして行き着くところは大阪本願寺に。
「要蔵さん、幸子さん、直子さん、剛士さんがここにきた、では義雄はんと由美子さんはどこ行ったんや」「遺跡、遺跡に戻ってみよう」大飛島の桟橋までゴムボートで戻り、恋人岬まで歩き旧小・中学校の校庭にある遺跡まで行ってみると祭壇にした平たい岩があった、その岩をくまなく調べてみると水晶でできた数珠が埋め込まれている。
「水晶の数珠、確か義雄はんと由美子さんが何かの記念に手に入れたと言ってはったわ」
「これはあくまで俺の推察だけど戦国時代に織田信長が土地欲しさに一向衆と戦を始め、攻め立てられる大阪本能寺の支援を求められた毛利家は村上武吉を頼りその娘、景それと水軍の将と共に海路から支援したのでは、水軍の警固衆名前はまだわからんが、要蔵、剛士、幸子、直子、健三さんたちはご先祖と祠で会って話した、景が由美子さん、武吉が義雄さんと考えられるのでは」
「さすが考古学者の先生、そのとおりです」不意に岩陰から現れた人影。
「健三さん…?」
「その節はおせわになりました、おかげで生きております」
「健三さんだけ残ったのか」
「入院したために戻れませんでした」
「皆どこ行ったのや」
「三百年前に戻りました」
「戦国時代、もしや大阪本願寺」
「そのとおり、毛利の使者がお見えになって」
「その使者というのは」
俺と美津子は顔を見合わせた。
「あなたがたです、祠で巻物さえ探さなかったら私たちはまだこの時代におりました、祠で時空を超えて支援をこわれたのです。これを持っていてください、この数珠は水軍に伝わる警固を呼ぶ秘宝です」緑のふさのついた数珠を渡された美津子「困った時に数珠をさすってください、警固衆が助けに参ります」振り返り帰ろうとする健三、俺は美津子のもつ数珠を見つめていた。
「この数珠が秘宝なのか、岩に埋め込まれた訳は二度と使えないように封印する為だったのか」
「健三さん、どこへ」
「今はこの島で漁師しています」
そう言い残して健三は去って行った。
「数珠をさすると現れるのか、試してみよか」
「やめとけ、困った時と言っていただろう」
「どんなんでるかな、魔法のランプみたいに、巨人が出てくのやろか」
「さすってみる」
止めるのも聞かずに美津子は数珠をさすった、すると急に霧が立ち込め海を包む、霧の中に古い木造船のようなシルエットが浮かぶ、先頭の船影が島に近づく。
「あれ、先頭の船や、要蔵はんと剛士さんがおるで、着物の上に鎧、刀までぶら下げとるで、まるで海賊や」
「大きい船にいるのは義雄さんと由美子さんでは」
「由美子さんや、派手な着物姿や、髪は束ねて、手には薙刀持っとる、義雄さん緋色の陣羽織、えらそうに采配を振っておるわ」
「やはり義雄さんは村上武吉、由美子さんは娘の景なのか」
霧の中に浮かぶ姿に俺と美津子は圧倒された。
美津子の側にある木に矢文が鈍い音を響かせて刺さった。
「びっくりや」
俺は矢文を取り開いた。
「なんて書いてあるのや」
「祭壇石の周りを掘れと書いてある」
「何かあるのとちがう、とにかく掘ってみるわ」美津子は小枝を拾って掘り始めた。
「これなんや、金属の棒みたいなのが出てきよった、重いで」
「泥を拭いてみて、金色に輝くかもよ」
冗談っぽく言うと「ほんまや、金色に光っているで」
「なんと、金の延べ棒かい」
「あそこにも、ここにもあるで、お宝や、ジル…億万長者やで」
棒を持って踊る美津子に俺は「埋め直そう」と冷静に言った。
「なんでや、どうしてや、お宝やで」
食い下がる美津子。
「俺たちには必要ないだろう、持って帰ると色々と面倒だよ、俺たちの物になるとは限らないし」
「そこまで言うか、しゃあない戻すわ」
渋々埋め戻していると霧の中から要蔵と剛士武者姿で現れる。
「都築殿さすがじゃのう、持ち去ろうとすれば切り捨てよとお頭の命だった」
要蔵が刀を鳴らすと剛士が「そうならなくてよかった」と弓を下げる。
「これも…お返しします」
要蔵に数珠を丁重に渡す美津子、数珠を受け取り霧の中絵消えてゆく要蔵と剛士。
俺と美津子は消えゆく霧を呆然と見ていた。
桟橋から住吉港行きの連絡船に乗り飛島を見つめる。
不思議な体験をしたものだ、デッキに立ち、二つの島影を見つめる俺の頬に潮風が触れてゆく。
白い航跡が続くなかに島での出来事が走馬灯の様に浮かんでくる、
「こうてきたさかい、アイスクリーム食べへん、」
しんみりと思いを馳せている俺は美津子の言葉で現実に引き戻される。
「しばいたろか」と言いたくなるのを堪え、アイスクリームを受け取る。
「暑いから美味しいで」
この天真爛漫なババアは何もなかったようにはしゃいでいる。
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