誰もが目を奪われてく⑧
ここはサルサラ時計塔広場、天を衝くかの如くそびえ立つ、見るもの唸らす威容を湛える──訳ではないにしろ、ご当地の有名スポット──というには甚だ知名度もないが、とにかく時計塔のある広場だった。
そんなこの場所に、私は訪れた。
再び。
マリナを伴って、事件の真相を明かすために。
事件の真相そのものは明かされているものの、やっぱりそれを聞く人間ありき、推理とは聞き手も必要なのである。
事務的に国に報せてはいおわり、では、流石に私の苦労も報われない。
はたと上を見る。
時計塔の針は、午後の三時を示している。
「それで、事件の真相って、なんなの?」
マリナは言う。
以前ここに来たとき印象的だった、感傷的にマリナに被さった夕焼けの色は、しかし、昼なので表れてない。
マリナの顔は至って尋常に──昼の日の光に明るく照らされて、健康的な印象を湛えている。
「仕組まれたトリックが、解けたということよ」
「トリック?」
そう、トリック──と、私は繰り返すように言った。
「この事件では、目立ったトリックはないと思うけど。あるのは謎だけで──密室だったりアリバイだったり、わかりやすいものは、一つも」
「確かに、密室は出てきてない。それに、全力ダッシュという前提はあるけれど、いずれも家から現場まで死体発見時刻までに行けるから、不在証明もハッキリある者はないし。だからそれらしいトリックもない──ように思えるわね」
「そうでしょう」
「でも──それでもある。そしてそれが、そのトリックが、犯人の存在を隠匿した。犯人が誰であるか、不明にした」
「どういうこと? 犯人はリラ・ブランシェットでしょ? 隠されてないわ。証明されている。ハッキリと瞭然に、消去法的に。それ以外考えられないんだから、だから、リラ・ブランシェットが、連続殺人事件の犯人──」
「じゃあないのよ」
私は言った。
「犯人は、リラ・ブランシェットじゃあ──ない」
「で、でもそれじゃあ、誰が犯人だと言うの? ブランシェットで生き残ったのは、リラ・ブランシェット唯一人……なら、犯人もリラだとするのがふつうでしょう?」
「ふつうはね。ふつうそう思う。そう思うように、促されていたというだけで」
「促されて──なら、ブランシェット家の人間は犯人ではなくて、実はもっと別の犯人が……」
「いや、犯人はブランシェット家の人間で合っている」
「それじゃあやっぱり、リラが犯人じゃ……」
「いいえ、リラじゃない。リラは関係ない」
「じゃあっ、一体!」
「マリナ・ブランシェット」
「……え?」
「だから、マリナ・ブランシェット。犯人の名前」
「マリナ・ブランシェットが──犯人?」マリナはいくらか困惑したように、「で、でも、わたしたち、死体を見たじゃない。屋敷近くの、茂みに伸びていた、あれは絶対に、本人の顔だった!!」
「いえ、死んでないわ。マリナ・ブランシェットは死んでいない。だって──」
──だって、貴方の名前じゃない。
※
マリナは、マリナ・ブランシェットだ。
かつてこの疑念を、私は強く抱いていたけれど、ここに至りその疑念──というより結論──に、再び回帰したというわけだ。
「な──にを、根拠──」
「確かに、反論はいくらでもありそうね。いくらでもどうぞ。説明してあげる」
その言葉に、いくらか動揺したと見えるマリナは、逡巡した様子を表情に滲ませて、それでも少しして、訥々《とつとつ》とこう言った。
「殺されてしまったものの、彼女はグラン、貴方が名前を尋ねたとき、マリナ・ブランシェットと、名乗っていたわよね?」
たしかに、ブランシェット邸の門前で待ち伏せて、出てきた女性に名前を聞いたとき、「マリナ・ブランシェット」とちゃんと名乗っていた。
だから自分はマリナ・ブランシェットではない、と、要はそう言いたいのだろうけれど──
「ええ、ちゃんと覚えているわ」
「それに、ルーイ・ブランシェットに事情を聞いて、話の流れでマリナ・ブランシェットの名前が出たときも、彼はいきなり名前を出したことに対し」
──初対面のお前らには、マリナの奴と言っても分からんか
「と言っていた。初対面のお前らには。初対面のお前、ではなくて、初対面のお前ら、と。つまり複数形。グランだけでなく、私を含めていたのは明白じゃん。私がもしもマリナ・ブランシェットなら、ルーイとは家族ってことなるのだし、私とルーイが初対面のはずがない」
「続けて」
「それに、わたしが無関係の人間を装って、家族に事情聴取をしていたんだとしたら、それは違和感を抱かれて然るべでしょう。どうして二人はそのことに対し、それらしいリアクションを示さなかった訳?」
立て続けに三つ、疑問が投げられて、私はそれを受け、静かにこう返す。
「脅されていたから」
その端的過ぎる端的さに、マリナは、否、マリナ・ブランシェットは、固まった。
「たしかに、脅していた。けど、それは相手に暴れさせないためで、引いてはグランを殺させないためで、安全の確保に必要だったから、武器を向けていただけ……だったじゃん」
「それもあったでしょう。多分あなたは、本気で私を守ってくれていた。けど、それとまったく並行して、『マリナの奴』と名前が出たときに、まるで貴方がマリナ・ブランシェットであることを、否定するみたいなタイミングの良さで、ルーイ・ブランシェットに「初対面」と言わせ、門前で待ち構え、そこから出てきた女性に対しては、自分がマリナ・ブランシェットでないことの裏付けに、「マリナ・ブランシェット」と無理に名乗らせて、そしてあまつさえ、自分が急に脅してきたことの、不審さに対するリアクションを禁じ、あらゆる意味においての疑いを、あの手この手で封じ切っていた」
マリナ・ブランシェットはイラつきを隠さずに、「だから、それをどうやったの!?」
「だから、脅して、よ」
「一緒にいたんだから、そんなことしていないのは見ていたはずでしょう!?」
「いいえ、見ていない。見えない位置だった。貴方は私の三メートル前で、貴方の顔は見えない位置だった」
「か、顔!? それがどうしたの! 人を脅すのに、顔でやれるわけ……」
「口パクならやれるでしょ?」
マリナは途端、口を固く閉ざす。
もう私がわかっていることを、事この段階に至り理解したわけだ。
「貴方は前に、言っていたわよね。一発芸を無茶振りしたときに、読唇術を習得していると」
そのとき私が無茶振りを重ね、「遠くにいるカップルが何を言っているか」を教えてもらうことで、読唇術がどういうものなのか、簡単に実演してもらった。
さて、いま考えると、カップルの『私たち別れましょう』、『そうだな』のやり取りは多分、マリナのでっちあげだったのだが……。
「こうも言っていた。読唇術という技能は、音の聞こえない障害者が、相手の唇の動かし方を見て、相手の言葉を理解するもの、と」
マリナは何か言おうとして、言わない。
「要は、声が聞こえなくても、唇の動きさえ見えればいいわけだ。だから、口パクでもなにも問題ない。逆に、口パクさえちゃんと内容があれば、他の何すらもいらないと言える。マリナ、貴方はそれを利用して、『「初対面のお前ら」と言え』、『「マリナ・ブランシェット」を名乗れ』、『訝しむようなリアクションを取るな』と、口パクで言った。もちろん、言う通りはしなければ殺す、とも、口パクで付け足して、そう言った唇を、二人に読ませたの」
「……だとして、だとしてさ。唇を読ませる、つまり、読唇術を使わせて、口パクのメッセージを読み取らせる。それがトリックの要件でしょ? それならばじゃあ、二人が読唇術を使えたかどうか、それを証明できなきゃダメでしょう」
「そうなるね」
「脅迫相手がたまたま読唇術を習得している、なんて、そんな偶然あるわけがない」
「たまたまじゃない。マリナ、貴方は、こうも言っていた」
──そう──遠くに居ても、何を言っているか、一方的に理解できる。これが便利でね。だからウチの家は、みんな読唇術を習得しているの
「と。だから貴方の家族は読唇術を使える」
「そ、それは私の家族がそうというだけで、家族がブランシェット家という証明にはならない」
「もちろんそこも、証明はできる」
ブランシェット邸に忍び込んだとき、手にした手紙の内容を読み上げる。
「『ターゲットの出没が確認されている、サルサラ時計塔広場にカップルを装って、午後一時〜七時まで張っていましたが、ポツポツと数人が行き来するだけで、それらしい男は出てきませんでした。その日は作物の豊作を祝う祭りだったので、想像するにターゲットはきっと、花火が上がるのを眺めに行ったのか、家にいるかのいずれかかと思います。それと、任務中、六時半ごろ広場に家族を見かけたのですが、公然の秘密とはいえ一応言ってはならないことを──私から見て──聞かれていた為に、
「言うのか」
と尋ねたら、
「言わないよ」
と、返答がありました。あまり関係はありませんけれど、あえて記さないのもおかしいと思い、付記しておきました。家族が殺されていることもあるので、疑わしいようなら、と。ルーイ・ブランシェット』──こういう内容の手紙が、ブランシェット邸にあった。内容からして任務の報告を、国か何かにするものなのでしょう」
「それが、どうしたの」
「どうしたもこうしたもないわ。『サルサラ時計塔広場』、『午後一時〜七時まで』、『その日は作物の豊作を祝う祭りだったので』、『家族が殺されていることもあるので』──これらはすべて日にちと場所を示している。場所はサルサラ時計塔広場、日にちは、作物の豊作を祝う祭りの日、これだけなら去年かもしれないし一昨年かもしれないが、ルーイの家族が殺されているのは今年、つまり今年の、祭りがあったとき。時間は午後一時〜七時まで。
同じ日、同じとき、そして私らも、同じ場所に来た。祭りの帰りに、時計塔に寄って、そこに午後六時半〜七時手前まで雑談していた。『カップルを装っ』たルーイと誰か(手紙の署名がルーイだったので、『カップルを装っ』たのがルーイと誰かであることがわかる)がいたのは午後一時〜七時のあいだ。時間帯も、場所も、被っているのだし、絶対に姿を見ているはずなのよ。そして、あのとき広場にいた者は、私らを除いては、カップルだけだった。なら、そのとき来ていた『カップルを装っ』ったルーイと誰かとは、あのとき見かけた、一組のカップルだ。……理屈を辿れば、そういうことでしょう?」
私はルーイの死体を見たとき、どこかで見た気がすると思っていた。
同様にマリナ・ブランシェット(を名乗らされていた人)の顔を見たときも、やはりどこかで会っているような、そんなデジャヴをどこかで知覚した。
──以前にも、この人と会ったことがあるような……
── ルーイもそうだけど、やはりどこかで、会っているような
あの二人が多分『カップルを装っ』た、一組の男女だったのだと思う。
だから見覚えが二人にあったのだ…‥でなければ既視感を覚えるわけがない。
「で、でもそれがなんなの? カップルがその二人だったら何が変わるわけ?」
「手紙の一文に、『任務中、六時半ごろ広場に家族を見かけたのですが』とあるけれど、そのときいたのは私とマリナだけ。私はルーイとは家族ではないので、マリナと、ルーイが、家族ということだ。マリナの実家がブランシェット家であることが証明できたわね? マリナの家族が読唇術の使い手なのだから、それすなわちブランシェット家は読唇術の使い手ということだ。そしてそのことを裏付けるかのように、ある一つ行動が手紙に書いてある」
『公然の秘密とはいえ一応言ってはならないことを──私から見て──聞かれていた為に、
「言うのか」
と尋ねたら、
「言わないよ」
と、返答がありました』
「こんなやり取りが、手紙には書かれてる。でも、カップルに話しかけられた記憶はない。これでは矛盾する──ようではあるけれど、実はそうではない。さっきも言ったよう、マリナと、ルーイが、家族ということは、ルーイは、読唇術の使い手ということだ。よって、この会話は読唇術によって行われた」
「それじゃあ私が、ルーイが「言うのか」と言った唇を読んで、それに対して「言わないよ」と、言ったことになる。私がいつ「言わないよ」って答えたの? グランだってそんなところ、見てないでしょう?」
「私がマリナに、家業を聞いたとき、口パクで返されて、それが五文字分だったってことで、『ヒトゴロシ』と言ったのではないか、って前に思ってたって話はしたわよね? そのとき交わしていた会話はこうだった」
「何をやってる家か、聞いてもいいの、それ?」
マリナの口元が五回変化して、「 」
「隠密すぎて声出てないじゃんか」
ここの「 」がヒトゴロシで埋められるものと、そう思い込んでいたのだけど、どうやら実際はそうではないらしく、手紙の視点(ルーイの視点)で見た場合の、会話に正解が求められる。
「何をやってる家か、聞いてもいいの、それ?」
公然の秘密とはいえ一応言ってはならないことを──私から見て──聞かれていた為に、
「言うのか」
と尋ねたら、
マリナの口元が五回変化して、「言わないよ」
と、返答がありました。
「隠密すぎて声出てないじゃんか」
これが「 」の真相だったのだ。
「家族が読唇術を使えると言っていて、その家族がルーイであると言うことは、したがってブランシェット家の者は読唇術を修めている──という結論を示している。脅迫相手が読唇術を習得していたことは、だから偶然なんかではない。家族だから読唇術を使えると知っていた──ただそれだけ。本当にそれだけの、簡単な答えなの」
「そして、『ヒトゴロシ』も『言わないよ』も五文字分──か。なるほどそうなのかもしれない。わたしはルーイと血縁関係で、ブランシェットに属する人間は、総じて読唇術の使い手かも知れない。でも、事情聴取のときに読唇術を使わせた証拠はない」
「事実と違う内容を言っているんだから、それだけで十分な証拠だと思うけど、それでも不満なら傍証を示すわね。二人を事情聴取しているとき、二人は質問する私ではなくて、なぜかマリナ──貴方の顔を睨んでいたわよね。私はそのことを、いつでも反撃できるように、武器を持っているマリナを睨んでいるのだ、と解釈したけれど、本当に反撃が目的だったなら、見るべきは顔じゃなく、手元であるべきよ。武器は手元にあるんだから。にも拘らず顔を睨む、その理由とはいかに。これは簡単で、二人は唇を読まされていた。だから顔を見ざるを得なかった。それだけよ」
唇は顔にあるのだから、この理屈は間違っていないはずだ。
「そして、そう考えると納得できるのは、疑いがリラ・ブランシェットに向けられるように、アリバイの面から誘導があったこと。まんまと私はリラを疑ったわ……してやられたという他ない」
「つまり、わたしが口パクで全ての発言をコントロールしていたって言いたいのね……読唇術を使わせることで。そうだとして、ならどうして、すぐに犯人をでっちあげなかったのよ? リラ・ブランシェットを疑わせるために、アリバイの面から誘導があった。それはいいけれど、それならとっととリラが犯人である、と思わせるような、決定的なことを言わせればいいじゃない。ずいぶんと遠回りだった。ルーイ・ブランシェットとマリナ・ブランシェットは全力ダッシュすればアリバイを崩せる。しかしそのあとで殺したとしたら、体力の面でいささか不自然だ。だから一旦保留にして、つぎにマリナに話を聞く。そうするとリラ・ブランシェットが明確にアリバイがないと分かる。どちらもアリバイはないはないけれど、強いていうならリラが怪しいか。とはいえアリバイは両方ないわけで、一応リラにも聞いておきたい。しかしリラはその後逃走し、話を聞く機会を永遠になくす、しかしマリナが殺されてしまい、生き残ったのはリラだけになった。だからリラが犯人である──複雑すぎるでしょ」
「複雑であることで、得ようとした効果があったのでしょう。たとえばすぐに犯人をでっちあげ、私がその人を国に引き渡す。するとそれ以降に誰かを殺したら、事件が終わってなかったことになる。でっちあげた犯人のでっちあげがバレる。それではまずい。自分が逮捕されてしまう危険も大きいし、何より家族を全員殺せない。だから複雑にする必要があった。貴方は、家族全員を、殺したかったのよ」
「……………………」
マリナは応えない。
「それと、マリナ・ブランシェットを名乗らされた人、多分あの人は、リラ・ブランシェットだったのでしょう。バンが殺されて、それ以降に残っていたブランシェット家は、ルーイ・ブランシェット、マリナ・ブランシェット、リラ・ブランシェットのたった三人で、女性のマリナが入れ替わりできたのは、同じく女性のリラ・ブランシェットだけ。だから死んだのは、マリナではなくて、リラ・ブランシェット──」
マリナとリラが入れ替わりを果たし、そのリラが死ねばマリナ(偽者)とリラ(本物)が死んだことになって、表面上はマリナ(偽者)が死んだことになる。
であれば認識の上でだけ言えば、死人のマリナは犯人ではないし、犯人だとしても逮捕は不可能だ。
そして、リラ(本物)は死んだわけだから、いくら探しても見つかるはずがない。
こうすることにより、私は永遠にリラの虚像を追い続けることになる。
「あやうく罠にハマるところだった。リラ・ブランシェット(本物)の顔を焼いたのは、リラ・ブランシェットの顔が分かる者を警戒したからね? 警察は捜査に乗り出さないけれど、国側は被害者を把握していた。つまり顔で誰だか分かるかもしれない。それを警戒したのでしょう。
それと、顔を燃やす前、リラの死体を私に見せたのは、警察が調査に乗り出さない以上、私の認識が真実になるからね? マリナ・ブランシェットが死んだと一度でも私に認識させたなら、他にそれを確かめる者もない以上、それが真実だったことになる。事情聴取のときに見た顔が、死体と同じ顔をしていたら、当然同一人物だと思う。実際にはリラ・ブランシェットの顔なわけだが、私にそれを疑う理由がない。
私にマリナ・ブランシェットが死んだ、という認識を持たせ、国に誤った情報を流させる。
死体の人相は燃えているために、リラの人相を知ろうが知るまいが、国側としても私の証言を信じる他にない。
身長も二人は同じくらいだった。
顔が焼かれたらハッキリ違うとなんて言えない」
マリナ・ブランシェットは、もはや聞いているのかどうかもわからない顔だった。
呆然としていた。
まるで魂が抜けたかのように、心ここに在らずの状態で、いまにも崩れ落ちそうに立っていた。
「後は……証明してないことはあるかしら? 目玉の推理は、目玉のくり抜かれた推理だけど、反論がないなら始めるわよ?」
「…………、目玉だけ、攻撃……実力、差……がないと……」
「ああ、目玉以外に外傷がないから、目玉しか攻撃してないって話のアレね。そうね、不意打ちというのならまだしも、ルーイ・ブランシェットとリラ・ブランシェットはマリナの正面に相対していた。ならば不意打つことは出来ないし、相当実力差が発生してないと、目玉だけ突いて殺すのは不可能よ」
「…………、それなら……矛盾…………」
「してないのよ。なぜなら相当な実力差があったから」
「どういう……」
「意味かって? 事情聴取をしていたとき、相手の武器は届かないけれど、こちらの武器は届く距離感の、三メートルを保っていようって話、あったわよね? でもあれって結構おかしいのよ。たしかに、三メートルなら相手の武器は届かないけれど、こちらの武器は届くでしょう。だけどそんなのは、あっちが反撃を目論んでいるという前提の話でね、逃げようと思ったら、たった一歩後ろに下がったら、三メートルのリーチから脱出できるのよ。一歩よ? たった一歩? 三メートルに十センチ加わっただけで、強制事情聴取から逃げられる。にもかかわらず、それをやらなかったということは、一歩後ろに下がり切る前に、殺されるのがわかってたからに他ならない」
「…………、…………」マリナは、何も言わなかった。
「貴方と彼らには、実力差があった」
正面に対峙していても目玉だけ突いて殺せる実力差があれば、二人が動けなかったのも納得だ。
「あとはそうだな、残っているのは目玉の件だけか。あれは単純に武器の問題で、相当な実力差があると言ったって、相手は暗殺のプロ。慣れない武器を使って万が一のことがあってはならない。だからいつものようにいつものごとく、傷が星になる武器を使った。けど、そんな武器を使って殺しては、必ず星形の傷が残るので、誰が犯人がすぐに露見する。刺したところを何度も突き刺して傷跡を上書きしたところで、気づかない場所に武器の痕跡が残るかもしれない。ので、傷がついた箇所をその部分の肉体ごと切断するなり持ち去らなくてはならなかった。しかしそれは結構重労働であり、やってる間に誰かに見られたら、それこそ苦労は水の泡になる。だから、致命傷になる身体の部位でももっとも持ち去りやすい部分、目玉を突き刺して、殺すことにした」
他の武器に変えて殺害したあとに傷跡を上書きしたところで、それも結構な重労働であり、しないに勝ることはない。
なんにせよ目玉を武器で突き刺して、それをまるごと元から持ち去れば、証拠の隠滅は図れる──数ある取りうる選択肢の中で、もっとも簡単な一つだったのだ。
「付随して、瞼の問題も片付けられる。アリア・ブランシェットだけ瞼が破られて、スミス・ブランシェットだけ瞼に傷がない。残る全員の瞼に傷があり、いずれも見逃してしまってもおかしくない程度、小さい小さい三角形だった。アリアの瞼が破られた訳は、おそらくは武器で突き刺されるときに、思わず瞼を閉じからだろう。だから瞼に星の傷ができ、それが証拠になるのを避けるため、マリナ、貴方は瞼を持ち去った。瞼を破るという形で。
スミスの瞼が無傷だったのは、武器が目に刺さるタイミングで、瞼を完全に開いていたからだ。残る四人の瞼の傷跡は、見逃してしまってもおかしくない程度、小さな小さな三角形だった。だから、マリナは傷を見逃した。だから破ったり、何もしなかった」
「…………もう、」
「ああそれと、事前にこれを言おうと共有した文言は、『死にたくなかったら、ゆっくりこっちを向け』だったのに実際は、『声を出すな。死にたくなかったら、ゆっくりこっちを向け』になったのは単に、初手で「あれ? マリナどうしたの? 家の前で」と言われることにより、ブランシェット家の人間であることが、私にバレるのを避けたかったから。そうよね? 『声を出すな』を頭につけたのは、何より優先して大事だったから」
「…………、いい……」
「ルーイ・ブランシェットの死体がブランシェット邸から離れた位置にあったのは、単に脅して移動させたから。最後のマリナ・ブランシェット(リラ・ブランシェット)だけは「家に潜んでいたリラ・ブランシェットに頬を殴られて、逃走された」という図を作るのに必要だったから、屋敷から特に移動させなかった。言うまでもないが、むろん、頬の流血は自分でやったんだ。ああ、ついで言うなら私を屋敷の方に行かせなかったのは、身の危険を案じたからでは、当然なく、まだ屋敷の部屋に自分と繋がる証拠があったから。それの露見を恐れたからなのよ。後日訪れたら綺麗さっぱり何もなかったけど、あれに関しては不手際って感じよね」
「もういいよっ!!」
マリナは──慟哭するみたいに、絶叫した。
「わたしが眼球剔抉連続殺人事件の犯人、マリナ・ブランシェットよ」
※
「はん!」
私は嘲るように大上段に構え、居丈高にマリナを虫の如く見下ろして、腹の底から侮蔑するような視線を投げかけた。
「貴方が、犯人、ね。いちいち自白なんてしなくたって、言われるまでもない、そりゃあそうでしょう、私が推察したとおりで」
「…………そうだね」
「それにしても随分と舐めた真似してくれたわよね。誤った推理をする私を見るのは楽しかった? 私に間違った情報を垂れ流し、後ろから見えないことをいいことに、ほくそ笑んでいたんでしょう?」
「……ないよ…………」
「それにしても家族を殺しておいてよくものうのうと生きてられるわね。あ、そりゃそうか。暗殺者だもんね。いままで幾千幾万殺してきておいて、今更家族の死を悼もうってどんなお笑い? たしかにたしかに、そんなわけないか」
「……………………」
「私って貴方みたいな低俗な人間を見たことがなかったの。貴方を見てしまったあとでは取るに足らないムシケラも三食あたたかい食事を食べさせて雨風を通さない屋根のある家でふかふかの布団で寝起きさせてしかもこの世にある全ての愛を花束にして渡してあげないと道理が通らないような気がしてくる。貴方のような下衆で下卑た瑣末で些事たるしかしいるだけであるだけで害をなすような凡そ利益というものをこの世に生まれ落ちてからこっち生み出してこなかった害悪最悪の生き字引きのようなこの世全ての悪を花束にして束ねたかのような辞書に載っている『悪』では表せないような『悪』に代わる新世代のより悪い最悪を、しかし私は許してあげてもいい」
だって、見ているだけで滑稽だから。
私は真顔でそれを言いのけた。
マリナはだんだんすごい顔になって、しまいにはどの感情ともつかない喜怒哀楽のいずれにもあたらない、ないしは喜怒哀楽のいずれでもあるようなそんな不思議な表情を代わる代わる浮かべ、私を下から上へと睨め上げるようにして、邪智と無垢無辜と暴虐が綯い交ぜの、矛盾が相克して発生したような濃縮還元の表情を浮かべ「死」
「──んで欲しそうな顔ね、マリナ」
わたしは先回りして、言った。
「なら、いつものように殺しなさないよ、『ヒトゴロシ』なんだから、ねえ、『ヒトゴロシ』は慣れているんでしょう? 『ヒトゴロシ』、『ヒトゴロシ』、『人殺し』」
そうだ、殺しやすくしてあげる、と私ははにかんで、
「私はね、『神殺しの脳髄』──『神髄』よ」
と、はじめてマリナにその名前を明かす。
マリナは──
驚きの表情を、果たして色濃く浮かべていた。
「まだ足りないかしら? なら見せてあげる」
言って、私は前髪を上げた。
その下に覆われていた三本の傷跡が、いつぶりかの陽光に久闊を叙する。
そして、マリナもそれを見咎めたらしく。
ハッキリと目を瞠り、表情を歪め、
武器を握る手を、ぎゅ、と力ませた。
「さあ、その本性に従って殺せ。薄汚い人殺しの本性に従って。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ!」
額の三本線を見たものは、例外なく顔を顰めてきた。
やはりマリナも例外ではなくて。
額の傷を見て、顔を歪ませた──
だからマリナは、私を殺すだろう。
「ぐっ……ああ…………」
血が、飛び出た。
血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、血が、
目から血が
吹き出るのを見て、私は驚いた。
そう、見たのだ。
マリナの目から出てくる血を。
「なん──で──」
「友達の顔を見て」
にっこり笑えない目玉なんて、要らない。
※
私は死ぬ気だった。
いつかのとき、私はマリナが『ヒトゴロシ』であるとわかってしまったら、友達と思えなくなるのではないかと考えた。
そしてそれは、その通り──にならなかった。
友達と思えななく、ならなかったことに私は驚いた。
そして嘆いた。
友達を友達のまま、国に突き出して、『処分』しなくてはならない現実に。
友達と思えなくなったなら良かった。
友達ではなく、『ヒトゴロシ』として、心ゆくままに国に突き出せた──はずであったのに。
実際はマリナは、友達のままで。
『処分』させたくない、大切な友人のまま、依然変わらずに、『ヒトゴロシ』だった。
私は、現実に、苛まれた。
だから、こう思った。
マリナに私を殺させて、マリナに最後まで逃げてもらおう、と。
友人に殺されるなら私は嬉しいし。
友人を殺さずに済むのなら、一挙両得だ。
でも、これには矛盾がある。
矛盾というか、粗なのだが、これでは友人に、友人を殺させることになるだろう。
だから、死ぬ前に。
なるだけマリナを悪し様に言って、友人だと思えなくさせようと考えた。
あれだけ言えば、マリナは私を友人とは思えなくなるはずである。
作戦は成功したかのように思われた。
でも、違った。
マリナは、私を殺すのではなくて、むしろ自分の眼球を突き刺した。
自罰として。
友人の顔を見て、私の顔を見て笑えなかったから。
ご丁寧にその後もう片方の眼球も突き刺して。マリナは順当に全盲になった。
「馬鹿っ……!」
私は、啼哭する。
「馬鹿っ! 本当にっ……!」
涙を拭って、声を上擦らせ、
「私って、ホント、馬鹿過ぎでしょ……」
「泣かないで」
マリナは私の頬に手を添えた。
私より高い背を地面に横たえて、仰向けの姿勢で、優しげ眼差しをたたえ、こう言った。
「何にせよ死ぬつもりだった。
「こうしてる間にも、目から血は流れ、意識は薄れゆく。出血多量で、多分もうすぐ、ね。
「わたしはブランシェットの家を憎んでいた。人殺しの汚名を着て生きなければならない。そんなクソみたいな人生は嫌だった。だからいつか滅ぼそうと決めていた。家族を殺害し、私が自殺する。そしてそれに足る実力を身につけて、ようやく計画を始動しようとしたとき、グラン、貴方に洞窟で会った。
「貴方にはすごい推理力があった。誰にもわからなかった真相を、あっという間に論理で言い当てた。
「正直怖かった。怖くて怖くて、同時に憧れた。友達になりたいと思った。まずいと思ったけど、それでも、どうしても。
「なってしまった。友達に。名探偵と。しかも貴方は、国から頼まれて、この連続殺人事件の捜査に乗り出した。
「だから考えた。『ヒトゴロシ』のままで、友達でいる方法。それがあれだった。騙すことになったのは、本当にごめんなさい。それでもやっぱり、友達でいたかった。
「どうせ死ぬつもりだったのにね。
「こんなことは虫がいいのは分かってる。でも最期に聞かせて欲しい。わたしと、あなたは、友……
「友達だよ。一番の。そして、初めての」
マリナは事切れていた。
声にならない唇を動かして、
何か言ったあと、命の火を消した。
私の答えを聞いたのか、それはわからない。
でも、一つだけ言えるのは、たぶん角度の問題に過ぎないし、こんなことに意味があるわけではないけれど、マリナの唇が、微笑んでいる形を作っていたことだ。
そう読めたことだ。
「読唇術、習っときゃ良かったな……」
※
すべての報告を国に済ませ、私は屋敷で引きこもっていた。
しばらく何のやる気も起きないだろう。
怠惰な生活に身をやつして、しばらく虚無的な時間を送るのだ。
私がうつ伏せになったソファーのすぐ横に、
「どうしたんだ、『神髄』。らしくないぞ」
エルメ様がいた。
エルメ様がいて、気遣わし気な視線を私に投げかけた。
「………………………………」
はたと、思い出す。
そういえば、額の三本線を見て顔を顰めなかったのは、実はエルメ様だけだということを。
マリナも、顔は顰めたけど、そんなの関係ないくらいの友達だ。
そのマリナが顔を顰めたのに、エルメ様が──変顔をすることによってとは言え、だ──顔を顰めなかったのは、本来もっとありがたいことのはず。
マリナを失って気づいたことがある。
人との繋がりは大事にした方がいい。
「グラン……」
「え?」
「『神髄』じゃなくて、グラン。これからはそう呼んでください」
エルメ様は、狐に摘まれたような顔をして、ふ、と表情を綻ばせた。
「ああ、わかった。改めてよろしく、グラン」
「ええ、こちらこそ。……エルメ」
共に生きようと、初めて考えた。




