「どこから説明したもんかな」
「どこから説明したもんかな」
きつく縛った生ごみの入った袋をキッチンのゴミ箱に放り込んで、手を腰に軽く伸びをした。
漂わせていた異臭の原因は闇に葬られ、来るその日まで日の目を見ることはない。簡単なことだ。
午後に差し掛かる太陽は煌々とベランダを灼いていて。
まだ日は長い。
今のうちに買い物にいかなくちゃ。
着の身着のままで無造作に置かれていた鞄の紐を肩にかけて飛び出すように部屋を出る。
ドアに吸い込まれていくソファとテレビしかないリビングがずいぶん遠くに見えた。
いつ引っ越そうか。
考えは特にまとまらない。
ただ、ここにずっとはいられない。
いつまでもやってこないエレベーターにため息を吐く。
階段を下りたほうがよかったのではないか。
たかだか5階から降りるだけなのだ。
身軽な自分には簡単なことだ。
いつ引っ越そうか。
身軽になった自分には簡単なことだ。
自分でわかっているのだ。
考えはまとめたくない。
ただ、ここにずっとはいられない。
気の抜けたような音とともに無人の扉が開いて催促した。
踏み出せと。
エレベーターの前で佇む自分だけを残して、どこまでも青く澄んだ空が誘っていた。
どうしてそれが嫌になったのかはもう思い出せないが。
何もかもが嫌になったのは覚えているのだ。
キッチンに買ってきたものを放り出して、ソファに沈んだ。
テレビでは何を言っているのかわからない評論家と、何を納得しているのかわからないキャスターが明日のことを話していた。
何もかもが嫌になっているのに。
どうしてそんなに嫌なことばかり話しているのだろう。
たまらずチャンネルを変える。
アニメだった。
なぜ悪者なのかわからない敵と、なぜ正義なのかわからないヒーローが戦っている。
「なんで戦ってるのこいつら」
思わず口に出た。
誰もいないのに、隣を見てしまう。
『どこから説明したもんかな』
そんな声が聞こえた気がした。
少し難しい顔をして。
けれど、ちょっと嬉しそうで。
そうして、次にこう言うのだ。
『どこまで知ってる?』
と。
「何にも知らない」
そういうと、もっと難しい顔をするのだ。
『ああ、困ったなぁ。仕方ない、最初から説明しなくちゃ』
頭を掻くのだ。
「長くなりそうならやめて」
私がそういうと、彼はむっとして、最後にこう言うのだ。
『じゃあ、ちょっとだけ』
と。
クッションを抱きしめて顔を埋める。
──どうして。
どうして、うるさいなんて。
どうして、どっかいけなんて。
どうして、もう見たくもないなんて。
どの口が。
この口が。
言ったのだ。
嫌いなところならいくらでも言えると思った。
好きなところなんて、数えるぐらいしか言えないと思った。
空っぽになった部屋に一人、正義のヒーローは愛を説いた。
空っぽになった部屋に一人、悪者の敵は現実を説いた。
どこまで知ってる?
今なら全部。
今なら全部言えるよ。
きっちり材料を計るあなたが好きだった。
本棚を並べ直すあなたが好きだった。
ソファの下に落ちた十円玉を拾うあなたが好きだった。
CDを違うカバーに入れて怒るあなたが好きだった。
ふらふらしながら電球を換えるあなたが好きだった。
暖かくて大きな背中のあなたが好きだった。
テレビの下のプレイヤーのスイッチを入れて画面を変える。
見覚えのあるロゴが映りだされた。
『これ、一緒に見ない?一話からだよ』
ああ、どうして。
『もう、しょうがないわね。どんな話なの?』
いつ引っ越そうか。
『うーん、どこから説明したもんかな』
ここにずっとは、いられない。