過去篇③
一通り鏡の世界の観光を済ませると、とりあえず現実に戻ることになった。
〈門〉を抜けるとき、入るときも思ったことだけど、水面のような見た目を裏切って、やはり何の感触もない。
濡れているような感じもしなければ、物理的な手触りらしいものも絶無。
単に、空気に触れているような。
両目を瞑って〈門〉を通ったら、通った事にさえきっと気がつかない。
そのくらい〈門〉の材質は虚無だ。
違う世界に通ずるゲートには、形而下の材質は向かないということか。
さておき、現実世界である。
引き続きコレクションの紹介を受ける。
世界各国の珍しいものが、ここには飾られているようだった。
マルタン様は部屋を移りつつ、とりわけ凄いものをピックアップする。
「これは、アゾートと呼称される剣。千年前の独立戦争で、かの英雄が使用したものです」
紹介を受け、十数人の諸兄姉はざわ、とどよめいた。
「伝説の剣じゃないか!」「存在したのか!?」「う、美しい」「ここにあったのか」
武器の類まであるのか。
ざわめく有象無象を傍目にそう思った。
また、これまで見せられたコレクションに目を通して思うのは、蒐集されたのはあくまで芸術的価値の介在するもので、凄い薬や、珍しい毒といった、単に希少なものはここにない。
壺とか絵画とか、麗しい彫像が。
あくまでその対象であるらしく。
全ての部屋を巡り終わっても、剣やナイフと言った、文脈や装飾に価値のあるものはあったとしても、美しくないものは飾られていなかった。
つまり、使える凶器の幅も限られる。
(剣やナイフなど、近接武器はあるが、毒や弓などの、遠隔武器はないというわけか……)
弓はともかく、だ。
毒がないのは少し痛かった。
ジギルは物理的な攻撃を防ぐ、不可視の薄い膜を持っているが、何も自主的に口にしたものまでは防ぐまい。
飲み物に毒を混ぜ、それを手渡せば、或いはすんなり毒殺できるかも、と──そんなようなことを思っていたのだが、現実はそんなに甘くはないようだ。
「いや」
いやいやいや。
いやいやいやいやいやいやいや。
鏡の中に連れ込んだら良いじゃん。
神の力は、鏡の中の世界じゃ使えない。
そしたら物理攻撃だって効くわけで、毒が無くたって、作戦の成否が変わることはない。
と──そんなことを考えてしまう程に、私は愚かと言う訳ではない。
だって、防御なんてなくても。
ジギルは──人並外れた力があるからだ。
六年前、私の母を連れ去ったあの日。
父親の腕は切り落とされていた。
肩口から先が切り離されていて、離れたところに腕が落ちていた。
対して、ジギルの垂れた指先は、開き直るかのように赤かった。
素手である。
男の太腕を、素手一本で獲ったのである。
こんな化け物が、「神の力が使えない」からと、私に倒されてくれるとは思えない。
もっとも、それも神の力ではないか、と思う者もあるだろうけれど、とある理由により、ジギルの腕力は、神の力ではない、と言うことができる(その根拠はまた後述するけれど)。
──つらつら沈思黙考していると、
「すべてのコレクションに注釈をつけていては、残り三時間のこのサロンでは足りない。各々好きに見て回ってください」
とマルタン様の声が。
さて、そうか。
このサロンはあと三時間なのか。
ジギルとここで行き合ったのは偶然だ。
だからこの機を逃してしまったら、二度とジギルと会わないかも知れない。
したがって三時間以内にジギルを殺さなきゃ、二度とその機会はやって来ない訳だ。
(つまり、三時間以内に『神殺し』の策を立てなくてはならない……)
武器選びも十全ではない状況下にあって、いかにして『神殺し』を達成するべきか。
森を抜け毒を手に入れに行くか?
──森を抜けるのにも三時間かかる。
戻ってくる頃には、ジギルは天界に帰っている筈だ。
神はみんな天界住みだから、用が済んだら天界に帰る。
天界に帰られたら打つ手がない……、どうしてもやはり三時間なのだ。
や、『蒐集家』に住むマルタン様や落伍して相談役になった老婆はこの下界に住むが、ああいった手合いは寧ろ珍しい。
基本的に神は天界にあって、下界の下々を睨み付けている。
なぜ天界にいる神が多くって、下界に住む神は少ないかと言うと、天界に住んでいればそれだけで、怪我や病から逃れられるからだ。
病や怪我は天界の空気が作用することで、一秒経たずに全て治癒される。
死んでいなければ大抵治るので、生きていればまず死ぬことはない。
下界に住む意味が無いくらいなのだ。
以上のことは神明学の権威だから知っていたのだが、以下のことは神明学の権威でも知らない。
私の『神殺し』の可能性は、どれくらいの高さ、あるいは低さなのか。
皆目見当がつかない。
※
「好きに見て回ってくださいと言った手前なんですが、注意事項がほんの少しだけ。どうせあと三時間ですから、大丈夫だとは思いますが、鏡の世界に長居しすぎると、人は、人ではなくなります。神は大丈夫ですが、そこんとこ気をつけてくださいね、一応」
はたと思い出したと言う調子で、マルタン様はそんなことを言った。
みんなびっくりした顔で彼女を凝視する。
それを受け彼女は不思議そうな顔で、「? 大丈夫ですよ。三時間経って戻っていない人がいたら、鏡の中に探しに行きますから」
「どれくらい長居したら、人は、人でなくなるのですか……?」恐る恐ると言った調子で、私。
「年単位は居ないとそうはなりません。大丈夫、あくまでもこれは、念の為の警告に過ぎませんからね」
それなら、まあ、と私は納得して引き下がる。
周囲の反応も、それに伴って鎮静化していった。
「ちなみに、人が人でなくなるって、それじゃあ何になるんですか? 人は」
「──獣に」
成り下がります、と。
マルタン様はこともなげに言った。
獣の唸り声が聞こえた気がして、私は嘘寒い思いをした。
自由時間となり、各自コレクションを見に回っていた。
私も改めて使えそうなものがないか、再び暗殺者の眼差しでコレクションを見る。
全ての部屋を見て回って、コレクションは全て確かめたが、結果は変わらず、剣やナイフと言った近接武器があるばかりだった。
やはり、切れる手札はこれだけと言うことか。
と、すべての部屋を見たと思ったが、目立たない場所に扉が設えてあった。
そっと手で開けて、中を覗き見る。
そこは物置き部屋と言った風情だった。
窓が付いていないので、暗い。
扉が開いていなかったら、一切の光は差し込まないだろう。
なんとなく気後れして、すぐに退こうとして──やめた。
鏡が佇むのを目の端に認めたのだ。
──ちなみに〈門〉は二つあります。
マルタン様はそんなことを言っていた。
他の全ての部屋を見たが、鏡は他に二つとなかった。
つまり、これが二つ目の〈門〉なのだ。
「最初に見た〈門〉より小さい……全身鏡って感じの大きさね」
確か、二つ目の〈門〉はジギルから譲り受けたとか言っていた。
それと引き換えに、ジギルは何かを取引しようとしていたが、取りつく島もなく断られていた。
一体何と取引しようとしていたのか。
「気になるとこだけど、探りを入れるのは危険かしら……」
いや、別にそんなことはない。
あのやり取りはみんなの前で行われていたことだ。
気になっていて何も不自然なことはない。
「本人かマルタン様辺りに、機を見て質問してみればいいか」
「あら、何の話?」
背後を取られ、勢いよく後ろを振り返るとマルタン様がいた。
「い、居たんですか!」
「さっきからね。物置部屋から音がしたからさ。気になって」
「ち、丁度良かった! 聞きたいことがあった所です」
言ってご覧なさい、とマルタン様は身振りで促した。
「あそこにある鏡」私は〈門〉を手で示した。「アレと引き換えに、ジギル様は何か取引を持ちかけていたようですが、いったい何と取引していたのですか」
「取引というか、一方的に押し付けられたんだけどな……まあいいわ。彼が〈門〉を押し付ける代わり、これをくれと取引していた物は、〈転生機関〉と言う装置。他の生き物に、転生する為の道具よ」
他の──生き物に──
「それは、自分が他の生き物に、転生して生まれ変わると言う……」
「いいえ。実は転生と言うよりも、他の生き物の身体を乗っ取る、と言った方が正確ね」
「そ、それじゃあ」
「ええ──もとの生き物の意識は追い出され、自我がすげかわり、実質的な転生を果たす。それが、〈転生機関〉という道具の機能なの」
それは、転生先の殺害と同義だった。
「動力源は、作者の神の力。もっとも、その力も底が尽きそうで、あまり健全に動くとは言えない……起動したとしても、すぐに死ぬのがオチでしょうね」
なんじゃそりゃ、それじゃもらっても意味ないじゃないか。
そんなことを考えていると、その心の内を見透かしたかのように、
「でも、自分が手を加えさえすれば、〈転生機関〉を治せると考えているそうよ。彼もアレで頭が割と良いからね。案外、本当にできるかもしれないわ」
と、マルタン様は説明した。
私は〈転生機関〉がある場所を聞いて、会話もそこそこに部屋を出て行った。
言われた通りの場所に赴いて、説明と形の近いものを探る。
すると──あった。
一見するとただの壺のような、でも模様に円が描かれた、〈転生機関〉らしきものが。
超然として、棚の上にしんと佇んでいた。




