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過去篇⑥

 〜ジギル視点〜


 アカシック・クラシックと別れ、一時間経った。

 このサロンも、残り三十余分ほど。

 各々すきに話したいものと、心ゆくまで話し合っていた。

 他ジャンルへの関心や、知見を得るのに汲々(きゅうきゅう)としていて、時間が過ぎるのもあっという間だった。

 ここは、知的好奇心の楽園。

 天界よりも天界じみている、正しく天国と言ってちがいない場所だ。

 六年前も、私はそうだった。

 知的好奇心に脳を侵されて、とある事情によりそこいらの下々のものをかどわかした。

 夫らしい男の腕を切り落とし、帰ってきた子供の逆上をいなした。

 そしてそのものらから、永遠に母と伴侶とを奪った。

 仕方なかったんだ。

 だって──試しいたことがあったから。

 誰でもいいから、人が欲しかった。

 さて、そんなことを考えているうちに、話しているものらが他の場所へ行った。

 次は誰に話しかけようかな──と、辺りをぐるり見渡していると、

 クラシック君と、視線がかち合った。


「どうも」


 あちらから話しかけてきた。


「ちょうど、あなたに用があったのです」

「何かな」

「いえ、私自身には何もありません。ただの言伝で……マルタン様があなたをお呼びです」

「マルタン様が? いったい何の用で」

「わかりません、ただ、なんでも、『気が変わった』とかで……」

「……!」


 ──なにか気が変わらない限り、アレをジギルに渡すことはないよ。


 ()()()()()()()()()

 〈転生機関リンカーネーション〉をくれる約束を取り付けたつもりになっていた私にマルタン様はそう言い放った。

 ということはつまり、の人は〈転生機関リンカーネーション〉をくれるつもりなのだ。


「わかった。すぐに向かう」

「ああ、待ってください。目隠しをして連れてきて欲しいと……」

「あの人がそう言ったんだな? よし分かった」


 サプライズで渡すつもりなのだろう。

 もう推測はついているけれど、乗ってやるのもやぶさかとは言えない。

 よし、と目隠しを大人しく付ける。

 両手に手を引かれ、五里霧中のうちに闇の中を行く。

 道中、いくつかのドアを通過した。

 ドア枠に手を添えて、闇の中でもあることが分かる。

 ふと、いま鏡に連れ込まれたら、と想像がかすめ、背中があわ立った。

 そんなことされるとは思わないけれど、念には念の為、不意打ちを感知したら防御の姿勢を取ることに決めた。

 いや、初撃は避けたほうがいい──不意を打たれたら、攻撃をわそう。

 そんな妄想を、逞しくしていると、


「ここからは、目隠しを外してもらって結構です」


 と目隠しを解かれ、ここが現実世界だと気づく。

 左右が反転していなかったのだ。

 廊下とそれに面する部屋や窓の向きが、何度も見た配列のとおりになっていた。

 小物程度なら、現実世界のものを持ち込んで、誤魔化すことができるかもしれない。

 でも、建物の構造は誤魔化しようがない。

 よかった、ここは現実だったのだ──と、

 安心していると、クラシック君がポケットに手を入れているのが見えた。 

 何だろう、と傍目に見ていると、


「──〈神殺し〉」

 

 クラシック君がナイフを取り出した。


「この武器はそう呼ばれることになるわ」

「へえ──」


 私は内心、とても驚いた。

 だがすぐに取り直す。

 いかに私を殺そうとしても、現実世界で私に攻撃は効かない。

 能力があるからだ。

 私の能力は、あまねく物理的な攻撃を防ぐ。

 ナイフで刺そうが、弓矢を放とうが、斬ることも刺すことも──ぶつこともはたくことも、焼くこともくびるのも吊ることもできない。

 絶対に、

 私が現実世界にいる以上、私をナイフで刺すことはできない。

 いつもの如くいつもの通り、だから攻撃をわすことはない。


 ──だから、驚いた。

 

 心臓の位置に、〈神殺し〉のナイフが突き立ったことが。




〜アカシック・クラシックの視点〜




「な──なぜ──」

「ナイフが刺さったか、かしら?」


 酷薄こくはくな表情を作り、私。


「『自分が現実世界にいる以上、神の力が使えるはずである。それなのにナイフが刺さるのはおかしい』──かしら?」

「なん──で、私の能力が」

「分かるかって? 果たして、覚えていないのね」


 ごふっ、と口腔こうくうから泡混じりの血が吹いた。

 双眸そうぼうは虚ろ。

 それでも、その瞳の奥にあるものは、疑念。

 何でナイフが刺さったのか、何で能力を関知しているか。

 私は真面目だから、ついその疑問に回答してしまう。


「六年前、アンタが襲った三人家族。私はその一人娘よ。包丁を刺しても殴っても効かない。ならば、とわかってもむべなるかな、でしょう?」


 虚ろな目が続きを促した。


「ああ、ナイフが突き立ったのはね? ()()()()()()()()()()なのよ」

「──はあ?」


 ジギルは、ひどく間抜けな顔をした。 

 苛立ったような、化かされたような。

 そんな奇異極まる顔を浮かべていた。


「分かるわよ? 左右反転していないじゃんってね。確かにそうだけど、でも鏡なのよ。たとえば、かりに第一の〈門〉に入ったとしましょう。〈門〉一つにつき世界は一つある。裏を返したら、()()()()()()()()()()()()()……。第一の〈門〉の世界を出たければ、第一の〈門〉から出ていくほかないの。そうなると、第二の〈門〉から出ていくと、第一の〈門〉の世界は出られない。むしろ余計に遠ざかっていく──だってそうでしょう? 第二の〈門〉の世界しか行けない、それ専用の入り口なのだから。言ってしまえば恰好としては、鏡の世界に侵入したあとで、さらに鏡に入る形なのよ」

 

 つまり、入れ子構造ね、と私は言う。


「鏡の中の鏡の中。鏡①に鏡②を写したら、鏡①に写る鏡②は、左右反転を二回経由して、元通り同じ景色を写し出す。これとまったく同じ現象が、〈門〉イン〈門〉でも起こせるのよ。〈門〉の世界の中にある〈門〉は、すでに左右反転した風景を、さらなる左右反転にかける。そうなると二回左右反転し、景色が元通り同じ向きに復帰する。


 ──これが、いまいる世界の真相よ」


 現実世界では、()()()()()()()()()()攻撃が効かない。

 鏡の世界では、()()()()()()()()攻撃を避けれられる。

 その両者のポジティブな面だけをさらい、()()()()()()()()()()()、そんなステージをでっち上げたのだ。

 ジギルは、どうやら愕然としたらしい。

 

「バ、バカ──な」

「大マジよ。途中でいくつか戸を通ったでしょ。ドア枠に触っていたものね。あのうちの一つはね、姿見ほどの第二の〈門〉なのよ。全身鏡と言い換えたらわかるかしら? ちょうど大きさがドア一枚分程度なの」

 

 そりゃあ、勘違いの一つもするだろう──もっとも、そうなるように仕向けたのは私だけど。

 ジギルは倒れ伏し、床につくばう姿勢になっている。

 ここは廊下だが、鏡の中だから現実にいる側に見ることはできない。

 『持ち込んだ』ものは存在しなくなる。

 つまり殺人──殺神? ──に邪魔が入らない。

 ジギルは、廊下の床を這いずった。


「ぐ……くくっ……」


 私はそれを、見るともなく見て、傍観した。

 ナイフはすでに引き抜いている。 

 突き立てたのは心臓の場所だ。

 出血多量でほどなく死ぬだろう。

 

「馬鹿だな」


 逃れられる筈ないのに。


「私の復讐の理由、アンタから見たホワイダニットは、もう説明するまでもないわよね?」


 ずりずりと、文字どおり這々の体で、ドアの開いている部屋に逃げ込んだ。

 私も追随する。


「アンタが私から母さんを奪い、父さんからは片腕を取り上げたからよ」


 ジギルは、飾られているコレクションに手を伸ばした。

 棚に手をかけて足を踏みしめて、やっとの思いで指先が届く。


「──ん?」


 見覚えがあった。

 そういえば、ここは来たことがある。

 そう、マルタン様から事前に場所を聞き、〈転生機関リンカーネーション〉を発見した場所だ。


「と、友達だと思っていたの、に」


 しまった、ジギルが手を伸ばしたのは、


「あ、あれ、だけたくさん、お話しして……と、友達になって、まだそれで、昔のことを、む、蒸し返すなんて、まったく性格、が……、捻じ曲がって、いる」

 

 一見してただの壺のような、円環の意匠がある〈転生機関リンカーネーション〉だ。

 

「こんなことを、して……ひ、人として恥ずかしいと、お、思わないのか。復讐は、何も、産み出さない」

「うるせえよ」


 私は一蹴した。


「人殺しの豚野郎が一丁前に人間語話すんじゃねーよ、ダボッ」


 マルタン様曰く、〈転生機関リンカーネーション〉は上手く作動しない。

 転生先の意識をすげ替えて、実質的な殺害をへることで転生する装置。

 それがいまは故障していて、転生してもすぐに死ぬのがオチである。

 ゆえに、


「やるならやりなさいよ。どうせすぐ死ぬわ。人殺しに助かる術なんてないもの」

 

 一顧いっこだにしない。

 どうせ死ぬ定めは変わらぬのだから、一時の優越に浸っていればいい。

 どうしてか、ジギルは胡乱うろんな顔をした。


「わ、私は人殺し、など、して、いないぞ」

「……あのさあ」


 下手過ぎるだろう、土壇場の言い訳が。

 遺言がそれになってもいいんだな。


「嘘では、ない。死んでいない」

「あのね、私は神に聞いたのよ? 落伍らくごしたとは言え神の力はある。そんな老婆が、死んだと断じたの」

 ジギルは取り合わず、「私は知、りたかった……。人を鏡、に入れ、ば、け、獣に成る、噂の、真相を……」


 それは、いつかマルタン様が語っていたことだ。

 だが、それが話と何の関係が──、


「だ、だから攫、って、鏡に、閉じ込め、た……。お、お前の母親をろ、うの中にい、入れて、い、一年間」

「ま──」


 まさか。

 まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか。


 母親の居場所を訪ねに行ったさい、老婆は地図を広げてこう言った。


 ──生きていれば、この世界のどこにいるかわかる。死んでいれば、この世界のどこにもいないことがわかる。

 ──お前の母は、()()()()()()()()()()()()


 亡くなっておられる、と。

 だが、鏡に『持ち込んだ』ものは、現実世界から存在しなくなる。

 ()()()()()()()()()()()()

 ジギルは、母さんを鏡に『持ち込んだ』。

 ()()()()()()()()()()()()

 だから、母さんは現実世界から消えていた。

 ()()()()()()()()()()()()


「母さんは、現実この世界にいなかっただけだ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なら、鏡にいたのだろう。


「そしていまは、獣に」

「成り下がった」


 気のせいかハッキリとジギルはそう言った。


「そしていまから身体を奪い取る」







 刹那、ジギルから力が抜け落ちた。 

 ふ、と突然に、

 膝からくずおれた。

 瞳孔が散大し、

 もう、生きている望みはない。

 死んだのか──と思ったが違う。

 ジギルは死ぬ直前、「そしていまから身体を奪い取る」と言った。

 〈転生機関リンカーネーション〉に、指先を触れながら。

 ならば、転生したのだろう。


「え……? それって……」


 ──ええ──もとの生き物の意識は追い出され、自我がすげかわり、実質的な転生を果たす。それが、〈転生機関リンカーネーション〉という道具の機能なの

 ──それは、転生先の殺害と同義だった。


 ()()()()()


「かあ──さん──」


 どうせすぐ死ぬと、トドメを刺さなかったのは、私。


「わ、わたし──が──、かあ──さんを──」


 鏡の世界が、水面のように歪み、いびつになる。

 幻の揺動ようどうを知覚し立てなくなる。

 ジギル、を、

 親の仇だと。

 信じていたがそれは違うらしい単に鏡に閉じ込めていただけで真にその生命を掠めたのはわたし奪ったのはわたし簒奪したのはわたし奪取したのはわたし略奪したのはわたし蹂躙したのは


 わたし。


 喉の最奥から熱いものが込み上げる。


「おえええ……っ」


 吐瀉物が靴の先端にかかる。

 時間の感覚が失われていた。

 どれくらい経ったのか、一時間か、それ以上か。

 わたしの目の前に獣が現れた。


「すぐ死ぬと言ってもだ」


 獣が人語を話した。


「ここに移動するまでは保ったみたいだな」


 床にガラス片が飛び散っていた。

 窓を見る。

 ああ、そこから入ったのか──。


「一年間、お前の母を牢に入れて、そのあとは下界に解き放ったのさ。一年目で既に、獣に成っていたからもういいだろつって」


 獣は、下卑げびた微笑みをたたえ、鋭い爪をちらつかせていた。


 獣は言う。「謝れ。『たかが母親を奪われただけで、神様殺してごめんなさい』ってな」

 

 私は一瞥いちべつすら与えてやらなかった。

 興味を持てなかった。

 獣の顔からは、同じように急速に興味の色が消えた。


「あっ、そう。じゃあ……死ねよ」

 

 額に三つの熱が疾駆しっくした。

 パクッ、と傷跡が開くのを知覚する。

 獣の掌は、爪で裂いた肉片がまとわり付いていた。


「その傷は」ジギルは言う。「未来永劫受け継がれる。何度生まれ変わってもだ。三本線が額に縦断する──『神殺し』の罪は、それほど重大であるととくと知れ」


 意識が薄れ行く──。

 死に至るさなか、私は考えた。

 生まれ変わるのは、多分ジギルも同じはずである。

 ならば、あえて問おう。

 『神殺し』は完遂できたのか?

 生まれ変わるなら、一度殺しただけでは何の意味もない。 

 毎回殺さなきゃ。

 生まれ変わる度、確実に見つけ、徹底抗戦で命を奪わきゃ。

 そのためには、一体何が必要だ?

 決まってる、僅かな手がかりから筋道を立てて、飛躍した発想で堅実に着地する。 

 要するに『観察する』という行いだ。

 どんな細かなサインも見逃さない、透徹とうてつした眼差しを得ること。


 それこそが、神殺しの()()なのだ。

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