探偵ムンバク
2018年 リムソンシティ 州道八号
「おいおい、少しは待ちなよ。そのうち着くからさ。」とハーマン刑事はそわそわするラースキン巡査に言う。「しかし・・・」「心配するなよ。信用できる奴らだからさ。あそこなら大丈夫だ。」そういったハーマンはいつものパトロールコースを無視してパトカーを飛ばし、遂にリムソンシティから出てしまった。
リムソンシティは砂漠と緑あふれる山の境目に位置している。つまり、山のふもとかつ砂漠の中を通る州道の終着点だ。そして山の中の道を街から出た一台のパトカーが走っている。ハーマンとラースキンが乗っている姿が見える。
「一体こんなところに何が・・・」「おう、お待たせ、坊や、着いたぞ。」と言い、ハーマンは目の前にあった敷地にパトカーを乗り入れる。「これは・・・」ラースキンは目の前にそびえたつ大きな洋館と「ムンバク探偵事務所」と書かれた木製の看板、そして玄関前にいる二人の屈強な警備員に目を見張る。
「よう。」とハーマンが軽く挨拶しただけで、二人の警備員は笑って警察官二人を中に通す。玄関は広々としており、絹の敷物がしいてあり、靴箱の上に置いてあるアロマディフェーザーからはエキゾチックな香りが漂う。そして靴箱と反対側の壁にはごわごわした口ひげを生やしたオールバックの黒いスーツを着た黒人男の肖像画が貼ってある。本物の絵のようで、絵具を塗った後などが顕著に読み取れる。
「こんにちわ。久しぶりですね、ハーマンさん。」と声がして、玄関と中を区切るビーズでできたカーテンをめくって絵画と寸分違わぬ見た目・恰好をした男が現れた。「この時間帯にいらっしゃるのは珍しいですね。」「そうだな。だが俺はそろそろ戻らないと。あんたと久しぶりに会えたんで、じっくり話でもしたかったんだが。今は職務中なんでな。」「それならば・・・一体なぜ・・・」と出てきた男は困惑。「ああ、こいつの依頼さ。」ハーマンがラースキンを指さす。
ラースキンは男に奥の部屋に通された。その部屋は貴族の屋敷の居間のようであった。まず部屋の奥の壁の中央に暖炉があり、その前には大きな大理石の机がある。机を左右から挟むようにしてふかふかのソファが置かれ、そのソファがどちらも机を向いている。「さあ、座って下さい。」と丁寧な口調でソファをすすめた男は突然「紅茶は飲めますかな?」と聞いた。「ええ。」と慌ててラースキンが答えると、男は部屋の右手側にあった戸をあけて「おーい、ジュディ、紅茶を二人分頼むよ。」と言ってラースキンの向かい側のソファに座る。「すみませんね、自己紹介が遅れました。私は探偵をしております、ムンバクという者でございます。祖父がラキアの出身でしてな、・・・とまあこんなことはよろしゅうございまして・・・で、ええと・・・申し訳ない、あなたのお名前を伺ってもよろしいですかな。」あまりにも穏やかな探偵のしゃべり方に動揺してラースキンは慌てて自己紹介を終える。「さてと、ラースキンさん、で、ご依頼内容は?」「ええと・・・」ラースキンは返事につまる。というのはここに着くまではハーマンが探偵にラースキンの困りごとを解決してもらおうとしていることを知らなかったのだ。だが、やっとのことで以下の内容を話した。
ラースキンが地下格闘技場の潜入捜査を行ったこと、そこにいた美女アイリーンと禁断の恋をして肉体関係まで持ってしまったこと、アイリーンがギャングに誘拐され、以降行方が分からなくなっていること・・・
「なるほど。承知いたしました。我々のパイプを使ってまずはヒントとなる情報を集めます。」と歯切れよくムンバクは言う。「パイプ?」「ええ。自慢ではありませんがこの探偵事務所以上に裏社会に精通している事務所はないでしょう。私たちは裏社会に関する困りごとを解決することを主な仕事にしているのでね。今回は人探しということでしょうな。」
その時先ほどムンバクが声をかけた扉から、栗色のポニーテールの白人美女が姿を現した。灰色のスーツに身を包み、赤い縁の眼鏡をかける。彼女は滑るようにテーブルの方に歩いてくると、持っていた木のお盆から紅茶の入ったマグカップを2つ取って置き、一礼する。「ああ、ありがとう。ラースキンさん、私の秘書のジュディです。」「ええ、よろしくどうぞ。」とジュディは言い、丁寧にお辞儀する。ラースキンも慌ててお辞儀を返す。「そうだ、ジュディ、二階に行ってダイムラーを呼んできてくれないか。」とムンバクが頼み、「承知しました。」と言ってジュディはまた滑るようななめらかな動きで戸の向こうに戻る。
「さてと・・・そうそう、我々はあなたの依頼を受けて今アイリーンさんの身元を全力で調査することを決定いたしました。」「ええ・・それは有難いのですが・・・費用の方は・・・」「ああ、そのことですね。実は今ジュディに共同経営者のダイムラーを呼ばせたのもそのためなんですよ。私の個人的な考えによりますとね、ハーマン刑事と我々の仲に免じて我々はあなたに費用を請求するべきではないと思いますね。」「しかし・・・」「いやいや、本当に費用はいらないのですよ。我々の究極目標は金稼ぎではなくてあくまであなたの困りごとを解決することですからね。ところがですよ、本当にご迷惑なことにダイムラーは費用を無しにする代わりにあなたになんと仕事を手伝わせようとしておりましてな・・・」「まあそのとおりですがね、ムンバクさん、とにかくあなたは少し所長室でお休みになるべきですよ。働きすぎです。」低く野太い声がして、ジュディに連れられて一人の白人紳士が入室する。「ダイムラー君、君の発想はいつも面白いね。だが今回ばかりはラースキンさんに丁寧に説明して了解を得るのだよ。いつものように支離滅裂な話で混乱させないように。」「分かってますよ、ムンバクさん。だいたい私はいつも筋道立てて話を・・・」慌てた様子で紳士は三角の口ひげをしごく。「とにかく本題に入り給え。」とのムンバクの催促に、ダイムラーはラースキンへの依頼を話し始めた。
「何!?私にバウント連邦警察副支局長の調査を!?」「ええ。とある権威あるクライアントからの依頼でしてな。」「しかしなぜ私が・・・」ラースキンはただただ混乱するだけだ。「いやね、あなたが連続殺人の捜査をバネッサ警部に依頼した時点であなたはバウント支局長の懐に飛び込めるのですよ。」とダイムラー。「なぜそのことを・・・」ラースキンはひどく動揺しながら問う。ここでムンバクが口をはさんだ。「先ほども申しましたように。我々にはパイプがありますからな。しかし他のクライアントがあなたを対象とする調査依頼をしてこない限り我々は知りえたあなたの情報については取り上げないことにしますよ、ご安心下さい。」ダイムラーが咳払いをして話を続ける。「私も実は彼が使う探偵として彼の懐には少し忍び込んでいるんですがね、多角的なデータが必要でして。ぜひご協力願えませんか?」「まあ、構いませんが・・・・」といまだ戸惑ってラースキンが答えた。
同時刻 リムソンシティ 行政特別区 連邦警察リムソン支局
バネッサ特別警部は愉快そうに口元を歪めていた。先ほど現場から追い払った際の保安官事務所の連中の不服そうな顔といったら!彼らの渋い顔はバネッサとその上司バウントにとって栄養になる。
今、バネッサは会議室に居並ぶ全員に向かって捜査を連続猟奇殺人の捜査に切り替えて行う旨を告げた。新しく入った(というか奪った)新情報についても公開した。「さて、今回はその第二の現場について詳しく調査してほしいの。ハラム刑事のチームにお願いするわ。リンドン刑事のチームは引き続き第一の現場の調査を続けて。それから、今検死部長から検死結果が出たからリカコ刑事のチームは私についてきて。検死棟に行くわよ。」彼女がそう言った時、卓上の内線が鳴る。バネッサは自ら出て、内容を聞くと動揺する。「ええ、分かったわ。」電話を切ると、彼女は言う。「第三の死体が発見されたわ。今度はホームレスよ。」
二日前 リムソンシティ 行政特別区 リムソン市警 応接室
「あなた方から私をお呼びになるとは珍しいですね。」と薄笑いを浮かべて目の前の市警幹部をみつめるボナード保安官。それに対して同じく薄笑いで答えるロックウェル署長。「どんなご用件ですか?」とボナードが問う。答えたのはモニカ副署長だ。「とある殺人事件に関して、あなた方リムソンシティ保安官事務所は連邦警察に手柄を奪われたという噂を聞いたんですが・・・」ボナードの顔から薄笑いが消え、彼は半ばモニカを睨むようになった。当のモニカは意にも介さずにしゃべり続ける。「その噂が本当であれば、我々が保安官事務所をお手伝いできるかと思いますね。」ボナードはいっそう険しい顔になり、「あなた方の狙いを教えて下さいませんか?」と唐突に質問を発した。ロックウェル署長が不気味な笑いを浮かべて言う。「狙い?まあね、我々にもプライドがありましてね、同じ警察組織であるのに首都の本部の威を借りて好き放題する連邦警察には我慢なりませんや。で、同じく連邦警察に好き放題去されている保安官事務所を助けようと思いましてね。」しかしボナードは険しい表情を崩さない。「本当の狙いを教えていただきたいものですなあ。ロックウェルさん、モニカさん。」「本当の狙い?今ロックウェルが申したままですわ。」とモニカ副署長。ボナードはしばらく無言でロックウェルとモニカを睨んでいたが、突然「お気持ちは有難いのですが、我々は我々のやり方で対処しますので。」と言って席を立つ。
ボナードが怒りを隠そうともせずに出ていった後、ロックウェルはモニカに言う。「保安官事務所がなぜ不動産王殺害事件にこだわりを見せているか、だいたい想像はつくだろう。」モニカは軽く笑うと、「ええ。」と答える。「ですが署長、詳細を探り出せませんでしたね。」とのモニカの言葉に、「ああ。だが大丈夫だ。実はハーマン刑事の知り合いに探偵がおってな。」とこたえた署長は秘書を呼びつけてハーマンを呼ぶように命じた。
リムソンシティ ニューカブキチョー
ラースキンはアカハネの誘いに応じてヤクザ組織の引退した元組長が経営しているという日本式の古風な飲み屋に入る。
彼は酒を飲んでいないと気分が紛れないのだ。そこでアカハネの誘いに乗ることにしたわけだ。アイリーン誘拐事件、そしてそれを許した自分の不注意への後悔が原因だ。彼が禁断の恋をした素敵な女性。離婚で荒れていた彼の生活に光を差してくれた女性。彼を本気で愛してくれた女性。彼女が今、生死でさえ明らかでない状態である。不安、そして後悔。今そのような負の感情がラースキンの心に溢れていた。
「おい、ラースキン、飲んでみろってば。元気出せよ。」と言ってアカハネは「ニホンシュ」を独特な形の日本のカップにつぐ。透明な液体がなみなみと注がれる。ラースキンは飲んでみた。苦みと甘みが協調した不思議な味わい。「これを食いな。」と言ってカウンターの向こうから店主が「サシミ」を差し出す。半透明な魚の生身の切り身が平たい皿に並ぶ。アカハネが備え付けの「ショウユ」をかけ、二人はしばらく無言で「サシミ」を味わう。新鮮な味わいだった。
この店は日本式の他の店と少し違う独特な料理の提供方法をしている。まず酒は梅酒、焼酎などのニホンシュとビール合計十二種類の酒を瓶一本単位で注文できる。ツマミに関しては枝豆やテンプラ、カラアゲなど決まった物もあるが、カウンターの前に並ぶ食材ケースから食材と量を指定して作って欲しい料理を料理人に頼むことができる。サシミもアカハネが魚の半身を指さして店主に頼んだものだった。
アカハネは次に大きな豆腐と大根を半分に切った物を指さし、「デンガク」を注文する。
ラースキンは日本酒と日本料理の魅力に取りつかれた。憂鬱さを忘れるためにこの世界にもっと浸りたいと思い、酒を飲みまくった。酒は癒しだ、というラースキン流の哲学にのっとってやけ酒をあおるラースキンであった。こうして今日も薄幸のラースキン巡査は瞬間的な偽の幸福に浸る。