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星影の瞳に映る  作者: 只深
1/9

密着生活開始




 カリカリ…カリカリ…。


 ノートにペンを走らせる音。

 くすくす、密かに笑う声。

 教室の中、机の海に浮かぶ小さな僕。

 目の前にはノートを取る同級生たちの黒い頭がでこぼこな形でゆらめいている。


 黒板を見る、書く。見る、書く。

 その繰り返しが海原を形作る波形となって広がっていた。




「では次のページを…星」

「はい」



 僕の斜め後ろの席で立ち上がった彼は、背筋を伸ばして教科書を持ち、文章を読み始めた。


「恋に落ちる瞬間は、音がする。

 何かが割れる音、弾ける音、水滴の落ちる音。

 風が囁き、木がざわめく音…。

 その音が聞こえた時にはすでに、恋に落ちているのだ。

 こうなってしまったら、もう…何をしても逃れられない。

 足元から掬われて、真っ逆さまに堕ちていく。

 その先に待つのは煌びやかなものではなく、憎悪、嫌悪、身を焼くような情熱、終わりのない苦しみ。恋とは自心を滅ぼす牢獄である」




 涼やかな声が教科書の文字を読み上げていく。

 少し伸びた黒い前髪から、真っ黒な双眸が覗いて…窓から吹き込む秋の風に揺れている。

 ゆらめく黒い瞳が教科書の文字を追って上に、下にゆっくり動く。


 まるで黒曜石のような瞳はその暗黒の中に星を湛えてキラキラと光っているようだった。


 読み終えた彼が席に着いて、顔を上げる。

 目が合いそうになった瞬間に瞳を逸らす。

 危なかった。ドキドキする胸を抑えて、ため息を落とす。



 再びの沈黙、黒板に教師が文字を書く音。

 かつかつ、というその音はまるで心のドアを叩かれているようだった。




 ━━━━━━



「おい、お前何見てたんだよ」

「ひぇっ!?ほ、ほほ星くん?」


「《ほ》はそんな着いてないだろ。さっさと練習いくぞ」

「は、はい…」


 僕はズレたメガネを必死で戻して、スタスタ歩いていく彼を追いかける。

 足が長いから…歩幅が大きい。

 必死で着いていくけど、ちっとも追いつかない。


 先を歩く彼が不意に振り向いて、僕を見つめる。真っ黒な瞳に小さな僕が映り込む。



「早くこい」

「あっ、待っててくれたの…?うん!」





 意識せずに口端が上がってしまう。

 星くんの流れるような眼差しが僕にまとわりついてくる。


「大会、きっとお前が主将だな」

「そんな事ないよ。星くんじゃない?」



 条件反射のように返すと、星くんは綺麗な顔を歪ませる。


「お前がいうと皮肉にしかならないんだよ。いい加減にしてくれ部長」

「あはは…ご、ごめん」


 



 背中に抱えた大弓の袋紐をぎゅっと握りしめる。

 もう直ぐ、夏の大会。僕たち弓道部は卒業前の最後の試合を迎える。



 星くんは転校生だった。

 卒業一年前に突然やってきた転校生、しかもイケメン。

 今をときめく思春期真っ只中の僕たちは男の子も女の子も色めき立った。


 放課後、僕が夢中で弓を引いていた時に現れた星くん。

 実は集中していて僕は気づかなかったんだけど。


 僕が楽しそうに見えたらしくて、そのまま入部してきた。

 以前陸上部にいたという彼は成長途中の体にバランスよくついた筋肉を持ち、頭の良さ、優れた感覚であっという間に僕に追いついた。


 今まで弓を握ったことすらなかったはずの彼は卒業前の試合でスタメンに抜擢されている。

 真面目で品行方正な態度は教師の覚えも良く、順風満帆な生活。

 スクールカーストの下を泳ぐ僕には眩しい存在だ。




 ロッカーにカバンを突っ込んで、道着に着替える。…しまった。Tシャツを忘れてしまった。道着の下に着る用のシャツは汗をよく吸い込んでくれるものを常用してたのにな。


 仕方なく制服の下に来ていた黒いシャツのまま道着を着込む。

 メガネを外して、コンタクトをはめ込んだ。



 道場に入る前に一礼し、弓を袋から出す。

 今日は女の子がいっぱいいるな…。





「星くん!こっち空いたよ!使って!」

「いや、いい。影を待つから」



 えぇー?と大勢の女の子たちが残念そうな声をあげる。

 僕を待たなくてもいいのに…。




 彼の名前は星 光(ほし ひかる)。僕は影 更夜(かげ こうや)て名前まで対照的な僕たちは一応弓道部のエースだ。

 弓道を初めて六年の僕と、一年にも満たない星くんは比べるべくもないけれど。ものすごい成長率の星くんは正真正銘のスーパースターだからね!



「影、遅い」

「ごめん…」


 二人して道場に立ち、的と、奥の神棚にに向かって礼をする。


 さて、練習の始まりだ。



 ━━━━━━


「主将、影。副将、星。それから…」




 顧問の先生からのメンバー発表。遅れて揃った部活のメンバーたちが「やっぱりな」という顔をしてる。


 あわわ…プレッシャーなんだけど…。

 歴が長い僕が選ばれることは多かったけど、プレッシャーに弱い僕はずっと断ってきた。

 でも、最後の大会くらいトロフィーが欲しいという顧問の先生には…逆らえなかった。





「センセー、転校生が副将とかまじありえないっすけど~」


 柄の悪い声と言葉を発しているのは、僕の次に歴の長い二年生だ。

 彼は腕こそいいものの、素行が悪くて…去年の大会からスタメンを外されている。




「お前はゲーセンで補導されただろ。そんなやつを大会に出せると思っているのか?主将と副将を見習え」

「チッ…なんだよクソっ」


 黒髪をツンツンヘアーにした彼が弓を乱暴に持って、道場を出ていく。

髪の毛染めてないから変なところ真面目なんだよね。



「三年生は最後の大会だ。気を引き締めていけ。…影、トロフィー楽しみにしてるぞ」

「ひっ…は、はひ…」



 先生の期待を込めた重たい眼差しに顔を下げて、唸るしかない。


 パラパラとみんなが道場を出て行き、僕一人になる。

 はぁ、やっと落ち着いた。




 道場のど真ん中に立って、膝を折る。こうなったら練習するしかない。

 トロフィーが取れるかどうかなんてわからないけど。

 お世話になったなら、恩を返さないとね。




 息を吐きながら立ち上がり、神経を張り詰める。

 背筋を伸ばして足を開いて膝の裏に力を込め、肩から力を抜く。

 体が覚えた通りに動いて、頭の中を空っぽにする。

 静かな、冷たい空気が満ちる。




 矢をつがえ、自然に指が離れるのを待つ。

 矢は射る物じゃない。心のままに、まっすぐ飛んでいく矢を支えているだけ。

 僕は、心を整えて静かにその時を待つ。


 すっ、と指が離れ、ターン!と矢が的に突き刺さる。

 心臓に命中した矢がビィーン、と震えている。




「ちょっとブレたな…」


 真ん中のさらに真ん中に飛ばしてあげたかったのに。

 僕の心が揺らいでいる証拠だ。


 こんな時期に、こんな風に…集中できないまま弓を持つ日が来るなんて思ってもいなかった。





「ブレてないだろ…コンタクトあってないんじゃないのか?」


「ひゃあっ!?ほ、ほほ星くん?!いつの間に…」


「だからそんなに《ほ》がついてないんだよ。心臓に当てといてブレたとかイヤミか」



 道着の襟を直しながら、星くんが近づいてくる。

 吐息に膨らむ胸、細い首筋が顕になっていて…僕の心臓がドクドク、音を立てる。




「お前脚の爪先が変だぞ。爪切ったか?」

「あっ!しまった。昨日爪切り持ったまま寝ちゃって…」

「それだよ。お前もう引っ込んでろ。アドバイスしてくれ」



 ペチペチとほおを手のひらで抑えられて、背中を押される。


 うぅ。僕としたことが。

 わずかな異変に気付いた星くんはやっぱりすごいな…。敗北を悟って、星くんの正面に向かって道場の端っこに座る。




「ふぅ…どうしても指先の離れが上手くいかないんだ。タイミングが掴めずにいる」

「そうかな?見せてもらわないとわかんないよ」


「よし。よく見てろ」




 星くんが目を伏せて、立ち上がる。弓を構える動作を追って、長いまつ毛を備えた瞼が瞬き、瞳が夕暮れの光を拾ってキラキラ輝き始める。


 とっても綺麗だ。動作だけじゃない。彼が一番すごいところは集中力。

 一瞬で張り詰め、動作の順を追ってそれがどこまでも高まっていく。


 僕の背中にもビリビリと伝わる緊張感。

 ゾクゾクしたものが足元から立ち上がって、頭のてっぺんまで突き抜ける。




 矢をつがえ、的を見た瞬間に眉を顰めている。

 いつまでも離れない指先。

 様々な雑念が駆け抜けて、矢を放てずにいる。

 迷った末に放った矢は胴の丸に突き刺さる。迷いがあってこれなら、大会までにはどうとでもなるよ。



 立ち上がって、星くんの背後についた。




「星くん、体幹はまっすぐなのに、力みすぎてる。体に力を入れるんじゃなくて丹田にこめなきゃ。

 上半身は泰然として、下半身はしっかり地を踏み締めて」


「はい」



 礼儀正しい返事。道場の中では指導者に対しての礼儀が重んじられる。

 言葉の乱暴な彼も、こうしている間はとても礼儀正しいんだ。




「肩が上がってるよ。力を抜いて。力が抜けない時は意識して下に下げるといいんだ」

「そうか…力のぬき方もイマイチわからなかった。体の動作で律するんだな」


「そう。弓道は心と体を一体にすることが極意でしょう?心が伴わないなら体を動かせばいいんだよ」

「はい」



 矢をつがえて、間を待つ。

 …だめだ、心が整ってない。




「矢を下ろして」


 つがえた矢を戻して、しょんぼりしてる星君の正面に回る。濡羽色の紙から覗く真っ黒な瞳が翳りを見せている。




「星くん、体と心が整えば、自然に指が離れるんだけど…心が整っていないと思う。

 深呼吸して、頭の中を空っぽにするんだよ」


「それができなくて苦労してるんだろ…」


「雑念が多いからだよ。何も考えないっていうのは生活の上でも訓練しないと。僕の場合は無意識だけど」


「やっぱり嫌味か」

「そうじゃないのに。もう。」




 ため息をついた星くんは、じっと僕の瞳を見つめてくる。

 たくさんの星が徐々に姿を現して、翳りが消えていく。


「なぁ、いつもどうしてるんだ?」

「え?なにが?」


「生活の上での訓練ってやつ」

「うーん…?難しいな…僕も別に意識してるわけじゃないから」


 訓練とか生意気に言ったけど、僕はあるがままに過ごしてるから何がどう作用しているのかわからない。




「じゃあ、観察していいか?」

「な、何を?」


「影の生活。朝迎えにいく。帰りも送ってく」

「密着生活?僕の生活なんか…面白くないよ?」


 ふ、と笑った彼がビシッと指を刺してくる。こら、人を指さしちゃいけません。




「覚悟しろ。お前の生活を監視して、百発百中にしてやるからな!」

「えぇ…?」




 僕の情けない声と、ふふん、という得意げな星くんの声が道場に響き渡った。


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