発端
1992年 アメリカ共和国 ランド州 リムソンシティ郊外
トラックの運転手は急ブレーキをかけた。黒々とした二つの人影が道に立ちはだかる。大きなライフルを持っており、緑色の覆面をしている。トラックが近づいてきても慌てる様子がない。おっと・・まずいな・・・」運転手はいったん下ろした足を再びアクセルに乗せた。この強盗共は轢き殺した方がよいだろう、と彼は考えていたのだ。しかし彼がアクセルを踏む前にフロントガラスが砕け、運転手は一瞬で天に召された。血を流す頭はライフルの弾丸が貫いていた。
トラックの後方から大きなバンが近づいてきた。運転席と助手席には同じく緑色の覆面をつけた者。「いよいよだね。」と運転席の者。大学生程の男性か。「大仕事ね。」と助手席の者が答える。こちらも大学生程の若い女だ。
「よし、女、前を見張っていろ。」前方にいた者がひとり移動してくる。どすのきいた声の大男だ。助手席の女は腰から二挺のピストルを抜いて前方に移動。前方にいたもう一人の覆面が女と入れ違いに後ろに移動してきた。電話している。「ああ、頼む。うん。解体業者と死体処理の連中を頼む。」こちらも巨漢の大男だが、少し声が高めである。
二人の大男はトラックの荷台に乗った。多くのドラム缶、ビニール袋がおいてある。一人がバンの運転手に合図し、バンはトラックと背中合わせに駐車した。大男たちはげらげらと声を上げながら、ビニール袋をバンに積み込む。さらにバンの中にあった麻袋にドラム缶の中の草のようなものを移し入れている。「大収穫だぜ!」とどす声男。
その大男たちのはしゃぎをかき消す女の大声。「何者!?」「ああ、安心してくれ。私頼まれて来たものだ。死体と車両の回収に来たんだがね。」と答える初老の男の声は落ち着いている。それをきいて女は警戒をといたようだ。初老の男は黒い作業服を着た人々を引き連れていた。彼らは四台の装甲車、五台のトラック、一台のレッカー車に分乗してきたようだ。これらのせいで、一帯は工事現場のようになる。二人の作業員が先ほど天に召されたトラック運転手を引きずり下ろし、ブルーシートをかけてぐるぐる巻きにし、縄で縛る。別の作業員は薬品を、死体を引きずり下ろした際に地面についた血痕の上にかける。
バンの中は大きな袋であふれかえった。「このへんでよいだろう。」と甲高い声の大男が言い、女が前方から戻ってくる。大男二人は木陰に隠されたプリウスに乗り込み、走り出したバンの後を追う。
同日アメリカ共和国 ランド州 リムソンシティ 貧民街
バンとプリウスをとめて四人の人物は降り立った。覆面は外している。大男二人は無精ひげを生やし、顔には多くの切り傷があった。 対してバンを運転していた男は色白で細身の美青年だ。女は髪を紫色に染め、耳ピアスを四つもつけている。美形の女性だが、おおきすぎる鼻ピアスのせいで不細工に見えてしまう。
「お疲れさん。」と声がして中肉中背で、無精ひげを生やした男が姿を現す。「よお、カーナック。」と細身の青年。「やあ、お前らと知り合えてよかったぜ。」というとその男はいきなり青年の顔を三発撃った。血しぶきが飛び散る。「キャッ」と悲鳴を上げた女の声は大男二人によって封じられる。一人が女を羽交い絞めにし、もう一人はピストルを突き付ける。「かわいがってやろうな。」と青年を撃った男が言い、女のズボンを脱がしにかかった。それを見ながらのたうち回る青年をせせら笑い、大男のうちの一人が青年の足を撃った。
女はぐったりとしていた。涙を浮かべる顔を見下ろしてにやりと笑った大男のうちの一人が女に馬乗りになる。「楽しもうぜ」とぞっとする声でカーナックが言った。
2018年 アメリカ共和国 ランド州 リムソンシティ バカリン地区
ラースキンは荒々しく受話器を置いた。
インディペンデントシティの州判事との長きにわたるバトルの末、彼は元妻の実家にいる子どもたちと会える許可をもらった。しかし元妻もその両親もそして愛しい子供たちも彼を嫌っていた。心の中ではそれも当然の報いだと分かっていた。陸軍を解雇されてから彼は妻の収入に頼りきり、浴びるように酒を飲み、妻子に暴言を吐き、殴りつけた。最低の夫にして父親だ。耐えきれなくなった妻は遂に裁判を起こした。そして虐待と認定された。あの時彼は人生で一番自分を攻め、後悔した。家族に申し訳なく思った。
だがひどい生活を送っていた当時彼は家族の迷惑も考えられないくらい心が荒れていたのだ。彼が軍隊を解雇されたきっかけは、部下の失態だった。オスカー軍曹はもともと脳筋野郎だった。ムキムキの中年男の姿をした幼児だった。感情に任せて行動した。その結果、彼は特殊任務で捕らえた左翼テロリストの男を過度な拷問で死なせた。上司であるラースキン少尉はこのいかれ野郎を殴りつけて、直ちに上にその事件を伝えた。上は軍隊全体を守った。即ち自浄作用を印象付けるためにラースキンの率いていた部隊を解散し、オスカーを警察に突き出し、さらにラースキンを解雇、他の将校を降格または解雇としたのだ。
ラースキンはこの脳筋の裏で、反共主義者であるマリク中佐が糸を引いていたと確信しているが、軍隊内外に豊富な人脈がいるマリクは裁判でも追及されず、代わりにラースキンが犠牲になった。
チャイムの音でふと我に返る。「おい、キン肉マん、出て来いよ。寝坊したか?」溜息をつくラースキン。陽気かつ怠惰なハーマン刑事が迎えに来た。ラースキンの苦手なタイプだった。ラースキンが新米警官でなかったら、張り倒していた。さらにいえばラースキンがアメリカで最も腐敗している警察署しか就職できない汚点を抱えていなければ・・・ダメダメ、ラースキンちゃんはソーシャルワーカーにネガティブ思考を辞めなければ断酒はできないと言われているじゃないか。
こいつはパトロール課の刑事なのになぜ自分に構ってくるのだろう、とラースキンは思う。このデブは厚かましくも朝のパトロールの最中に俺のプライベート空間であるボロアパートの前にパトカーを止めて頼んでもいないのに送迎をしようとする。唾を飛ばしてつまらない冗談を言い、貧民街や裏路地で売人から賄賂か麻薬を受け取り、安物煙草と油ギトギトのハンバーグの匂いが混じった息を持つこの男には不快感を禁じ得ない。
「今日のラジオもつまんねえな。」とハーマンは言い、ラジオを止めた。そしていつものつまらないギャグをとばす。耳にタコができるくらい聞いた童貞自慢(俺にはエイプリルフールの日だけガールフレンドが出来るんだぜ。はっはっは~)をしてくる。
同日 リムソンシティ 行政特別区 リムソン市警
多くの退屈な書類仕事をすませようとエナジードリンクを持ってデスクに向かいかけたラースキンに、上司のリズ警部が声をかける。「ラースキンさん、実は今日は風紀課と組織犯罪対策課の合同捜査チームから補助要員の要請が来ていてね、研修の一環としてラースキンさんに行っていただけないかと思ったのですけれども・・・」「もちろん行きましょう。」ラースキンのネガティブモードは消滅した。
彼は軍隊の頃のようなアクティブな職場が欲しかった。だから警察官になりたいと思った。しかしラースキンのような「いわくつき」の人物を雇ってくれるところは就活生が最も嫌がるこのリムソン市警だけだった。おまけに配属されたのは情報管理課。毎日が無意味な書類仕事だ。その中には役人連中がするべき仕事も含まれていた。だが奴らはこっそりとポルノ映画の鑑賞会に行ってちゃっかり賄賂を貰ったり、愛人を抱いて遊んだり、「公務」と称して市長のパーティーに出席したりで忙しいのだろう。
だから本格的に動けるこのような仕事は大歓迎だ。
会議室には煙草の臭いと加齢臭が充満していた。書類が配布されているが、誰も目を通さずに談笑している。
「あの・・・」担当警部らしい人に声をかけるとその人は、「ああ・・補助で来てくれましたか。私は風紀課のダロス警部です。よろしくおねがいします。で、あなたは・・」と聞く。「情報管理課のラースキンです。」と答える。「情報管理課・・・ああ、そんな部署もありましたね。」とダロス。おいおい、こいつ大丈夫か。上の連中への媚びだけで昇進した奴だとすぐに分かった。
この頼りない警部に渡されたくしゃくしゃの書類を持って、後ろのテーブルに座る。
テーブルは三人掛けだったが、二人分はすぐに埋められた。同僚のマーガレット巡査部長と、やせこけた爺さん刑事だ。マーガレットは美人で親切なので気に入っていたが、この爺さんは何者だ?
「さてと、諸君、はじめよう。」と副刑事部長のラリー。皮肉なことに、彼は捜査本部上層部席に座るどの幹部よりも若い。まあ、彼は引き締めのために警察庁が送り込んだ元首都警察特捜部に属する機動隊長であり、署内の唯一のエリートだからそうだろう。仕事もしないのに年をとるまで警察署に通い続けてうまい肩書をもったハリボテ幹部どもとは違う。
彼は捜査の概要を説明した。
それによると、この街には最近新しく作られた地下格闘技場があるという。リムソンシティ内には数多くの犯罪組織が存在するが、どの団体が関わっているかは不明だ。なぜならば、その場所には中華系、チカーノ系、ヤクザ、ロシアンマフィアが出入りしているからだ。また土地はイタリアンマフィアが所有していたものだが、それが売られたかどうかさえ定かではない。
そして一番強調されたのは、保安官助手の出没だ。「またかよ・・・」とラースキンはこっそりとため息をついた。
この街には捜査機関が複数存在する(それにも関わらず治安が治安が悪化していく一方なのは、恐らくどの機関も無能だからだろう。)。リムソン市警、連邦警察リムソン支局、ランド州警察リムソン担当部、リムソン港湾警察、ランド州道路警察、ランド州公安軍特別警察リムソン支部、そしてリムソン保安官事務所。
それぞれの捜査機関は常に自分の組織が優位にたつことを望む。特にリムソン市警とリムソン保安官事務所はその傾向が強く、昔から縄張り争いをしてきた。(その争いと犯罪組織の抗争が連動しているので、むしろ捜査機関を減らすべきではないかとラースキンは思うのだった。)
今回の捜査も保安官事務所が地下格闘技場に関与している証拠を見つけることが目的のようだ。
「さてと、ではこの捜査においては地下格闘技の実態を調査せねばならない。そのためにまずは内部に潜入員を送り込もうと思った。しかし、もぐり捜査のエキスパートはガンビーさんを除いて皆先日の抗争で怪我を負っている。(この抗争はいわば市警と保安官事務所の代理戦争であった。中国人嫌いの日系であるアカハネ警部の派閥の刑事たちががヤクザと組んで中華街を襲撃し、これに対して反発したチャイナマフィアに保安官事務所から武器が供給された。結果、連邦警察の介入で抗争は終結したが、日本人側はアカハネやヤクザの突撃実行幹部を含む数名が怪我をして惨敗。だがその分警察官をボコボコにしたチャイナマフィアの評判は下がっているので痛み分けとなった。唯一美味い汁を吸ったのが連邦警察だ。)そこで、補助要員を他の部署に要請したのだよ。」とくどくど話すのはダロス警部。
「さあ、すまんが潜入員となる二人に自己紹介してもらおうか。」とダロス。爺さんがラースキンとマーガレットを起立させる。幹部連中はにやにや笑いをかみ殺してマーガレットを見ている。スケベ野郎だ、とラースキンは自分を棚に上げて思うのだった。マーガレットは幹部連中の視線を無視して自己紹介を始める。「情報管理課に勤めるマーガレット巡査です。」続いてラースキンも自己紹介をする。「同じく情報管理課のラースキン巡査です。」
「さて、マーガレット巡査には接待嬢、ラースキン巡査にはユーザー、そしてガンビーさんには警備員として潜入してもらおう。犯罪組織の潜入について、二人の巡査にはこの後講習をガンビーさんから受けてもらおう。」
爺さんは潜入捜査のエキスパートであるガンビーだった。「君たちは潜入捜査はやったことないだろうから、無理に情報を探らなくてよい。向こうに怪しまれたら困るのでね。ただ最大限観察して欲しい。どんなユーザーがいるのか、どんな運営スタッフがいるのか。また私は無線で君たちをサポートするが、直接接触するのはこの警察署の中だけにしよう。」「承知しました。」「よし。潜入には下準備が必要だな。おい、トルドー君。」とガンビーが呼ぶと、「いよいよですか。」と小太りの刑事がやって来た。「よし、では俺から潜入の下準備について説明する。まずマーガレット巡査、ホーバンのもとで君が提供している仕事内容を組織側の人間に流すぞ。」ラースキンは息をのむ。マーガレットがそんなことをしていたとは衝撃だ。だがよく考えれば至極当然である。アメリカで最も腐敗したこの街で綺麗な心のまま生きていける女性警官などいないだろう。
ホーバンは風紀課に賄賂を払っている売春婦の経営者で、裏社会の犯罪組織と警察のパイプ役になっている。また彼はロックウェル署長をはじめとする警察幹部に「楽しみ」を提供していた。警察署に入り浸ることもあるほど市警との繋がりは深い。そのためかリムソン市警の顔立ちが良い婦警のうち幾人かはホーバンのもとで副業として体を売っている。マーガレットのそうした婦警のうちの一人であったのだ。
だが更なる衝撃がもたらされる。「ラースキン巡査、あんたには軍隊で慣れたであろう人殺しをやってもらう。」「え!?」「心配するな。殺すのはそこらへんの一般市民じゃねえ。れっきとしたクズ野郎さ。それにあんたは確実に勝てる。こちらでクズ野郎には細工してあるからよ。ヤクをこっそり飲ませたんだ。」頭が混乱する。「ここに入りたてで困惑しているのは分かるぜ。だけどよ、リムソン市警はこういうところだって、あんたも分かって来たころだろうよ。捜査のためなら多少規則から外れてもいいのさ。巨悪を打倒するためなら、子悪党殺しなんか罪のうちにも入らねえだろ。」「・・・・・・」「まあ無理もないが、潜入のためには仕方ねえな。格闘技組織のユーザーはどうもな、戦いで人を殺した奴に限るそうだぜ。なにせ、格闘技内容はデスマッチだからな。」
ラースキンは頭を抱えながら渡された資料の男を見た。入れ墨だらけのボクサーのような男が映っている。写真では囚人服を着ていた。名前は「ビンセント・ローリー」となっている。その男はもともと違法ナイトクラブの用心棒で、無礼な客数人を大けがに追い込んだほか、ナイトクラブの金を持ち逃げした会計係のチンピラの死にも関わっている疑いがあるという。現在は収監中だが、ラースキンとのデスマッチに勝てば出所できるとの条件を飲み、刑務所内の一室でラースキンと戦うという。
二日後 リムソンシティ 行政特別区 バーネット刑務所
いやいや足を運んだ刑務所で担当のドナルド刑務官が出迎えた。「ラースキン巡査だ。」「ビンセントの担当のローリーです。では、こちらに・・・」
案内された部屋は空いている個室のようだ。すでに準備が整えられていた。中央には鉄棒を組み合わせて作られたリングがあり、マットレスが敷かれている。さらに映画用のカメラを設置する者たちもいた。ローリーによると、彼らは映画会社のスタッフらしい。その映画会社は違法ポルノや実際の殺人映画などを撮り、裏社会に流通させているらしい。今回先方に渡すDVDをつくるらしい。
扉が開いて、鎖に付けられたビンセントが看守に連れられて入って来た。手入れのされていない口ひげ、ところどころ固まった髪の毛がしがみつくように生える頭、シミだらけの囚人服、黄色い爪、どれをとっても不潔そうだった。そして赤く血走る眼で睨みつけてきた。ラースキンが中指を立てると、飛び掛かろうとして・・・転んだ。鎖を後ろに大きく引かれたのだ。「殺してやるぜ」と毒を吐く。
ラースキンは緊張した。軍隊時代には、素手で人を殺したことがある。だがそれは瀕死で助かる見込みのない仲間に慈悲を与えるためにやったことであり、なおかつそれから長い間がたっていた。殺人の疑いがある筋骨隆々の男を殺せるだろうか。
「さて、そろったし、はじめましょう。」ローリーがビンセントの鎖を解くように看守に合図し、ビンセントはリング内ではやくもファイティングポーズをとる。ラースキンもリングに入り、ビンセントとにらみ合う。はやくも部屋には殺意が充満していた。カメラが回っていることを確認すると、ローリーはルールを説明した。「ルールはシンプル。殺し合いだ。先にどちらかが死ぬまでたたかってもらう。生き残った方が勝ちだ。素手での戦いとなるが、それ以外にルールはない。では、はじめ!」ビンセントがいきなり飛び掛かる。ラースキンは深呼吸して、パンチを繰り出した。