過去篇④
〈転生機関〉の壺を眺めていたところ、物置部屋から「痛ァ!」と叫ぶ声が耳朶を打った。
何事かと思い、部屋に引き返す。
窓がないために、部屋唯一の採光は内開きの戸だが、それが開いていてさえ薄暗い部屋だ。
声の主を探さんとして歩を進め、何か床に落ちているらしい塊を足で蹴る。
マルタン様が、うずくまっていた。
「ど、どうしたんですか!?」
「こ、小指を……小指をぶつけた……。超痛い……」
ちょっと天界行ってくる。
マルタン様はそうとだけ言って、魔法のように忽然と消えた。
無論、魔法の力ではない。
神の力を用いたのだ。
超常の能力は、全て神の力によるもの──つまり、人間にできないことは、神の力によって行われる。
だからこれは神の力なのだ。
と、反射的にそんなことを考えていたら、目の前にマルタン様が戻っていた。
時間にして凡そ一、二秒足らず。
早過ぎる再会に思わず鼻白む。
「も、もう治ったんですか」
「うん」
──天界の病や怪我を治す作用か。
天界に住む神が、寿命以外で死ぬことがない理由!
怪我や病が即座に治癒されて、逆に死ぬことができない理由!
それがこれ──〈天の恵み〉!
「確か……それ、天界と下界の行き来に関しては、神に等しく備わるのでしたっけ」
「うん。そして上手い下手はない。神なら念じた瞬間にできる」
つまり、奴もこの恩恵に浴する。
殺し損ねれば即座に治癒されて、平気の平左で二度と現れない!
当然だろう、殺されかけてまた戻るメリットはないのだから。
(これでまた戦略の幅は狭まった……)
神は念じたら、タイムラグなく天界に行ける。
天界に行けば、一秒経たずに怪我が治癒される。
この二つのコンボにかかる時間は一、二秒足らず(さっきのマルタン様がそうだった)。
怪我の大小に拘らずそうだから、これはジギルを殺すときも同じ。
だから、天界に行かせてはならない。
その為には、一撃で仕留めなければ。
即死させねば、ならないのだ。
しかしジギルには攻撃が効かない。
不可視の薄い膜のような物が、物理攻撃を跳ね返すからだ。
ならば、神の力を封じるのはどうか。
鏡の中の世界に連れ込むのは、どうか。
──それもダメだ。
神の力が使えなくても、大人の太腕を切り落とす奴だ。
どう足掻いたって、そんな化け物には敵うはずがない──あまつさえ。
さらに悪いことに、私は研究職である。
年がら年中椅子に座ってる、弱くなる為にあるような職だ。
戦闘面を期待してくれては困る。
片や、対するジギルの実力は
腕一本落とす腕力に加え、父と母──大人二人を制圧するだけの、戦闘経験も培われている。
要するに、多分物凄く強い。
衰えた研究職と、警戒した強者。
どちらが勝つかは、明白と言う物だ。
だから、最善を尽くさねばならない。
ひょっとしたら勝てるかもね、程度の勝算じゃ、私の復讐はきっと、失敗に終わる。
だいたい、なんと言って鏡に連れ込むのだ……、神の力を使えないことは、すでに聞いているだろう、と、警戒されてもおかしくない。
以下は、直面している問題だ。
・鏡の中に連れ込む口実。
・圧倒的なまでの実力差。
・タイムラグのない、天界と下界ヘの行き来。
・天界における〈天の恵み〉による回復。
・三つ目と四つ目のコンボ(殺さなければ、深傷を負わせても無意味)。
総合すると、警戒されずに鏡に連れ込みつつ圧倒的実力差というハードルを超えて、少なくとも〈門〉から逃げられない深傷を負わせること。
最低でもそのラインを超えなくてはならない。
でも、一体どうやって超えるのが良いか。
──不意打ちか。
不意打ちなら、実力差があっても可能性はある。
なるほどジギルは強過ぎるほど強い──だけど、可能性が全くないとまでは言えない。
次はそれを確かめるのが課題になるだろう。
※
──ジギルの実力。
もう強いのは分かっているけれど、それが一体どれくらいなのか。
神は、固有の能力は一つしか持たない。
あとは、天界と下界に行き来する力。
これと合わせて二つだけの決まり。
そういう物なのだ。
これは、神明学の研究によって証明されている。
だから、ジギルの持っている能力は、天界と下界の行き来を除いては、あの物理攻撃を防ぐ力だけ。
よって、身体能力を強化することはできない。
ので、現実世界で早く動ければ、鏡の世界でも早く動けるし、現実世界で膂力が強ければ、鏡の世界でもまた膂力がある筈だ。
(つまり、現実で不意打ちをして避けられたら、鏡の世界でも不意打ちは効かない……!)
ジギルの腕力が、神の力でない、と言った根拠だ。
不意打ちが唯一の勝ち筋の私は、是非ともその展開にはなって欲しくない。
頼むからそうならないでくれ、と祈りつつ。
私は不意打ちの方法を考える。
本人は不意打ちを把握しても避けない可能性が高い。
なぜなら、絶対に当たらないから。
六年前もそうだったし、今でもそうだと考えるのが妥当。
ならば、本人以外の守らなくてはならない対象に、不意打ちを仕掛ければ良い、ということになる。
……作戦を思いついた。
※
「マルタン様。ジギル様から譲り受けた、この部屋の例の〈門〉について、本人──ジギル様も交えて、お話を伺いたいのですが」
怪我も治ったし、こんな薄暗い部屋に用はない、とばかりに出ていこうとする、マルタン様に私はそんなことを言った。
「良いけれど」と、マルタン様。「連れてきましょうか」
「いえ、私が探しますよ。マルタン様はここ、〈門〉のある部屋で待っていてください」
答えを聞く前に、踵を返して物置部屋を出た。
屋敷の部屋を順繰りに回り、やがてジギルが彷徨うのを見つける。
「なんだ、クラシック君か」
「少しお話を、と思いまして。少し着いてきて貰えますか」
一も二もなくジギルは快諾し、それを受け物置部屋の手前まで連れ立った。
はたと立ち止まり、
「喉が渇いたので、最初にいた会場からグラスを取ってきます。先に入っていて下さい」
と、私はそう言った。
先に部屋に入るジギルを見送って、私は断った通りのことをする。
ややあって再び部屋の前に辿り着き、中にいるジギルとマルタン様を見る。
扉手前くらいの位置に立っていた。
後ろ手で戸を閉めて、私も中に入り、手に持ったグラスの中身をぶち撒けた。
部屋は暗い。
唯一の採光が廊下から差し込む光だったので、戸を閉めたこの部屋は暗室と言っていい。
だから、普通は認識さえ出来ず、グラスの中身をもろに喰らうだろう。
だが──だ、もしもの場合。
ジギルがこの危機を、認識できていたとしたら。
取り引きを持ちかけて、すげなく断られていたジギルは、なんとかポイントを稼いで、マルタン様の考えを改めさせようと、
マルタン様の身代わりになる筈だ。
マルタン様が濡れるのを庇おうと、背中で身代わりに、
グラスの中身を受け止める筈だ。
さて──結果は。
「──大丈夫ですか」
廊下から差し込む光を取り込んで、私は確かめる。
「咄嗟のことだったんで、あまり正確に防ぎきれたか、分からないんですが」
私の前には、ジキルが立っていた。
マルタン様はその後ろに控え、何が起こったか分かってない様子。
両名ともに、濡れていなかった。
マルタン様は、ジギルに守られて。
ジギル本人は、膜に守られて。
この危機の被害から逃れ、からっからに乾いていた。
「凡そのところ、防げたと思います」
ジギルは、マルタン様を、庇っていた。
※
ジギルには不意打ちが通じない。
全くの暗闇と言っていい部屋で、他人への不意打ちを防いだ。
こんな芸当ができて、自分への不意打ちが防げないと思う理由がない。
しかも、単なる不意打ちじゃない。
一条の光も差し込まない、完全な暗闇の中での不意打ちだ。
それはつまり、視界に頼らない、という意味でもある。
だから、死角からの攻撃も効かないことになる……、これをどうやって倒せと言うのだろう。
普通に強すぎるし、ともすれば神の力なのでは、と疑いたくもなるが、先述した通りこれは素の力だ。
神の能力は二つに限られる。
一つは、必ず『天界と下界を行き来する能力』に割かれ、固有の能力は一つしか持てない。
その残った一つだけのリソースを、ジギルは『物理攻撃を防ぐ能力』に割いた。
それ以外の能力はだから自前なのだ。
神の力でさえあれば、鏡の世界で奪うことができた。
だが、自前のスキルでは剥奪もできない。
現実世界では攻撃が効かず、鏡の世界でも不可能に等しい。
加えて、私の戦闘能力は無と来ている。
断言しよう、このままでは私にジギルを倒すのは無理だ。
第二の〈門〉に写るジギルに、私は睨むことしかできなかった。




