神髄
どこに出しても恥ずかしくない、当代きっての我らが恥晒し。
そう言われながら育てられてきた、自他共に認めない誉れ高き者。
その名も、グラン・ランブルク
産まれたその日から、「お前を愛することはない」のフレーズを子守唄として聞かされきた女。
枕が変わっては眠れないように、もはや言われない方が不安になってくる。
とにかくそういう実家なのだった。
どうしてそんな扱いを? という声が聞こえてくる。
簡単だ。
私が忌まわしい者だったからだ。
私は産まれたときから額に傷があった。
その傷の形が、三本線なのだ。
獣に爪で引き裂かれたかの如く、三本の傷痕が縦断してしまっている。
ランブルク家では、否、この世界観は、その傷を生得持つ者をなべて忌まわしい者と扱った。
どういう理屈? って感じなのだけど、曰く三つ走るこの顔の傷痕は、神代の時代、神算鬼謀の奸計を巡らせて、『神殺し』を果たした罪人が、罰として受けた処刑と符合する……らしい。
三つの爪を持つ獣の『餌』にする。
それがその『神殺し』の罰であるという。
不名誉ある『神殺し』の傷痕を、前世から受け継いだ者が、この私。
二度目の名乗りだが、グラン・ランブルク──かつて知略で神を殺した者。
そう、座りの悪いことに、ならぬ座りのいいことに、触れ込み通り『神殺し』な頭脳を、私は望む望まざるに拘かかわらず持っている。
持ってしまっている。
ある時は論理で、ある時は駆け引きで、ある時は私一流のレトリックで。
この生きづらい世の中を生き抜いてしまってきた。
ありとあらゆる迫害をいなしてきた。
だから世の人は、なけなしの侮蔑とありったけの畏怖を込め、私のことを『神殺しの脳髄』と……。
──略して『神髄』と、呼んでいるのだ。
※
そんな私にも、縁談ができた。
辺境伯のエルメ・ヘルメロス。
実家よりも遥かに高貴な家の出だ。
国境地帯にあたる領地を与えられ、その防衛を任せられた者を、辺境伯──マルクグラーフと言い、彼はその爵位を国から受けている。
それは剽悍な戦い振りであると聞く彼は、噂には恐ろしい人であるらしい。
具体的なことは正直わからない。
だが、過去に何人か娶った妻たちを、何故か全員放逐したという。
元妻たちの口は一様にこう語る。
あの白濁した、鋭い瞳がどうにも恐ろしい──と。
来たる結婚生活を早くも憂いつつ、お母様やお父様に家を出る最後のご挨拶をばと思ったら、両親は、私を見るなりハッキリと顔を顰め、
「二度と顔を見せるな、『神殺し』の罪人が」
と、一蹴した。
同様に私を見て顔を顰めた妹が「穢らわしい」と小さくこぼしていた。
扉を閉め、その場から立ち去ろうとしたとき、
「ああ、やっと解放されるのね」
と、声が聞こえてきた。
同意見だった。
いやはや、奇遇千万である。
最低限の荷物を手に持って、馬車すらも出してもらえず家を出た。
まあ、すでに察されている方もいるだろう……、この結婚は体のいい『厄介払い』だ。
いくら黒い噂があるたァいえ、身分だけ見れば貴いお方である。
忌み子と交換して得られるものとして、殆ど最上の結果が手に入る。
私がどうなろうがまるで構わない。
負が正に置換されるだけのことなのだ。
しているうちに目的地に到着した。
私は家の門を叩き、家の人が──メイドさんが──迎えてくれた。
もっとも、額の三本線を認めると、す、と目を細め、汚いものでも見るみたいな顔をした。
端的に言えば、顔を顰めたのだ。
私はそれを見咎めはしたが、最終的には完全にスルーした。
慣れている。
案内してくれならそれでもういいのである。
そして邂逅する。
白濁した鋭い瞳の、総白髪の見目麗しい精悍な青年に。
「──お前が『神髄』か」
いかにも好男子、といった風貌の、透き通る白さをたたえた肌、そして端正な顔立ちに、私は恥ずかしながらしばらく失語した。
そしてその青年はごく真顔の表情で、取り立てておかしなことは言っていないという風に、表情筋の一才が死滅したが如き、まったくの無表情でつぎにこう言った。
「お前を愛することはない」
それは本当に素っ気なく発された一言で、実家でよく聞いた文言と同一だ。
私はそのセリフを受け、口角をほとんど上げないまま微笑して、
「嘘──でございますね」
と言った。
好青年は胡乱な顔をした。「嘘だと?」
私はさらにふ、と微笑して、ええ嘘ですと畳みかけた。
「私を見る者は、皆一様に浮かべる表情というのがございます」
「ほう、それはどんな表情だ?」
「嫌悪の念を隠そうともしない、ハッキリとした拒絶の表情、でございます」
「要領を得ないな。具体的には?」
「はい。私の顔を見た者は──」
私は効果的に間を演出して、
「必ず顔を顰めるのでございます」
と言った。
「……」
「ところが貴方様は、そうではなかった。表情筋が死滅したが如き全くの無表情で、私に「お前を愛することはない」と仰られた。そう、真顔で……一才顔を顰めることなく」
これは本当にイレギュラーなことなのだ。
私の額の三本の傷を見て、顔を顰めなかった者などいないのだ。
最後の挨拶に、両親の元へ行ったときもそうだった。
二人は私を見た途端に顔を顰めた。
これは妹もである。
慣れた者でさえ、普通に嫌悪感を露わにしてくるのだ。
もちろん案内してくれたメイドさんもそうだった。
あからさまに。
額の傷を認めた瞬間に、ハッキリと顔を顰めてみせたのだ。
ところが──彼は真顔だった。
こんなことは本来上あり得ないことである。
それこそ──
「それこそ、額の傷が見えていない限り、起こり得ないことなのでございます」
「……」
「目が、見えないのでございますね?」
白内障の進行ゆえだろう、白濁して、視力のない瞳を彼は細めると、帰納法か、と独り言を言うみたいに呟いた。
数多の具体的な事実や事例から、共通点や傾向を見い出して、そこから一般論や法則を導き出す推論法……。
私はその思考法を利用して、彼の言葉の嘘を看破したわけだ。
今まで会ってきた者はすべて私の額の傷を認めると顔を顰めた。
ならば私の顔の傷を見た者は全員顔を顰めるのに違いない。
ここまでが帰納法。
で──そこから発展して、だから逆説で、見えたなら顰めるはずの顔を顰めなかったなら、額の傷が見えていないと言うことになるのである。
エルメ様は重畳そうに微笑んだ。
「なるほど、見事だな『神髄』」
「いえ、それほどでも。ところで、貴方は誰ですか」
「? 辺境伯、エルメ・ヘルメロスだが……」
「いいえ、貴方はエルメ様などではございません。辺境伯でもない……。身代わりなのでしょう? 偽物のエルメ・ヘルメロス様」
「何を」
私は言下に遮った。「貴方は、エルメ・ヘルメロスの、身代わりです」
「だから、何を根拠に、身代わりと──」
「辺境伯とは、国境地帯にあたる領地を与えられ、その防衛を任せられる者……剽悍な戦い振りとまで評されているのです。そんな人間が、目が見えないなんて道理はない。見えずしてどう戦うというのです」
目の見えない偽物は緘黙した。
だが、しばらくして口ごもりながらも反駁した。
「仮に、仮にそれが真実だとしても、身代わりを寄越すのは何故なんだ」
「貴方は──いえここでいう貴方は本物の方ですが──頭の良い女性と婚約したい、とこう考えた。だから生涯の伴侶を見定めるために、とある試金石を課することにした」
「ほお」
「伴侶を見定める試金石の内容は、貴方が目が見えないことを見抜くか、貴方が身代わりであることを見抜くこと。……そのいずれかか、あるいはその両方」
おそらく過去に娶られた妻たちは、一定の猶予期間を与えられ、そのうちに試金石を突破できなかったのだ。
だから放逐された理由を言うならば、不合格だったから、というのがその答えであるらしい。
「お前を愛することはない──というのは、どうせお前はこの試金石を突破できないから、本物に愛されることはない、ということですね」
「……」
「ですが、それは嘘──いえ、嘘になりました。私が試金石を突破しましたから」
「見事」
とそう言ったのは身代わりではない。
──本物だ。
彼は拍手を伴って現れた。
姿は偽物となるほど似通っており、身代わりの精度の高さが伺える。
ただし瞳には光が宿っていた。
果たして本物は視力があるらしい。
「猶予期間もなしに、全てを看破するとはまさしく瞠目だ」
「……何をしてるんですか」
彼は──本物は頬を摘んでいた。
「いや、その、顔を顰めるのは失礼かと思ってね」
変顔かと思った。
ぐにいぃ、と頬を摘んでいるために、ほとんど表情は読み取れない……、しかして彼は低頭して詫びた。
「貴女を試した非礼を謝そう。悪かった、歓迎するぞ、『神髄』」
「……良いのですか? 私は忌み子ですよ』
私は、額の傷を指でさすった。
「顔を顰めた方がよかったかな?」
思わず吹き出して、いえ、と提案を辞した。
そしてどこかで。
何かが割れたかのような音がした。




