戦鬼
「桃…」
ぼたぼたと血がタマの足元の砂浜を濡らしていく。
「痛そうね」
30メートルは離れていた二人の距離は瞬き一つの間に詰められ、『桃』と呼ばれたその何かはあっという間にタマの懐にいた。
「…っ!」
『桃』と呼ばれたその何かはタマの身体をぎゅっと抱きしめた。
桃姫。十二単衣を纏った齢十三の少女は八岐の大蛇の一体。八岐の大蛇最強の一体である『春彦』の片割れである。彼女の得意とする技は『斬撃』。彼女に斬れぬ物はなく、一振りで山は形を失くし、海は割れ、空にかかるどんな厚い雨雲も散らすと言われている。闘った者は皆、「どこに刀を仕込んでいるのか」わからないまま切られて散っていく。小さき闘いの鬼の愛刀、『桃色吐息』は神の結界すら容易く切り裂く。そんな最重要危険対象がタマの懐にいる。絶望的状況。タマの怪力を持ってしてもびくともしない。
「タマ助、あんた人間の匂いがする。嫉妬しちゃうな。タマ助は私だけの物なのに。殺しちゃうぞ」
「腕二本切り落としておいて殺しちゃうはねえよな」
「タマ助の姿を見たら嬉しくて気持ちを抑えられなかったみたい。胸が熱くなって破裂しちゃうかと思ったの。痛い?」
「ちっ…!」
タマは少し怒ったような顔をした。
「ごめん。怒らないでよ」
しゅんとした表情にタマは居心地が悪くなる。
「腕が戻らねえ…何をした…」
「ざーんねん。教えてあげない。ところで、この匂い。女でしょ?許さないぞー、あたしのタマ助に手を出して。殺しちゃうんだから」
この華奢な身体のどこにそんな力を秘めているのか、身体を真っ二つにへし折られそうな力で抱きつかれタマは息が止まりそうになる。
「みいつけた」
タマは一瞬訳が分からなかった。不意に抑えられていた力が緩むと目の前にこまちがいたのだ。胸ぐらを桃姫に掴まれたこまちは、何が起きたのか分からずポカンとした表情をしていた。
「こまち…!」
「え…タマ…?」
さっきまで祖母の家にいたはずだった。こまちは急に胸ぐらを誰かに掴まれたような気がしたかと思うとどこか分からない砂浜にいたのだ。
「ふーん、綺麗な子」
目の前の少女に驚いて口も聞けなかった。息を呑むほどの美しさだった。漆黒と言っていい瞳、艶のある黒髪、白くほっそりと伸びた細い指。
「きれい…」
思わず息が漏れた。
「桃…頼む、こまちには手を出さないでくれ…!」
次の瞬間桃姫はこまちの肩の肉を食いちぎっていた。声にならない悲鳴をあげたこまちはその場にしゃがみ込もうとしたが胸ぐらを掴まれているせいで座ることすら許されなかった。
「あぁぁあ…!あっ…!痛いよ…!」
口の周りを血で濡らした桃姫はこまちの肉を飲み込んだあと口を開いた。
「みんな殺してやる」
「桃ぉおおお!!!」
タマは桃姫に飛びかかり、噛みつこうとした。次の瞬きの間にはタマは砂浜の上に転がっていた。
「何だ・・・?」
どさり、とタマが転がっている足元の方から音がした。視線を向けるとタマの下半身が倒れた音だった。タマの身体は腰の辺りから切り離され、両の腕も肩から切り落とされていた。まるでただのトルソーのような姿、置物同然だった。タマの変わり果てた姿を目撃したこまちは、立ったまま力なく気を失った。タマは薄れゆく意識の中で身体が猫の姿になるのを感じた。
「タマ助、あんたあたしと闘うの初めてだって気づいてた?」
気を失う直前に桃姫の悲しげな声が聞こえた。
「ばいばい、あたしのタマ助」




