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星影の瞳に映る  作者: 只深
2/9

心の深さ


━━━━━━


 光side


「お、おはよう…本当に来たの?」

「そう言っただろ。学校行くぞ」

「うん…」



 ズレたメガネを直しながら、影が後をついてくる。

 ちょこまか動いて小動物みたいなやつだ。




 俺が弓道を始めたきっかけであるこいつは、普段からポヤポヤして、冴えない。

 頭が特別いいわけでもなく、悪いわけでもない。全ての事柄が中間で、パッとしない。




「遅い。足が短い」

「僕のペースってものがあるんだけど。足が短いのはどうしようもないでしょ…」



 男にしては高い声。テノールの耳触りがいい中高音が綺麗な発音で口から出てくる。

 こいつの良さに気付いたのは転校初日、机に座っている影を見た時から。


 だらけた姿勢で暑さに参っている同級生の中で、背筋が伸びて、綺麗な所作で教科書を鞄から取り出していた時だった。

 パッとしないその風貌を補って余りある仕草に違和感を覚えて、なんとなく目で追ってしまっていたんだ。


 ポテポテ歩く姿は間抜けに見えるが、体幹はずっと真っ直ぐに整っている。

 ゆっくり歩くたびに筋肉が規則正しく動き、その姿を大衆から浮かび上がらせる。




「あっ、にゃんこ!」

「お、おい!?」


 猫を見つけてそろそろと近づき、猫の目線に合わせてしゃがみ込む。

 ふわふわの毛並みの猫は今にも逃げ出しそうな様子から、ニコニコしながら見つめてくる影を見て警戒を解き、足元に鳴きながらまとわりついてくる。



「わ、かわいい。にゃんこさん、どこの子?食べ物が今ないんだ…ごめんね」


 ふんふわの毛並みを撫でて、ゴロゴロ鳴く猫をひとしきり撫でたあと不意に立ち上がって歩き出す。

 猫もびっくりしてるぞ。


 


「昨日星くんが読んだ小説、すごかったねぇ」

「そうか?教科書によくあるタイプだろ」

「ううん、星くんの音読が凄かったの。とっても綺麗だった」



 顔に熱が集まってくる。

 こういう所だよ。恥ずかしげもなくそういう…なんかすごい爆弾を投げてくるんだ。

 俺の中にはこいつに投げられた爆弾が不発弾としてゴロゴロ転がっている。

 火がついてしまったら、もう取り返しがつかなくなる。…そんな気がしてる。




「わー、かわいい花だねぇ」


 今度は道端に咲いた雑草を見て目を細めてる。

 寄り道が多いな…。



「お前いつまでやってんだ…朝練遅刻するぞ」

「はっ!しまった。急ごう!」


 こいつが毎朝ギリギリに登校してきてるのはこれが理由か。一つ謎が解けたな。




 並んで歩きながら、歩調を合わせる。

 俺がなぜこいつに投げられた言葉の一つ一つを爆弾として抱えているのか。


 なぜ、やったこともない弓道なんかに手を出したのか。

 なぜ、こんな風に一緒にいたいと思っているのか。

 自分でも整理がつけられてない。




 目で追い続けてもうすぐ一年、俺はこの気持ちに整理をつけたくて…密着することにした。

 そうしないと、最後の大会に花を添えられない。


 こいつの、最初で最後の主将を務める大会に。




 ━━━━━━



「今日は恋の歌を歌ってもらうぞー」




 椅子に座った同級生たちが一様に嫌そうな顔を浮かべる。

 思春期真っ只中だからって理由でこんな授業ばっかりなのはどうなんだ。

 今回は一人一人著名人の歌を歌わされる。

 地獄か。


 呼ばれた順に先生が弾くピアノの横で、一人一人が歌を歌う。

 みんな、ポップスやゲーム、アニメの曲。今時の歌だな。




「つぎ、影」

「は、はい」



 影が立ち上がり、よろめきながらピアノに向かっていく。クラスメイトからくすくすと密やかな笑いが起こる。




「これ、本当に歌えるか?難しいぞ」

「あ、はぁ。大丈夫だと思います。高音域で…」

「うーん。まぁ行けるか。よし、じゃあ説明から」




「は、はひ。ええと、ボクが選んだのは石川啄木の初恋、という歌です。

 3番までありますが、同じ歌詞を繰り返します。

 心の動きや初恋に触れた時の色、失った時の悲しみや切なさ、その人を思う幸せ、そして自分のこころに何かを残していったその人を思って歌う、心の律動を感じられる曲です」



 密やかな笑いがぴたりと止んで、皆一様に顔を赤らめている。

 ほらな、こういうところだ。俺はまた爆弾を追加された。




「ん、よし。気合いが入った。満点の解釈だ。」



 先生が真剣な顔をしてピアノを弾き始める。さっきまでのお遊びとは空気が変わった。

 やさしく広がっていくメロディーは歌曲そのもの、伝統的なクラシック調だ。


 影が瞳を閉じて、開く。





 ──砂山の 砂に 

 砂に腹這い

 初恋の痛みを 遠く 思い 出る日…




 高音で発せられた影の声が、胸に突き刺さってくる。

 胸のいちばん奥の、誰にも触られたくない柔らかい場所に刺さった一本の矢が思い浮かぶ。


 なんて綺麗な声なんだ…びっくりした顔のみんなが夢中で聴いているのがわかる。

 冴えない大きな丸メガネの奥の瞳が…切なく揺れる。



 2番目のメロディはさらに高音域に達する。

 繰り返される歌詞が、耳から侵入してきて…小さな炎となって心臓の内側から体を包み込んでくる。


透き通った声がその炎の勢いを増して、身体中が燃え盛っていく。

 熱い…額に浮かぶ汗を拭う。



 ふと、影の視線が俺を捉える。ふわり、と微笑んだその笑顔が、俺の中の爆弾に火をつけた。



 一つ一つ丁寧に点火されたそれは、思っていたよりも静かに破裂して…暖かく、鮮烈な見えない何かで俺の中を満たしていく。


 息ができない…。




 三度目の歌詞が1番のメロディーをなぞる。

 音階も、声も同じなのに…静寂で、波のない揺蕩う海のように広がって…爆発して粉々になった爆弾のかけらを押し流していく。


 自分の目から、一粒の涙がこぼれ落ちる。

 なんだこれ。こんなの知らない。

 なんなんだ…。



 歌い終わった影がぺこりと頭を下げて、逃げるように集団の中に消えていく。

 顔を真っ赤にして、膝を抱えて丸まってる。

 

さっきまでの覇気はどこいった。

 静まった集団の中でひたすら縮こまっている影。


 …なんか…かわいいな。

 いや、何いってんだ俺は。頭がおかしくなったのか…?




「はー。いいな、青春って…じゃ、つぎー」


 先生の言葉が頭に入ってこない。意味のわからないまま破裂したかけらを綺麗さっぱり押し流された俺は、呆然と影を見つめるしかなかった。


 ━━━━━━


「星くん?大丈夫?」

「あぁ…」

「でも…なんか顔色悪いよ?夕練休んだらどう?」

「い、いいから、きにすんなって」


 顔を覗き込まれて本気で焦ってしまう。




「あ、あの、星くん」

「…あー、昨日の…」



 背後から声をかけられて、振り向くと…昨日のスタメン発表の後に手紙を渡してきた女の子が佇んでる。

 茶色く染めた髪、赤く塗られた唇。

 高校生って化粧していいんだっけ?



「お、お返事が欲しいんだけど」

「あー、ええと…」




 横ではてなマークを浮かべた影をちらっと見る。透き通った肌、ナチュラルな唇はプルプルしてる。

 …なんでそんなに綺麗な肌なんだよ。腹立つな。



「はっ!?あっ!ごめん!そういうこと!?さ、ささ先に行ってるね!!!」

「あっ!おい!」


 何かを察した影は走って弓道場に向かってしまう。なんだよ…置いてくな。

 寂しいだろ…。




「星くん」


 甘い響きの声をかけられて、僅かに胸が痛む。俺、多分…君には酷いこと言ってしまうから。


「返事だけど……」



 ━━━━━━


「まだブレてる…なんでだろう…」


 弓道場に一人残って、また唸っている影。

 場に上がる前に一礼し、奥の神棚にも一礼してから下座に座る。

 目上の人を見るときは正面から見てはいけない。許可されない限りは。



「うーん。うーん。ん?星くん。あれ、さっきの子は?」



 メガネを外した影が振り向く。

 くそっ。キラキラエフェクトを纏ってる。

 まだ認めたくない。よりによって…こいつか。




「べつに…なんでもないし」

「なんでもってことはないでしょ?か、彼女できちゃった感じ?」

「ちげーよ。…俺、好きな人居るっぽいし」



 まだ認めてないけどな!

 影は俺の心を知ってか知らずか驚いた顔でほぁー、とつぶやいてる。

 そういうとこも、いいよな。ホワホワしててさ。



「星くん好きな人いたの?すごいね…ぼく、そう言うのまだわかんないなぁ…」

「そうだろうとも。…なぁ、正面から見ていいか」

「うん、どうぞ」


 ニコリと笑った顔を眺めて、正面に座り直す。




「見させていただきます」

「はい」


 正座で伏して告げると、影も同じようにして返事をくれる。

 影の弓は熟練の技だ。

 こいつに並び立つには歴の浅い俺は…まだまだ学ぶところばかり。未熟者なんだ。俺。




 すう、と息を吸った影が正座から立ち上がり、一気に目が鋭くなる。


 空気が張り詰めて、温度が下がる。比喩じゃない。影の殺気とも言えるこの気配は、集中力が極限まで高まった瞬間に発せられるもの。部活の奴らもそりゃ凄いけど、影のは段違いだ。


 ゆっくりしたように見えて、隙が無く、迷いのない動作が弓をつがえて一瞬の間。

 一拍置いて、矢が放たれる。


 スパーン!と派手な音を立てて心臓を撃ち抜く。

 何本か放たれた矢はど真ん中に収束して…他の場所には当たっていない。

 化け物かお前。




「どうしてそんなに真ん中に当たるんだ?」


「ん?そうだねえ、当ててるんじゃなくて、飛びたい方向に僕は場を整えてるだけだよ」

「場を整える?」



「そう。弓をつがえる動作は集中力を高めるためでもあるけど、人の中には宇宙がある。

 大仰な言い方だけど、人間は地球という中の大きな括りの一つに内包されてる。周りの空気を感じて、力の流れを感じて、気配を感じて…全てが一つになる瞬間に手を離す。宇宙と一体化するってやつだね。

 誰かが動いてるとか、弓を構えた瞬間にあたるな、って感じることができるよ」


「す、すげーな、なんだそれ…どういう感覚でやってるんだ」




「何にも考えない。空っぽになって、ただあるがままに動いて、周りのものを全て感じるんだ。そうすると、勝手に矢が心臓に吸い込まれる」



 影が口を動かしながらもう一本矢をつがえ、放つ。次々に刺さる矢が真ん中にぎっちり詰まって、矢と矢の間がみっちりしてきた。


 こいつの強さはこれだ。心の奥が深いんだ。だから、ポヤポヤしてるようで悟りを開いてるような様相で…やることなすこと全部が人を惹きつけてしまう。

 クラスの中で陰キャのくせに誰にもいじめられないし、むしろ好意を向けられることの方が多かった。

 みんなが遠巻きに見て、近寄れないのはこれだったんだ。



 矢が放たれ、ど真ん中に命中する。

 ギッチリ詰まった矢の中に押し込むようにして吸い込まれた矢が、その羽を震わせていた。




「鏃が…痛むぞ」

「はっ、そうだった。先生に怒られちゃう!」


 胸当てを外して、矢を的から外し、いーっ、と顔を歪めながら戻ってくる。




「かけちゃってる…」

「あーあ。知らないぞ。…怒られてこい」

「星くん…密着生活だよね?」

「は?いや…そこまでは別に…」

「一緒に来て、欲しいなぁ…」


 上目遣いで見られて、顔がニヤけてくる。


「し、仕方ないな。別にいいけど…アイス奢れよな!」

「ガリガリくんならいいよ!」

「まぁ、良いだろう。さっさと行くぞ」



 ニコニコしたままの影の手をとって、俺は歩き出した。

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