表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

幸福な男

初めまして、文章を書く初心者が書きました。

奇しくも、この噺に出てくる男が永遠に眠ったのは、男の母の忌日であった。

男は平成3年に産まれた男児であった。その年は、やれ東京の庁舎が移動だのやれ育児休業法成立だのがあったようだが、男の記憶には残るものが無かった。

唯、男が覚えていたのは、母の笑顔であった。男の父は、未だ男尊女卑の思考が根深く脳に刻まれており、母を殴っては暴言を吐く、如何しようも無い男であった。母はそんな父に愛想を尽かさず、只管に父を愛し、産まれてきた男にも沢山の愛情を注いだ。

男は、母の事を迚も大切に思っていた。母が与えてくれるのと同じ分だけの愛情を返した。然し父は、跡取りとなれる男が産まれても、母を出来損ないだの煩わしいだのと罵った。男はそれを聞く度に、父に憎悪の感情を抱いた。然し、手を出し文句を言う事は無かった。勝てる事など無いと解っていたからだ。だが、それが原因で男は学校で虐められていた。父に無抵抗に殴られているところを、偶然同級生が見ていたのだ。父親に殴られていると云うのに、抵抗もせず何も言わず耐えている男は、己等よりも下の存在だと認識された。

そこからが地獄だった。

始めは只、靴を隠され机に落書きをされる程度だったので無視をしていた。然し、それがいけなかったのだろう。どんどんと虐めは酷くなり、殴られるのは当たり前、服や教材は破り捨てられ、母からの贈り物すらも壊された。男は疲れてしまった。

教師に相談した。毎日殴られ、物を壊されるのだと。然しその教師は無能であった。皆から虐められて、手を下していない者も此方を嘲笑っていると云うのに、皆に聞いたのだ。

「虐めをしているのか?」と。

勿論皆していないと答える。やっている本人達が、その行為を楽しんでいる狡賢い奴等が正直に答える訳が無いのだ。そうすると今度はこの無能な教師は、「嘘を吐いたのか」と此方を詰ってきた。皆は静かに此方を見ながら嗤い、教師は軽蔑するような目で見てきた。

父が、教師にこの事を聞かされた。普段は仕事が忙しいだのなんだの言って構わぬ癖に、珍しく直ぐに学校へと来たと思ったら、その場で殴られた。

こんな事をするような奴に育てた記憶は無いと、お前なんかは息子では無いと、何度も殴られた。此方の言い分など聞かなかった。

此方だって、お前を父親だと思った事なんか無い。其れが言えればどれだけ良かったか。心が楽になったか。そんな事を言えば到頭殺されてしまう事が解っていたから、何も言えなかった。

男は唯唯耐えた。殴られ骨が折れても、暴言を吐かれ心が壊れた音がしても、耐え続けた。その心の奥底で、何時か、何時か力が強くなり、父親なんかが居なくとも生活が出来るような立派な男になったら、復讐してやると。

然し其れは終ぞ叶わなかった。

父は、元々煙草の煙で肺をやっていた。そこに、癌が重なった。亡命41歳、男が丁度高校生になる、忙しい時期であった。

父は碌でも無い男ではあったが、仕事は熟していた。そんな父が死んだ事で、生活は苦しくなっていった。母は父の死に精神を病みつつも、男を養う為に更に仕事を増やした。

男は、せめて母を安心させたいと恋人を作った。元々仲の良い奴であった為、案外すんなりと告白を受け入れられた。

母は喜んだ。お前は私の誇りだと、幸せになれと、そう言って喜んだ。男はそんな母の笑顔を見て嬉しくなった。

男は高校を卒業して直ぐに仕事に就いた。母に楽をさせてやりたかったし、恋人と結婚する事にもなっていた。それには多大な金が必要だった。だから今迄以上に努力した。安定した収入を得る為に、仕事の合間に又別の仕事もした。大変だとは思わなかった。何も出来なかった過去に比べると、唯働き続けるだけで大切な人が守れる生活は、男にとって幸せだった。

そんな時、母が倒れた。父と同じ癌が見つかった。治療費は生活費と合わせると馬鹿になるような位高く、到底払えるものでは無かった。

母は、せめて死ぬ前に孫の顔を見たい、安心して未練なく死にたいと泣いていた。

男はそれを妻に話した。妻は「解った」と言って、閨を共にしてくれた。妻は、男の母への執着に気づいていた。己よりも余っ程大切にされている母を、怨まず嫉まず尊敬していた。優しく己を理解してくれる妻の優しさに、男は泣いて礼を告げた。二人の努力あって、妻は妊娠した。母に告げると大袈裟な程、泣きながら喜んだ。

男も妻も泣いた。

間に合わなかったのだ。

母の余命は残り三ヶ月だと解ったところだった。子が産まれるのは最低でも十ヶ月は要ると医者に教えられていた。母は孫の顔を見ることが出来ず死ぬ事が、夫婦は悲しかった。皆残念がった。

母は唯一言、「家族を愛せ」と告げて、永遠に眠ってしまった。男も妻も、ずっと泣いた。父が亡くなった時は悲しみ等抱かなかったのに、母が、大切な人が亡くなったらこんなにも悲しいのだと、男は初めて知った。そこからは母の遺言に従い妻を一等大切にし、我武者羅に働いた。妻は男の身体を心配したが、男は妻と子の幸せの為ならば幾らでも頑張れた。

少しして、妻の悪阻が強くなっていった。只管吐き気を催し、歩くことさえ儘ならぬようだった。

男は、妻が大変だというのに仕事で家を空けることは出来ぬと、家に仕事を持ち帰り妻に寄り添った。慣れぬ家事をし、時には背を擦り、子が腹を蹴ったときは共に喜んだ。生きる指針であった母を亡くした男は、只管に妻と腹の子を愛した。

そして、子が産まれた。肌寒い日の夜のことだった。産まれたのは男児だった。出産した直後の妻は迚も疲労しており、それでも子を抱いて笑っていた。涙がでた。最初は母を安心させる為に恋人となった。然し、共に生活していくうちに、妻に対して愛が確かに生まれていた。そんな妻との、子供。愛さぬ筈がなかった。然し、不安もあった。

男は、人は愛された方法でしか愛せないという言葉を聞いたことがあった。愛する息子を、父のように殴ってしまうかもしれないと男は怖がり、母のように、優しく包み込むように愛すよう努めた。叱らず、詰らず、唯唯息子に寄り添った。その努力の甲斐あってか、息子は男によく懐いた。

然し妻は、偶には叱ってくれと云った。怒らぬのは愛情でも教育でもない、優しい虐待なのだと。

男には意味が判らなかった。殴りもせず放置もしていないというのに、何故虐待になるのかと。

男は学生時代に虐められ、教師からも嫌われてしまった所為で中々勉強出来なかった。なので理解力はなかったのである。

だが、妻は泣いていた。男は見ず知らずのところで、彼女を傷付けていたようであった。

之に男は狼狽した。大切な妻を、家族を泣かせてしまったのである。然し、男は叱ることが出来なかった。男は怒り方を、殴る蹴る以外に知らなかったのだ。だが言い訳もしていられない。怒れば息子を傷付け、怒らなければ妻を傷付けてしまう。

如何しようもなくなった男は、少し待ってくれ、考えさせてくれと云った。

妻は、そんな優柔不断なところが嫌なの、と云って、部屋を出て行ってしまった。

後から、息子が申し訳なさそうな顔をして部屋に入ってきた。何も悪いことはしていないのに罰の悪そうな顔をした息子が愛しくて、申し訳なくて、ただ抱き締めた。

妻に、離婚して欲しいと云われた。曰く、他に好きな人が出来たのだと、もう息子には会わせたのだと云われた。もう己への愛情は時が経つにつれ薄れられて、無くなってしまったのだと、理解した。

離婚に、頷いた。

唯唯、今迄己に返しきれない程沢山尽くしてくれた妻に、大切な息子に、幸せになって欲しかった。己よりも妻たちを大切にしてくれる人を見つけたというのなら、その人の元に行く方が良いのだろうと考えた。

その後、家は妻に渡し、養育費も学費用に貯めていた何ヶ月分かを給料を渡した。男は、未練がましくならぬように、他県へ行く事にした。

と云っても隣の県で、旨い飯屋が多くある町だ。何でも丼物が旨いらしく、そこらの店にでも寄ってみて、1度食べてみようと思ったのだ。とりあえず、丁度看板が出ていた店に入ってみた。

オススメは親子丼らしく、オススメならハズレはないだろうとそれを頼んだ。

10分するともう出てきて、そうしてきた親子丼はとても食欲唆る匂いをしていた。

黄色く半熟でトロリとした部分もある卵に、焼き目のつき柔らかそうな鶏肉、上にはミツバも乗っていて彩りが良く、米と一緒にかき込むととても美味しかった。

そこの店を気に入り、少しの間その町に暮らすことにした。他にも旨い飯のある店があるかもしれない。そう思って、持ってきた貯金を使い、何日も町を練り歩いた。

そんな中、ある店に目を惹かれた。

一体何の店なのかは見た目だけでは分からなかったが、入ってみると絵の店だった。動物の絵、花の絵、空の絵、様々な色の絵の具が踊るように塗られている。その中で男は真ん中に飾ってあった家族が描かれた絵を見て、涙が出た。その絵を見て、妻と息子を思い出したのだ。

決して似ている訳では無いのに、産まれたばかりの息子を妻と泣きながら抱いていた過去を何故か思い出して、その幸せさをも思い出して、男は顔を手で覆い年甲斐もなく泣いた。店員は何も言わずに、椅子とタオルを渡してくれた。泣いて弱っている心にはそんな気遣いも染みて、更に泣いてしまった。

少しして、その絵を買わせて貰った。急に店内で泣き、椅子とタオルまで貸して貰ったのに、何も買わぬほど男は屑では無い。1等心が惹かれた、家族の絵を買わせてもらった。そうして男は、息子のことが気になった。もう離婚しているし、妻には新しい相手がいる事も理解している。そんな中無理に会いに行ったら、気持ち悪がられ、もう一生会うことが出来なくなるかもしれないと思った。

思ったが、どうしても、息子の元気な姿が見たくなった。だから明くる日、元住んでいた町に行ってみた。

離婚した男が町を出歩いていると、他の近所の交流があった人達に噂されるかもしれないと、少し帽子とマスクをして、顔を隠しながら歩いた。そうして 直ぐに、家に着いた。表札は変わっておらず、妻と息子はまだここに住んでいることが分かった。

そこではたと、家の外から覗く、だなんて事は出来ないと思い至った。なんて愚かなのだろうと思い、踵を返そうとした時、家の中から妻の声がした。

ごめんなさい!と、泣きながら叫んでいる妻の声が。次いで、息子には手を出さないで!あなた!という声も聞こえた。どうやら、妻は新しい相手に殴られ、息子も手を出されそうになっているらしい。

頭がカッとなるような心地になり、目の前が真っ赤になった気がした。

大切な妻と息子が、殴られ手を出されそうになっている?幸せにと願い離れた筈だというのに、相手は妻と息子を幸せにしてくれないのか?と、そういう思考しか出来なかった。

気づけば窓を割り、妻を殴っていた男を殴った。傍に居た息子の頬が腫れているのを見て、更に殴った。殴って、殴って、殴って、男は鼻血を出して怖がりながら只管謝罪をしてきた。それは妻と息子にすべきだというのに、この愚かな肉は何故か謝ってくる。皮を被り言葉を話すだけしか取り柄のない肉はどんどん顔が腫れていく。だんだんと呼吸が弱くなってきたところで、妻に止められた。

一体何をしていた?人を殴るだなんて、父のような…そう思った瞬間、自己嫌悪に襲われた。確かに彼奴は大切な元妻と息子を殴った塵芥だ。だからといって、己が殴っていい理由にはならない。相手を見ると、もう誰かも分からないほどに晴れた顔からは血が出ており、ひゅーひゅーとか細い呼吸をして倒れている。酷いことをしてしまった。

そのまま男は、怯えた目で此方を見ている妻と息子を一瞥し、すまないと小さく謝って、家を出た。

そのまま警察に家庭内暴力を訴えその場から走り、港へ行った。

男の生まれたこの街は、海が綺麗と自慢の町だった。その青い蒼い海を眺めて、ふと自分が汚いような気がした。碧が綺麗で光が反射することでキラキラしている海に比べ、手を先程殴った相手の血で汚して大切にしていた筈の息子たちを守れなかった己は、とても醜く汚いのではないか、嗚呼、この海のように綺麗になりたいと、何故か思った。

いつの間にか足は海に浸かっていて、ゆっくりと、しかし確実に歩を進めている。水面は冷たいのに、浸かってしまっているところは温かく包み込まれているような気もする。このまま美しい海に飲み込んで貰えたら、己は綺麗になれるんじゃないか、と思った時には、頭の天辺まで浸かっていた。

そのまま進もうとすると地面がなくて、落ちていく。そこの方は上と比べて暗くて、父親失格な自分にはぴったりなように思えた。そのまま力を抜いて、上を見る。耳や鼻に海水が入って痛い。目に入るのは、昔よく泳いでいたから慣れている。キラキラ揺れる水面がとても綺麗で、冷たくて寒いのに温かくて、口からごぽりと(あぶく)が出る。汚い己から出た泡なのに、まるで星が動いているかのように煌めいている。

嗚呼、綺麗だなと思っていると、だんだん眠くなってきた。そういえば最近寝ていない。そうすると息苦しさも思い出してきた。景色が綺麗で忘れていたが、今は呼吸が出来ていないのだ。だが、それでもいい。こんな綺麗なところで死ぬのなら、己も綺麗になったような気がするから。

そうして男は、母の命日に永眠した。最期は幸福に終わり、後から浮き上がってきた体を見ると、とても優しく、子供のような笑顔であったらしい。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。この男の話はこれにて終わりです。次はまた違う話が始まります。

人生とはその人を主役に置いたお話だと思っておりますので、もしかしたらこの話と同じような末路を辿った人が居るかもしれません。これは若しかしたら存在したかもしれない人のお話。そして、若しかしたら存在するかもしれない人のお話です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ