白い柱の殺人④
「では、そこにはそれが有ったといことで?」
「ああ。そこにはそれが無かったということだ」
「ありがとうございます。あったわけですね? なかったわけですね?」
「ああ、あるしなかった。それは有ったしそれは無かったんだ」
私たちの言う『それ』の対象は、必ずしも同じものを指していなかった。
あるという『それ』は、ない『それ』と違う。
しかし座標は全くの同一だ。
同じ位置のそれを──あると言いつつも、ないと言っている、謎かけみたいな状況なのだけど。
ここに嘘は──虚偽はなかったのだ。
極めて誠実な発話者が集まって、極めて無謬の真実が集う。
ここにアンフェアの挟まる余地はない。
それはあったしそれはなかったのだ。
それぞれの『それ』は存在していない。
努々そのことを、忘れること勿れ。
※
「事件の真相がわかりました」
あれから数日後、確認するべきことを確認し、関係者を再び屋敷に召集した。
聴衆はざわ、と波紋が広がるようにどよめいて、屋敷の広間に静謐がもどるのは、それから少し後のことになった。
「犯行があった日の十五時十五分」
効果的にざわめきの間隙を縫って、よく響く声で私はそう言った。
水を打ったように静かになる。
そこへ緊張感を破らないように、先程とは一変して小さな声で演説を打った。
「上半身と下半身で、泣き別れになった被害者が見つかって、しかも四角柱の両サイドにくっつけられていた……さらには膝が内側ではなくて、外側に向けて折り曲げられていた。上は半袖で、下は長ズボン、靴下を履いていて、室内なのに靴を履いていた。圧倒的に意味のわからない状況で、何から手をつけていいかわからない程ですが、この事件の本質はそこにはない……」
では、どこに、という意図をはらんでいる、胡乱げな視線が投げかけられてくる。
私は殊更にさりげなく言った。
「アリバイがあることです」
当然ですね、と私は前置きし、
「死亡推定時刻とされている、十四時十五分〜十五時十五分、五人が五人とも食堂に滞在し、誰一人離席などしたりしなかった」
と、ごく平坦な抑揚でそう言った。
「自然、島にいる人間は被害者を殺せない、とこう結論づけられるわけですが、島の外に目を向ければどうでしょう……アリバイがない人間は無限にいる。例えば六人を運んだ漁師とか」
言って、私はガリバー(漁師)を睨んだ。
「実際、目撃証言も取れています。別荘に入ってすぐくらいのとき、食堂の窓からあなたを見ていると」
ガリバーは憮然とした表情になって、「確認しなかったのか!? 伝えたろ! そのとき私は友人といたと……」
「確認は取れてます」
え? とガリバーは肩透かしを食らったような顔をした。
「アリバイがない、と言ったのは私がそのとき思っていたことで、実際にはガリバーさん。貴方のアリバイは証明されている。どころか夜の九時に至るまで、貴方は貴方の友人と共にいた」
「あ、ああ、そのとおりだ」
「だから貴方は犯人ではない」
断言されて安心したらしい、ガリバーはその場に脱力したように頽れた。
「つまり、ガリバーさんの線は崩れた。こうなると、島の外からの外部犯の線も、特定することが難しくなる」
「で、では、やはり、迷宮入り……」
「いえいえ、大丈夫です。そうはなりません。アリバイの問題は、そもそも前提が違ったのです。ノアさんを殺す時間がないも何も──
──ノアさんは死んでいなかったんですよ」
と言った。
情報の意味も呑み込めないうちに、私は畳み掛けるような説明を追加した。
「考えても見てください。被害者を恨んでいたからと言って、どうして上半身と下半身で泣き別れにするんです? 殺したらそれでいいと思いません? そしてそのことをスルーしたとして、なんで柱の両側面に置くんです? わざわざ移動させる暇があれば逃げますよね? そしてそのすべてに目を瞑ってもですよ? 何故わざわざ足を逆向きに? 残虐性をアピールしたかったー、とでも言うのですか?」
縷々として不自然をあげつらったあと、間髪入れずに私はこう言った。
「すべては死んでいるように見せかける上で、結果的にそうなっているだけのものなのです」
やはり納得いかないという風に、説明を求める声が聞こえてきた。
「そう焦らないで。どうせ今から説明しますから。……さて、まずノアさんは十五時十五分、泣き別れになどされていなかった。柱の穴にはまっていただけです」
「柱の穴?」リリィが不審そうに繰り返した。「柱に穴なんて、空いてませんでした。十五時十五分から足掛け二時間後、カイトくんがもう一度見たときも、柱に不審な様子はなかったし、そのことはみんな確認しています」
「では聞きますが」
極めて平然と私は問い返す。
「別荘は木造だったのですよね?」
リリィは、質問の意図も分からないで、「? はい、そうですが」
「ノアさんが前日に持ち込んでいたらしい、二枚の無地の壁紙について、カイトさんに質問としたときも」
──あの別荘は木造の建築で、それを誇示するようですらあったから、壁を壁紙で隠すなんて真似、一切合切やっていないはず──
「と教えてもらいました。別荘は木造だった。それなのに──」
私は周囲をぐるりと睥睨し、
「──柱の色は白色だった」
と、言った。
「木造なのに、白色の柱? これは妙ですよ。木造の建物は柱だって木材だ……大理石の柱でもあるまいし、木材の柱が白いわけがない。それに、『あの別荘は木造の建築で、それを誇示するようですらあった』んです、柱を白色に塗装するなんておかしい。……にも拘らず、柱は白だった。こんなもの、考えられることは一つだけ。
持ち込まれていた無地の壁紙は、柱に巻くのに用いられていた。
だから白い柱に見えたと、そう考えるほか道はありません」
「なるほど……」リリィはそう言って、「でも、それがどうしたって言うんです?」
「つまりですね? 貴方たちが柱と思って見つめていたものは、柱に巻きつけられた壁紙の方であり、柱の方ではない、ということです」
「……要領を得ませんね」
「だからですね? 柱に穴が空いていたとして、その穴と同じサイズの木材を用意して、穴にそれを嵌め、その上から壁紙を巻いてしまったら、見るものには白い柱にしか見えない、ということです」
──一度往復して、二回目に持ってったもんがあったんだ。確か……こう、大きな直方材の木材で、縦三十センチ×横六十センチくらいだったかな。高さは十〜十五センチ程度だった──
ノアさんは、一回目島に到着したときに、柱の穴のサイズを測ったのだ。
そして一度もどり穴のサイズと符合する、あつらえたような木材を用意した(というか、あつらえたのだろう。注文してそのサイズの木材を手に入れた)。
柱の穴にそれを嵌め込んで、なんらかの方法で固定──接着剤だとか、床裏から釘を打つだとか──しておけば、あとは上から壁紙を巻いて、白色の柱の完成というわけだ。
『それ』(柱)はないけれど、『それ』(穴)はある。
同じ場所にあって、同じ場所にない。
裏付けを取るために別荘の設計に携わった人に聞いたのが、冒頭の件だったという訳だ……、曰く、別荘を建てるよう決めたノアの親、世界を放流していたらしい父親が、極東の島国にあった寺にある、穴の空いている柱を参考に、無理を言って作らせたものらしい──流石に元ネタになるものはあるようだ。
「ノアさんは離席して、柱のある部屋に移動した。穴の部分の壁紙を剥がし、そこに嵌め込んだ木材を取り出して、まあ窓かなんかからどこかに放り出す。そしてその穴に身体を差し込んだ。足から入れたんだろうな……。曰く高さはは十〜十五センチ程。頭がつっかえてしまってもおかしくない。
で、ヘソの下までが柱に入ったあと、穴の周りに内臓を盛り立てる。これでわずかに生じる身体と穴の隙間を誤魔化せる。なんの内臓って、もちろん前日に持ち込んだ牛ですよ。一頭丸々連れてきたわけで、身体と穴の隙間を隠すくらい、問題ないくらいの量があるはずです。
で、翻って下半身ですが、ノアさんは長ズボンと靴下と靴を履いていた。長ズボンが腰から脛の終わりまでを覆い、靴が足が見えるのを隠し、靴下はズボンと靴の間を隠匿する。つまり素肌が見えてないわけです。こんな状態じゃ、服の下に牛肉を詰め込まれていても気が付かない──ちょうど壁紙で覆うと穴が消えるよう、その下は伺えないのですからね。
ですから、柱を隔てて下半身があるようで、その実下半身を模した牛肉だったのです。上半身と下半身が損なわれず、柱を隔てて存在していたら、なるほど泣き別れしているようですが、実際は下半身は穴の中にあり、見えているのは牛肉ですからね。泣き別れてなど全然ないのです。
とはいえ、穴の中にすべて下半身が収まるわけじゃない。エルさんは柱は胴の二倍くらいの幅と言っていた。向こう側が伺える穴の長さは胴の二倍くらいの幅と言うわけです。それでは柱の穴に入るのは、膝の辺りまでということになる。従って、外から見えている膝から上の足は、実際には膝から下の足なのです。そして膝から下の足は牛肉に、ダミーによって誤魔化されている。
そして死体に見せかけることがしたいので、ノアさんは微動だにすることができない。動かないことを心がける上で、それを維持するためには力を入れないことが重要です。力を入れなくてはいけないポーズなら、力が抜けたら動くんですからね。脱力していることが肝要です。
で、そのことを念頭に置くとですね、脱力した足のつま先は、内ではなくて外の方を向く。そう外です。足のつま先は、内ではなくて外に向くのです。そして外を向いた足のつま先は、長ズボンの膝の辺りに来るわけで、外に向いているつま先に従って、膝は内でなく、外側に折れる──足が逆向きに折れてくる訳です」
「ま、待ってくださいよ」
いっきに情報の洪水を浴びせられ、やはり混乱した様子が見られたが、それでも反駁するものは現れた──ローラだ。
「足から穴に入るんですよね? そうなら下半身と穴の隙間はどう隠しますか? 膝から下に牛肉を詰め込んだズボンを履き、穴に通し切ったところで、下半身が柱に接地している(ように見せかけている)箇所に、どうしても隙間は発生しますよね? しかしそこに牛の内臓を盛りたくても、柱に嵌っているので盛れない。この矛盾はっ!」
「そんなのは矛盾とも言えない……想像力の欠如の現れです。膝から下に牛肉を詰め込んだ、ズボンの腰回りに内側から牛の内臓を縫い付ける。そしてそれを柱の穴の向こう側に置き、足で調節して膝から下を入れる。履くとき多少足蹴にしたとして、大量の牛肉が詰まってますからね。重量で極端に動いたりしない。それに、うまくいかないならやり直せばいいだけです。別に機会は一回だけじゃない」
人生と同じですね、殺人トリックは、と私は結んだ。
ローラは言った。「なるほど……でもノアはどうしてそんなことを?」
「彼女は本格ミステリに傾倒していたと聞いています。死んでいると思っていたら実は生きていた! なんていう、『死者の蘇生』は本格ミステリではお馴染みのそれですし、やってみたかったんだと思いますよ。本当なら「みんなにアリバイがあるのに次々と人が死んでいく!? それもそのはず、死んでいると思われたノアが犯人だ!」みたいなのを、あとから事情を説明して都度死体を増やす予定だったんでしょう」
「死体はどうやって偽装するんです」と、カイト。
「牛の血を保存しておいて、遺体役の人にぶちまける、とそんなとこでしょう。ノアさんの死体にも牛の血が使われたんだと思いますよ」
「けどよ、ノアは実際に死んでたぜ」エルが言った。「死体が見つかってから足掛け二時間後、ノアの死体は柱から離れ、上半身と下半身の間には、四メートルくらいの距離が空いていた」
トリックの挟まる余地はないだろう、とエルは言った。
「そりゃあ、本格ミステリが好きな人間は、死んでいると思われている人間を殺しても、疑われないことを試したくなるでしょう。死亡推定時刻は十四時十五分〜十五時十五分と誤認されている。ゆえにその間にアリバイさえあれば、あとはどのように行動しても構わない。そう例えば、実際にノアを殺してしまっても」
十四時十五分〜十五時十五分、ノアさんは実は生きていたということを踏まえると、実際の死亡推定時刻は十五時十五分〜二時間後(十七時十五分?)。
その間のアリバイがない者をこそ疑うべきなのだ。
そしてそのときのアリバイがない者は、食堂にずっと固まっていた者を除き、たった一人しか存在していない……。
「そう、ノアさんを実際殺害できたのは、他の四名が食堂で固まっているあいだ、様子が気になったので覗いた、と主張する男──カイトさん、貴方だけなんだ」
ピンと指差した先にいる男。
殺人犯は笑っていた。
そして、その笑みは真顔に変質し、やがてひどく歪んでいったあと、泣いているみたいな声でこう言った。
「──好きなトリックだったんだ」
※
「貴方はノアさんの協力者だった」
「……」カイトは答えない。
「いくら自分が死者を装っても、確認されて仕舞えばおしまいだ。誰かに「触らないでおこう」と言ってもらわないと、この柱のトリックは全然使えない」
──駆け寄ろうしたんだけど、現場を保存した方が良い、って話になって、その部屋は誰も触らなかったんだ──
「確かエルさんはそう語っていた。これは貴方が提案したはずです。根拠は単純で──この殺人はノアさんのトリックを利用する形で行われている。故にトリックを把握しなければ、履行できない殺人だと言える。論理的にノアさんを殺したのが貴方である以上、トリックを把握しているのも貴方ということで、従って協力者も貴方ということだ。死亡推定時刻の一時間、グループを食堂に固めておいたのも、おそらくは貴方の仕業なのでしょう。そうでなければ謎が生まれないし(アリバイのない者が出るから)、トリックのための時間稼ぎも兼ねていた」
カイトはもう、何も言わなかった。
「──お前なんだな」
しばらくの沈黙を破ったのはエルだった。
彼女は、憎々しげにカイトを睨め付けて、再三の確認をするように言った。
「お前が、ノアを、殺した。そうなんだな?」
「……ああ」
エルはカイトを鉄拳でぶん殴った。
カイトは軽く後方によろめいて、殴られた方の頬に手を添えた。
「……っ!」
「失せろ。二度とそのツラ見せるな」
項垂れるようにカイトは頷いた。
場に言いようのないやるせなさが充ちた。
一方で私ははどこか意外だった。
エルとノアの関係は恋敵で、二人が二人ともローラに惚れていた。
エルは、ノアを憎いと思っている……そうあたりをつけることさえあったのに。
しかし、彼女は鎮痛に顔を歪め、
「アイツは、友達だったんだ」
と、当たり前のことを、当たり前に言った。
私は意外に思ったことを深く恥じ入った……。
事件が解決したことをエルメ様に報せた。
エルメ様はなるほどなぁ、としきりに頷いて、
「十五時十五分〜二時間後(十七時十五分)、カイトがノアのことを殺害した。そしてそのあと辻褄のために、上半身と下半身を改めて分けた。そしてその際に用いられたのは、牛を解体した以上あると思われる、デカい刃物か何かなのだろう。なければなかったで工夫したろうが、ともあれそれを使ったと思われる。
穴は再び木材で埋めて、二枚目の無地の壁紙を巻いた──そうとしか考えられないもののこれは妙である──。ノアが本当に殺される筋書きは、元来存在しなかったはずなのに、カイトが穴を隠蔽するのには都合よく、あつらえたように壁紙は二枚あった。一見ご都合主義に思えるが、これは偶然と必然のもたらしたもので……。ノアが、トリックを思い付いたはいいものの、船が迎えにくるまでの一週間、そのまま死体の振りというのはむずかしいと判断し、少ししたら協力者(=カイト)に匿ってもらい、死体が消失したのだということにしようとした。だがそうすると柱にある穴は、自分自身の身体で塞がれず、トリックがあったことがバレてしまう……。それを誤魔化すために二枚あったんだ。もともと二枚でなくてはならなかったんだ。
そして別荘を炎上させたのは、柱の壁紙を剥がしただけで露見するような、お遊びのトリックの始末をつけるため。灰になれば関係ないからな……。雑だがいみじくも効果的だった。船が来る日に炎上させたのは、それまでに燃やすと生活に困るから……。付け加えるなら目撃証言も、自分が疑われなくて済むように、外部犯の犯行を匂わせるため……か。ははあ、なるほど」
理に適う振る舞いだ、とエルメ様は言った。
エルメ様は感心している風だった。
しかし私はそういう気にはなれなかった……、何が好きなトリックだ、と憤懣やる方ない気持ちで満たされて、いまいち爽快感に欠けていた。
私はお前のことが嫌いだよ。




