三本足の烏
その場にいた皆が呆然としていた。ただ1人、まつりだけが落ち着いた表情でその場を見下ろしていた。
得体の知れないその者は、オロチの体内から取り出した禍々しい気を放つ真っ赤な玉を持ってタマのもとへ近づいた。
「タマ、これで元に戻れるよ」
そう言うと、タマの身体にそれを近づけた。真っ赤な色をしたそれはタマの体内にするんと入った。するとタマは光に包まれ、オロチに食いちぎられた場所が元に戻っていく。
「これは一体どういうことだい…あんたは一体何者だい?」
戸惑いを隠し切れない様子で苗子が尋ねた。
するとシュルシュルと巨大な狼の姿の変身が解け、まつりが現れた。
「私が説明するよ。いいね、キキ?」
キキと呼ばれたその者はシュルシュルと変身を解いた。現れたのは祐未と同じぐらいの歳の女の子だった。
「まつり、この子は一体…」
「この子はキキ。私も祐未もこの子には会ったばかりさ。なにせ3日程前に山で拾ったからね。見つけた時は酷い怪我で、もう死んでるかと思ったよ。唯一確認出来る身元も磐女の生徒だってことくらい。血まみれの生徒手帳からは名前はキキだと分かった。この子自身も会った時は記憶がなくてね。祐未には警察に行ってもらおうとしたんだが、その日帰らなくてね。何かあったと思って探させていたんだけれど、まったく行方が分からなくてね。何だか嫌な気配がずっとしてるし、まさかオロチの仕業だとは。それにしても驚いたのはこの子の再生力だ。私らも人間と同じ、ダメージを受けたら基本元通りなんてことは基本的にない。傷を受けたらそれなりに再生に時間がかかる。不死身じゃない。」
ここまで話したまつりはふうと息をついた。
「しかし、まずいことしたね。少し暴れ過ぎたよ。祐未の事になるとつい本気になってしまう。私の変身は結界なしで行使するのを上から止められてるのにね。まさかあんたの結界がオロチに破られてるとは思わなかったよ」
「まつり…」
自虐的になるまつりを見て苗子は言葉を詰まらせた。気持ちは痛いほど分かった。まつりの子どもーつまり祐未の両親もーオロチに殺されている。苗子にしても、夫をオロチに殺されているのだから、感情的になってしまうのはわかる。
「それより、高橋…あんた腕が…」
高橋は腕がオロチによって奪われてしまった。
地面に横たわり苦痛の表情を浮かべた高橋にキキが近づく。
「これを食べて」
不意にキキは何か肉の塊のような物を高橋の顔の前に突き出す。
「これは…」
「あたしの腕の一部」
「…正気か?」
高橋はわけも分からず力なく答えた。
キキは何も言わずに真っ直ぐな目で高橋を見つめた。
「あんたは生きないといけない。それに、あたしが大丈夫と言ったら大丈夫。あなたの腕は元に戻る。」
高橋は躊躇したが、顔の前に突き出されたその肉片を一口囓った。口の中でゆっくり咀嚼し飲み込んだ。
すると、身体が不思議な感覚に包まれた。キキの掌から肉片を受け取り、残りを食べた。
「…!う…っ…!ぐっ…」
奇妙な感覚が胃のあたりから欠けた腕の方へ向かって駆け巡る。同時に吐き気が襲ってきた。
「吐くな。堪えろ」
高橋は耐えた。
「何かを得るには、それなりの対価が必要だ。今、あんたは失ったものを取り戻すための対価としてこの苦痛に耐えるんだ」
キキは苦しさに悶える高橋を見つめていう。
どれくらい耐えたのか分からない。少しずつ高橋の腕が再生をしていく。細胞が沸き立つ様な激しい痛みと、他の場所のエネルギーを全て注がれるような感覚。一瞬でも気を抜いたら駄目な事が直感で分かった。長い苦しみに耐え抜くと、失った腕に感覚が戻るのを感じた。ぼんやりする意識で自分の腕を確認する。自分の腕が再生したことを認めると髙橋は意識を失った。
その場にいた全員が信じられない光景を目にして固唾を飲んでいた。最初に口を開いたのはキキだった。
「あたしは10年前、鬼に身体を食べられた。あんな地獄を味わったのは初めてだった。だってまだ7歳だったの。そんな地獄から救ってくれたのがタマだった」
キキはタマをそっと抱き上げた。
「小学校に上がったばかりのあたしは友だちが出来なくて、下校中に毎日タマに話しかけていた。タマはじっと側にいてくれた。」
キキの腕に抱かれたタマは安心したように眠っている。
「そろそろ行くわ。面倒なのが来た。」
キキはタマを苗子の腕に預けると辺りを伺った。
「キキ!」
祐未が目を覚ましていた。
「キキ、待って、行っちゃうの?まだ話したいことがたくさんあったのに」
祐未が引き留める。キキは祐未に近づくとその頬に優しく掌を添えた。
「大丈夫。またいつでも会える。あなたはあたしの生命の恩人だから。怪我をしてずっと不安だった。記憶もなくて怖かった。でも、祐未がいてくれたから乗り越えられた。それに今あたしがあなたの側にいると危険なことに巻き込んじゃう。だから、今は少しお別れ」
祐未はキュッと口を結んだ。
「わかった。けど、また絶対会いに来てね。待ってるから…!」
「約束」
「うん」
「これを持っていて」
キキはスカートのポケットから何かを出してキキの左手首に巻きつけた。綺麗に編み込まれたミサンガだった。
「祐未に何かあったらすぐに行くから!」
キキは振り返ってまつりに向き直った。
「怪我のこと本当にありがとうございました。あたし行きますね」
「達者でいるんだよ」
キキは黙って頷くと、瞬きの間に消えてしまった。辺りには静寂だけが残った。
「めでたしめでたしですか」
不意に声がした。驚いて全員が振り返った。
「オロチの気配が弱まったと思ったら、このザマですか」
そこに立っていたのは、真っ黒なスーツに身を包んだ男だった。髪はオールバックでまとめられ精悍な顔つきをしていた。
「政府側が直々にお出ましかい」
苗子はそう言いながらいつでも闘える体勢に入る。その場が張り詰めた。
「政さん、暴れすぎですよ。結界なしで力を行使するのはご法度だと言ったでしょう。おかげで大騒ぎだ。こういう事が起こる度に何人か消さなければいけない私たちの身にもなってくださいよ。あなた、こっち側の人間だということ忘れないでくださいよ。」
「すまなかった…」
頭を下げる政をじっと見つめ男は言った。
「分かればいいんです。それより、精霊の気配がしたんですがね」
男は足元に転がる干からびた佐々木の身体を見た。
「まさかこれじゃないでしょうね」
「そのまさかさ…」
苗子が答えた。
「やれやれ。何やら今までの精霊とは違うと、会うのを楽しみにしていたんですがね。オロチには困りました。」
「佐々木くんはどうなるの?死んじゃったの?」
不意にこまちが尋ねた。
男はこまちをじっと見つめた。心の中まで見透かしそうな透き通った目にびくっとしながら、その目を見つめ返した。
「穂作さんの事は残念でした。稲さんの事も」
こまちは昼間の事を思い出して胸が詰まった。
「しかし、安心してください。あなたが探すことを諦めなければきっと会えます。それに、佐々木くんですが、ちょっと預かりますよ」
「どこに連れて行く気だい?」
苗子が詰め寄る。
「皆さん少し休んだほうがいい。後で使いをよこしますよ。こんな所ではゆっくりできないでしょう」
男は軽々と佐々木の身体を持ち上げると空に目を見やる。
「今回の件で、オロチが目を覚ましますよ」
男は言った。
「どういうことだい?」
苗子が怪訝な表情で尋ねたが、男は大きな羽根を広げて羽ばたき出した。
「政さん、戦いの準備をお願いします」
男は質問には何一つ答えずに言ってしまった。




