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ことの始まり

私は『真面目』である。


厳密にいうと、『真面目』というレッテルを世間、すなわち私を形成する親しい人たちに貼られているのだ。


それもそのはず、生まれ落ちてこの方、親から与えられた『愚直』という常軌を逸した奇天烈かつ奇妙な名は、私にとって紛れもない重責であった。


“愚かしいほど正直で、不器用なまでにまっすぐ生きよ。”


そんな親の願いを、私は文字通り、寸分の狂いもなく体現せねばならぬと信じて疑わなかったのである。


人様に迷惑をかけぬよう、常に三歩下がって行動し、誰かの困りごとには率先して首を突っ込み、そして決して、決して、自分の本音など口にせぬよう努めてきたのだ。


しかし、である。


長年にわたり心血を注ぎ築き上げてきた、『真面目』である人生の堅固な城壁に、一隻の矢を放ったこの度の健康診断は、私にとってまさしく青天の霹靂であった。


何しろ、私は親の願い、すなわち『真面目』である人生を、寸分の狂いもなく設計してきたのである。


幼少期より常に成績優秀、秩序を正す模範生として邁進してきたが、そのすべては、社会に出てからの真髄である仕事に結実し、その遂行は寸刻の懈怠も許されないものだった。


苦手な飲み会とて、社会という名の複雑怪奇な器官の、目詰まりを防ぐための義務と心得ていたのだ。


そうして、来るべき寸分の狂いのない人生のために、『真面目フィー』なる不可視なポイントをコツコツと積み立てたのである。いつか私に起こる難局において、この『真面目フィー』が救済してくれるであろうと、深く信じていたのだ。


だが、そんな完璧に作られた人生設計に、小さな、しかし決定的な亀裂を入れたのが、他ならぬあの診断結果だったのである。


『十二指腸炎、経過観察』


診断結果を告げられた時、私の頭は混乱の極みにあった。


十二指腸炎とは、一体何者なのか。私の『真面目』である人生に、これほどまでに不可解な存在が降りかかるとは。


この身体の異変が、今後、私の『真面目』である人生にいかなる影響を及ぼすのか。私は、この得体の知れぬ病を徹底的に解明せねばならぬ、と固く決意した。


手始めに、図書館の医学書を漁り、インターネットの怪しげな健康サイトを巡り、はたまた近所の薬局で妙に物知り顔の薬剤師に声をかけたりかけなかったりしたものである。


調べれば調べるほど、一つの明白な事実が私の脳裏に焼き付いていった。


十二指腸炎の根源。それはストレス。


真面目一徹、愚直と銘打たれた『真面目』を全うせんとする、人生そのものがストレスの源であったのだ。


とりわけ、ストレス解消と銘打たれた禁欲的な真面目さゆえの反動ともいうべき暴飲暴食は、私の繊細な十二指腸を容赦なく蝕んだに違いない。


そして、己の身を削り、社会という歯車を円滑に動かし、人付き合いを円滑にするための、なけなしの社交性。愛想笑いを浮かべ、気の利いたお世辞を並べ、内心では一刻も早くこの場を立ち去りたいと願う、他人を隔てる顔。そのような場における、消化不良を招く不規則な食生活は言うに及ばず、胃酸が逆流するような精神的負担。


まさしくストレス。ストレスなのである。


すべてが、この十二指腸を育むことに繋がっていたのだと。

私はストレスの吹き溜まり、あるいはストレスの魔窟そのものであったと、その時になってようやく思い至った。


本来ならば、青春の徒労を謳歌した延長に、妖艶な美女と出会い、世間の目も気にせず、本能のままに情熱を燃やすような道があったのかもしれない。だとすれば、細やかな私のライフワークである、天井のシミを女體と崇め、初恋の人を想い、不毛な妄想に老けるようなことはなかったのかもしれないのだ。


気づけば『真面目』という名の鋳型にぴったりとはまり込み、私の人生は歪な形に変貌を遂げていたのである。


私という存在を覆うその『真面目』の殻は、あらゆるストレスの侵入を許さぬ堅牢さを持つ反面、内部に生じた病巣を一切外に逃がさぬ、完璧な密室と化していたのだ。


もはや、私は、この途方もないストレスの前に無力である。


そう悟った瞬間、である。


まるで神の啓示が降ってきたかのような閃光が走ったのである。この十二指腸炎こそが、『真面目』である人生を、本来あるべき私の人生へ軌道修正するための、唯一無二の『免罪符』になるのではないか、と。


無論、この病を得て、都合よく『真面目』という枷から逃れようとしていることくらい、私も重々理解している。


だが、誰に咎められようと、知ったことではないのだ。


私の人生は、私の人生なのだから。

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