厄災
「やれやれ、忙しい日だね」
こまちのおばあちゃんなる老人は少し諦めたような表情でため息をついた。視線の先にはタマがいる。
「本当にとんだ日だよな。まぁ、でもばぁさんに会えて嬉しいぜ」
ニヤッとしつつ警戒した様子で視線を老人から離さない。
口を開いたのは高橋だった。
「知り合いですか、苗子さん」
「昔のよしみといえばそうなるかね。まぁ、こいつとは一緒に旅した腐れ縁だよ」
「おばあちゃんがタマと旅を?」
一番驚いたのはこまちだった。
「無茶してたね」
そういいつつ苗子は自分の足を見ながらさすっている。
「あの時のばぁさんは、敵なしだったよな。鷹士もいてもう最強……」
そこで不味いことを喋ってしまったと言うようにハッとしてタマは言葉を切る。気まずそうにガシガシと後ろ足で首の後ろを掻いた。
そんなタマの様子を見つめて苗子はため息をついた。
「まぁ、とにかく、孫のこまちと一緒なんて。こんな偶然あるもんだね。さぁ、こまち、手伝っとくれ」
こまちは祖母とタマのやり取りに呆気に取られていたが、苗子の呼びかけにはっとして、
「うん」と答えた。こまちがみんなを部屋に案内する間苗子は台所で何やら準備をしている。
「まず腹ごしらえだね」
苗子はそう言ってご飯の支度を始めた。こまちは祖母が料理を作る間に隣で米を研いだ。研ぎながら父と母の事を思い出した。伊藤に不気味な刃物を向けられた父。高橋が助けてくれたお陰でその瞬間を見ずに済んだが、恐らく父は伊藤に首を刈り取られてしまった。家いっぱいに溢れ出したお米のこと。気づくとこまちは涙を流していた。
「辛いだろうね。ごめんね、こまち。いろんなことが起こって、気持ちも整理がつかないだろうね」
こまちは黙って涙を流していた。
「穂作と稲からは聞いたんだね。稲穂の一族の話」
こまちは肩を震わせて堪えていたが、やがて口から嗚咽が漏れ出してきた。
「全部理解するには無理がある。少しずつ、時間をかけて教えていくよ」
苗子は優しく声をかけ、それ以上は何も言わなかった。ご飯の準備が整う頃にはこまちも少し落ち着き、みんなと一緒に食卓を囲んだ。
「それじゃあ、いただきます」
苗子の声がけで皆がご飯に手をつけ始めた。
「おいしい」
佐々木は感動の声をあげた。今日人間の世界に来たばかりの佐々木にはあらゆる事が初体験だった。
ご飯に味噌汁と焼き魚、漬け物が添えられたシンプルな献立だったが、消耗した身体に染み渡るには充分だった。
「米」とはこんなにおいしい食べ物だったのかと、佐々木は思わずにはいられなかった。
「佐々木くん、こちらの世界ではその米があんたにとっちゃ一番のエネルギーになるから覚えておきなさい」
苗子は味噌汁を啜りながら言った。
佐々木はご飯を頬張るのに夢中になりながらも苗子の言葉に頷いた。
「ところで苗子さん、厄介な奴が動き出したと言っていましたが」
食事が落ち着いてきた頃、高橋は苗子に尋ねた。苗子はお茶を一口啜って息を吐いた。
「オロチが目を覚ましたよ」
その言葉に一番驚いたのはタマだった。一瞬驚きが走ったかと思うとみるみるうちに怒りと殺意が入り交じったような気配をさせた。
「おいおい、ばぁさん、冗談じゃねえぞ」
苗子はやれやれというふうに溜息をついて話し始めた。
「私の勘違いじゃなければ、あいつの気配を感じたよ。しかも最悪な事に問題は奴は起こされたってことだ」
佐々木とこまちは状況が飲み込めず不安そうに三人のやり取りを見守るしかなかった。
「苗子さん、まさか僕たちの動きが奴を刺激してしまいましたか?」
高橋が尋ねた。
「あぁ。だが、一番は佐々木くんの登場が大きいね。高橋、あんた変身した時いつもと違ったんじゃないかい?」
「やっぱりな」
タマが答える。
「確かにいつもの変身とは比べ物にならない力が出せました。しかし、あれは自分一人の力ではない」
「何か別な要因が関係している。例えば精霊の力とか」
苗子はちらっと佐々木を見て答える。
「ぼく?」
佐々木は戸惑いつつみんなを見渡す。
「佐々木くん、こいつが変身したとき何か変わったことはなかったかい?」
佐々木はそう問われて思い出してみた。
「あ…!」
佐々木は思い出した。高橋が変身をする前に、自分の身体の中を何か別な物が通り過ぎるような感覚を覚えたことを。
「心当たりがあるようだね」
戸惑った様子の佐々木を見て苗子はさらに話を続けた。
「高橋、精霊の力はとてつもない。なまじ鍛えられていたあんたでさえ消耗している。強さと引き換えに命も削りかねない。しかし、こいつは変身する者が願った所で精霊の力は使えない。なぜなら、どんな奴でも精霊に命令なんか下せないからさ。力を貸してくれと頼んだところで、おいそれと力なんか使わない。それが精霊さ。」
「じゃあ、今回の高橋さんの変身はいったいどういうこと、おばあちゃん」
こまちが尋ねた。
「恐らく、精霊側に何らかの意思が働いたんだろう。力を貸してもいいと思える何かが」
苗子はじっと佐々木の顔を見た。
―何かしらの意思―
佐々木は考えた。
人間の世界にやってきて、喋る猫と出会い、こまちと出会った。こまちは初対面の佐々木の話を聞いてくれた。優しくしてくれた。そんなこまちの両親が酷い目に遭う場面に遭遇した。こまちは悲しそうだった。高橋がみんなを守ると言ってくれた。
それになぜだか高橋の言葉には安心させられる何かがあった。その心の拠り所を失うことが恐かったのだ。いや、もっと言えばそれを奪おうとする者が許せなかった。もはや。これはただの怒りだ。
「佐々木くん」
少し顔色の悪い佐々木を見て苗子はそれを制するかのように優しく、しかしきっぱり言った。
「だいたい力を使うときなんてわがままな理由でいいのさ。シンプルにね。守りたい、失いたくない、それでいいんだよ」
佐々木の気持ちを察したような言葉に少し安心した佐々木は黙って頷いた。
「問題はオロチだね。寝不足の状態だからかなり機嫌が悪いよ。今回はどこまで暴れるかね。」
「俺はあいつともう一度闘えるなら何でもいいぜ…まさか生きてる内にもう一度奴の面を拝めるとは幸せもんだぜ」
タマはそう言いつつも表情が硬い。
「タマ、大丈夫?」
こまちが不安そうにタマの背中を撫でた。
「すまねぇ、こまち、こんな顔見せるつもりじゃなかったんだ。ただ、あいつは親友の敵だからさ」
「タマの親友?」
「さて、おしゃべりはここまでだね。おでましだよ」
気づくと苗子はゆっくり窓の外を見やり溜息をついていた。なんだか辺りが妙に静まり返っている。
さっきまで騒がしかった蛙の大合唱も聞こえない。
「みんな、中にいるんだよ」
苗子は静かに立ち上がると玄関に向かった。
「あんたも中にいなさい」
苗子はジロリとタマを見て言った。
「冗談はよせよ、俺はあいつをぶっ飛ばさねえと気がすまねぇんだよ。それによ、ばあさんも俺の助けがいるだろ?」
「やれやれ、しょうがないね。その代わり頼んだよ」
タマは苗子の言葉に驚いて苗子の顔を見上げた。
「冗談よせよ…。」
「いくよ」
そう言って苗子は玄関のドアを開けた。
暗闇の中には子どもが立っていた。




