第80話 超日魂ナメんじゃねえッッ!
■仙台市真央区 正木邸中庭 日本庭園
「おらっ、てめえが飼い主だろコラッ!」
「な、なんだアレは。おい、早く出せ」
「はっ」
何の前触れもなく現れた血まみれの大男に、さすがの正木ヒデオも狼狽えた。ヘリコプターのドアを閉めるのも忘れ、パイロットに離陸の指示を出す。
ローターの爆音がさらに力強さを増し、芝生を吹き散らして浮き上がる。
「待てコラッ! トンズラこくんじゃねえぞコラッ!」
大男がヘリに向かって飛びかかってくるが、ぎりぎりでかわして飛び立った。
眼下では、男が口汚く罵倒しているようだが、騒音にかき消されて内容はよく聞き取らない。
ヒデオは咳払いをして姿勢を直し、平静を装って隣に座る黒服に尋ねる。
「自衛隊でも、警察関係者でもないな。あれは何者だ?」
「わかりませんが、不法侵入者であることは間違いないかと」
「愚民が……」
じきに焼失する屋敷だが、下賤な庶民に勝手に踏み込まれるのは気に入らない。
また、突然のこととはいえ、つい狼狽えてしまったことも屈辱だ。
「銃を寄越せ」
「は?」
「銃を寄越せと言っている。あの下郎を撃ち殺してから行くぞ」
「はっ!」
ヒデオは黒服からライフルを受け取り、ヘリから身を乗り出す。
こちらが銃を向けていることに気がつくと、男は慌てて逃げ出していった。
「ハハハ、下郎が。逃がすわけがなかろう」
ヒデオの唯一の趣味はハンティングだ。
アフリカでライオンを撃ったこともあり、ライフルの扱いには慣れている。
銃口で男を追いながら、スコープの照準を合わせる。
一発、二発、引き金を引くたびに足元の土が弾ける。
距離は近く、当てるのは容易い。
わざと外しているのだ。
ヒデオの口元が愉悦に歪む。
ハンティングの醍醐味は命を弄ぶこの瞬間にある。
怯えた獲物が逃げ惑うのを、時間をかけてじっくり仕留めるのだ。
「お館様、あまり愉しまれますと……」
「わかっている。言われずとも次でトドメだ」
人間狩りはひさしぶりだ。
本当ならもっと時間をかけて楽しみたいところだが、あまりのんびりしていられる状況ではない。
確実にトドメを刺すため、パイロットに命じてヘリを近づけさせる。
男は壁際まで追い込まれ、もはや逃げ場はない。
建物の中に逃げ込めばよかったのに、パニックでそんな知恵すら回らなかったのだろう。
ヒデオはほくそ笑み、薄い唇をちろりと舐める。
追い詰められた獲物の表情を堪能すべく、スコープを覗く。
そこに映ったのは絶望に染まった恐怖の表情――
――ではない。
鮮血に染まった顔の中で、白い歯だけが異様に光っている。
笑っているのだ。歯を剥いて笑っているのだ。
それはさながら獲物を前にした野獣の相貌。
ぞくりと背筋が寒くなる。
自分の喉笛が食い破られる光景が脳裏をよぎったせいだ。
馬鹿な、とヒデオは頭を左右に振る。
こちらはヘリに乗り、上空にいるのだ。
何が狙いか知らないが、あの男にはもはや為す術もない。
獲物はあちらだ。
こちらではない。
突然湧き上がった不安を頭から追い出し、改めてスコープを覗く。
しかし、そこにあの男の姿は映っていない。
慌ててスコープから目を離し、視界を広げる。
広がった視界で、男の姿を捉える。
男は走っていた。
矢の如き疾走。
何かを担いでいる。
梯子だ。
庭木の剪定に使う梯子を担いでいるのだ。
折りたたみの梯子がまっすぐ伸ばされる。
地面に突き立てられる。
男が梯子を駆け上がる。
頂点まで駆け上がり、勢いのまま翔ぶ。
「どぉぉぉりゃぁぁぁあああ!!」
「ひっ!?」
ヒデオの口から悲鳴がこぼれる。
血まみれの巨漢が宙を走り、一直線に飛んでくるのだ。
慌ててライフルの引き金を引く。
弾丸は男の肩の肉を削る。
鮮血がぱっと夜空に散る。
だが、それだけだ。
空を飛ぶ男の勢いを止めるには至らない。
ずうんと、ヘリが揺れた。
赤黒い血で全身を汚した男が、目の前にいた。
片手でヒデオの首を掴み、片手でライフルの銃身を掴んでいる。
「いよぉ、やってくれんじゃねえか」
男が、歯を剥いて笑う。
ライフルの銃身が、粘土細工のようにぐにゃりと曲げられる。
自分の首が同じく捻じ曲げられる姿を否応もなく想像してしまう。
「ま、待て。何が目的だ? か、金なら払う」
「いきなり撃ってきて何が目的だもクソもあるかボケがっ!」
額に衝撃。
頭突きだ。
男に頭突きを見舞われ、ヒデオの目の奥に火花が散る。
さらに間髪入れずにヘリの奥へと押し込まれる。
隣りに座っていた黒服が拳銃を抜いて応戦しようとするが、押し込まれたヒデオの身体に挟まれ、ヘリの内壁に頭を打って気絶した。
「ああー、クソ。ややこしい。なんで銃なんて持ってんだよ。てめえらもヤクザか、おい?」
「ちっ、ちがっ……」
ヒデオは必死で首を振ろうとする。
ヤクザという単語が出た瞬間、男の顔がさらに殺気を増したからだ。
だが、男の手に掴まれた首は万力で固定されたかのように動かせない。
「ヤクザじゃねえのか? ホントだな? まあ、ひとまずいいか。まずはアレだ、あのペット、責任持って止めろ」
「ペット……?」
何を言っているのかわからない。
男はヘリの外に視線を向けている。
視線の先には、長い首を振り回して屋敷を破壊する醜く巨大なドラゴンがいた。
その姿は腐乱した死骸に潜り込んで喰い荒らす毒蛇を連想させた。
「とぼけんじゃねえぞ。このうちに真っ直ぐ来て、ああやってエサかなんか探してんだ。てめえんちのペットに決まってんだろ! どうせデカくなりすぎて、飼いきれなくなって捨てたとかそんなとこだろうが!」
「はぁ!?」
話の筋がめちゃくちゃだ。
あんな巨大なモンスターを飼うものなどいるわけがない。
冗談でも言っていると信じたいが、冗談でこんな真似をするとは到底思えない。
ヒデオの思考が、ある結論に収束していく。
狂人。つまり、この男は狂人なのだ。
迷宮災害には精神汚染を伴うものがある。
恐らく高レベルの配信者が精神を冒され、あの怪竜と共にやってきたのだろう。
それならば、懐柔に絶好のものがあった。
「そ、そんなことよりいいものがある。これを全部やる。純正の最上級品だ」
ヒデオは手探りでスポーツバッグを引き寄せ、男に差し出す。
怪訝な顔をする男に、バッグを開いて中身を見せる。
「なんだこりゃ?」
「ら、神権侵害だ。欲しいだろ? ま、まだまだある――」
「っざけんなゴラァ!」
「ひぃっ!?」
バッグがひったくられ、ヘリの外へと放り捨てられる。
中身がぶち撒けられ、ビニールシートで小分けにされた神権侵害の錠剤が、風に煽られ紙吹雪のように散っていく。
「俺はクスリなんて使わねえんだよ! 超日魂ナメんじゃねえッッ!」
「すっ、すみません!」
反射的に謝ってしまった。
超日魂とは何だ? 何を言ってるのかまるでわからない。
正木ヒデオの中に、この世に生を受けて以来、一度も味わったことのない種類の恐怖が湧き上がっていた。
「お、お館様、それで、どう致しましょう。このまま脱出してよろしいので――」
「いいわけねえだろ! ペットの不始末ぐらいちゃんと片付けてけ!」
「はっ、はい!」
恐る恐る尋ねるパイロットに、男が勝手に答える。
「だ、だからあれは私のペットなどではないと――」
「ああン? まだシラを切りやがんのか。ああ、いいぜ、わかった。あれはてめえのペットじゃねえんだな。それなら、アレをどうしようが俺の勝手ってことだよな?」
何をどうしたら「それなら」になるのかさっぱりわからない。
わからないが、ヒデオは首を縦に振っていた。
隣県福島の郷土玩具、赤べこの如くがくがくと。
「よーし、じゃあ運転手! あのデカトカゲの真上に飛べ」
「はいっ!」
男の指示に従い、ヘリコプターは暴れ狂う竜の真上へと進路を向けた。
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