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文学

変わらぬ病

作者: 緋西 皐

どんな立場に立つ人間だろうと、あるいはその発言する隙間がないほどの人間でない限りは、必ずと言ってもいいのではないのか、何かが足りないという感覚を抱いている。

そしてこれに対して感情はネガティブに陥る。


そういったものは何もしない日に多く発生する。

いわば自身の価値、存在の否定、薄さ、その実感。


こんなのは素人しか抱かない感情だと思っていた。プロの作家などは抱くものではないと思っていた。

しかしどの立場にいる人も同じような感覚を持つらしい。


実に希薄なものだ。

裕福にさえなれば、このような気持ち、あるいはネガティブになることがないと。

どういうものなのか何もしなくとも、いや、何もしないからこそ、ネガティブになってしまうのか。


とはいえ、人間の体力には限界がある。無尽蔵の体力と気力がない限り、この感情に陥ることはないのだ。

そのようなのは健全ではないだろう。どんな人間であっても、休息は必要であり、それにより効率的に物事が進むのだから。


いや、違うのか。自分がそうでないからなのか。

でもそうではない、ならばなぜ、彼らもネガティブになっているのか。


生き方がわからない。

分かっている人間はどれほどいようか。

そしてわかっているの定義とは、ネガティブになる頻度が少ないということでいいのだろうか。


ならばその頻度はどれくらいなのか。

どのように過ごそうとも、人間はネガティブになる時間が存在するのではないのか。


そうとわかっていても気持ちがついて行かない、この束縛感は、その意味は、なんなんだ。


やはりよく思うことがある。人間の身体は不便だ。


だがしかし完全な自由などはこの世に存在しないこともわかっている。

なのにどうして求めるというのか。


わかることだろう。あっちは利益目的かもしれないが、このような駄文をいくら綴ったところで気持ちは変わらず、あとでまた襲い掛かるのだ。その空虚は。

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