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実り

その夜、郵便受けに幾重にも重なった『私的文通』が、帰宅した私を待ちわびていた。


過去に書き綴った自身から成る言葉の塊を前に、私は静かに息を吐き、郵便受けから取り出した。


一枚一枚手に取り、ひたむきに傾倒していた自身の筆跡を辿っていく。


読み進めるうちに、かつての私が書き記した辛辣な言葉や、焦燥感に満ちた内省の塊は、単なる自己否定ではなく『真面目』である人生を破ろうともがいていたのだと、今の私には感じられた。


“『真面目』である人生もまた、私であると認めるべきではないのか。”


この、最後に綴られた一紙一文の問いに、私はいたく心を揺さぶられた。


何故、私はこれほどまでに『真面目』である人生を捨て去ろうとしていたのだろうか。


読み終えた私は、カバンから『友人』を取り出し、床に仰向けになった。


床の冷たい感触が、背中から伝わり体温を奪っていく。


私は瞼を閉じ、『真人生』を紡いだ旅の記憶に問いの答えを探し始めた。


便の意のままに揺られた電車、知らない街、老婆の優しさ、手の温もり。

それらのすべてが、私の心に満ちていた。


あの後、老婆は無事に帰れたのだろうか。


遠くで暮らす、母は元気に過ごしているだろうか。


母は、私の『真面目』であった人生をどう思っているのだろうか。


気がつけば、私は実家にいる母に電話をかけていた。

いつもより長く感じるコールの後、受話器を取る音が聞こえた。


久しい母の声は、温かく感じると共に、過ぎ去ってしまった日々の影が覆った。


何故、私はこれ程までに『母』を遠ざけていたのだろうか。


“愚かしいほど正直で、不器用なまでにまっすぐ生きよ。”


私はこの親の願いを体現するものと信じ、ただひたむきに努めてきた。


しかし、いつしか歪んでしまった私の『真面目』である人生は、母との間に物理的には見えない確かな狭間を築き、傷つけていたのではないかと感じてならなかった。


母は、私を通わせられない寂しさを抱えていたのではないか。


沈黙を埋めるように、母は私を気遣った。

私のことを思う母の一つひとつの言葉が、心の一拍を埋めていく。


そこには、言いようのない悔恨にも通じる無償の愛が伴っていることを、今の今になってようやく感じることができた。



私は、電話越しに、ただただ、涙するだけなのであった。

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