過去篇
『神髄』と。
正式に言って、『神殺しの脳髄』と。
グランはそう呼ばれているものの、しかし彼女は『神殺し』ではない。
グランは神を殺してないのだから。
あくまでやったのは、彼女の前世にあたる人物、アカシック・クラシックという女性なのであり、グラン本人は、誓って『神殺し』などではない。
本来『神髄』と呼称されるべきは、だから、彼女ということになる。
神を殺しおおせた、アカシック・クラシックが『神髄』ということに。
『神殺しの脳髄』ということに、やっぱりなってくると思う。
遅まきながら、遅ればせながら、
今回は、そんな彼女についてのお話だ。
彼女の神算鬼謀によって果たされる、彼女の『神殺し』について。
その罰に額に走らされた、三本の獣の爪痕について。
めくるめく童話のように語られる。
むかしむかしの、物語だ。
※
木々の枝葉に縁取られて、青空は小さく切り取られた。
風に揺らされて、縁取られた青空もそれと共に揺れる。
額縁だ。
青空という名の絵画を縁取った、それは緑の額縁であった。
漏れて溢れたいく筋かの陽光を、まだらに身体に敷いて森の中を行く。
「もうそろそろ、のはずだけれど……」
肩で息をして、私、アカシック・クラシックは言った。
もうそろそろ。
そう言ったとおり、私には目指して歩く場所があった。
神様の住まう、森にある屋敷。
──『蒐集家』。
それが屋敷の名前だった。
家の主人が、珍しいものを蒐集するのが趣味だから。
それが命名の理由だった。
洒落である。
洒落にならないくだらなさだけど。
ある理由があって、私は『蒐集家』に招聘されていた。
珍しいもの好きの主人の神様は、珍しい人間も集めたがるのだ。
私はいわゆる、天才であった。
神明学という学問があって、私はその分野の権威なのだった。
神様の力を論理立てて解明する。
それが神明学の主たる内容だ。
弱冠十八歳という若さで、学界を揺るがす学説を発表したことが評価され、今回この招聘の対象となった。
『蒐集家』に住まう神様のお眼鏡にかない、恐悦至極幸福のいたりだが、それはそれとして道のりが遠い。
いつになったら到着するのやら──と、つらつらと考えているうちに、いつのまにか森が開けていた。
視界が良好になって、ようやく先に何があるか見えた。
それは、大きな塊であった。
木でできた、真っ黒い質量のある影というべきか。
単なる建築物とは言いがたい、異様な雰囲気をたたえていた。
ぎい、と両開きの扉が開いた。
そこから現れた老人が慇懃に、
「ようこそおいでいただきました。神明学者のアカシック・クラシック様でございますね?」
と、出し抜けに言った。
「マルタン様が、中でお待ちです」
※
老人に通された部屋には、私の他に十数人の男女がまばらにいた。
私と同様に、今回のマルタン様の招聘を受けた人たちだろう……、彼らと私とは、同じ客人という立場にあると言うわけだ。
そういえば、なんでここに通してくれた老人は、私の名前を分かったのだろう、と軽く疑念を覚えたのだが、単純な話、私が最後に来たから、というのがその答えになるらしい。
なぜ分かったって、私が部屋に入ったのを認めて、お集まりの皆さん、とマルタン様(と思しき女性)が話し始めたからなのだが。
「本日は遠路はるばる御足労いただいて、誠にありがとうございます。知っての通り、私は変わったものが好きな変わり者で、その対象は物に限りません。珍しいもの、それはつまり少ないもの。才能もまた、私の興味の範疇にあるわけです。逆説的に言って、みなさんは全員神である私お墨付きの天才です。今日は楽しみましょう。乾杯!」
話のあいだに、老人にす、と手渡されていたワインを掲げ、私は乾杯の音頭に応じた。
周りを見渡すと、同様に伸ばされた腕が林立していた。
全員初対面なので当然知らないが、ここにいる全員が各界の名手やら大家やらと思うと半ば緊張もするというものだ。
私は部屋の端っこに自主的に追いやられ、少し冷静になって周囲を観察した。
この屋敷の主人、マルタン様は背が小さい。
心なし見た目も幼く、少し力を入れたら手折られてしまう花のような危うさを持つ女性だった。
そのお方が、見た目を裏切る活発さで、人々の隙間を縫ってあっちへこっちへと、跳ね回るようにして話し回っていた。
しているうちにここへもやって来る。
私は一拍遅れて姿勢を正した。
「は、はじめましてマルタン様。アカシック・クラシックと申すものです」
「存じているわ。お噂は予々。若き才能に会えて光栄だわ」
「い、いえ。こちらこそ光栄というものです。よもやマルタン様のご尊顔を、拝することができようとは、夢にも……」
「あはは。よもやって」
鈴を転がすような笑い声で、マルタン様は私を弛緩させた。
「楽しんで頂戴ね。私のコレクションを見る時間もあるし」
「本当ですか。楽しみにしております」
ええ、とマルタン様は微笑んで、また別の誰かの元へ飛んで行った。
(慌ただしい人だな……)
本人の代わりにそこに滞留したふわりとした空気を、私は惜しむように感じていた。
用意された料理を楽しみつつ、なんだかんだで一時間経った。
マルタン様が歓談している男女を横切って、はーい注もーくと部屋の前に出る。
「ちょっと遅れてしまったものの、私の友人が来てくれました。神様の。忙しい男で、本当は来れるかどうかわからなかったのだけど、急いで仕事を片付けてくれたようです。はーい前出てねー」
その呼びかけに応じるようにして、一人の男性が人混みをかき分けて部屋の前に出た。
「ご紹介に預かりました。ジギルです。マルタン様の後輩の神です。今回集められた者の中に、どうしても会いたい人間がいたもので、無理を言って参加させてもらいました」
見たことが──
否。
会ったことがあった。
「会いたいのは、神明学の権威。アカシック・クラシックという人間です」
男は、私の母親を殺した神だった。
※
六年前のあの日を忘れたことはない。
私は普段通り、近所の友人と野山を駆けずったあとに、自宅に帰宅するところであった。
遠くに家の影を認めると、同時に何か異常を知覚した。
なんというべきか──静かだったのだ。
私の家は父と母と私の三人だ。
唯一の子供がいなくなれば、静かになるのは必定と言えるけど、それを差し引いても異常な静けさだ。
不審に思って、家の戸に手をかけたが、今思えば、開けないほうが良かったかも知れない。
血飛沫が、赤く咲いていた。
父親が床に倒れ込んでいる。
見れば、父親は肩口から先が失われていた。
少し離れたところに、飛ばされた腕が。
肩と、腕の、両方の切り口が、私を凝っと見つめていた。
血飛沫の正体を理解して、私は世界の均衡を失った。
父親は気を失っていた。
気絶した父を、足蹴にするように男は立っていた──その指先は赤く染まっている。
脇には、母を抱えていた。
どうやらこれから誘拐するつもりらしい。
弾かれるように私は駆け出した。
走る軌道上に、包丁を意識して、抜け目なく襲う前に手にした。
白刃を天に翳す。
「──っらああああ!」
男は、微動だにしなかった。
できなかったのではない。
しないのだ。
なぜなら、一切の動揺すら見せずに、目だけは切っ先を追っていたのだから。
見えているし、余裕もあったのだ。
その上で──避けなかった。
考えられる可能性は二つ。
死ぬ気だったのか、避けるまでもないか。
今回は後者だった。
──触れた、と思った。
その刹那、耳障りな音を伴って包丁は折れた。
切っ先を男に突き立てたときに、男を覆う不可視の薄い膜が、皮膚に刺さらんとする刃を折ったらしい。
驚愕して目を見開いたが、私は諦めず拳で殴り出した。
効かない、どころか弾かれる。
男は関心のなさそうな目をして見下ろした。
男は私を軽く足蹴にし、その印象に反し凄い勢いで私は吹き飛んだ。
男は母を抱え、踵を返した。
お母さん──と、自分が気を失う前に言ったのが、どこか他人事のように聞こえていた。
目を覚ますと、私は隣家の布団の上で臥していた。
隣人がここまで運び込んできたらしい。
お父さんは、と訊ねると隣人は、医者にかかかっている、命に別状はないらしい、と返答した。
なるほど、父は無事か、と胸を撫で下ろし、それなら母を助けにいかないと、と私は駆け出そうとして、はたと思い至る。
母はどこへ連れてかれたのだ?
場所が分からないのに助けに行こうとしたって無駄である。
助言があることを信じて、私はある老婆のもとへ足を向けた。
「生きていれば、この世界のどこにいるかわかる。死んでいれば、この世界のどこにもいないことがわかる」
何枚も広げられた地図を前にして、老婆は指を彷徨わせて言った。
生きていれば、この地図の一点に指を突き立てて、ここにいる、と教えてくれるのだ。
さて十分、二十分と経って、やがてこう言った。
「お前の母は、この世界のどこにもいない」
亡くなっておられる、と老婆は結んで、広げられた地図をたたみ出した。
私は抗議した。
地図の外にいるのかも知れないと。
老婆はこう言った。
それなら地図の外に指をさしたと。
あきらめきれなくて、私は母の捜索を自主的に行なった──が、ダメだった。
探そうにも一人では限界があるし、なんの指針もないのだから。
母は殺されてしまったのだ。
その、母を殺害した、下手人が。
いま目の前で、私の前に握手を求めている。
私のことを、覚えていないのか。
父の片腕を奪われ、母を永遠に奪われた私を。
手ずから手を下しておいて、この男。
ああ、いや、たしか。
名前を名乗っていたな、ついさっき。
ジギル、たしかこいつはそう名乗っていた。
「初めまして、ジギル様。お会いできたことを嬉しく思います」
なんで嬉しいって?
会わなきゃブッ殺せないだろうが。




